葛西紀明

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葛西紀明
Noriaki Kasai at the Holmenkollen 2006.jpg
2006年ワールドカップ ホルメンコーレン大会
基本情報
愛称 NORI、カミカゼ、レジェンド
誕生日 1972年6月6日(42歳)
出身地 日本の旗 日本
北海道上川郡下川町
身長 176cm
選手情報
クラブ 土屋ホーム
使用メーカー Fischer
最高記録 224.0m
ワールドカップ
シーズン 1989年-
優勝回数 16回
他の表彰台 34回
表彰台獲得数 50回
 
獲得メダル
男子 スキージャンプ
オリンピック
1994 リレハンメル ラージヒル団体
2014 ソチ ラージヒル個人
2014 ソチ ラージヒル団体
ノルディックスキー世界選手権
1999 ラムソー ラージヒル団体
2003 ヴァル・ディ・フィエンメ ノーマルヒル個人
2003 ヴァル・ディ・フィエンメ ラージヒル個人
2003 ヴァル・ディ・フィエンメ ラージヒル団体
2007 札幌 ラージヒル団体
2009 リベレツ ラージヒル団体
スキーフライング世界選手権
1992 ハラホフ 個人
スキージャンプ・ワールドカップ
1992-93シーズン 総合成績
1998-99シーズン 総合成績
スキージャンプ週間
1992-93シーズン 総合成績
1998-99シーズン 総合成績
最終更新日:2014年3月8日
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葛西 紀明(かさい のりあき、1972年6月6日 - )は、日本北海道上川郡下川町出身のスキージャンプ選手。東海大四高校から地崎工業マイカルを経て現在は土屋ホームに選手兼任監督として所属。2005年度日本オリンピック委員会選手強化キャンペーンのシンボルアスリート制度適用選手。

16歳時の1988年より日本代表として国際大会に出場し、1992年アルベールビルオリンピックに19歳で初出場。以来、リレハンメル長野ソルトレイクシティトリノバンクーバーソチと史上最多計7回の冬季オリンピックに出場。 2001年下川町町民栄誉賞受賞[1]

スキージャンプの選手としては異例ともいえる20年以上のキャリアと、40歳を超えてなお一線級の成績をマークすることから「レジェンド(生ける伝説)」と国内外から称される選手である。

経歴[編集]

札幌オリンピックが開催された1972年に下川町で生まれ、同郷の嶋宏大岡部孝信らの後を追うように10歳でジャンプを始める。すぐに才能を発揮し雪印杯全日本ジャンプ大会ジュニアの部などで優勝を重ね、中学3年時には宮様スキー大会のテストジャンパーとして成年組と同じ助走距離で優勝した東昭広の飛距離を上回る[2]など逸材として注目を浴びた。

東海大四高校1年時の1988/89シーズン、11月に札幌で開催されたスキージャンプ・ワールドカップに16歳6ヶ月の史上最年少(当時)で初出場。1月には第28回STVカップ国際スキージャンプ競技大会で国際大会初優勝。さらに当時の中村圭彦ジャンプ部長による抜擢で、2月にラハティフィンランドの旗 フィンランド)で開催された1989年ノルディックスキー世界選手権に16歳8ヶ月の日本人男子史上最年少出場[3]

高校2年生時の翌1989/90シーズンからワールドカップに本格参戦し、12月9日のレークプラシッド大会(アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国)で初の一桁順位となる9位に入り、翌12月10日にそれを更新する7位。この他に2回7位に入り、シーズン個人総合は24位。しかし、高校3年時の1990/91シーズンは不振でW杯ポイント(当時は15位まで)を獲得できなかった。

1991年秋元正博らが所属する地崎工業に入社した。ちょうどこのシーズンはV字スタイルへの移行期に当たり葛西も習得に手間取った。クラシカルスタイルで挑んだ1991/92シーズン前半のW杯では札幌・大倉山大会で6位に入るなど前シーズンの不調から脱していたが、1月に日本ナショナルチーム全体の方針としてV字スタイルに転向してから五輪初出場した2月のアルベールビルオリンピックフランスの旗 フランス)ではノーマルヒル31位、ラージヒル26位と振るわなかった(団体では4位入賞)。しかし、V字スタイルに慣れると再び成績も上昇し、2月29日に行われたワールドカップラハティ大会で3位に入り初めて表彰台を獲得すると、3月4日のエルンシェルツビク大会(スウェーデンの旗 スウェーデン)では自己最高を更新する2位。さらに3月22日にハラホフチェコスロバキアの旗 チェコスロバキア)で開催されたスキーフライング世界選手権(ワールドカップも兼ねていた。K=180)で金メダルを獲得し、19歳9ヶ月のワールドカップ日本人最年少優勝記録(当時)を作った[3]。スキーフライング世界選手権でのメダル獲得は日本人初、日本国外開催のW杯優勝は1980年3月の秋元正博以来12年ぶり2人目である。

1992/1993シーズンは、年末年始のスキージャンプ週間では第1戦オーベルストドルフドイツの旗 ドイツ)で3位、第2戦ガルミッシュ・パルテンキルヒェンドイツの旗)は、ジャンプ週間では1971/72シーズンの笠谷幸生以来となる優勝を達成、第3戦インスブルックオーストリアの旗 オーストリア)で3位、第4戦ビショフスホーフェンオーストリアの旗)で2位と、4戦すべてで表彰台を獲得。総合でもオーストリアアンドレアス・ゴルトベルガーと激しく優勝を争い、総合2位となった。このシーズンはV字スタイルを完全に習得し、シーズンスキー板よりも身体を前に放り出す深い前傾姿勢と、前述のジャンプ週間を含むW杯3勝(準優勝1回、3位2回)をあげて総合3位となった活躍からジャンプの本場・欧州では「カミカゼ・カサイ」の異名を放つ。

1993/1994シーズンは日本国内では大倉山ジャンプ競技場のバッケンレコードを大幅に更新するなど圧倒的な成績を残した。スキージャンプ週間は2度表彰台に立ち総合4位。ワールドカップでも1月9日のムーラウ大会(オーストリアの旗)で秋元正博を抜いて日本人単独1位となる通算5勝目をあげた。2月のリレハンメルオリンピックノルウェーの旗 ノルウェー)ではノーマルヒルで5位入賞。団体戦で銀メダルを獲得した。

1994/1995シーズン開幕前の11月24日にノルウェー合宿で転倒し鎖骨を骨折、1月に復帰して8日の雪印杯に出場したものの直後の11日に再び転倒して同じ個所を痛め、結局このシーズンはワールドカップ、世界選手権には1試合も出場できなかった(葛西の代役として船木和喜がワールドカップにデビューしていきなり優勝、スターダムにのし上がった)。1995/1996シーズンは2シーズンぶりにワールドカップに復帰し、表彰台は獲得できなかったがインスブルックで9位に入った。1996/1997シーズン、1月26日に白馬で開催されたラージヒルで2位に入り、3シーズンぶりの表彰台を獲得。

1997/1998シーズンは11月29日のワールドカップリレハンメル大会で3位に入り、その後も一桁順位を続ける幸先の良いスタートを切ったが、12月30日にチームで興じていた球技中に[4]左足首捻挫を負う。長野オリンピックでは、2月11日の個人ノーマルヒルでは7位入賞を果たすも、2月15日の個人ラージヒルでは出場メンバーから外され、さらに翌16日に発表された団体メンバーからも外される。だが個人入賞ということもあって、直後のテレビ番組や式典では団体メンバーとともに出演するなど悔しい思いをする[5]。その後、3月に行われたワールドカップでは22日のプラニツァ大会(スロベニアの旗 スロベニア)で4シーズンぶりの優勝を果たすなど3度表彰台に登り復活した。同月には所属していた地崎工業のスキー部が廃部となり、マイカルへ移籍した。

1998/1999シーズンはジャンプ週間で第3戦インスブルックでの優勝を含む3度の表彰台を獲得(残り1戦も4位)、フィンランドのヤンネ・アホネン、ドイツのマルティン・シュミットらと総合優勝を争い、1992/1993シーズン以来の総合2位入賞。ジャンプ週間を含むワールドカップでは、6勝(準優勝1回、3位7回)をあげて自己最高タイの総合3位に入った。ラムサウオーストリアの旗 オーストリア)で開催された世界選手権にも3大会ぶりに出場し、団体戦で自身初のメダルとなる銀メダルを獲得した。

1999/2000シーズンは、シングルは複数回記録したものの、前シーズンから一転して個人表彰台は一度も無かった。

2000/2001シーズンは年末年始のスキージャンプ週間ガルミッシュ=パルテンキルヒェン大会での1勝を含む3戦連続表彰台を獲得するなど好調で、ワールドカップシーズン個人総合で4位に入った。

2001/2002シーズンは、10月に所属していたマイカルが廃部したため土屋ホームに移籍。ワールドカップでは五輪直前に開催された地元札幌大会で3位に入ったが、2月のソルトレイクシティオリンピックアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国)では個人2種目とも40位台と振るわず、団体戦には出場できなかった。

2002/2003シーズンは1月までのワールドカップでは2度の9位が最高だったが、2月9日のウィリンゲン大会(ドイツの旗 ドイツ)で優勝を飾ると、直後にヴァル・ディ・フィエンメイタリアの旗 イタリア)で開催された世界選手権で初めて個人戦のメダル(銅2個)を獲得。団体戦の銀メダルと合わせて出場全種目でメダルを獲得した。

2003/2004シーズンはワールドカップ序盤より度々シングルを記録し、1月25日の札幌大会でシーズン初表彰台となる2位。2月28日にパークシティ大会(アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国)で優勝し、31歳7ヶ月の最年長優勝記録(当時、2009年3月10日に岡部孝信に更新されるまで)を樹立した。シーズン総合でも3シーズンぶりの一桁順位となる8位。

2005年マッチ・ニッカネンらを指導したフィンランド人のカリ・ユリアンティラが、日本チームのヘッドコーチに就任[6]。ユリアンティラの厳しい指導に対し、過去の実績のプライドから初めは強く反発したが、徐々にアドバイスを聞き入れるようになり、その結果助走スピードや飛距離が向上した[6]

2006年2月、トリノオリンピックイタリアの旗 イタリア)で全種目に出場。世界選手権では2007年札幌大会日本の旗 日本)、2009年リベレツ大会チェコの旗 チェコ)で団体戦の銅メダルを2大会連続で獲得。

2009年4月6日、所属する土屋ホームスキー部の監督に就任することとなり、日本スキー界としては異例となるプレーイング・マネージャーとなった[7]

2010年2月、6大会連続出場したバンクーバーオリンピックカナダの旗 カナダ)でも全種目に出場。ラージヒル個人では、1本目121.5mの21位から2本目に135mの大飛躍で順位を上げて8位入賞。団体ではアンカーを務めて5位入賞。

2012年11月15日、フィンランド航空は、葛西紀明選手兼監督および、葛西選手率いるTEAM TSUCHIYAを公式サポートした。2009年よりフィンエアーは公式サポートしており、今期で4シーズンとなる[8][9]

2013/2014シーズン、12月15日のワールドカップ・ティティゼー・ノイシュタッド大会(ドイツの旗 ドイツ)で3位入賞し、W杯史上最年長(41歳6か月9日)での表彰台を獲得した。年末年始のジャンプ週間で4戦全てで一桁順位に入り総合5位となった後、2014年1月11日、バートミッテルンドルフオーストリアの旗 オーストリア)で行われた個人第13戦フライングヒルで10シーズンぶりに優勝し、スキージャンプ・ワールドカップ史上最年長優勝(41歳7ヶ月5日)を達成した[10]。翌12日の個人第14戦フライングヒルでも3位、25日の個人第17戦札幌でも3位に入り、スキージャンプ・ワールドカップ史上最年長表彰台記録(41歳7ヶ月19日)を更新した。

2014年2月のソチオリンピックロシアの旗 ロシア)では夏季・冬季通じて史上最年長で日本選手団主将を務める[11]。2月9日、最初の競技となった個人ノーマルヒルでは、1本目101.5mで、1回目首位のカミル・ストッフと10.8点差、3位のペテル・プレヴツとは3.6点差の131.2点の8位で2本目に進んだが、2回目に上位陣を上回ることが出来ずそのまま8位で終了した[12]。同月15日に行われた男子ラージヒル個人では、1回目139mを飛び、飛距離は1回目1位のストッフと同じだったが、葛西の方が飛型点が1.5点低く、また向かい風による減点も葛西の方が大きかったために、計2.8ポイント差の2位となり、2回目は133.5mを飛びストッフの距離を1m上回ったことで、2回目のポイントだけならばストッフを上回ったものの、1回目の得点差を覆すまでに至らずそのまま2位に終わる[13]。それでも、1994年・リレハンメルオリンピックでの団体銀メダル以来20年ぶり、個人としてはオリンピック7度目の出場で初のメダルとなる銀メダルを獲得した[14]。日本ジャンプ勢のオリンピックでのメダル獲得は1998年・長野オリンピックでの船木和喜原田雅彦以来16年ぶりのことであり、41歳254日[15]でのメダル獲得は、冬季五輪に於ける日本人最年長記録となった[16]ほか、冬季五輪ジャンプ競技に限れば1948年のサンモリッツ大会に於いて「36歳168日」で銀メダルを獲得したビルゲル・ルート(ノルウェー)以来約66年ぶりの世界最年長記録更新となった[15]。同月17日、清水礼留飛竹内択伊東大貴と出場した団体ラージヒルでも銅メダルを獲得した。このメダル記録により葛西は、更新したばかりの最年長メダル記録を、「41歳256日」と僅かながら更に更新した。

五輪後最初に行われた2月26日のW杯ファルン大会(スウェーデンの旗 スウェーデン)では3位に入ったが右膝を負傷した。次の第22戦1試合のみ欠場したが、第23戦より復帰すると、3月7日の第25戦トロンハイム大会で再び3位入賞してW杯最年長表彰台記録を41歳9か月4日に更新。3月15日にハラホフ(チェコの旗 チェコ)で開幕したスキーフライング世界選手権では、個人の初日2本で3位と1ポイント差の4位につけた。2日目の後半2本は強風のため中止になったため順位を上げることはできなかったが、4位は1992年大会の優勝に次ぐ好成績。その後も3月23日のW杯シーズン最終戦プラニツァ大会まですべての試合でトップ10入りを達成。このシーズンは個人開幕戦で27位になった後は、出場した22戦全てでトップ10入りし、個人総合成績で10シーズンぶりの一桁順位となる5位入賞を達成[17]

2014年4月1日、1992年アルベールビルオリンピックから2014年ソチオリンピックまでの計7回の冬季五輪最多出場記録、2014年1月11日に41歳219日で達成したワールドカップ最年長優勝記録、同年2月17日に41歳256日で達成した冬季オリンピック最年長メダリストの3つの記録がギネス世界記録に認定された[18]

2014/2015シーズン、11月22日のW杯シーズン開幕戦のクリンゲンタール大会(ドイツの旗 ドイツ)団体戦で準優勝すると、翌日の個人第1戦でも6位に入る幸先の良いスタートを切った。

人物・プレースタイル[編集]

  • 両親と姉、妹のいる5人家族の長男。1997年に母を火災で亡くしており、母の命日とお盆、ワールドカップ遠征前は必ず墓参している[19]。妹は1993年に難病の再生不良性貧血になり、一旦臍帯血治療で克服し、2003年に結婚したものの、2013年に再発、葛西は同シーズン中にも2度病院に駆けつけた。ソチオリンピック直前には妹からLINEで「絶対メダル取れるから何も心配せずに飛んで」と伝えられたという。「妹のために」は葛西の口癖で[20]、冬季五輪で金メダルという目標も、当初は妹を勇気づけるのが目的だったという。また自身の心の支えとなった歌としてかぐや姫の「妹よ」を挙げていた[21]
  • ジャンプ時の空中姿勢は、身体をスキー板より前に出るほど深く前傾させる。そのダイナミック且つスリリングな独特のフォームはジャンプの本場・欧州で人気があり、ワールドカップ総合3位に入った1992/1993シーズン頃から「KAMIKAZE・KASAI」(カミカゼ・カサイ)と呼ばれている。2010年のバンクバーオリンピック競技終了後には、メダルを獲得したわけでもないのに海外数十人の記者による取材の輪ができた。その長年の競技実績と人気から各競技会場では葛西が登場すると観客から大きな拍手が起こる[22]。40歳を越えて第一線で競技を続ける姿は海外の選手からも尊敬を集める存在である[23]。2014年1月11日にワールドカップ史上最年長優勝を達成した際には、日本以外の多数の選手・コーチから、とりわけワールドカップ史上最多勝記録を持つグレゴア・シュリーレンツァウアーからは脱帽しての最敬礼での祝福を受けたほか、競技会場・オーストリアの地元紙は複数が1面トップでこれを報じ[24]、ドイツの公共放送ARDは、「「驚異」という言葉はこれからは「カサイ」にすべき」と賞賛した[23]
  • シーズン中のベスト体重は60kg程度(TEAM TSUCHIYAのプロフィールでは59kg[25]、JOCのプロフィールでは62kg[26]となっている)。減量のために断食することもしばしば[27]。ただ減量し過ぎるとスキージャンプ界のいわゆる「BMIルール」に引っかかり失格の恐れが出てくるため、一定の体重を維持することにも気を使うという。
  • 2014年現在の所属である土屋ホームとはプロ契約ではなく、一般の社員として雇用されている。そのため、シーズンオフには一社員として同社のモデルハウスでのサイン会・握手会などの販促業務をこなしている。2014年2月にはソチ五輪銀メダルの功績により、同社住宅部長に昇進した[28]。また同年6月には土屋ホームから、葛西プロデュースの戸建住宅「土屋LEGEND 葛西MODEL 2014」が発売された[29]
  • 2014年2月まで独身であったが、ソチオリンピックで銀メダルを獲得した直後の2月22日に一般女性と結婚した[30]。2018年の平昌オリンピックには家族同伴で挑みたいとしている[31]。長期の海外遠征ともなると、独身生活で身につけた手料理を後輩に振る舞う[32]
  • 自身のブログでは絵文字を多用する。
  • B'zのファンである[33]。また、女優相武紗季のファンであると公言している。2009年に放映されたドラマ「ブザー・ビート〜崖っぷちのヒーロー〜」を見てファンになった[34]
  • 2014年に第27回日本メガネベストドレッサー賞・スポーツ部門に選出され[35]、2014年新語・流行語大賞には「レジェンド」が候補の50語にノミネートされた[36]

主な競技成績[編集]

冬季オリンピック[編集]

  • 冬季五輪史上最多出場 - 7回(1992年 - 2014年)
  • スキージャンプ競技個人種目史上最年長メダリスト - 41歳254日(2014年ラージヒル個人)
  • スキージャンプ競技史上最年長メダリスト - 41歳256日(2014年ラージヒル団体)
ノーマルヒル ラージヒル
個人 個人 団体 (メンバー)
1992年 アルベールビル
フランスの旗 フランス
31位 26位 04位 上原子次郎原田雅彦
葛西紀明須田健仁
1994年 リレハンメル
ノルウェーの旗 ノルウェー
05位 14位 02/銀メダル 西方仁也岡部孝信
葛西紀明、原田雅彦
1998年 長野
日本の旗 日本
07位 99/ 99/
2002年 ソルトレイクシティ
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
49位 41位 99/
2006年 トリノ
イタリアの旗 イタリア
20位 12位 06位 伊東大貴一戸剛
葛西紀明、岡部孝信
2010年 バンクーバー
カナダの旗 カナダ
17位 08位 05位 伊東大貴、竹内択
栃本翔平葛西紀明
2014年 ソチ
ロシアの旗 ロシア
08位 02/銀メダル 03/銅メダル 清水礼留飛、竹内択
伊東大貴、葛西紀明

ノルディックスキー世界選手権[編集]

スキーフライング世界選手権[編集]

団体は2004年より実施

個人 団体 (メンバー)
1990年 ヴィケルスン
ノルウェーの旗 ノルウェー
23位 99--- ---
1992年 ハラホフ
チェコスロバキアの旗 チェコスロバキア
01/金メダル 99--- ---
1994年 プラニツァ
スロベニアの旗 スロベニア
19位 99--- ---
1996年 バート・ミッテルンドルフ/タウプリッツ
オーストリアの旗 オーストリア
24位 99--- ---
2000年 ヴィケルスン
ノルウェーの旗 ノルウェー
05位 99--- ---
2004年 プラニツァ
スロベニアの旗 スロベニア
24位 05位 東輝 伊東大貴
宮平秀治 葛西紀明
2008年 オーベルストドルフ
ドイツの旗 ドイツ
35位 07位 伊東大貴 葛西紀明
竹内択 栃本翔平
2010年 プラニツァ
スロベニアの旗 スロベニア
12位 99--- ---
2014年 ハラホフ
チェコの旗 チェコ
04位 99--- 荒天のため中止

スキージャンプ・ワールドカップ[編集]

  • 通算16勝(日本人最多、2位10回、3位24回) - 2014年3月23日時点
  • 団体戦3勝(2位3回、3位7回)
  • W杯最年長優勝(2014年1月11日、41歳7か月5日)
  • W杯最年長表彰台(2014年3月8日、41歳9か月4日)
  • W杯個人戦最多出場
個人総合成績(総合:W杯シーズン個人総合、4H:スキージャンプ週間総合
シーズン 総合 4H 優勝 準優勝 3位
1989/90 24位 19位 0回 0回 0回
1990/91 --- --- 0回 0回 0回
1991/92 09位 --- 1回 1回 1回
1992/93 03位 02位 3回 1回 2回
1993/94 06位 04位 1回 1回 2回
1994/95 --- --- 0回 0回 0回
1995/96 36位 10位 0回 0回 0回
1996/97 17位 24位 0回 1回 0回
1997/98 10位 24位 1回 1回 2回
1998/99 03位 02位 6回 1回 7回
1999/00 15位 20位 0回 0回 0回
2000/01 04位 12位 1回 2回 1回
2001/02 23位 31位 0回 0回 1回
2002/03 13位 23位 1回 0回 0回
2003/04 08位 08位 1回 1回 1回
2004/05 16位 11位 0回 0回 0回
2005/06 21位 09位 0回 0回 0回
2006/07 26位 34位 0回 0回 1回
2007/08 34位 34位 0回 0回 0回
2008/09 15位 13位 0回 0回 1回
2009/10 17位 11位 0回 1回 0回
2010/11 25位 31位 0回 0回 0回
2011/12 51位 33位 0回 0回 0回
2012/13 24位 42位 0回 0回 0回
2013/14 05位 05位 1回 0回 6回
合計 --- --- 16回 10回 24回

優勝大会[編集]

個人優勝大会(NH:ノーマルヒル、LH:ラージヒル、FH:フライングヒル
回数 シーズン 月日 開催地 種目 備考
1 1991/92 3月22日 チェコスロバキアの旗 ハラホフ FH

スキーフライング世界選手権
日本人男子最年少優勝(当時)

2 1992/93 1月1日 ドイツの旗 ガルミッシュ=パルテンキルヒェン LH スキージャンプ週間
3 1月23日 イタリアの旗 プレダッツォ LH
4 3月6日 フィンランドの旗 ラハティ NH ラハティスキーゲームズ
5 1993/94 1月9日 オーストリアの旗 ムーラウ LH
6 1997/98 3月22日 スロベニアの旗 プラニツァ LH
7 1998/99 1月3日 オーストリアの旗 インスブルック LH 兼スキージャンプ週間
8 1月29日 ドイツの旗 ウィリンゲン LH
9 1月31日 ドイツの旗 ウィリンゲン LH
10 3月9日 ノルウェーの旗 トロンハイム LH
11 3月14日 ノルウェーの旗 オスロ LH ホルメンコーレン大会
12 3月21日 スロベニアの旗 プラニツァ FH 日本人男子シーズン最多6勝目
13 2000/01 1月1日 ドイツの旗 ガルミッシュ=パルテンキルヒェン LH 兼スキージャンプ週間
14 2002/03 2月9日 ドイツの旗 ウィリンゲン LH
15 2003/04 2月28日 アメリカ合衆国の旗 パークシティ LH 最年長優勝(当時)
16 2013/14 1月14日 オーストリアの旗 バートミッテルンドルフ FH 最年長優勝
団体優勝大会(NH:ノーマルヒル、LH:ラージヒル、FH:フライングヒル
回数 シーズン 月日 開催地 種目 メンバー
1 1992/93 3月27日 スロベニアの旗 プラニツァ LH 原田雅彦 葛西紀明 岡部孝信 安崎直幹
2 1998/99 1月30日 ドイツの旗 ヴィリンゲン LH 船木和喜 葛西紀明 宮平秀治 吉岡和也
3 2000/01 1月19日 アメリカ合衆国の旗 パークシティ LH 船木和喜 吉岡和也 原田雅彦 葛西紀明

日本国内大会[編集]

関連書籍[編集]

  • 不屈の翼 カミカゼ葛西紀明のジャンプ人生(著:岡崎敏、発行:日刊スポーツ出版社、2014年3月6日初版発行 ISBN 978-4817203175
  • 家族で獲った銀メダル(著:葛西紀明、発行:光文社、2014年7月18日初版発行 ISBN 978-4334977863

脚注[編集]

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  1. ^ 下川町社会教育関係表彰状況 [リンク切れ]
  2. ^ 北海道新聞1988年3月7日付朝刊15面
  3. ^ a b 日刊スポーツ2014年1月7日
  4. ^ 岡崎敏「不屈の翼」230ページ
  5. ^ このあたりのいきさつは岡崎敏「不屈の翼」第5章に詳しい。
  6. ^ a b “ベテラン葛西、奮闘 「孝兄さんの分まで飛ぼう」”. asahi.com. (2010年2月23日). http://www.asahi.com/olympics/news/TKY201002230208.html 
  7. ^ 2010年バンクーバー五輪のラージヒルで1本目20位と出遅れるも、2本目に135mの大ジャンプで8位入賞葛西が土屋ホーム選手兼監督に - スポーツニッポン(2009年4月6日)
  8. ^ フィンエアー、スキージャンプの葛西紀明選手をサポート - FlyTeam(2012年11月16日)
  9. ^ FINNAIR公式ニュース日本語版・2012年11月15日
  10. ^ “葛西紀明、最年長V記録を更新…W杯ジャンプ”. 読売新聞. (2014年1月12日). http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2014/ski/20140112-OYT1T00009.htm 
  11. ^ “レジェンド”葛西が最年長主将、“カーママ”小笠原は旗手にサンケイスポーツ2015年1月15日
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  25. ^ 葛西紀明 - TEAM TSUCHIYA
  26. ^ 葛西紀明 - 日本オリンピック委員会
  27. ^ 葛西紀明 7度目の出場 長野「補欠」五輪人生の原点 - MSN産経ニュース・2014年2月8日
  28. ^ ソチ五輪メダルで昇進決定 葛西紀明に東京進出の“特命” - 日刊ゲンダイ・2014年3月1日
  29. ^ 葛西紀明プロデュースによる戸建住宅 「土屋LEGEND 葛西MODEL 2014」新発売 - 土屋ホーム・2014年6月17日
  30. ^ 葛西 結婚!銀メダル獲得日に国際電話でプロポーズ、2月に入籍 スポーツニッポン
  31. ^ レジェンド葛西、41歳「独身」にドキドキ ネットで「嫁」立候補が相次ぐ - J-CASTニュース・2014年2月17日
  32. ^ “ストーリーfromSOCHI:葛西紀明、笑顔の陰に レジェンド、苦難と屈辱越えて(1/3ページ)”. 毎日新聞. (2014年2月9日). http://sportsspecial.mainichi.jp/news/20140209ddm035050133000c.html 2014年2月18日閲覧。 
  33. ^ レジェンド葛西氏のパワー源は、「B'z」 東京スポーツ 2014年2月21日
  34. ^ テレビ番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』コーナー「食わず嫌い王決定戦」(2014年3月6日放映)出演の際に発言。
  35. ^ “「メガネベストドレッサー賞」に石原さとみら=AKB48はサングラス特別賞”. 時事通信. (2014年10月20日). http://www.jiji.com/jc/c?g=etm_30&k=2014102000936 2014年10月21日閲覧。 
  36. ^ “流行語大賞の候補50語発表「ありのままで」「ダメよ~ダメダメ」など”. スポニチ. (2014年11月19日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/11/19/kiji/K20141119009312190.html 2014年11月19日閲覧。 

外部リンク[編集]