肝属郡
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肝属郡(きもつきぐん)は、大隅国・鹿児島県の郡。713年の大隅国設置時から存在した4郡(他は囎唹郡・大隅郡・姶羅郡)のひとつである。
人口42,148人、面積712.59km²、人口密度59.1人/km²。(2009年5月1日、推計人口)
以下の4町を含む。
肝属郡とは別に、単に「肝属」というと、鹿屋市と垂水市を含める場合が多い。
[編集] 沿革
713年の大隅国設置当初から存在した4郡のひとつ。当時の郡域は大隅半島最南部(現南大隅町・肝付町)にあたり、肝属川流域の大部分(現鹿屋市・東串良町など)は姶羅郡・大隅郡に属していた。
中世には肝付氏が高山(現肝付町)に拠点を置いた。姶羅郡は肝付氏の勢力拡大にともなって中世までに肝属郡に取り込まれた。現存する姶良郡は江戸時代に設置された始羅郡(しらぐん)が基であり、この姶羅郡との直接の関係はない(姶良町#近現代も参照)。
江戸時代には薩摩藩(島津氏)領となった。このときの郡域は大隅半島中央部にあたり、現在の錦江町・南大隅町の全域、垂水市の一部は大隅郡所属であった。郡内には10の外城がおかれた。外城は1784年に郷と改称され、1889年の町村制実施時には(串良郷が東西に分割されたのを除いて)ほぼそのまま村となった[1]。
廃藩置県後は鹿児島県→都城県→鹿児島県所属となった。1896年には大隅郡を分割した南大隅郡を編入し、現在の郡域がほぼ確定する。
- 1889年4月1日 - 町村制施行に伴い、肝属郡に鹿屋村・高隈村・花岡村・大姶良村・新城村・西串良村・東串良村・高山村・姶良村・内之浦村・百引村が置かれる。(11村)
- 1896年3月29日 - 南大隅郡を編入。(17村)
- 1912年12月31日 - 鹿屋村が町制施行し鹿屋町となる。(1町16村)
- 1924年12月1日 - 垂水村が町制施行し垂水町となる。(2町15村)
- 1932年4月1日 - 高山村が町制施行し高山町となる。(3町14村)
- 1932年5月15日 - 西串良村が町制施行・改称し串良町となる。(4町13村)
- 1932年10月1日(6町11村)
- 東串良村が町制施行し東串良町となる。
- 内之浦村が町制施行し内之浦町となる。
- 1933年8月1日 - 大根占村が町制施行し大根占町となる。(7町10村)
- 1941年1月1日 - 小根占村が町制施行・改称し根占町となる。(8町9村)
- 1941年5月27日 - 鹿屋町・大姶良村・花岡村が合併し、鹿屋市が発足、郡より離脱。(7町7村)
- 1947年9月5日 - 佐多村が町制施行し佐多町となる。(8町6村)
- 1947年10月15日 - 姶良村が町制施行・改称し吾平町となる。(9町5村)
- 1955年1月10日 - 垂水町・新城村・牛根村が合併し、垂水町が発足。(9町3村)
- 1955年1月20日 - 高隈村が鹿屋市に編入。(9町2村)
- 1956年4月1日 - 百引村が囎唹郡市成村と合併し、囎唹郡輝北町が発足、郡より離脱。(9町1村)
- 1958年10月1日 - 垂水町が市制施行し、垂水市となり郡より離脱。(8町1村)
- 1961年4月1日 - 田代村が町制施行し田代町となる。(9町)
- 2005年3月22日 - 大根占町・田代町が合併し、錦江町が発足。(8町)
- 2005年3月31日 - 根占町・佐多町が合併し、南大隅町が発足。(7町)
- 2005年7月1日 - 内之浦町・高山町が合併し、肝付町が発足。(6町)
- 2006年1月1日 - 串良町・吾平町が鹿屋市、曽於郡輝北町と合併し、鹿屋市が発足、郡より離脱。(4町)
[編集] 脚注
- ^ 正確には「郷」内の村が合併したかたちとなる。一例として姶良村(現鹿屋市吾平町)は姶良郷内の3村(上名村・下名村・麓村)の合併により成立している。
[編集] 参考文献
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