ブレット・ハーパー

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ブレット・ハーパー
Brett Harper
楽天時代(2012年8月1日、こまちスタジアム
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ユタ州ソルトレイクシティ
生年月日 (1981-07-31) 1981年7月31日(42歳)
身長
体重
193 cm
112 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 一塁手
プロ入り 2000年 MLBドラフト45巡目
初出場 NPB / 2010年7月6日
最終出場 NPB / 2012年8月19日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ブレット・デイヴィッド・ハーパーBrett David Harper , 1981年7月31日 - )は、アメリカ合衆国ユタ州ソルトレイクシティ出身の元プロ野球選手内野手)。

実父はミネソタ・ツインズの捕手として活躍し、1991年のワールドシリーズ制覇に貢献したブライアン・ハーパー

経歴[編集]

マイナー・独立リーグ時代[編集]

2000年のMLBドラフト会議において、ニューヨーク・メッツに45巡目で指名され、入団。メジャーリーグ経験は無く、マイナーリーグ通算802試合出場で122本塁打を放った。

2010年シーズン当初はアトランティックリーグに加盟するランカスター・バーンストーマーズ(当時の同僚に仁志敏久ライアン・マルハーンがいる)でプレーした。5月16日からオークランド・アスレチックス傘下3Aのサクラメント・リバーキャッツでプレーしていたが、6月3日に解雇された。

横浜時代[編集]

横浜時代(2010年8月8日、横浜スタジアム)

2010年6月14日 - 15日にかけて横浜ベイスターズの入団テストを受け、合格。6月22日にシーズン終了までの1年契約、最大年俸1000万円(出場数に応じた変動制)で合意し、6月25日に入団会見が行われた[1]。背番号は42。加入後直ぐに打線の中核を担い、7月18日の対読売ジャイアンツ戦(横浜スタジアム)ではマーク・クルーンから劇的な右越逆転サヨナラ満塁本塁打を放った。一塁守備で足を引っ張る場面はあったものの、一時は4割を超える打率を残すなど、主に3番打者で起用され打撃でチームに大きく貢献した。一定の数字を残したこともあり、シーズン終了後に年俸3000万円(推定)の1年契約で横浜と再契約を結んだ。

2011年は開幕から打線の中軸として期待され、5番・一塁手で先発出場。5月11日の巨人戦(東京ドーム)で澤村拓一から決勝本塁打を放ったが徐々に不調に入り、この年に途中加入した中村紀洋と併用される事が多くなった。8月下旬からは若手起用の方針から代打での出場が多くなった。9月24日に降格すると早々とシーズンを終えてアメリカに帰国。結局打率こそ一定の成績を残したものの、肝心の本塁打は9本と期待された長打力を発揮できず、11月25日に来季契約を結ばないことが発表され[2]、11月30日に自由契約公示された。

横浜退団後[編集]

2012年メキシカンリーグモンクローバ・スティーラーズと契約。85試合の出場で打率.343、27本塁打の成績を残し、6月28日に自由契約となる。

楽天時代[編集]

7月6日、長距離砲を必要としていた東北楽天ゴールデンイーグルスと契約合意[3]。年俸1500万円、背番号は68。しかし打率1割台と低迷、19試合で本塁打0と全くの期待外れに終わり、11月21日、自由契約となった[4]

楽天退団後[編集]

2013年はモンクローバ・スティーラーズでプレー。

2014年は所属球団がなかったが、2015年6月9日に再びモンクローバ・スティーラーズと契約。シーズン終了後の10月21日にトレードでキンタナロー・タイガースに移籍した。

2016年2月2日に解雇となる。3月8日に独立リーグ・アメリカン・アソシエーションセントポール・セインツと契約するが公式戦には出場することなく4月12日にメキシカンリーグのメキシコシティ・レッドデビルズと契約するが、5試合の出場後、19日にトレードでオアハカ・ウォーリアーズに移籍。オフに解雇された。

選手としての特徴[編集]

フォロースイングが大きいため、振った後のバットが捕手に当たることがある。2011年6月12日の対北海道日本ハムファイターズ戦では、大野奨太の頭部にバットが直撃し、大野は4針を縫う怪我を負った。

2010年は左投手に対して打率.262と苦手にしたが、右投手に対して打率.348、得点圏打率も.357と勝負強さを発揮した。

横浜時代の応援歌は大野雄次[5]を経て、ラリー・シーツに使用されたものが流用されていた(歌詞はシーツのものを名前部分を差し替えて使用)。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2010 横浜 64 261 225 27 71 6 0 19 134 56 0 0 0 4 28 0 4 58 7 .316 .395 .596 .991
2011 103 350 320 23 89 17 0 9 133 39 0 0 0 3 27 1 0 87 15 .278 .331 .416 .747
2012 楽天 19 51 46 2 8 2 0 0 10 1 0 0 0 0 3 0 2 16 1 .174 .255 .217 .472
通算:3年 186 662 591 52 168 25 0 28 277 96 0 0 0 7 58 1 6 161 23 .284 .350 .469 .819

年度別守備成績[編集]


一塁












2010 63 512 28 4 47 .993
2011 79 603 33 3 45 .995
通算 142 1115 61 7 92 .994

記録[編集]

NPB

背番号[編集]

  • 42 (2010年途中 - 2011年)
  • 68 (2012年途中 - 同年終了) 
  • 33 (2013年 - )

脚注[編集]

  1. ^ ブレット・ハーパー選手 入団会見横浜ベイスターズ公式サイト(2010年6月25日閲覧)
  2. ^ 2012年度の選手契約について横浜ベイスターズ公式サイト(2011年11月25日閲覧)
  3. ^ ブレット・ハーパー選手との契約合意に関して
  4. ^ 2012年度 自由契約選手2012年11月21日 日本野球機構公式サイト
  5. ^ 「'89横浜大洋ホエールズ選手別応援歌」より。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]