許銘傑

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ミンチェ (許 銘傑)
Hsu Ming-Chieh
Lamigoモンキーズ #16
OB-Ming-Chieh-Hsu20120714.jpg
オリックス時代(2012年7月14日、神戸サブ球場)
基本情報
国籍 中華民国の旗 中華民国台湾
出身地 台湾省高雄市
生年月日 1976年12月1日(37歳)
身長
体重
182 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1998年
初出場 TML / 1998年
NPB / 2000年4月2日
CPBL / 2014年3月28日
最終出場 TML / 1999年
NPB / 2013年6月12日
年俸 月給34万元(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
許銘傑
シュウ・ミンチェ
プロフィール
出生: 1976年12月1日(37歳)
出身地: 台湾
職業: 野球選手投手
各種表記
繁体字 許銘傑
簡体字 许铭杰
英語名 Hsu Ming-Chieh
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許 銘傑(シュウ・ミンチェ、1976年12月1日 - )は、Lamigoモンキーズに所属するプロ野球選手投手)。右投右打。2011年から2013年までの登録名は「ミンチェ」。

経歴[編集]

来日前[編集]

中正高工から台湾プロ野球台中金剛を経て、2000年西武ライオンズに入団。台湾プロ野球との選手獲得紳士協定解除後の最初の入団選手で、かつて西武で活躍した郭泰源にちなみ、「郭泰源二世」と呼ばれて期待された。

西武時代[編集]

1年目から一軍に出場し、6勝を挙げる。2年目の2001年はさらに数字を伸ばし、安定した投球を見せた。開幕後は伸び悩んでいたものの、視力矯正のためメガネをかけた途端にコントロールが向上した。あと5イニングを4自責点以内に抑えれば規定投球回数に到達して最優秀防御率のタイトルが確定する、という状況下でのシーズン最終戦の登板で5回8失点と乱調、タイトルを逃した[1]。3年目の2002年にも9勝を挙げた。これ以降、故障もあり不調が続いていた。2006年はサイドスローへ挑戦するが、上体が高く、思うように球がコントロールできなかったため、終盤に再び元に戻した。先発ローテーションの谷間に数試合先発したが結果を残せず、その後はロングリリーフ要員となった。

2007年は許に加えジェイソン・ジョンソンアレックス・グラマンクリストファー・ギッセルと4人の先発投手タイプの外国人が所属した。その中で許は主に先発投手が早い回で降板した際のロングリリーフを任され、15試合に登板した。一時は防御率2点台となるが、最終的に防御率4.88に終わった。

西武時代

2008年5月18日の対楽天戦で2年ぶりの先発勝利を挙げ、その後は日程の関係で中継ぎを任されたが、防御率5.12となる。アジアシリーズでは外国人選手で唯一出場枠に登録されたが、予選の対天津ライオンズ戦で先発し、2回を4安打2失点で降板した。

2009年の春季キャンプにおいて行われたインタビューには日本語で受け答えしていた。2009年度より単数契約になり、通訳がいなくなったためである。中継ぎとして開幕一軍を勝ち取るも降格されるが、8月後半に再昇格。久しぶりの完投勝利を挙げ、残留も約束された。ヒーローインタビューでは片言ながら一人で受け答えしていた。埼玉西武ライオンズファン感謝の集いにも参加した。

2010年は開幕から先発ローテーションに食い込み、ダルビッシュ有等各チームのエース級との対戦や打線の援護に恵まれずに勝ち星は増えなかったが、岸孝之石井一久ら主力投手が相次いで離脱した苦しい時期を平野将光西口文也と共に裏ローテのエースとして支え、投球回数は2002年以来8年ぶりに100イニングを超えた。後半戦になると調子を崩し気味になり、9月に降格してシーズンを終えた。本人が「初球から攻めていく」と話していたように、ファーストストライクを取ることを心がけた結果、前年よりも四球率が格段によくなった。12月24日、登録名を「ミンチェ」にすることが発表された[2]

2011年はロングリリーフとしてスタートする。平野の二軍落ちで5月7日の対楽天戦で先発を任されると、2002年8月21日の対ダイエー戦以来9年ぶりとなる完封勝利を挙げた。岸が復帰すると再び中継ぎに回り、他のリリーフの不調などで重要なセットアップマンとしての役割を任されるようになった。6月1日に出場登録日数が8年に達し、国内FA権を取得した。6月12日の対阪神戦でプロ初セーブを記録するなど好調を維持していたが、8月16日の投球練習中に右脇腹を痛め戦線から離脱。9月16日に一軍復帰、同日の対楽天戦に登板したが、1/3回で4失点で降板した(試合は勝利)。これにより一時0点台だった防御率は2点台となった。シーズン通算ではチーム2位の49試合に登板し、6勝2敗1セーブ22ホールド、防御率1.98の成績を残し、チームの最下位から浮上してのクライマックスシリーズ進出に貢献した。シーズンオフの12月12日、FA権を行使してオリックス・バファローズへ移籍[3]。日本プロ野球では初のFA権を行使して移籍した外国人選手となった。2012年より、前年に国内FA権を取得したことにより外国人枠が適用されず日本人選手と同じ扱いとなる。

オリックス時代[編集]

2012年は新天地でもリリーフの一角として開幕一軍入りを果たす。しかし、ソフトバンクとの開幕第2戦で1点リードの7回裏に登板するも、本多雄一に満塁走者一掃の適時打を浴びて逆転負けを喫した。その後も開幕から8試合で防御率11.12と精彩を欠いた投球が続き、4月22日に登録抹消。交流戦から一軍に合流し、5月19日の対ヤクルト戦で3点をリードした直後の延長11回裏に登板し、無失点に抑えて移籍後初のセーブを挙げ、チームの連敗を6で阻止した。しかし、5月23日の対阪神戦では押し出し四球などで3失点し降板、監督の岡田彰布に「逃げる投手はいらん」と激怒され[4]、翌日再度登録抹消となった。7月16日に再昇格となり、その後はまずまずの投球を見せたが、接戦の場面で打たれることも多く、移籍1年目は37試合の登板で被打率.309、防御率5.29の成績に終わった。

2013年は、一軍ではわずか1試合の登板にとどまり、10月5日に戦力外通告された[5]

台湾復帰[編集]

11月28日台湾中華職業棒球大聯盟Lamigoモンキーズよりドラフト2巡目で指名を受けた[6]。2014年1月7日、Lamigoと正式契約した。

プレースタイル[編集]

スリークォーターから平均球速約140km/h[7]、最速148km/hのストレートスライダーシュートによる横の揺さぶりを使った、打たせて取るピッチングスタイルである。他にもカットボール、カーブ、フォーク、チェンジアップなど豊富な球種を持っている。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2000 西武 28 21 1 1 0 6 7 0 -- .462 563 126.0 129 12 65 2 4 66 0 0 77 64 4.57 1.54
2001 27 25 1 1 0 11 6 0 -- .647 606 140.0 140 12 64 1 3 67 5 0 59 54 3.47 1.46
2002 20 20 2 2 1 9 7 0 -- .563 510 118.1 124 10 30 1 4 88 2 0 57 48 3.65 1.30
2003 19 11 1 0 0 4 2 0 -- .667 320 70.0 81 8 35 0 4 43 3 0 42 40 5.14 1.66
2004 27 6 0 0 0 4 3 0 -- .571 280 64.0 70 4 30 1 2 26 3 1 34 31 4.36 1.56
2005 4 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 27 5.2 9 2 4 0 0 4 0 0 4 4 6.35 2.29
2006 19 3 0 0 0 1 4 0 1 .200 190 42.2 46 8 17 2 2 26 4 0 28 26 5.48 1.48
2007 15 0 0 0 0 0 1 0 1 .000 102 24.0 27 3 8 1 1 8 1 1 14 13 4.88 1.46
2008 17 2 0 0 0 1 3 0 3 .250 151 31.2 37 1 22 1 1 11 4 0 21 18 5.12 1.86
2009 16 4 1 0 0 1 2 0 1 .333 179 40.1 42 3 21 3 3 21 1 0 20 17 3.79 1.56
2010 22 20 1 0 0 6 9 0 0 .400 529 120.2 150 13 28 0 2 62 4 1 75 61 4.55 1.48
2011 49 1 1 1 0 6 2 1 22 .750 259 68.1 48 2 10 1 4 40 4 0 17 15 1.98 0.85
2012 オリックス 37 0 0 0 0 0 3 1 10 .000 148 32.1 38 2 16 2 1 14 2 0 19 19 5.29 1.67
2013 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 7 1.0 3 0 1 0 0 0 0 0 3 3 27.00 4.00
通算:14年 301 113 8 5 1 49 49 2 39 .500 3871 885.0 944 80 351 15 31 476 33 3 470 413 4.20 1.50
  • 2013年度シーズン終了時

記録[編集]

NPB投手記録
NPB打撃記録
その他の記録

背番号[編集]

  • 17 (2000年 - 2003年)
  • 23 (2004年 - 2011年)
  • 00 (2012年 - 2013年)
  • 16 (2014年 - )

登場曲[編集]

脚注[編集]

  1. ^ タイトル獲得はすでに全日程を終了して帰国していたネイサン・ミンチー
  2. ^ 登録名変更のお知らせ”. 埼玉西武ライオンズ (2010年12月24日). 2011年12月18日閲覧。
  3. ^ 許 銘傑投手 獲得のお知らせ”. オリックス・バファローズ (2011年12月12日). 2011年12月18日閲覧。
  4. ^ “計12四死球に岡田監督“怒”「逃げる投手はいらんよ」”. スポニチアネックス. (2012年5月24日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/05/24/kiji/K20120524003313590.html 2012年10月10日閲覧。 
  5. ^ 戦力外通告のお知らせ”. オリックス・バファローズ (2013年10月5日). 2011年12月18日閲覧。
  6. ^ 元西武のミンチェ、台湾球界“Uターン”で再出発中央社フォーカス台湾 2013年11月28日配信
  7. ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2012年、52頁。ISBN 978-4-905411-04-8
  8. ^ 2005年5月20日 【公式戦】 試合結果 (横浜vs西武)
  9. ^ 2011年6月12日 【公式戦】 試合結果 (埼玉西武vs阪神)
  10. ^ a b 2010年5月25日 【公式戦】 試合結果 (広島東洋vs埼玉西武)

関連項目[編集]