新沼慎二

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新沼 慎二
横浜DeNAベイスターズ コーチ #79
Niinuma shinji.jpg
2013年7月18日、こまちスタジアムにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮城県石巻市
生年月日 1979年6月22日(35歳)
身長
体重
185 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1997年 ドラフト2位
初出場 2003年10月7日
最終出場 2012年10月8日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 横浜DeNAベイスターズ (2013 - )

新沼 慎二(にいぬま しんじ、1979年6月22日 - )は、元プロ野球選手捕手)、野球指導者。

一時期スイッチヒッターに挑戦したが引退まで右打ち。

来歴・人物[編集]

プロ入り前[編集]

仙台育英学園高等学校では2年・3年時に連続で全国高等学校野球選手権大会出場。

1997年のドラフト会議横浜ベイスターズ日本ハムファイターズヤクルトスワローズの3球団に2位指名され、横浜に入団。くじ引きの時、横浜・権藤博監督が当たりくじを引き当て交渉権を獲得のはずだったが、ヤクルトからくじ引きの順番が違うと抗議が出る。事務局は協議し不手際を認め、3球団もそれを了承した結果、交渉権はそのまま横浜が獲得した。

プロ入り後[編集]

入団後は当時正捕手だった谷繁元信、控えにも秋元宏作らがいたため二軍生活が続いたが、2003年10月7日中日ドラゴンズ戦でプロ初出場。2006年8月3日、プロ入り9年目にして中日の川上憲伸から初安打・初本塁打を打つ。

2007年8月23日広島東洋カープ宮崎充登から本塁打を打ち、プロ2本目の安打も本塁打で飾る。二軍では71試合に出場し打率.307を記録、打撃で成長を見せた。

2008年は第二捕手であった鶴岡一成の移籍もあり、14試合に出場したが、チーム方針で若手捕手の起用も多く一軍定着はならなかった。二軍では打率.394を記録するなど、打力をつけてきた。シーズン終了後にひじの遊離軟骨を取り除く手術を行なった。

2009年もシーズン当初は二軍生活が続いたが、大矢明彦監督の休養に伴い田代富雄が監督代行となるとようやく一軍に昇格、細山田武史との併用でスタメン起用されることが多くなった。しかし7月18日の対中日戦でトニ・ブランコとのクロスプレーで首を負傷し登録抹消。9月から一軍に復帰するが、途中出場での起用が大半だった。この年は前年を上回る自己最多の34試合に出場した。

2010年はFA移籍の橋本将や事実上の正捕手となった武山真吾に出遅れ出場試合が減少。しかし夏場に一軍昇格を果たすと出番こそ少ないながらも結果を出し、8月27日の対中日戦では自身プロ初のサヨナラ安打とヒーローインタビューも経験。武山との併用のほか代打要員としても存在感を見せ、以降は降格される事なく一軍のままシーズンを終えた。

2014年11月22日、横浜スタジアムにて

2011年シーズンは選手会長に就任。3月11日東日本大震災では自身の地元である石巻市が被災。幸いにも家族は無事だった。 開幕直後は武山がレギュラーだったこともあり、代打での出場が多かったが、シーズン中盤はスタメンに起用される機会が多くなり、7月17日阪神戦では自身初となる3安打4打点の猛打賞を記録する活躍を見せた。その後若手が多く起用されることになったため8月15日に登録抹消されてからは一軍に昇格することはなかったが自己最多の45試合に出場して存在感を見せた。

2012年も引き続き選手会長を務め、横浜DeNAベイスターズの初代選手会長となったが、FAによる鶴岡一成の復帰、黒羽根利規高城俊人の台頭もあり3試合のみの出場に留まり、同年9月21日戦力外であることが報じられ[1]9月25日に引退発表した[2]新沼は「たくさんの方々の支えのおかげで、大好きな野球をここまでできました。選手会長としての仕事は全くと言っていいほどこなせず、チームに迷惑をかけてしまいました。でも、いつも近くには素晴らしい先輩方、そして後輩がいてくれたおかげで、ここまで来れたかなと思います。チームがどうすれば強くなるか、村田の次のキャプテンを誰にするかなどを皆で悩んで話し合った時間が、自分にとって凄く大事なものとして心に残っています」とコメントした。10月8日の広島戦で引退セレモニーを行い、8番・捕手で先発出場。小杉陽太とバッテリーを組み、この日、同じく現役最後の試合となった元横浜石井琢朗安部友裕丸佳浩を打ち取った。1回裏の攻撃では4人で攻撃が終わり、2回に高城俊人に交代したため、打席に立つことがないまま、15年間の現役生活に幕を下ろした。

現役時代(2011年4月3日、横浜スタジアム)

引退後[編集]

2013年は二軍育成兼バッテリーコーチ、2014年から現在は一軍バッテリーコーチを務める[3]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2003 横浜
DeNA
2 6 6 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
2004 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
2005 4 3 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 .000 .333 .000 .333
2006 7 9 7 1 1 0 0 1 4 2 0 0 0 0 2 0 0 1 0 .143 .333 .571 .905
2007 4 6 6 1 1 0 0 1 4 1 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .167 .167 .667 .833
2008 14 13 12 0 1 0 0 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 4 0 .083 .083 .083 .167
2009 34 75 69 5 11 0 0 1 14 2 0 0 1 0 4 0 1 21 2 .159 .216 .203 .419
2010 27 52 49 1 13 1 0 0 14 3 0 0 1 0 2 0 0 7 2 .265 .294 .286 .580
2011 45 70 62 8 15 2 0 1 20 6 0 0 2 0 5 1 1 18 1 .242 .309 .323 .632
2012 4 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
通算:10年 143 236 215 16 42 3 0 4 57 14 0 0 5 0 14 1 2 54 5 .195 .251 .265 .516

年度別守備成績[編集]


捕手
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
2003 2 2 1 1 .500
2004 2 0 0 0 -
2005 1 1 0 0 0 0 1.000 0 0 0 -
2006 2 3 2 0 1 0 1.000 1 0 1 1.000
2007 4 6 0 0 0 0 1.000 1 1 0 .000
2008 9 19 4 0 0 0 1.000 4 2 2 .500
2009 34 163 11 2 0 1 .989 27 23 4 .148
2010 15 61 5 2 0 2 .971 11 10 1 .091
2011 45 149 7 3 2 2 .981 25 22 3 .120
2012 4 2 0 0 0 0 1.000 0 0 0 -
通算 118 71 59 12 .169

記録[編集]

背番号[編集]

  • 29 (1998年 - 2012年)
  • 79 (2013年 - )

脚注[編集]

関連項目[編集]