葛西紀明

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2006年にホルメンコーレンで行われたワールドカップでの葛西紀明
葛西紀明
基本情報
愛称 NORI
誕生日 1972年6月6日(39歳)
出身地 日本の旗 日本
北海道上川郡下川町
身長 176cm
選手情報
クラブ 土屋ホーム
使用メーカー Fischer
最高記録 224.0m
ワールドカップ
シーズン 1989年-
優勝回数 15回
他の表彰台 29回
表彰台獲得数 44回
最終更新日:
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葛西 紀明(かさい のりあき、1972年6月6日 - )は、日本北海道上川郡下川町出身のスキージャンプ選手。 東海大四高から地崎工業マイカルを経て現在は土屋ホームに所属。2005年度日本オリンピック委員会選手強化キャンペーンのシンボルアスリート制度適用選手。 1992年アルベールビルオリンピックに19歳で初出場。以来、リレハンメル長野ソルトレイクシティトリノバンクーバーと史上最多計6回の冬季オリンピックに出場。 2001年下川町町民栄誉賞受賞[1]

目次

[編集] 経歴・人物

札幌オリンピックが開催された1972年に下川町で生まれ、嶋宏大岡部孝信らの後を追うように10歳でジャンプを始める。

すぐに才能を発揮し雪印杯全日本ジャンプ大会ジュニアの部などで優勝を重ね、中学3年時には宮様大会のテストジャンパーとして成年組と同じ助走距離で優勝した東昭広の飛距離を上回る[2] など逸材として注目を浴びた。

東海大四高校に進学し地元開催のスキージャンプ・ワールドカップに1年生ながら出場、さらに当時の中村圭彦ジャンプ部長によって1989年ノルディックスキー世界選手権の代表に抜擢された。

翌シーズンからワールドカップに本格参戦、このシーズン総合24位となった。

1991年に秋元正博らが所属する地崎工業に入社した。ちょうどこのシーズンはV字スタイルへの移行期に当たり葛西も習得に手間取った。初めてのオリンピックとなったアルベールビルではノーマルヒル31位、ラージヒル26位と振るわなかったが、3月のスキーフライング世界選手権(ワールドカップも兼ねていた)で優勝した。

1992/1993シーズンはV字スタイルを完全に習得し、スキー板よりも身体を前に放り出す深い前傾姿勢と、3勝をあげて総合3位となったワールドカップでの活躍からジャンプの本場、欧州では「カミカゼ・カサイ」の異名を放ち絶大な人気を誇る[要出典]

1993/1994シーズンは日本国内では大倉山ジャンプ競技場のバッケンレコードを大幅に更新するなど圧倒的な成績を残したがリレハンメルオリンピックでは団体戦での銀メダルが最高だった。

1994/1995シーズン開幕前の11月24日にノルウェー合宿で転倒し鎖骨を骨折、1月に復帰したものの間もなく再び転倒して同じ個所を痛め、結局このシーズンをほぼ棒に振った。(欠場の代役として船木和喜がワールドカップにデビューしていきなり優勝、スターダムにのし上がった)

1998年の長野オリンピックでも12月に左足首を捻挫した影響もあって個人ノーマルヒルで7位に入賞したのみだった。同年3月には所属していた地崎工業のスキー部が廃部となり、マイカルへ移籍した。

1998/1999シーズンはワールドカップで6勝をあげて自己最高タイの総合3位、世界選手権では自身初のメダルとなる団体銀メダルを獲得した。2001年10月には所属していたマイカルが廃部、土屋ホームに移籍して臨んだソルトレイクシティオリンピックでは個人2種目とも40位台と振るわなかった。

2003年の世界選手権でようやく個人のメダル(銅2個)を獲得、2004年には当時のW杯最年長優勝記録を更新した。

1988/1989シーズンに国際大会にデビューしてから今シーズンで21年になるが大舞台では結果を出せず、今まで冬季オリンピックや世界選手権においては優勝がない。このことが、船木和喜原田雅彦を大きく上回るキャリアや実績を積んでいるにもかかわらず[要出典]、日本国内においてスター選手として認識されていない理由とも考えられる。

フィジカルパワーが優れており、体力レベルは日本代表の中でもトップクラスを維持している[要出典]

北海道日本ハムファイターズ稲葉篤紀とは地元チームの選手であることに加え同い年、さらにゴルフ仲間(知り合ったきっかけもゴルフであった)と言うこともあって非常に仲がいい。 2009年4月6日、所属する土屋ホームスキー部の監督に就任することとなり、日本スキー界としては異例となるプレーイング・マネージャーとなった[3]

2010年バンクーバー五輪でも全種目に出場。ラージヒル個人で8位、団体で5位に終わるも、この時は欧州の記者がメダルを獲得したわけでもない葛西のまわりに集まった。日本人記者が「どうしてメダルを取ったわけでもないのに葛西のところへ行ったのか」と問うと、ただ「リスペクト」と答えたという[要出典]

[編集] 主な競技成績

[編集] 脚註

  1. ^ 下川町社会教育関係表彰状況
  2. ^ 北海道新聞1988年3月7日付朝刊15面
  3. ^ 2010年バンクーバー五輪のラージヒルで1本目20位と出遅れるも、2本目に135mの大ジャンプで8位入賞。 葛西、土屋ホームの選手兼監督に サンケイスポーツ 2009年4月6日閲覧

[編集] 外部リンク

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