鷺宮製作所硬式野球部

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鷺宮製作所硬式野球部
チーム名(通称) 鷺宮製作所、鷺宮
加盟団体 日本野球連盟
加盟区分 企業チーム
創部 1958年
チーム名の遍歴

  • 鷺宮製作所 (1958 - )
本拠地自治体

練習グラウンド 鷺宮製作所狭山グラウンド(埼玉県狭山市
チームカラー 黄色、紺色
監督 幡野一男
都市対抗野球大会
出場回数 16回
最近の出場 2022年
最高成績 4強
社会人野球日本選手権大会
出場回数 14回
最近の出場 2022年
最高成績 4強
全日本クラブ野球選手権大会
出場回数 ※出場資格なし

鷺宮製作所硬式野球部(さぎのみやせいさくしょこうしきやきゅうぶ)は、東京都に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟する社会人野球の企業チームである。

運営母体は、自動制御機器等を製造する鷺宮製作所

概要[編集]

1958年鷺宮製作所の硬式野球部『鷺宮製作所硬式野球部』として創部。

1969年都市対抗野球に、1975年日本選手権にそれぞれ初出場している。

2002年、9月限りで埼玉県狭山市を拠点に活動している『鷺宮製作所狭山硬式野球部』を解散させ、当チームに統合した[1]。合宿所と練習グラウンドは狭山チームのものを使用することになった。

2005年都市対抗野球東京地区予選で東京地区第1代表決定戦に駒を進めながら、そこから5連敗を喫し本戦出場を逃した。この悔しさをバネに、同年秋の日本選手権では出場5回目にして初勝利を挙げると快進撃を続け、初のベスト4まで勝ち上がった。また、都市対抗野球では32年間本大会で白星から見放されていたが、2007年都市対抗野球では初戦で白星を挙げると勢いに乗り勝ち進み、ベスト4まで進出した。

2009年都市対抗野球に出場して以降は低迷が続いていた。特に2016年は、都市対抗野球東京地区予選で2009年以来となる東京地区第1代表決定戦に駒を進めながら、そこから3連敗を喫し本戦出場を逃す結果に終わったが、2018年都市対抗野球では東京地区第1代表として実に9年ぶりとなる本大会出場を果たしている[2]

設立・沿革[編集]

大会の出場歴・最高成績[編集]

出身プロ野球選手[編集]

元プロ野球選手の競技者登録[編集]

かつて在籍した主な選手・コーチ・監督[編集]

鷺宮製作所狭山硬式野球部[編集]

鷺宮製作所狭山硬式野球部
チーム名(通称) 鷺宮製作所狭山、鷺宮狭山
加盟団体 日本野球連盟
加盟区分 企業チーム
創部 1992年
廃部 2002年
チーム名の遍歴

  • 鷺宮製作所狭山 (1992 - 2002)
本拠地自治体

練習グラウンド 鷺宮製作所狭山グラウンド(埼玉県狭山市)
都市対抗野球大会
出場回数 なし
社会人野球日本選手権大会
出場回数 1回
最近の出場 2000年
最高成績 1回戦敗退
全日本クラブ野球選手権大会
出場回数 ※出場資格なし

鷺宮製作所狭山硬式野球部(さぎのみやせいさくしょさやまこうしきやきゅうぶ)は、埼玉県狭山市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟していた社会人野球の企業チームである。2002年9月に解散した。

運営母体は、自動制御機器等を製造する鷺宮製作所

概要[編集]

1992年鷺宮製作所の狭山事業所を拠点に『鷺宮製作所狭山硬式野球部』として創部。

仕事優先で練習は夜間に限られていた中で[3]2000年に創部9年目にして日本選手権に初出場を果たした[3]

2002年9月30日をもって解散し、東京都を本拠地に活動している本社チームの『鷺宮製作所硬式野球部』に統合された[1]。合宿所と練習グラウンドは、狭山チームのものを使用することになった。

設立・沿革[編集]

  • 1992年 - 『鷺宮製作所狭山』として創部。
  • 2000年 - 日本選手権に初出場(1回戦敗退)。
  • 2002年 - 9月30日をもって解散。東京都を拠点に活動している『鷺宮製作所』と統合。

大会の出場歴・最高成績[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b “鷺宮製作所狭山が解散”. 毎日新聞: p. 16. (2002年10月3日) 
  2. ^ 第89回 都市対抗 東京2次予選 メットライフドーム 第1代表決定戦 鷺宮製作所対東京ガス戦日本野球連盟 2018年5月28日 同日閲覧
  3. ^ a b “26代表の戦力⑤ 第27回社会人野球日本選手権大会”. 毎日新聞: p. 19. (2000年9月23日) 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]