香月良太

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香月 良太
オリックス・バファローズ #17
Katsuki ryota.jpg
2011年8月6日、QVCマリンフィールドにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県久留米市
生年月日 1982年7月27日(29歳)
身長
体重
180cm
82kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2003年 自由獲得枠
初出場 2004年9月23日
年俸 4,500万円(2012年)
経歴(括弧内は在籍年)

香月 良太(かつき りょうた、1982年7月27日 - )は、オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手投手)。福岡県久留米市出身。

プロ野球選手の香月良仁は実弟。

目次

[編集] 来歴・人物

[編集] プロ入り前

合川小1年から投手として野球を始め、良山中ではボーイズリーグの「久留米明球クラブ」に所属し投手で4番。その後柳川高校に進学し、3年時にはエースとして第72回選抜高等学校野球大会第82回全国高等学校野球選手権大会に春夏連続出場。ともに準々決勝で智弁和歌山高校に1点差で敗れたものの8強入り。夏の智弁和歌山との試合では、マメが潰れながらも延長11回を完投したがサヨナラ負け。なお、同大会では柳川に勝った智弁和歌山が優勝している。高校の1年後輩には弟の良仁がいた。

ドラフト候補として高卒でのプロ入りはほぼ確実視されていたが、上位指名のみ入団という意向を示していた事もあり指名は無く、社会人野球東芝に入社した。高校3年時に講演にきたダイエー王貞治監督は「3年後待っているぞ」と言い、社会人時代も評価は下がらず内海哲也森大輔らと併せて「3羽ガラス」と呼ばれた。

2003年ドラフト会議において大阪近鉄バファローズ自由獲得枠で入団。

[編集] プロ入り後

2004年は早い時期から注目され新人王候補と期待されたが、肩痛など故障の影響でシーズン終盤に1試合登板したのみだった。

2005年は球団合併に伴う選手分配ドラフトオリックス・バファローズに移籍。開幕時は二軍だったが、5月に一軍昇格すると、5月14日の対広島戦でプロ初勝利。以後、中継ぎの一角として、右打者の内角を攻めるシュートを武器に奪三振は少ないが打たせて取る投球で、前半戦は防御率1点台をキープする安定感を見せた。シーズン成績は47試合に登板して防御率2.36と、阪神タイガースの「JFK」に倣って「KKO」と命名された菊地原毅加藤大輔大久保勝信らに次ぐ好成績を収めた。

2006年先発投手の期待もかけられたが制球難のため6試合の登板で防御率は2桁、ウエスタン・リーグでも防御率5点台に終わった。

2007年も制球難のため一軍では3試合の登板にとどまった。二軍では抑えとして20試合に登板して防御率1.40の成績を残した。

2008年4月11日のプロ初先発から3試合目の先発登板となった7月25日の楽天戦で、1090日ぶり、先発としてはプロ初の勝利投手となった。その後はセットアッパーとしてリリーフ陣の軸となり、9月29日の西武戦では同点の8回裏に登板して延長10回表に味方が勝ち越した1点を守りきり、この勝利でチームは9年ぶりのAクラス入りを決めた。同年はカットボールを習得することでシュートに頼りがちだった投球に幅が広がり、苦手としていた左打者を被打率.242と抑えることに成功。32試合に登板して防御率3.11を記録した。

2009年は内転筋痛と腰痛で二軍スタートだったが、シーズン初登板となった4月10日の対ロッテ戦で勝利投手となり、セットアッパーとして活躍。7月にはリーグトップの13試合に登板し防御率1.35と好投した。しかし、登板過多からか8月以降は防御率6点台と不調に陥り、最終的に防御率は4点台に悪化してしまった。それでも、リリーフ陣が軒並み不調に陥ったチーム事情もあり、シーズン通じてはリーグ2位(チームトップ)の64試合に登板して、3勝3敗20ホールド、リーグ5位(チームトップ)の23ホールドポイントを記録した。

2010年はシーズン初登板となった3月21日の楽天戦で勝利投手となる等、春先からリリーフで活躍。しかし、交流戦に入るとやや調子を落とし、5月29日の対ヤクルト戦で敗戦投手となり、ヤクルトの連敗を11で阻止し、翌日に登録抹消。だが、6月10日に再昇格すると、7月は登板5試合ながら防御率0と安定感を取り戻していった。8月28日の日本ハム戦では、連投の続いていた平野佳寿岸田護に代わり、8回表途中から抑えを務め、1点差を守り抜いてプロ入り初セーブも記録した。また、8月19日の楽天戦には先発陣の駒が足りないチーム事情から2年ぶり4度目の先発登板を務め、苦しい台所事情を支えた。9月になると失点をする場面がやや増えたが、最終的には46試合に登板し、防御率は3.02を記録した。

2011年も、春先に一時登録抹消された以外は、ほぼ一年間一軍に帯同し、リリーフとして活躍した。前年と同数の46試合に登板しながらも、この年は左の吉野誠とのショートリリーフでの起用で1イニングに満たない登板が26試合あるなど、投球回数は登板数に満たない34イニングスに留まった。それでも、防御率は2005年よりも優秀な2.12を記録し、平野・岸田の勝利の方程式に繋ぐ役割を果たした。

[編集] プレースタイル

平均球速約139km/h[1]速球に、シュートスライダーカット・ファスト・ボールを交えて主に左右の変化で打たせて取るタイプである。他にもチェンジアップフォークボールなど多彩な球種を持つ。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別投手成績





















































W
H
I
P
2004 近鉄 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 13 2.0 4 0 2 0 1 2 0 0 4 4 18.00 3.00
2005 オリックス 47 0 0 0 0 3 1 0 10 .750 197 49.2 39 4 10 2 3 25 0 0 16 13 2.36 0.99
2006 6 0 0 0 0 0 1 0 0 .000 27 5.2 5 1 5 0 0 3 0 0 8 8 12.71 1.76
2007 3 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 24 5.0 6 1 2 0 2 0 0 0 4 4 7.20 1.60
2008 32 3 0 0 0 4 0 0 8 1.000 191 46.1 43 2 13 1 5 20 0 0 18 16 3.11 1.21
2009 64 0 0 0 0 3 3 0 20 .500 268 64.2 65 7 15 2 5 35 1 0 33 30 4.18 1.24
2010 46 1 0 0 0 3 1 1 4 .750 243 56.2 60 3 14 0 4 35 3 0 22 19 3.02 1.31
2011 46 0 0 0 0 1 2 0 16 .333 141 34.0 31 0 6 0 3 15 0 0 9 8 2.12 1.09
通算:8年 245 4 0 0 0 14 8 1 58 .636 1104 264.0 253 18 67 5 23 135 1 0 114 102 3.48 1.21
  • 2011年度シーズン終了時

[編集] 記録

[編集] 背番号

  • 17 (2004年 - )

[編集] 脚注

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  1. ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2012年、52頁。ISBN 978-4-905411-04-8

[編集] 関連項目

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