市川卓
| 北海道日本ハムファイターズ #50 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 三重県四日市市 |
| 生年月日 | 1986年6月7日(25歳) |
| 身長 体重 |
185cm 90kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| ポジション | 一塁手、三塁手、外野手 |
| プロ入り | 2004年 ドラフト5巡目 |
| 初出場 | 2008年7月6日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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市川 卓(いちかわ すぐる、1986年6月7日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(内野手)。
目次 |
[編集] 来歴・人物
[編集] プロ入り前
菰野高校時代は、恵まれた体躯から繰り出す速く鋭いスイングで高校通算打率.426、本塁打36本の成績を残し「三重のゴジラ」とも呼ばれ、宇治山田商の江川智晃と共に三重県内だけでなく中央球界でも知られる存在となった。その素質が当時の田中幸雄スカウトの目にも留まり、2004年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムから5巡目で指名され、入団した。
菰野高校は練習場も特別なものを持たず、練習で市川が放つ打球がたびたび場外に飛び出すのでネットを高くした。それは今でも『市川ネット』と呼ばれている。
[編集] プロ入り後
2005年、同期入団のダルビッシュ有、鵜久森淳志と合わせて北海道のマスコミでは「高三トリオ」として取り上げられ、市川は「未来の小笠原道大」と期待されていた。春先から鵜久森とともにイースタン・リーグ(イ・リーグ)の試合で重点的に起用され、二軍でルーキーながら一塁手のレギュラーを獲得したが、打率.217と振るわなかった。
2006年頃になると練習態度の悪さが目立ちはじめ、同じく練習態度に難のあった小山桂司とともに出場停止の処分を受け、同オフの契約更改でも懲罰の意味合いが強いダウン提示を受けた。二軍では一塁手のほかに三塁手や外野手にも挑戦したが、打率.183とさらに成績を落とす結果となった。
2007年は二軍で序盤から打撃好調で、5月には日刊スポーツ月間MVP(ファーム月間MVP)に選ばれた。イ・リーグ4位(チームトップ)の打率.329をマークし、8本塁打を打つなど、2年間の不振が嘘のように自慢の長打力を発揮した。守備でも成長を見せ、一塁・三塁・外野をそれぞれ20試合以上守った。
2008年、二軍で打率.350の好成績を残し、チームメイトの陽仲壽との激しい争いを制してイ・リーグ首位打者を獲得した。この年から二塁手にも取り組み始める。また2打数2三振ながらプロ4年目で一軍デビューを果たした。
2009年、2010年ともに二軍でレギュラーとして起用されたが、一軍出場はなかった。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2008 | 日本ハム | 3 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
| 2011 | 4 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | .333 | .000 | .333 | |
| 通算:2年 | 7 | 5 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | .000 | .200 | .000 | .200 | |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] 記録
[編集] 背番号
- 50(2005年 - )
[編集] 関連項目
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