フィンランド航空
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| 設立日 | 1923年11月1日 | |||
| ハブ空港 | ヘルシンキ・ヴァンター国際空港 ブリュッセル空港(貨物)[1] |
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| 焦点空港 | ストックホルム・アーランダ空港 ジョン・F・ケネディ国際空港 |
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| マイレージサービス | フィンエアープラス | |||
| 会員ラウンジ | Finnair Lounge | |||
| 同盟 | ワンワールド | |||
| 保有機材数 | 45機 | |||
| 就航地 | 79都市 | |||
| 親会社 | Finnair Group | |||
| 本拠地 | フィンランド共和国 ヴァンター | |||
| 代表者 | ペッカ・ヴァウラモ CEO[2] | |||
フィンランド航空(フィンランドこうくう、Finnair フィンエアー、フィンランド語:Finnair Oyj フィンナイル・オーウーイィー)は、フィンランドを拠点とする航空会社である。世界の航空会社の中でも、1923年から続く歴史ある航空会社として知られており、2013年に、会社創業90周年を迎えると共に、日本就航30周年を迎えた。
ヘルシンキ・ヴァンター国際空港をハブ空港にしてフィンランド国内、ヨーロッパ、アジア・北アメリカ・中東方面などへ路線を展開している。フィンランドのフラッグ・キャリアであり、フィンランド航空およびその子会社は、フィンランドにおいて、国内線と国際線の双方における航空旅行市場で優位に立っている。航空連合のワンワールドに加盟しており、路線網は国内線約20都市、国際線約79都市。近年、直行便のデイリー運行化(週7便)や、ヘルシンキ・ヴァンター国際空港をハブ空港とした、乗り継ぎ客を重視した新路線網に特化し、重点的にアジア路線や、ヨーロッパ各都市への新路線網の充実を計っている。
目次 |
歴史 [編集]
(1920年〜1930年代)
- 1923年11月1日 第一次世界大戦後、フィンランド航空の前身『アエロ・オイ(Aero O/Y)[注釈 1]』が、民間航空会社として設立。創業者社長のブルーノ・オットー・ルキャンダーにより、水上フロートも付けられるドイツ製ユンカース F.13(第1号機・製造番号:700、機体記号:D-335/K-SALA)の導入を決定。機材と操縦士及びサポートの引き換えに、ドイツのユンカース社に自社株式の50%を譲渡する。
- 1924年3月20日 ヘルシンキとエストニアの首都タリンの間で水上飛行機により郵便物を運ぶ商業運航を開始。年間で162kgの郵便物を輸送した。夏期にはスウェーデンのABAとストックホルム線を共同運行した。ヘルシンキのカタヤノッカに水上エアポートを建設し、社員数が社長のルキャンダーを含め、7人となる。
- 1925年 年間800回を超える観光飛行を行う。ユンカース G.24(製造番号:919、機体記号:K-SALC/OH-ALC)を1機導入する。
- 1926年 加盟していたユンカースの航空連合ユンカース・ヨーロッパ・ユニオン(9カ国・航空16社加盟)と、覇権を争っていた『ドイツ・エアロ・ロイド・グループ』が合併し、ヨーロッパ・ユニオンは解散。ユンカースの傘下にあった数社が合併し、ルフトハンザドイツ航空が誕生した。この年に、ABAとKLMオランダ航空とルフトハンザドイツ航空とのコネクションにより、ロンドンやウィーンへ就航。それに伴い、アエロは初めて時刻表を発行した。ユンカース A 35(製造番号:1066、機体記号:K-SALH)を1機導入。後に軍用機としてフィンランド空軍へ移籍した。
- 1927年 国際航空運送協会(IATA)に加盟する。
- 1928年 飛行船で極点を目指して墜落した冒険家を救出し、一躍世界中の注目を浴びる。
- 1929年 創業者である社長のルキャンダーが病気により、57歳で急死。フィンランドの投資家達が、ユンカース社に譲渡されていた株を全て買い戻し、会社がユンカース社所有になるのを防ぐ。
- 1930年 スウェーデンのABAと共同して『スカンジナビア・エア・エキスプレス』を開始。タリン=ヘルシンキ=ストックホルム線を基軸に、ストックホルム=マルミ間の鉄道を利用して、パリやロンドンなどのヨーロッパ主要都市を結ぶ、飛行機と鉄道のネットワークを形成。
- 1932年 ユンカース Ju 52/3mの導入開始。
- 1935年 フィンランド初の民間飛行場が、古都トゥルクに開港。
- 1936年 国際空港の基準に準拠したヘルシンキ・マルミ空港が開港。同年12月15日、最後の水上飛行機が、ヘルシンキのカタヤノッカから飛び立つ。これ以降、水上飛行機による運航を終了。
- 1937年 フィンランド国内の18万を超える湖を隔てた町と町を結ぶ為に、空路での国内線確立が求められ、政府主導の元、フィンランドに数多くある草原での離発着が可能な、イギリス製デ・ハビランド DH.89 ドラゴン・ラピードを導入。既にストックホルム線の国内区間として運航されていたトゥルク線に加え、タンペレ、ヴァーサ、イマトラ、ヴィープリ(当時フィンランド領、現在ロシア領・ヴィボルグ)、オウル、ケミの地方都市が首都ヘルシンキと結ばれた。
- 1938年 本格的にヘルシンキ・マルミ空港が完成するまで、各地で飛行場の建設が行われた。
- 1939年 第二次世界大戦勃発。中立国のフィンランドにソ連軍が進行し、『冬戦争』が始まる。アエロを含む全てのフィンランドの航空会社は、フィンランド軍の統治下に置かれた。まだ安全だった中立国のスウェーデンに、アエロは空輸で約3,900人のフィンランド人を避難させ、内、子供を約1,500人疎開させた。これだけの人数を乗せる為には、ユンカース Ju 52/3mの定員(16〜18人)や最大積載量を、ある程度無視せざるを得ず、毎回最大積載量を500kgもオーバーして飛んでいた。ソ連軍の攻撃を避ける為に、フライトは夜間に行われ、スウェーデン国境沿岸まで無線も灯火も消されていた。
(1940年〜1950年代)
- 1941年6月22日 ルフトハンザドイツ航空からDC-2を購入(元はチェコスロバキア国営航空〈現在のチェコ航空〉所有のもので、1939年ドイツがチェコスロバキアを占領した際に、ルフトハンザドイツ航空が手に入れた機体)。DC-2は同社初の車輪が格納出来る航空機として、ソ連との継続戦争に使用された。
- 1944年9月4日 ソ連との間に停戦条約が成立。フィンランドは敗戦国として戦後を迎える。停戦合意に、フィンランドでの飛行機の飛行禁止という条項があり、飛行制裁を受けたアエロは、飛行停止処分となった。
- 1946年 戦後の経済悪化に伴い、フィンランド政府がアエロの株式の70%を保有する事になった。政府出資金と共に、資本金が2,000万マルッカとなる。
- 1947年10月 アエロの国際線運航に許可が出される。11月に、ヘルシンキ=ストックホルム線が再開。政府からの資金援助で、DC-3を受領する。
- 1949年 航空会社としてのIATAコードが『AY』(AY = Aero Yhtiö)[注釈 2]となる。
- 1952年 ヘルシンキオリンピック開催。アエロの乗客数が初めて10万人を超えた。国内線の調整も行い、オリンピック期間中、ヘルシンキ=ストックホルム間に、計128往復のフライトを運航。同年7月10日、ヘルシンキ国際空港オープン。全ての離発着便が、ヘルシンキ国際空港となる。
- 1953年 アエロがこの年の春から、広告等で自社を『フィンエアー(FINNAIR)』と称する様になる。
- 1954年 ヨーロッパ各地への路線を拡大。
- 1955年 西側諸国の航空会社として、初めてソ連の首都モスクワに乗り入れを開始[注釈 3]。
(1960年〜1970年代)
- 1960年 同社初のジェット旅客機として、フランスのシュド・カラベル IAを導入する。
- 1963年 国際線の85%が、カラベルによって運航される様になる。
- 1964年8月 シュド・カラベル 10B(Super Caravelle)就航。北欧の人々に人気のある地中海への便や、ヘルシンキ=マドリード間2,947kmのノン・ストップ便を運航していたが、これは当時のヨーロッパで最長のノン・ストップ便である。
- 1968年6月25日 現社名『フィンランド航空』に改名。
- 1969年 DC-8を使用し、同社初の北大西洋便となるニューヨーク線を開設した。5月14日、ヘルシンキ空港の新ターミナルが供用開始。
- 1970年1月 パンアメリカン航空が世界で初めてボーイング747を就航させる。その世界的影響力に伴い、今までナローボディ機しか運航していなかった中規模航空会社でも、ワイドボディ機への選択に迫られ、フィンランド航空は初のワイドボディ機DC-10を受領。チェックインシステムにコンピューターを導入。ロンドン線で、初めて禁煙席を設定する。
- 1977年6月 ダグラスDC-9-51(機体記号:OH-LYP)1機を、日本のTDA・東亜国内航空(後のJAS・日本エアシステム)にウェットリースした。日本国内では、東亜国内航空がDC-9型機の初のオペレーターとなる。[3]
- 1977年 ヘルシンキ空港が、『ヘルシンキ・ヴァンター国際空港』に名称を変更。
(1980年〜1990年代)
- 1980年 イラクのバグダード線開設を予定していたが、イラン・イラク戦争のため、翌年まで延期される。同社の最後のコンベア機が、フィンランド航空博物館に寄贈される。
- 1983年 日本人客室乗務員を5名採用する。この第1期生はヘルシンキのトレーニングセンターで訓練を受けた後、4月22日、日本への乗り入れ開始と共に、日本路線に乗務した。当時の日欧路線(アンカレッジかモスクワ経由)では考えられないような画期的な発想を日本路線に持ち込んで話題になる[注釈 4][注釈 5][注釈 6]。同年、大阪事務所を開設。会社創業60周年を迎える。
- 1984年 前年より開始された日本=ヨーロッパ間初のノン・ストップ便は営業面でも成功し、1年間で旅客数15,969人、売上高7,270万マルッカの実績を残した。その後もロードファクター(座席占有率)94%と、ほぼ満席の状態が続く。世界で初めてATR 42-200型機ターボプロップ・フライト・シミュレーターを導入する。
- 1984年 東京・帝国ホテル内に、フィンランド航空エグゼクティブ・ビジネスセンターを開設。ファーストクラス及びビジネスクラスの乗客に、秘書サービスを提供。外国の航空会社のパイロットが、フィンランド航空パイロット養成訓練所でトレーニングを受け始める。世界各国の航空会社から訓練委託を受けており、当時のJAS・日本エアシステムの機長が(後に日本航空で、マクドネル・ダグラス社製MDシリーズの機長となった)、フィンランド航空のダグラスDC-9を使用し、ヘルシンキ・ヴァンター国際空港で実機訓練を受け、フィンランド国内の各空港を飛んでいた。[4]
- 1984年サンタクロースのイラストを特別塗装したDC-10がデビュー。好評を博し、その後導入したMD-11にも引き継がれる。
- 1986年 同社初のエアバス製ワイドボディ機、エアバスA300B4を導入。その後のフィンランド航空の、エアバス機を中心としたフリート構成の基礎となる。
- 1987年4月1日 マクドネル・ダグラス社にMD-11を2機正式発注し、その後2機を追加発注、2機をオプション発注した。
- 1988年 東京線が通年週2便となる。日本支社及び東京支店を、東京都千代田区麹町に移転。6月2日、中国・北京線をヨーロッパの航空会社で初となるノン・ストップ便で開設。コンピューターによる複数国間の飛行機・ホテル・鉄道・レンタカーなどの旅行予約手配が可能な、アマデウスメンバーになる。
- 1989年5月12日 フィンランド航空の株式が、ヘルシンキ証券取引所に上場される。ニューヨーク線がノン・ストップ便でデイリー運航となる。中国の六四天安門事件の影響で、北京線を6月から8月まで運航を中止。
- 1990年 ヘルシンキ=タリン線の運航を、46年ぶりに再開。同年11月29日、MD-11を受領。これはMD-11の記念すべき初号機だった。湾岸危機によって、航空燃料代が高騰する。
- 1991年 ソ連崩壊により、日本路線がシベリア上空通過ルートに変更となる。所要時間が約3時間短縮した。JAS・日本エアシステムとのコードシェア提携協議開始。湾岸戦争が始まり、その影響でヨルダン、イスラエル、モロッコ、エジプト、キプロス、チュニジア、ケニア等の路線が運休になる。10月より、東京線のファーストクラスを廃止。ビジネスクラスとエコノミークラスの編成となる。
- 1992年 5年前より開始されていたマイレージサービスの「エアー・プラス」を、『フィンエアープラス(Finnair Plus)』に維新。
- 1993年 MD-11にインマルサット衛星を使用した衛星電話を導入。フィンランド航空博物館にて『アエロ・フィンエアー70周年展』を開催。
- 1994年 本社をヘルシンキ・ヴァンター国際空港へ移転。1984年より引き継がれていたムーミンやサンタクロースの特別塗装機[注釈 7]で話題を呼んだ。同年から数年間に渡って就航する。
- 1995年12月17日 創業以来の乗客数が1億人に達する。大阪線を通年週2便で運航開始。
- 1996年 日本語の公式サイトを開設。4月9日、ボーイング 757-200の導入が取締役会で決定された。同年、ニューヨークのエアカーゴ・ニューズが、『エアライン・オブ・ザ・イヤー』にフィンランド航空を選出する。同社に残った最後のDC-10-30ER(日本路線使用機・機体記号N345HC)を、フランスのエールリベルテにリースし、フィンランド航空からDC-10が全機退役した。
- 1996年9月 フィンランドで1950年に設立された航空会社、カー・エア(Kar-Air)を吸収合併した。
- 1997年 路線の全席禁煙化を進め、3月30日の段階で、喫煙席が残されたのは日本路線のみとなった。同年、ヴァスコ・ダ・ガマ賞を受賞。ヘルシンキ・ヴァンター国際空港の貨物ターミナルで、カーゴセンターを拡張。北欧最大規模となる広さ16万7千平方メートル(約5万1000坪)という規模で、近年の貨物取扱量の増大に対応した。
- 1998年 日本路線のシベリア・ルートに、新しくルートを開拓し、ヘルシンキ=日本間の飛行時間が9時間を切って、記録を更新した。『ストックホルム'98 - 欧州文化首都』のオフィシャルエアラインとなる。こうしたイベントで自国のSAS・スカンジナビア航空以外のエアラインが選ばれたのは、極めて異例な事である。同年、会社創業75周年を迎えると共に、日本就航15周年を迎える。
- 1999年 世界規模の航空連合、『ワンワールド』(oneworld)へ正式加盟する。
(2000年〜2010年代)
- 2000年 『ヘルシンキ2000 - ヨーロッパ文化都市』のオフィシャルエアラインとなる。
- 2001年9月11日 アメリカ同時多発テロ事件が発生。北米路線を運航していたフィンランド航空も例外ではなく、FAAの命令によりアメリカ国内の民間航空路の封鎖、アメリカ領空内への民間機の入域・通過が禁止され、領空内を飛行中の民間機は全て最寄の空港に強制的に着陸させられた。民間航空機を使った史上初めてのテロ事件であり、世界中の航空会社に多大なる衝撃を与える事となった。
- 2005年 フィンランド国内線のヘルシンキ=イヴァロ線が就航50周年を迎える。イヴァロへの就航はラップランド観光開発のきっかけとなり、海外からの旅行者も多く、発地別ではフランクフルト、パリ、東京発の順で日本は第3位である[5]。ベストシーズンには、週26便の運航となり、約12万人がフィンエアーを利用してイヴァロを訪れている。[6]
- 2005年8月24日 愛・地球博「北欧5カ国共同館」の100万人目の来館者へ、日本とスカンジナビア間往復航空券がプレゼントされた。来館100万人目となった日本人女性へ、フィンランド航空日本支社において、日本支社営業総支配人のエーロ・タンミラより航空券が手渡された。[7]
- 2005年12月19日 ワンワールド・アライアンスメンバー、日本航空(JAL)とのコードシェア提携を開始。アジアとヨーロッパをつなぐ親密な関係となる。[8]
- 2006年3月11日 フィンランド大使館、フィンランド政府観光局、ヘルシンキ市観光局が後援し、フィンランド航空が協力した、史上初のオールフィンランドロケを敢行した日本映画『かもめ食堂』が公開された。[9]
- 2006年6月4日 名古屋線をMD-11で開設。週3便で運航開始。
- 2007年3月8日 エアバス社の次世代新型機エアバスA350-900(A350XWB)を、世界の航空会社で初めて確定発注し、エアバスA350XWBのローンチカスタマーとなる[10]。ロールス・ロイス トレントの新世代エンジンである、トレントXWBエンジンが搭載される。
- 2008年 会社創業85周年を迎えると共に、日本就航25周年を迎える。
- 2008年1月23日 フィンランド航空日本支社営業本部長の並川博司氏が、フィンランド共和国タルヤ・ハロネン大統領からフィンランド獅子勲章騎士章(Knight of the Order of the Lion of Finland)を受賞した。フィンランド獅子勲章騎士章は1942年に制定された勲章で、フィンランドに多大な貢献を果たした者に対して授与するもの。在日フィンランド大使館で叙勲式が開催され、駐日フィンランド共和国大使のヨルマ・ユリーン氏が伝達した。[11]
- 2008年11月26日 フィンランド航空便にて、アジア=ヨーロッパ路線を利用する年間乗り継ぎ搭乗者数が100万人を突破した。ドイツのデュッセルドルフからヘルシンキ・ヴァンター国際空港乗り継ぎで、アジアに向かっていた100万人目の搭乗者に記念の花束が贈られた。
- 2008年 徐々に日本路線(東京・大阪・名古屋)の運航便数を増やし、トリプルデイリー運航(週21便)となる。
- 2008年6月2日 韓国・ソウル線を運航開始。
(2010年〜)
- 2010年4月 アイスランドのエイヤフィヤトラヨークトルでの火山活動における火山灰の影響で、ヨーロッパの空域の大部分が領空封鎖、及び部分封鎖された。フィンランドも領空が封鎖され、フィンランド航空の定期便も欠航を余儀なくされた。ヨーロッパの空域内での航空便だけでなく、地域外からヨーロッパへ、またはヨーロッパから地域外への、多くの航空便が欠航に追い込まれ、ヨーロッパ各地の鉄道やフェリーも大混乱した。
- 2010年 イギリスに拠点を置く航空サービス調査会社スカイトラックス(Skytrax)による「2010ワールド・エアライン・アワード(2010 World Airline Awards)」において、「北欧のベストエアライン」に選出される[注釈 8]。
- 2010年6月1日 フィンランド国内線の座席システムを、自由席制から指定席制に変更した。客室乗務員が座席情報から搭乗客を確認しやすくなるため、サービスや運航面での効率向上が計られる事となった[12]。
- 2011年1月 エジプト革命により、エジプトが政情不安になり、フィンランド外務省は、エジプトにいるフィンランド国民を全員退避させた。フィンエアーはエジプトの個人旅行者用に救援機を準備し、旅行会社と協力して、主にパッケージツアー客を避難させた。
- 2011年 機体塗装、機内内装、企業ロゴ、ユニフォーム、サービスエリアなど、約1,000万ユーロの費用を投じ、コーポレートアイデンティティリニューアルを実施。
- 2011年 スカイトラックス(Skytrax)による「2011ワールド・エアライン・アワード(2011 World Airline Awards)」にて、昨年に引き続き「北欧のベストエアライン」に選出される。[13]
- 2011年 アメリカの世界最大級の空港ラウンジサービス提供会社、Priority Pass(プライオリティ・パス)社の会員約40,000人による投票にて、ヘルシンキ・ヴァンター国際空港の「フィンエアー・ラウンジ」が、『ラウンジ・オブ・ザ・イヤー』に選出される。アメリカ国外のエアラインのラウンジが受賞するのは、フィンランド航空が初となる。[14]
- 2011年3月11日 東北地方太平洋沖地震とそれに伴う大津波、及び、その後の余震により引き起こされた大規模地震災害である『東日本大震災』が発生。一時、全ての日本路線の運航を見合わせた。数日間は名古屋経由で運航していたが、徐々に日本路線の運航を正常化し、3月26日から東京線の直行便を再開した。
- 2011年7月19日 ヘルシンキ=アムステルダム間で、バイオ燃料を使用した長距離フライトを実施。距離は約1,600km(994マイル)で、商業運航としては世界最長となる。
- 2011年9月30日 『日本旅行業協会・JATA旅博2011』で最大のスペースを出展し、「Go Around the Europe」ゾーンに協賛。ラップランド地方でのオーロラ鑑賞や、ガラス張りの天井からオーロラが楽しめるユニークなホテルなどを紹介し、ムーミンやピーターラビット、フィンエアーの客室乗務員がステージ上でゲームを交えながら紹介するなど、さまざまな企画を提供したことが来場者に高く評価され、JATA旅博特別企画「おもしろ旅」において、グランプリを受賞した。[15][16]
- 2011年10月 フィンエアー便に乗り、世界各都市を旅するクオリティーハンター[注釈 9]として、世界各国2,000名を超える応募の中から7名が選ばれ、アジア在住者として唯一、初めて日本人女性が選ばれた[17][18]。
- 2012年3月30日 スカイトラックス(Skytrax)による「2012ワールド・エアライン・アワード(2012 World Airline Awards)」にて、3年連続で「北欧のベストエアライン」に選出される。フィンエアーのランキングは、北欧諸国の航空会社で最高となる4つ星評価となっている。ヘルシンキ・ヴァンター国際空港も同じく、北欧最高の4つ星評価を獲得した。[19][20]
- 2012年4月7日 日本全国巡回展 「フィンランドのくらしとデザイン - ムーミンが住む森の生活展」が、第1会場の青森県立美術館より展覧会開始。宇都宮美術館、静岡市美術館、長崎県美術館、兵庫県立美術館と日本全国の美術館を巡回した。フィンエアーはこの展覧会に特別協力した。[21]
- 2012年5月9日 ヘルシンキ=重慶線を週4便で開設。中国内陸部都市の重慶と、ヨーロッパとの直行便を、フィンエアーが初めて開設した[22]。
- 2012年6月7日・6月8日 日本とフィンランドとの航空当局間協議がヘルシンキにおいて開催され、首都圏空港を含めた日本・フィンランド間輸送のオープンスカイ協定(航空自由化)について、両国の合意に至った。関西国際空港、中部国際空港等の首都圏空港以外の空港で、現在の二国間輸送の自由化に加え、以遠権(相手国で旅客、貨物を載せ、第三国へ輸送)についても、両国間で自由化される事となった。[23]
- 2012年8月30日 アメリカのCNNは、世界でトップ10に入る空港ラウンジと運営する航空会社を発表し、フィンエアーの運営する、ヘルシンキ・ヴァンター国際空港の「フィンエアー・ラウンジ」もトップ10に選ばれた。[24]
- 2012年9月21日 日本旅行業協会(JATA)は、JATA国際観光フォーラム・旅博2012において、フィンランド航空をJATAツーリズム大賞の特別賞に選出した[25]。
- 2012年10月18日 フィンエアーは機関投資家による、気候変動への戦略、温室効果ガスの排出量の公表を求めるプロジェクトである「カーボン・ディスクロージャー・プロジェクト(CDP・ CARBON DISCLOSURE PROJECT)」の「ノルディック・レポート2012」で、100項目のうち92項目で評価を得ることができ、CDPインデックスのランキングに掲載された初の航空会社となった[26][27]。
- 2013年 会社創業90周年を迎えると共に、日本就航30周年を迎える。
- 2013年1月 航空会社の安全性を調査・発表するドイツのJACDEC(Jet Airliner Crash Data Evaluation Centre)による、2012年の世界の航空会社の安全度ランキングが発表され、フィンエアーは「JACDEC SAFETY RANKING 2012」で『Index 0,005』の評価を得て、世界で最も安全な航空会社と評価された[28][29]。
- 2013年1月28日 ミカ・ベフビライネンCEOが、同年2月28日付けで退任し、最高執行責任者(COO)の、ヴィッレ・イホ(Ville Iho)[2]が、2013年3月1日より、暫定的にフィンエアーのCEOに就任する旨が発表された[30][2][31]。その後、正式な後任CEOとして、(ペッカ・ヴァウラモ)がフィンエアーCEOに就任した[32][33]。
- 2013年3月7日 アメリカン航空、ブリティッシュ・エアウェイズ、イベリア航空が2010年10月からスタートした、大西洋路線の共同事業(ジョイントベンチャー)に参画する意向を発表。フィンエアーが運航するヘルシンキ=ニューヨーク線の他に、3社の便名をつけるほか、フィンエアーは、3社が運航する大西洋路線に「AY」便名を付け、運航を行う[34]。
運航形態 [編集]
2013年5月時点で、ヘルシンキから成田国際空港へ週7便のデイリー運航、関西国際空港へ週7便のデイリー運航、中部国際空港へ週7便のデイリー運航がされており、東京・名古屋・大阪の3大都市を合わせて週21便体制となり、最新機材のエアバスA340-300とエアバスA330-300で運航されている[35][36]。日本路線を持つヨーロッパの航空会社ではトップクラスのフライト数で、特に中部国際空港からヨーロッパ路線を持つ航空会社は、ルフトハンザドイツ航空とフィンランド航空の2社のみである。
地理的にフィンランド共和国の首都ヘルシンキは、アジアとヨーロッパ主要都市間の最短ルート上から近い好位置にあるため、日本への飛行時間は約9時間30分と短い。[37]その為、ヨーロッパの都市で日本から直行便が無い都市へは、ヘルシンキ経由の方が同一国間で国内線に乗り継ぐよりも、時間のロスが少ない場合がある[38][39]。ヨーロッパで、ある程度の人口を抱える都市規模でありながら、その都市からのアジアへの直行便としては就航・運航しにくい都市(例として、マンチェスターやハンブルク、また、ニースやフィレンツェなど)から移動する際、一度は乗り換えなければならない旅客を、コンパクトで利便性の高いヘルシンキ・ヴァンター国際空港[40]で乗り換え客の需要を取り込み、また、旅客の移動時間を数時間短縮するという点を広くアピールしており、アジアとヨーロッパの、それぞれに存在する一定規模の都市間の移動需要を、ハブ空港のあるヘルシンキで一度束ねて運航するという戦略を取っている[41]。
ヨーロッパのシェンゲン協定に基づくシェンゲン圏(The Schengen Area・EUの27加盟国中、22カ国と非加盟国4カ国)[42]に、フィンランドも加盟しており、渡航者が圏内に入域、または圏外へ出域する場合には国境検査を受けるが、圏内で国境を越える際には検査を受けないことになっており、この点で単一の国家のようになっている[43]。
2009年より始まったヘルシンキ・ヴァンター国際空港のリニューアルにより、さらにトランジット効率を主眼とした国際空港になり、旅客の利便性も向上した。国際線ラウンジもリニューアルされ、フィンエアー・ラウンジ(Finnair Lounge)や、ターミナル全体で無料Wi-Fi接続サービスも始まった。2009年12月にオープンしたフィンエアー・スパ&サウナ(Finnair Spa & Saunas)[44]は、ビジネスクラス利用者や、フィンエアープラスプラチナおよびゴールド会員、ワンワールドエメラルド、サファイア会員は無料で利用できるが、その他の乗客も有料で利用可能である[45]。
新しいヘルシンキ・ヴァンター国際空港の旅客ターミナルでは、ヨーロッパの主要空港と比較して乗り継ぎ時間が短くなり[46]、国際線の出発ゲートも、ターミナル1がヨーロッパ各都市への出発便に集約され、ターミナル2が、シェンゲン協定非加盟国のアジア・アメリカ・イギリス・アイルランド、ロシア等の路線専用出発ゲートとなっている[47][48]。
2012年5月1日より、日本人のヘルシンキ・ヴァンター国際空港利用者を対象に、出入国審査場に自動化ゲートを導入。対象となるのは日本国籍のICパスポート(冊子中央にICチップ、および通信を行うためのアンテナを格納したカードが組み込まれているバイオメトリック・パスポート)を所持している乗客で、ヘルシンキ・ヴァンター国際空港のシェンゲン協定加盟国エリアから出国する際に利用出来る[49]。
機内サービス [編集]
機内クラス編成は、ビジネスクラス(Business Class)・コンフォートクラス(Comfort Class)[50]・エコノミークラス(Economy Class)の3クラス制[51]。ビジネスクラスはフィンランドを代表するブランド「イッタラ」や「アラビア」、「マリメッコ」の食器を使用している。また、日本人客室乗務員も在籍しており、基本的に各便2・3名乗務している。コンフォートクラスは、ヨーロッパ域内離発着の長距離レジャー便(AY1000便番台となるフライト)のみの設定となる。
長距離国際線、および長距離レジャー路線[52]では、機体年齢の新しいエアバスA330-300より、人間工学に基づいたゾディアック(Zodiac Seats UK)製の、次世代ライフラットおよびフルフラットシート座席が順次装備され、2014年秋までに全て完了する予定である[53]。ゾディアックは、エアバスの次世代機のエアバスA350XWBの座席も開発している[54]。
長距離レジャー便では、クオリティー・エコノミークラスとデラックス・コンフォートクラスから、座席が選択可能となっている。コンフォートクラスの場合は、座席と足元にゆったりとしたスペースが確保されており、フィンエアーのビジネスクラスと同等レベルの快適さとなっている[55]。レジャー便では付加サービスがあり、特定の座席の予約や、プレミアムミール(有料)等が注文可能となっている[56]。スキーなどのスポーツ器具や、超過手荷物の輸送料を事前に支払いを行えるサービスを出発便の30日前から受け付けている[57]。
フィンエアーのヨーロッパ便では、フィンランド語と外国語の新聞と雑誌を、ビジネスクラスのすべての乗客に提供している。 エコノミークラスとビジネスクラスがある長距離便では、エコノミークラスの乗客は、International Herald Tribune紙、またはIlta-Sanomat紙を、3ユーロで購入出来る。国際線では、エコノミークラスとビジネスクラスの両方の乗客に、新聞と雑誌を無料で提供している[58]。フィンエアーのビジネスクラスシートレイアウトは、前後の座席を半列ずらして配置してあり、フルフラットにした際に、ちょうど前席のテーブル下に足元が全て入る程のゆとりを持っている。また、結果として座席周りに余裕が生まれ、他の乗客を気にせずに席を立つことができる。さらにプライベートなフライトを楽しみたいときは、シングルシートを選ぶ事も可能で、1列にわずか1席のシートしか置かれていないという、ファーストクラス並みの座席配列も行っている[59]。
フィンエアーのビジネスクラス・ワインセレクションにおいて、2013年に『Business Traveler』誌が主催する、毎年恒例のコンペティション「Cellars in the Sky Awards」で、フォーティファイド・スイートカテゴリーの最優秀ビジネスクラスワインに選出された。表彰されたのは、ポルトガルのニーポートコルヘイタワイン(1998年・ドウロ産)となっている[60]。
すべてのエアバスA330-300とエアバスA340-300では、エコノミークラスやビジネスクラスを問わず、各座席にパーソナルエンターテインメントシステムとスクリーンが装備されており、パーソナルエンターテインメントシステムで、衛星電話、映画、ゲーム、テレビ番組、音楽チャンネル、音楽アルバムが利用出来る。[61]
音楽サービスでは、オリジナルのプレイリストを作成することも可能で、ラップトップコンピューターやミュージックプレーヤー用の電源(アダプター不要)も利用出来る。ヘッドフォンは無料。レジャー便(AY1000便番台)ではヘッドフォンのレンタル料金込みのエンターテインメント料金が必要。これは運航機種によって変わり、ボーイング 757-200では、1人につき往復で5ユーロ、エアバスA330-300とエアバスA340-300では、1人につきフライトごとに8ユーロとなっている。[62]
機内で上映される映画は、フィンランドでの公開に合わせて最新の映画が上映されている。到着地の国で制作された映画や、テレビシリーズなどの短編番組も上映されており、現地の映画や短編番組は2か月ごとに新しく入れ替わる。[63]
エアバスA340-300と、ほとんどのエアバスA330-300には、電話ソケットとアダプターなしで利用できる電源ソケットが装備されている。 ビジネスクラスの座席では、足元のスペースに余裕があり、ラップトップコンピューターに最適なテーブルも装備されている。また、同じ機内にいる他の乗客に無料で電話をかける事も出来る。[64]
機内では、座席にある衛星電話を使って地上のネットワークにテキストメッセージやショートEメールを送信する事も可能。地上から送られた返信メッセージを機内で受け取る事も可能で、この場合、1メッセージにつき1USドルの料金がかかる。[65]
エアバス機およびボーイング機にはAirshowシステムが装備されており、地図上で現在位置を確認出来る。飛行中は、到着までの残り時間、到着予想時間、目的地の現地時間、外気温、飛行高度などの情報が閲覧出来る。搭乗している便に接続可能な乗り継ぎ便の出発ゲートも表示されるので、空港到着後、スムーズにゲート移動が出来る。[66]
就航路線 [編集]
詳細は「フィンエアー 就航都市」を参照
保有機材 [編集]
フィンランド航空の機材は以下の航空機で構成される (2013年2月現在)
エアバス A319-100型機 10機(1999 - )
エアバス A320-200型機 10機(2001 - )
エアバス A321-200型機 6機(1999 - )
エアバス A321-200型機 0機(5機発注中:2013年9月より納入予定。主翼端にシャークレット(Sharklets)が装備される)[67]
エアバス A330-300型機 8機(2009 - )
エアバス A340-300型機 7機(2006 - )
エアバス A350-900型機 0機(11機発注・オプション8機発注中:2015年度より納入予定。ヨーロッパの航空会社としてA350XWBを運航するのは、フィンエアーが初となる[68])[69][70][71]
ボーイング 757-200WL型機 4機(1997 - )
リース [編集]
エアバス A320-200型機 2012年9月、ラトビアのスマートリンクス航空よりリース[72][73]。
ボーイング 757-200型機 2012年9月、スペインのプリビレッジ・スタイルよりリース[74]
後継機 [編集]
エアバス A321-200型機(シャークレット装備機)は、
ボーイング 757-200WL型機の後継機とされる。[75][76][77]
エアバス A350-900型機は、
マクドネル・ダグラス(ボーイング)MD-11の後継機及び、
エアバス A340-300型機の後継機とされる[78][79]。
退役機材 [編集]
フィンエアーの一部路線を運航している提携航空会社(Flybeなど)や、フィンエアー・グループ航空会社(フライビー・フィンランド、ノルディック・グローバル航空など)に、フィンエアーから機材移管された航空機や、フィンエアーと合併したフィンランドの航空会社、カー・エア(Kar-Air)や、フィンアビエーション(Finnaviation)の保有機も含まれる。また、フィンランドの歴史上、第二次世界大戦中などに、旅客機の他に軍用機も運用していたが、現在では官民は区分けされ、軍用機はフィンランド空軍が運用している。
ユンカース|ユンカース F.13|Junkers F.13(1924 - 1935)
ユンカース|ユンカース G.24|Junkers G.24 W(1926 - 1935)
ユンカース|ユンカース A 35|Junkers A 35(1926 - 1929)
ユンカース|ユンカース Ju 52/3m|Junkers Ju 52/3m (1932 - 1949)
デ・ハビランド・エアクラフト|デ・ハビランド DH.89 ドラゴン・ラピード|de Havilland DH.89 Dragon Rapide(1937 - 1947)
フォッケウルフ|フォッケウルフ Fw 200 KB-1 コンドル|Focke-Wulf Fw 200 KB-1 Condor(1939 - 1939)
ダグラス・エアクラフト|ダグラス DC-2 |Douglas DC-2-115 (1941 - 1948)
ロッキード|ロッキード 18 ロードスター|Lockheed Model 18 Lodestar/ -07 / -08 / -40/ -56(1941 - 1961)
ダグラス・エアクラフト|ダグラス C-47|Douglas C-47 / -DL / -20-DK / -30-DK / -35-DL / -70-DL / -75-DL(1943 - 1960)
ダグラス・エアクラフト|ダグラス C-53 |Douglas C-53 / -DO / -C-DO / -D-DO(1943 - 1954)
ダグラス・エアクラフト|ダグラス DC-3 |Douglas DC-3A / -3D(1946 - 1969)
コンベア|コンベア340|コンベア440|Convair 340/ -40 / -41 /, Convair 440/ -40 / -98(1953 - 1980)
ダグラス・エアクラフト|ダグラス DC-6 |Douglas DC-6B(1953 - 1965)
シュド・アビアシオン|カラベル IA|Sud SE.210 Caravelle IA(1960 - 1961)
シュド・アビアシオン|カラベル III|Sud SE.210 Caravelle III(1961 - 1964)
シュド・アビアシオン|カラベル VI-R|Sud SE.210 Caravelle VI-R(1963 - 1964)
シュド・アビアシオン|カラベル 10B3|Sud SE.210 Caravelle 10B3(Super Caravelle)(1964 - 1983)
ビーチクラフト|ビーチ モデル35 デボネア|BEECH 35 DEBONAIR/ -B33 / -C33(1964 - 1967)
デ・ハビランド・カナダ|デ・ハビランド・カナダ DHC-6|de Havilland Canada DHC-6 Twin Otter/ -200 / -300(1968 - 1980)
ダグラス・エアクラフト|ダグラス DC-8 |Douglas DC-8-62CF(1969 - 1981)
ダグラス・エアクラフト|ダグラス DC-8 |Douglas DC-8-62(1975 - 1985)
ダグラス・エアクラフト|ダグラス DC-9 |Douglas DC-9-14 / -15MC / -15RC / -15F / -41 / -51(1971 - 2003)
マクドネル・ダグラス|マクドネル・ダグラス DC-10|McDonnell Douglas DC-10-30(1975 - 1996)
セスナ|セスナ404 タイタン|Cessna 404 TITAN AMBASSADOR(1978 - 1982)
エンブラエル|エンブラエル EMB 110|Embraer EMB-110P1 BANDEIRANTE(1979 - 1980)
フォッカー|フォッカー F27|Fokker 27/ -100 / -200(Friendship)(1980 - 1987)
マクドネル・ダグラス|マクドネル・ダグラス DC-10-30ER|McDonnell Douglas DC-10-30ER(1981 - 1996)
マクドネル・ダグラス|マクドネル・ダグラス MD-80|McDonnell Douglas MD-80 / -82 / -83 / -87 (1983 - 2006)
EADS&アレーニア・アエロナウティカ|ATR|ATR 42-200 / -300(1986 – 1990)
エアバス|エアバス A300|Airbus A300B4(1986 - 2004)
ボーイング|ボーイング737|Boeing 737-200C(1989 - 1995)
EADS&アレーニア・アエロナウティカ|ATR|ATR 72-200 (1989 – 2004)
マクドネル・ダグラス|マクドネル・ダグラス MD-11|McDonnell Douglas MD-11(1990 - 2010)
SAAB|サーブ 340|Saab 340A (1995 – 1998)
エンブラエル|エンブラエル 170|Embraer ERJ-170STD (2005 - 2012)
エンブラエル|エンブラエル 190|Embraer ERJ-190LR (2006 - 2012)
マクドネル・ダグラス|マクドネル・ダグラス(ボーイング)MD-11F|McDonnell Douglas MD-11F(2010 - 2011)
短期間のみリース運用した航空機 [編集]

フォッカー|フォッカー F.VIII|Fokker F.VIII《製造番号・5044、機体記号・SE-AEB(PH-AEG / H-NAEG)》1934年頃、合計1機。
ユンカース|ユンカース W 34|Junkers W 34 ho:《製造番号・2828、機体記号・SE-AEF》1935年頃、合計1機。
デ・ハビランド・エアクラフト|デ・ハビランド DH.60 モス|de Havilland DH.60 Cirrus Moth:《製造番号・1、機体記号・OH-VKD(MO-93)》1936年頃、合計1機。
ボーイング|ボーイング707|Boeing 707-321《製造番号・17605、機体記号、G-AZWA(N70798)》1976年頃、合計1機。
エアバス|エアバスA330|Airbus A330-200《ポルトガルのハイフライ航空よりリース》2011年頃、合計1機[80]。
マイレージサービス [編集]
詳細は「フィンエアープラス」を参照
オプションサービス [編集]
2012年11月28日から、自動チェックインサービスを開始。携帯電話の番号を登録した旅客に提供されるサービスで、出発期日の早朝出発の場合は、前日の午後5時から午後7時ごろまでに、自動的に旅客の携帯電話に電子航空券が送信される。チェックインの確認、座席番号、電子航空券のリンクが送付され、運航状況の変更などの場合には、テキストメッセージが送付されるようになっている。また、フィンエアー・プラス会員で、会員情報が全て登録されている場合は、自動的に携帯電話へのメッセージが送付されるようになった。その他の乗客には、出発時刻の約3時間前に送付される。なお、チェックイン手続きを済ませている場合には、このメッセージは送られない[81]。
2013年3月13日より、フィンエアーの乗客の搭乗便と、フェイスブック(facebook)を連携するサービスをスタート。希望するとfacebook搭乗便のシートマップと連携し、同じ便に搭乗するfacebook利用者の同行者の座席を知ることが出来る。また、チェックイン手続き後は、友人にどこへフライトするか、到着時間はいつ頃かを伝えることも可能となる。なお、このサービスは希望する場合のみで、今後はfacebook以外のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)でも利用できるようにサービスを拡大する[82]。
フィンエアーが運航する定期便のエコノミークラスの座席を、フィンエアーの航空券を所持している乗客が、出発時刻の36時間前より座席指定予約が出来る様になった。アジアおよび北米行きの長距離便では、非常口付近または最前列の座席を指定する事も出来る。フィンエアーのウェブサイトセクションで受け付けており、フィンエアーのレジャー便(AY1000便番台)の場合は、付加サービスページで座席を指定出来る[83]。座席料金は、フィンランド、スカンジナビア、バルト諸国(ラトビア・エストニア・リトアニア)が6ユーロ、ヨーロッパ各都市は8ユーロ、アジアおよび北米の非常口付近の座席が60ユーロ、アジアおよび北米の最前列の座席が40ユーロ、アジアおよび北米の上記以外の座席が20ユーロとなっている[84]。
手荷物許容量を超えた場合は、別途追加料金が課金されるが、オンラインで搭乗前に追加料金を支払った場合、割引料金が適用される。ヘルシンキ・ヴァンター国際空港のチェックインカウンターでは、クレジットカードでの決済も可能で、出発ロビーのサービスデスクでは、その他の支払い方法も可能である[85]。フィンエアーのウェブサイト上のクレジットカード決済で、ダイナースクラブ、VISAカード、マスターカード、アメリカン・エキスプレスでの決済に対応していたが、2013年3月19日より、JCBカードによるクレジットカード決済を開始した[86]。これにより、オンライン予約で航空券を購入の際にも、JCBカードを利用出来る様になった。
フィンエアーでは超過手荷物料金は、フライトの距離によって異なる。 旅行代理店で支払う場合、フィンランド、スカンジナビア、バルト諸国(ラトビア・エストニア・リトアニア)内の片道輸送料金は20ユーロ(空港の場合30ユーロ)、その他のヨーロッパ諸国内の片道輸送料金は30ユーロ(空港の場合40ユーロ)、長距離便の片道輸送料金は60ユーロ(空港の場合80ユーロ)。重量23kg、長さ2mまでのゴルフ用品とスキー用品にも同じ料金が適用される[87]。
フィンランド航空提携航空会社 [編集]
ワンワールド加盟航空会社 [編集]
フィンランド航空
アメリカン航空
ブリティッシュ・エアウェイズ
キャセイパシフィック航空
イベリア航空
日本航空
マレーシア航空
ラン航空
カンタス航空
ロイヤル・ヨルダン航空
S7航空
エア・ベルリン
独自提携航空会社 [編集]
- ☆= ワンワールド(oneworld)加盟予定航空会社・およびワンワールド・アフェリエイトメンバー
- *= 航空連合非加盟航空会社
- ◆= スカイチーム(Sky Team)加盟航空会社
- ◇= スターアライアンス(Star Alliance)加盟航空会社
フライビー・フィンランド ☆
ノルディック・グローバル航空 *
アイスランド航空 *
サン・エア ☆
マルメ・アビエーション *
ノルウェー・エアシャトル *
ブリュッセル航空 ◇
Flybe *
スマートリンクス航空 *
ベラヴィア *
スリランカ航空 ☆(加盟予定)
USエアウェイズ ☆(加盟予定)
カタール航空 ☆(加盟予定)
TAM航空 ☆(加盟予定)
クロアチア航空 ◇
プリビレッジ・スタイル *
メリディアーナ・フライ *
アエロフロート・ロシア航空 ◆
ロシア航空 *
ウラル航空 *
中国国際航空 ◇
香港ドラゴン航空 ☆
エールフランス ◆
チェコ航空 ◆
ウクライナ国際航空 *
バンコク・エアウェイズ *
TAP ポルトガル航空 ◇
スイスインターナショナルエアラインズ ◇
フィンランド航空提携鉄道会社 [編集]
2002年11月18日より、フィンランド航空とSBB・スイス連邦鉄道は、コードシェア便を開始した。フィンエアーが運航する、ヘルシンキ=チューリッヒ線と接続する形で、スイス連邦鉄道の列車が走る、チューリッヒ中央駅(チューリッヒ)、バーゼルSBB駅(バーゼル)、ベルン中央駅(ベルン)、ルツェルン駅(ルツェルン)、ローザンヌ駅(ローザンヌ)間でコードシェアが行われ、フィンランド航空のフィンエアー・プラスのマイレージが加算される。利用者は航空券と鉄道の予約のみならず、目的地までのチェックインが一度に可能となった。[88]
機内食 [編集]
長距離路線のヘルシンキ発の長距離便ビジネスクラスの乗客は、「Wellness and Energy」(ヘルシーな食材を使ったメニュー。アジアの香味料や食材が比較的多く使われている)、「Food Lover's Treat」(ブラットヴルストや、栄養たっぷりのシチュー)、「Chef's Gourmet」(ジューシーなトナカイのテンダーロインなどの料理が中心)の、3種から1つを選び、事前に予約する事が出来る。[89]
前菜、スープ、メインコース(3種類から選択)、チーズ、デザートと新鮮なフルーツが出され、さまざまな種類のパンが用意されており、厳選された受賞歴を誇るワインとエスプレッソ、カプチーノなどのコーヒーや各種のお茶が、フライト中いつでも注文出来る。エキスプレスミールサービスも用意されてあり、フライトの予約時、または搭乗時に客室乗務員に申し出ると、前菜、スープ、チーズプレート、コーヒーまたは紅茶が提供される。[90]
エアバスA340-300およびエアバスA330-300では、ビジネスクラスのメインエントランスに専用のスナックバーも設けてあり、ビジネスクラスの乗客は、ここで軽食や飲み物を自由に選ぶ事が出来る。長距離路線便の3種のメインコースは定期的に変わり、 採れたての新鮮なフィンランドの食材を使った北欧料理や、地中海料理を食す事が出来る。ビーフが好きな乗客向けの肉料理、本格的な魚料理、ベジタリアン料理が用意されている。[91]
エコノミークラスの乗客は、サラダ、メインコース、チーズ、デザートなどが基本となっている。また、ほぼすべての長距離路線で、着陸前に温かい軽食も提供される。その他にも、軽食を機内でいつでも購入する事が出来る。日本、中国、韓国、インド、シンガポール便などのエコノミークラスでは、さまざまな種類の飲み物が用意され、ソフトドリンク、ジュース、ミネラルウォーター、ビール、白ワイン、赤ワインは無料で提供され、その他のアルコール類は有料となっている。[92]
宗教上または健康上の理由で、通常の機内食を食す事が出来ない乗客の為に、特別食が用意されている。また、すべての長距離路線で、2歳未満の乳幼児向けの若干のベビーフードも用意されている。ただし、 2歳未満の子供でも、座席を予約した場合は、通常の機内食となる。[93]
機内誌 [編集]
フィンランド航空では、日本語機内誌『キートス(KIITOS)』を、年4回発行していた。1996年に創刊された。定期購読も可能で、1,240円分(機内誌は無料だが、日本国内での送料分のみ負担)の郵便切手を日本国内の事務所に封書で送ると、誰でも機内誌を購読出来た。「キートス」とは、フィンランド語で「ありがとう」という意味である。2009年冬号をもって休刊する事となった。一方で、機内誌『Blue Wings』 は、デジタル形式でも閲覧が可能となっている[94]。
広告・イメージキャラクター [編集]
- ムーミン 日本路線に就航していた機体に特別塗装をされていた。ムーミンのオフィシャルエアラインとして、様々な活動をサポートしている。2012年3月15日に行われた「フィンランドのくらしとデザイン展への招待」などに、来日したムーミンが登場した。[95]
- サンタクロース 諸説はあるが、フィンランド政府が公認しているサンタクロースも存在する。イラストとして機体に特別塗装をされていた時期もあり、フィンランド・サンタクロース・ファンデーション公認のサンタクロースのオフィシャルエアラインとして、公認サンタクロースをサポートしている。[96][97]
- 葛西紀明 (2009年11月 - )葛西選手、および所属チームを公式サポートしている[98][99]。2012年11月15日、今期で4シーズンとなる公式サポートを発表した[100]。
- 浅尾美和 ・草野歩(2010年)公式スポンサー契約をしていたが、両選手のペア解消に伴い、シーズン限りとなった。
- 役所広司 (2010年 - )「Mr.ヨーロッパ」として、日本市場での広告に起用。キャッチコピーは、『Mr.ヨーロッパ、日本人に驚く。』2011年、日本経済新聞社の日経広告賞にて、第59回日経広告賞B部門(交通・観光・運輸・公共)の部門賞を受賞。[101][102]
- Angry Birds (2011年 - 2012年)ロングフライトとなるシンガポール便より導入された、フィンランド生まれのモバイルゲームである。ロビオ・エンターテインメントが開発し、世界中でヒットしている。ゲームに登場するキャラクターを特別塗装したエアバス A340-300(機体記号:OH-LQD)が一時期、世界中を飛んでいた。[103][104]
- マリメッコ (2012年 - )フィンランドを代表するファッションブランドで、人気の『UNIKKO(ウニッコ)』柄[注釈 10]を特別塗装したエアバスA340-300(機体記号:OH-LQD)[105][106]と、フィンランドの森の壮大さと、おとぎ話の世界観を融合させたデザインの、『Metsänväki (メトサンヴァキ)』デザインの、エアバスA330-300(機体記号:OH-LTM)が就航した[121][122]。2013年春からフィンエアーのすべての旅客機には、マリメッコの典型的パターンが描かれたテキスタイル、テーブルウエアからなるフィンエアーのためのコレクションが取り入れられる[107]。さらに他の旅客機も、2013年春にはマリメッコのデザインをまとう[108]。両社によるコラボレーションの期間中、マリメッコの特別製品がフィンエアーの機内販売、フィンエアー・プラスショップ(Finnair PlusShop)で購入できる[109]。
事件・事故 [編集]
1920年代 [編集]
- 1925年7月6日 ユンカース社のパイロットが操縦していた ユンカース F.13が、ヘルシンキ市内中心部(現在のマンネルハイム通りの国会議事堂の向かい側付近)に墜落。パイロット及び乗客3人は無事で、ヘルシンキ市民にも怪我人は無かった。飛行機は当時、とても高価で貴重だったという理由もあり、修理されたのち、8月末に路線に復帰した。
- 1927年5月 ユンカース F.13(同社が導入した第1号機:K-SALA)エストニアの首都タリンで、離陸中に失速し、墜落。機体は修理不能なまでに大破した。乗員乗客5名は、負傷したものの救出されて全員無事だった。
- 1927年11月 タリンからヘルシンキへ向かっていたユンカース F.13(K-SALD)が、タリンから60kmの海上を飛行中、海霧に入ったのを最後に、消息不明。アエロは調査した結果、霧の中でパイロットが方向を見失い、海上に墜落したと結論付けた。しかしこの事故には当時から疑問点がいくつもあり、『霧は発生していたものの、全般的に穏やかな好天だった』『墜落機の残骸がまったく発見されていない』『ソ連で撮影されたと思われる写真に、事故機のパイロットと共に、事故機と同型機が写っている写真が発見された』という点などで、パイロットがロシア革命中、赤軍幹部だったこと、その妻が夫の事故死報告を受けても平然とし、その2週間後にはソ連のレニングラードへ旅立っていることなどから、K-SALDが消息不明になったのは、海上に墜落した『事故』ではなく、パイロットが飛行機ごとソ連に逃亡した『事件』ではないかと言われたが、現在でもその真相は不明となっている。
1930年代 [編集]
- 1937年11月10日 フィンランドのトゥルクからストックホルムへ定期便として飛行していたユンカース F.13が、巡航高度1,000mまで上昇した時、機首にある中央エンジンから異常音の発生と同時に、機体が激しく揺れ出した。コックピットの窓は、漏れ出したオイルに覆われて全く視界を確保出来ず、たまたま休暇中で乗り合わせたフィンランド空軍パイロットが、コックピットの窓から顔を出して、アエロのパイロットに方角と高度を教え、トゥルク飛行場に引き返す事に成功した。着陸後、飛行中に中央エンジンが脱落していた事が分かり、アエロは懸賞金をかけてエンジンの行方を探したものの、結局発見される事はなかった。
1940年代 [編集]
- 1940年6月14日 第二次世界大戦中、アエロのユンカース Ju 52/3m(OH-ALL)が、乗客7名を乗せ、エストニアの首都タリンからヘルシンキへ向けて離陸し、その6分後にソ連軍の2機のツポレフ SB爆撃機により、タリン沖で撃墜された。しかしこの時期は、フィンランドはどの国家とも戦っておらず、ソ連と戦っていた『冬戦争』では、1940年3月13日に戦闘状態は収束している。既にこの時期、エストニアはソ連軍に占領されていたが、占領の事実が漏れて国際社会の反発が起こる事を恐れたソ連軍は、完璧な報道管制を敷いており、その為、エストニアとフィンランドの外交郵便袋を空輸していたアエロが標的となった。外交郵便袋は墜落後、海上で漁師に拾い上げられていたが、ソ連軍の潜水艦が現れて没収し、アエロの乗客7名の遺体は、海上にそのまま放置された。この後、両国間は翌年の1941年6月に再び戦闘状態となり、『継続戦争』となる。
1960年代 [編集]
- 1961年1月3日 フィンランドのヴァーサ空港から飛び立った国内線のアエロ311便(DC-3:OH-LCC)が、フィンランドのKvevlaxに墜落。乗員3名・乗客22名、25名全員が死亡。これはフィンランドで最悪の航空機事故となり、フィンランド航空の歴史上においても、最も多大なる犠牲者を出してしまった事故である。事故機のパイロットからはアルコールが検出されている。『Aero Flight 311』として、人々に記憶されている事故である。
- 1963年11月8日 ヘルシンキからトゥルクを経由し、マリエハムンに向かっていたアエロ217便(DC-3:OH-LCA)が墜落、機体は大破した。しかし、乗員乗客22名は全員無事だった。(Maarianhaminan lentoturma参照のこと)[110]
1970年代 [編集]
- 1978年9月30日 フィンランド航空405便(シュド・カラベル 10B:OH-LSB:乗務員3名・乗客45名)がフィンランドのオウル空港からヘルシンキへ向かう途中でハイジャックされる事件が発生した(Finnair Flight 405を参照)。犯人は自己破産した元・住宅建築業者で、無職の37歳の男だった。オウル空港から乗客として405便に乗り込んだが、当時のオウル空港はセキュリティーチェックを厳しく行っていなかった為、凶器の弾丸が入った32ACP口径(7.65mm)のワルサーPP拳銃を持ち込まれてしまった。犯人はコックピットに入り、拳銃を機長に突きつけて身代金と目的地変更を要求した。フィンランド航空は犯人の要求通り、168000USドルを用意し、ハイジャック機は、オランダのアムステルダムへ向かう事となった。
- ハイジャックされた国内線の旅客機では、航空燃料の搭載量が足りず、そのまま犯人の要求通りにアムステルダムまで飛ぶ事が出来なかった為、途中でヘルシンキ・ヴァンター国際空港で給油を行なった。そこで犯人はさらに、フィンランドの新聞社にも38000USドルを要求し、約18000USドルがヘルシンキで犯人に支払われた結果、全ての乗客が人質解放された。その後、ヘルシンキを飛び立ったハイジャック機は、アムステルダム・スキポール空港に着陸した。現地で航空燃料を搭載したハイジャック機は、またフィンランドへ向かう事を要求され、ヘルシンキ到着後、犯人は新聞社からの身代金の残りを受け取り、その後、ハイジャック機はオウル空港へ向かう事を要求された。
- オウル到着後、犯人はオウルにある自宅に移動したが、この時点では、未だフィンランド航空の乗務員3名が人質に取られており、犯人の自宅からの最後の要求は、4本のウイスキーや、運転手付きのリムジンなどで、それらにオウル警察が応じた結果、人質3名が解放され、これでハイジャックされた405便の乗務員と乗客全てが、無事に解放された。犯人はオウル警察の説得に応じ、10月2日・月曜日に投降すると伝えたが、オウル警察はそれよりも早い段階で犯人を逮捕する事とし、10月1日・日曜日に犯人の自宅を襲撃し、犯人を逮捕した。オウル警察スポークスマンは、ハイジャック犯の自宅電話を傍受していた結果、犯人が最初に警察と同意したように、平穏に投降する意思が無いことを示唆した、いくつかの電話を傍受した事を示した。逮捕されたハイジャック犯は、1979年に、禁固7年の実刑が言い渡された。
フィンランド航空は、1963年の事故以降、現在まで一度も航空事故は起こしていない。この為、『世界的にも最も安全な航空会社』と言われる、希有な航空会社である。2013年1月、世界の航空会社の安全性を調査・発表するドイツのJACDEC(Jet Airliner Crash Data Evaluation Centre)による、2012年の世界の航空会社の安全度ランキング[注釈 11]が発表され、フィンエアーは「JACDEC SAFETY RANKING 2012」で『Index 0,005』の評価を得て、世界で最も安全な航空会社と評価された[111]。
SASとフィンエアーの関係 [編集]
フィンランドと同じスカンジナビア諸国の航空会社で構成されていった、SAS・スカンジナビア航空との関係は、第一次世界大戦後から、長らくフィンエアーを悩ませた問題でもあった。スカンジナビアの航空会社の提携は、戦後の航空郵便に関する合意に始まり、この動きが活発になったのは1930年代からで、1939年1月、北欧4カ国の航空会社、フィンランドのアエロ(フィンランド航空の旧社名)、スウェーデンのABA、デンマークのDet Danske Luftfartselskab(DDL)、ノルウェーのNorwegian Air Lines(DNL)は、ノルウェーの首都、オスロでトップ会談を行った際、4社はいずれも、1社単独での大西洋横断路線を運航出来る力は無いという点で同じ認識を持っていた為、北大西洋路線の4社共同開設について話し合い、アメリカ政府の了解を取り付け、準備さえ整えば、いつでも初の北米路線のニューヨーク線を運航出来る所まで進展していた。再度トップ会談が行われたのは、1939年8月で、出来ればアメリカ側の航空会社も参加した共同運航を目指すという話し合いが行われたが、この時、既にフィンランドは戦争突入寸前の状況下で、この時のトップ会談にアエロは欠席せざるを得なかった。
第二次世界大戦後、再び事が進展し始め、DDL、DNL、ABAと、スウェーデンのSvensk Interkontinental Lufttrafik(SILA)を加えた4社が、現在のSASグループを設立した。1950年代に入ると、フィンエアーとSASのヨーロッパ路線は競合する様になり、何度かフィンエアーのSASへの加入問題が話し合われたものの、いずれも結論には至らず、両社の共同運航合意も期限が切れたまま更新されなかった為、フィンエアーだけがスカンジナビアで孤立する事となった。その理由として、SASの要求が、フィンエアーの運航するフィンランド国内線を全て除外した、利益の出るヨーロッパ路線だけだったという点と、フィンランドのかつての宗主国だったスウェーデンが主導権を握り、それがさらにフィンランド人の伝統的な独立自尊の精神と文化を背景に、SASへの参加を困難なものにしていた点である。フィンランドの国内線運航は、経営的に厳しい状況下にありながら、それでも運航を続けて来られたのは、ヨーロッパ路線の利益があったからに他ならず、政府からの援助も無いまま、ヨーロッパ路線を失えば、国内線の運航に支障が出る事は明らかであった。
1960年にフィンエアーの新社長に就任したコルホネンは、すぐにSASとの協議を再開させ、1961年にSASとの共同運航が再び再開されたものの、1969年にフィンエアーが単独で北大西洋路線であるニューヨーク線を開設すると同時に、突然SASから共同運航を破棄され、また、デンマーク航空当局もSASからの圧力を受け、フィンエアーのコペンハーゲンへの運航権を取り消されるという事も起こり、便数制限付きの暫定的な飛行許可で運航していた。
しかし、こうした経緯を経て、SASはフィンエアーと競合する路線において、想定していた損益よりも、北欧に複数の航空会社が存在する事による、営業促進力と市場訴求力の方がはるかに大きいと判断し、次第にフィンエアーとの関係は改善されて行った。1990年代になり、世界的な航空業界再編と航空連合の時代に入ると、フィンエアーは1999年にワンワールドに加盟し、SASは1997年にスターアライアンスの設立メンバーとして加盟し、それぞれ独自の道を歩む事となった。
フィンエアー・カーゴ [編集]
フィンエアー・カーゴ(Finnair Cargo)は、フィンランド航空の貨物部門で、貨物専用機の運航はフィンエアー・グループのノルディック・グローバル航空が行っている。カーゴキャパシティ-は月間平均1,000トン以上[112]。フィンエアー・カーゴ(Finnair Cargo)は世界各地への航空貨物輸送を担っており、毎週150便を超えるフレイターと、RFS(ロードフィーダーサービス)で、委託された貨物はフィンランド航空が各路線で使用している旅客機の貨物室及び、マクドネル・ダグラス(ボーイング)MD-11Fなどの貨物機で、フィンエアー・カーゴ本社があるヘルシンキ・ヴァンター国際空港へ貨物運搬される。
ヘルシンキ経由でヨーロッパとアジアを最短最速で結ぶことにより、飛行距離を短縮し、航空燃料費を削減している[113]。フィンランド国内のフィンエアー機の着陸の内、60〜80%は連続降下進入方式によるもので、不要な旋回や誘導路は使用せず、これにより二酸化炭素排出量の削減を実現している[114][115]。貨物はヘルシンキ到着当日には、空路、陸路、海路にて各地へ配送される。
2013年2月1日より、フィンエアー・カーゴの成田国際空港、中部国際空港、及び関西国際空港のグランドハンドリングを、日本航空グループが担当する事となった[116]。成田国際空港と中部国際空港ではJALカーゴ、関西国際空港では日航関西エアカーゴ・システムが担当する。
2013年4月7日から、ヘルシンキ・ヴァンター国際空港に次ぐ、ヨーロッパにおける貨物のハブ空港として、ベルギーのブリュッセル国際空港を新たに貨物ハブ空港[123]として機能させ、ブリュッセルからは貨物船も使用して貨物を運搬する[1][117][118]。
フィンエアー・カーゴの日本地区は、『WAI ウエスタン・アソシエイツ』が日本総代理店となっており[119]、予約・営業拠点を東京本店・名古屋支店・大阪支店・札幌支店・福岡支店に設置している。なお、札幌での予約業務は東京が、福岡での予約業務は大阪が兼務している。
貨物便就航都市 [編集]
-
- ヨーロッパ諸国の都市
-
- 北欧諸国の都市
貨物便提携会社 [編集]
ワールド・エアウェイズ[124]
JALカーゴ(JAL Cargo Service Co., Ltd.)[125][126]
日航関西エアカーゴ・システム(JLKAS[127]・JAL Kansai Aircargo System Co., Ltd.)[128] [129]
Air Liaison[130]
歴代経営者 [編集]
- 1923 – 1929 ブルーノ・オットー・ルキャンダー
- 1929 – 1945 Gunnar_Ståhle
- 1946 – 1947 vt. pääjohtajat C. J. Ehrnrooth jaUolevi_Raade
- 1947 – 1960 レオナルド・グランデル
- 1960 – 1987 Gunnar Korhonen
- 1987 – 1998 Antti Potila
- 1999 – 2005 Keijo Suila, pääjohtaja
- 2006 – 2010 Jukka Hienonen, toimitusjohtaja
- 2010 – 2013 ミカ・ベフビライネン
- 2013 – ペッカ・ヴァウラモ
参考文献 [編集]
- (株)共信商事・文化事業部(編集)、フィンランド航空日本支社(発行)『白夜の国のヒコーキ物語』1998年11月1日発行
- 『FINNAIR the art of flying since 1923』1983年発行
脚注 [編集]
注釈 [編集]
- ^ フィンランド語でオイは0/Yと書き、株式会社の(株)の意味。
- ^ フィンランド語でYhtiöは、「会社」の意味。
- ^ 東西諸国間の架け橋となったフィンランドの航空会社ならではの現象である。
- ^ 当時の保有機材であったDC-10型機を日本路線の専用機材と位置付け、ベーリング海上空経由のノン・ストップで結ぶ路線とする。その方法は、DC-10型機のうち1機の燃料タンクを増強し、3クラス200席強の旅客キャパシティで、その距離1万1024km・13時間半にも及ぶノン・ストップ飛行を可能にしたことによる。
- ^ 日本路線開設前に、ボーイング社から長距離国際線専用機材として、ボーイング B747SP導入をオファーされた。その内容は、DC-10をB747SPに変更するだけではなく、DC-9とシュド・カラベル 10B (Super Caravelle) も、ボーイング B737に入れ替える事も提案し、さらに次期主力機として、ボーイング B757-200を導入してはどうか?といった内容だった。B747SPとB737のエンジンは、同社で運航されていたDC-9とDC-10のエンジンと馴染みがあった。機種を変更すれば、乗務員をかなり再訓練する必要があったものの、エンジンを含めメンテナンス費用を最小限に押さえられる為、ボーイングの提案は一考に値するとして、慎重に取締役会で検討された結果、当時マクドネル・ダグラス社がDC-10-30ERシリーズを完成させており、B747SPとほぼ同じ距離を飛行する事が可能となっていた事もあり、昔から導入されて運航されてきたマクドネル・ダグラス社を、次期主力機(その後MD-80シリーズや、MD-11が導入された)も含めて選ぶ事となった。
- ^ 成田に到着した機材をその日のうちに折り返さず、1日ステイさせて折り返すスケジュールを組んだことで、同社が古くから誇りとしている定時性の確保も図られ、同社は日本でも「絶対に遅れないエアライン」としても注目を集めた
- ^ DC-10型機またはMD-11(OH-LGC)型機による。
- ^ 2009年7月から2010年4月にかけて、スカイトラックス社が全世界で、およそ100ヵ国から約1,800万人の旅客を対象に行った調査による。その中でもフィンランド航空は、スカイトラックス社の評価で、4つ星航空会社にランク付けされている。
- ^ ヘルシンキ空港とフィンエアーが行ったプログラム [1]
- ^ [2]
- ^ 国際航空運送協会(IATA)による運航管理、整備、危機管理・保安など8分野と、国際法令、安全基準に基づいた900を超える安全監査基準である、国際運航安全監査プログラム(IATA Operational Safety Audit(IOSA)などを参照。さらに過去30年間の重大航空事故などを勘案し、JACDECが独自の指数でランキングしたもの。[3]
出典 [編集]
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- ^ http://www.flychicago.com/business/EN/media/news/stories/pages/NewsDetail.aspx?ItemID=835
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関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
- ヨーロッパの50都市以上へのフライト | フィンエアー日本 - Finnair(日本語版)
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- Mr.ヨーロッパ - Finnair(日本語版)
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- Finnair Cargo(日本語版)フィンエアー・カーゴ(貨物輸送)
- ワンワールド・アライアンス(日本語版)
- 『クオリティーハンター』フィンエアーとヘルシンキ・ヴァンター国際空港、及び就航都市の空港施設、観光などのサービスを調査する一般乗客による評価サイト(英語版)
- 『JALとフィンランド航空、コードシェア提携で合意』2005年11月30日公式発表(日本語版)
- 『JALとフィンランド航空、コードシェア提携を拡大』2006年5月15日公式発表(日本語版)
- 『JAL、北欧へのネットワークも大きく拡大』2008年5月19日公式発表(日本語版)
- 『JALとフィンランド航空、コードシェア提携を拡大』2010年7月20日公式発表(日本語版)
- 『Finnair, JAL to expand codeshare cooperation』2012年2月15日公式発表(英語版)
- 『フィンエアーとJAL、コードシェア提携を拡大』2012年2月21日公式発表(日本語版)
- 『JAL・フィンランド航空 コードシェア便サービスのご案内』(日本語版)
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