MD-11

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マクドネル・ダグラス MD-11
McDonnell Douglas MD-11

ヴァリグ・ブラジル航空 MD-11型機(ワールドカップ特別塗装機)

ヴァリグ・ブラジル航空 MD-11型機(ワールドカップ特別塗装機)

マクドネル・ダグラス MD-11McDonnell Douglas/Boeing MD-11、エムディー・イレブン)はマクドネル・ダグラス(現ボーイング)製の三発式大型ジェット旅客機である。マクドネル・ダグラス社が最後に製造した大型旅客機でもある。「最後の三発式」とも呼ばれる。

本項では、単に「市場」と表記した場合は旅客機販売市場を、単に「マイル」と記した場合はノーティカルマイル(海里)をあらわすものとする。

概要[編集]

MD-11(左)とDC-10(右)

1970年代に就航したDC-10を近代化した機体である。DC-10がボーイング747では需要に対して大きすぎる路線に投入されたようにボーイング747-400では大きすぎる中長距離路線に投入されることを見込んで開発された。

開発は1986年より開始された。1990年1月10日に初飛行。1991年から運用を開始。旅客型のほか、貨物専用型、貨客混載のコンビ型なども生産された。

改良点としては、胴体の延長 (5.66 m) ・主翼端へのウィングレットの装着・コクピット内の改良(グラスコックピット化)などがなされた。エンジンはDC-10と同じく、主翼下に2基、垂直尾翼の基部に1基の計3基搭載している。重心位置の変更により、DC-10と比べて水平尾翼が7割程度の大きさに小型化されているのも特徴である。

この機体以降、3発エンジンワイドボディ旅客機は開発されておらず実質上「最後の3発エンジン大型旅客機」となっている。また定期運航用で使用された中で唯一、航空機関士を要しない2人乗務の3発エンジン旅客機である(厳密に言えば、DC-10のコクピットとアビオニクスをMD-11のものへ置き換えたMD-10も2人乗務の3発機旅客機であるが、MD-10は貨物専用機として使用されているのみ)。

沿革[編集]

開発の経緯[編集]

胴体延長型の構想[編集]

マクドネル・ダグラスでは、1970年に3発式のワイドボディジェット旅客機であるDC-10を初飛行させており、当時のライバル機であるロッキードL-1011トライスターの販売合戦には勝っていたものの、1970年代以降の航空旅客数の大幅な増加により、当時としては超大型機であったボーイング747には発注数は及ばなかった[1]。しかし、アメリカ空軍から派生型となるKC-10エクステンダーの受注を得ていたことから、生産ラインの維持には成功していた[1]

DC-10は航空会社の要望に応える形で、各種の派生型を揃えていたが、それらは翼幅などの拡大はあったものの、どの型も胴体は共通であった。DC-10では当初から胴体延長(ストレッチ)を考慮した設計としており[2]、40フィート(12.19メートル)までは無理なく胴体延長できるように、40フィート延長しても離陸時の機首上げの際に尾部が接地しないような形状としていたのである。

しかし、航空会社からのまとまった注文がなければ胴体延長型の開発には着手できない。マクドネル・ダグラスは1973年に「スーパーDC-10」と呼ばれる、胴体を25フィート(7.62メートル)延長した仕様と40フィート延長した仕様を提案していた[2]が、これに関心を示す航空会社はなかった。

次に胴体延長型の提案がされたのは1979年で、以下の3タイプが提案された[2]

  • DC-10スーパー61
    胴体を40フィート延長、座席数は各クラス合計で390席とする。アメリカ国内線用として短距離での大量輸送を図ったモデルで、最大離陸重量は52万ポンド(235,870キログラム)。
  • DC-10スーパー62
    胴体を26フィート(8.13メートル)延長、座席数は各クラス合計で350席。主翼の翼幅を14フィート(5.49メートル)拡大し、DC-10-30では2輪であった中央脚を4輪とした上で、搭載エンジンのパワーアップにより、最大離陸重量は62万ポンド(281,230キログラム)まで高めた上で、航続距離はDC-10-30と同レベルを確保する。
  • DC-10スーパー63
    上記のスーパー61の胴体とスーパー62の主翼を組み合わせたもので、スーパー61の航続性能向上型に相当。

胴体を40フィート延長した場合、全長は67.21メートルとボーイング747(全長70.7メートル)に近いものとなる。マクドネル・ダグラスでは運航経費や1座席あたりの燃料消費もボーイング747より低減できるとして売込みを図った[2]が、ユナイテッド航空ノースウエスト航空が関心を示した[2]ものの、発注には至らなかった。

さらに、マクドネル・ダグラスではDC-10スーパー30・スーパー40というモデルの提案を行なった[2]。これは胴体の延長は18.4フィート(5.61メートル)にとどめ、主翼はベース仕様となるDC-10-30・-40のままでエンジンのパワーアップを行なうというものであった[2]。また、胴体延長型とは別に、DC-10スーパー10と呼ばれる仕様の提案もされた[2]が、これはDC-10のエンジンを推力20トンクラスのエンジンに変更した上で、主翼にウイングレットを追加することで、巡航性能及び経済性の改善を図るものであった[2]

旅客機のハイテク化の波[編集]

一方で、1980年代に入ると、ワイドボディ旅客機のハイテク化が進むようになった。ボーインググラスコックピットを採用し、航空機関士の乗務を不要としたボーイング7671981年に初飛行させ、次いでエアバスも同様に航空機関士の乗務が不要なA3101982年に初飛行させた。さらに、ボーイング747も1985年にグラスコックピットを採用したボーイング747-400の開発を発表した。以後の旅客機では、機体の大きさに関わらず操縦士は2人乗務が常識となってゆくということになるが、これはその前兆でもあった。

このような流れの中では、航空機関士の乗務が必要な3人乗務機であるDC-10の販路が狭くなることは必至であり、マクドネル・ダグラスは対抗する機種を市場に送り込む必要があった[1]

そこで、マクドネル・ダグラスでは1982年にMD-100と呼ばれるDC-10の発展型を提案した[2]。この案では、グラスコックピットの採用により航空機関士の乗務を不要とし、全ての仕様にウイングレットが装備されることになった。この時には以下のような仕様が提示された。

  • MD-100-10
    DC-10の胴体を5フィート(1.52メートル)短縮して自重を軽減
  • MD-100-20
    DC-10の胴体を21.7フィート(6.61メートル)延長
  • MD-100-30
    DC-10の胴体を40フィート(12.19メートル)延長

しかし、これらの提案に対して発注した航空会社がなく、1983年11月にMD-100の計画中止が決定された[3]

それでもマクドネル・ダグラスはDC-10の発展型の開発を完全にあきらめたわけではなく、1984年にはMD-XXXとして検討を再開した[3]。その後この発展型はMD-11Xという名称に変更された[3]が、当初の案では開発費用が多額になるグラスコックピット導入やウイングレット装着を見送り、DC-10と同じ胴体を持つMD-11-10型と、胴体を22.5フィート(6.86メートル)延長するMD-11X-20型を作ることになっていたが、その後グラスコックピット導入という方針に変更された。

ローンチ[編集]

1985年6月のパリ航空ショーにおいて、マクドネル・ダグラスはMD-11Xの開発構想を発表した。この時点では、グラスコックピット導入により航空機関士の乗務を不要とするとともに、旅客定員と貨物搭載量の増加、真空式便所の設置などを特徴とする中長距離機という位置づけであった。同年7月29日には航空会社への売り込みも承認され、同年末までにはウイングレット装着を行なうことに変更されるとともに、DC-10と同じ胴体の仕様は設定せず、胴体の延長は18.6フィート(5.67メートル)とした仕様を標準仕様とすることになった。

この時点でほぼ仕様は固まり、確定発注52機・オプション40機の受注を集めたことにより、1986年12月30日にMD-11の名称によりローンチが決定されたのである。

マクドネル・ダグラスでは、MD-11の導入メリットとして、次の2点を挙げていた[4]

  1. 大型4発機と航続距離と搭載量(ペイロード)が同等であり、搭載エンジン数が少ない分だけ燃料消費と整備コストが低減できる。
  2. 大型双発機と航続距離とペイロードが同等であり、洋上飛行の制限がないために柔軟な経路設定が可能。

開発の難航[編集]

MD-11では、機体形状や後方の第2エンジンの取り付け方法などはDC-10をそのまま引き継いだ。これは開発のコストや期間を削減するには当然と考えられた方策であった[4]

しかし、開発は大幅に遅れた。ローンチ当初、1号機は1989年3月ごろに初飛行という予定であったが、マクドネル・ダグラス社内組織の大幅な改編などが影響し、作業が進まなかったのである[5]。ロールアウト時にも特別な式典などは行なわず、実際に初飛行したのは1990年1月10日と、9ヶ月遅れとなった。

さらに、飛行テストを進めていくにつれ、ローンチ当初に航空会社に約束していた性能に達しないことが明らかになってしまった。それは機体の空気抵抗が多少高めであったことも影響していたが、エンジンの燃費率が予想より高いうえ機体の自重が設計値よりも4,000ポンド(1,800キログラム)ほど超過していたのだ。

ローンチ当初のMD-11の性能は、7,000マイル(12,960キロメートル)の区間を飛行する場合、61,000ポンド(27,670キログラム)のペイロードが可能なはずであった[5]。しかし、ゼネラル・エレクトリックCF6型エンジンを搭載した機材の場合、7,000マイルの飛行で許容されるペイロードは48,500ポンド(22,000キログラム)で、乗客に換算すると60人分の減少に相当した[5]。また、61,000ポンドのペイロードでは6,500マイル(12,040キロメートル)となった。プラット・アンド・ホイットニーPW4000型エンジン搭載の場合はさらに航続距離が6,270マイル(11,610キロメートル)となった[5]

マクドネル・ダグラスではエンジンメーカーへ性能向上や燃費改善を迫る[6]一方で、自重の減少や空気抵抗の低減策をまとめた(後述)が、既に開発が遅れている中、実際に適用されるのがさらに2年先ということになった[6]。このため、シンガポール航空をはじめとして発注をキャンセルする航空会社もあった[6]。また、キャンセルとはならなかった航空会社へも、計画遅延と性能不足に対しての賠償責任まで生じることになった[6]

販売不振[編集]

1990年11月8日に型式証明を取得し、同年11月29日にはフィンランド航空への引渡しが開始され、同年12月20日にはフィンランド航空で商業運航が開始された。

その後も販売数は伸びなかった。前述の通り、予定性能に達しなかったためにネガティブな印象となってしまった[6]ことも一因であるが、3発機自体が中途半端な位置づけになってしまったのである[7]

ローンチ当初に説明された、大型4発機と比較した利点において、確かにMD-11の長距離仕様 (MD-11ER) では7,144マイル(13,228キロメートル)の航続距離を有し、ボーイング747の航続距離(7,135〰7,284マイル)と比較しても遜色はない[7]。しかし、乗客定員はボーイング747と比較すると少なくなるため、座席あたりのコストが高くなってしまう[7]。座席数を増加させると、今度は航続距離が短くなってしまう[7]。このため、航空会社はボーイング747導入に動くことになった[7]

一方で、大型双発機と比較した場合の利点についても、双発機の洋上飛行について運用拡張が認められることになり(ETOPS認定)、エンジン1基が停止した際に着陸できる空港までの所要時間として認められる時間が、当初は120分程度だったものが180分に延長されると、それまでMD-11が運航されていた路線が双発機でも運航できることになった[7]ボーイング767777エアバスA300-600Rなど、同程度の乗客定員の旅客機は双発機であり、経済性の観点から航空会社は双発機を選ぶようになったのである[7]

こうして、ボーイングはボーイング747と双発機で、エアバスも双発機を送り出し、着実に市場シェアを確保していった[8]。特にエアバスのシェアは、マクドネル・ダグラスのシェアを奪い取る形で拡大された[9]。それに対して、マクドネル・ダグラスには3発機のMD-11しかなかったのである[8]

生産終了[編集]

1990年代に入ると、マクドネル・ダグラスの業績は悪化し、他のメーカーとの協力や合併などがささやかれることになった。最終的には1997年8月4日付で、ボーイングとマクドネル・ダグラスは合併した。合併当初、ボーイングでは「マクドネル・ダグラスの製品群はそのまま受け継ぐ」と発表していた[9]が、わずか3ヶ月後の1997年10月に、ボーイングは「MD-11については新たな受注を行なわない」と発表した[9]

最終号機の引渡しが行なわれたのは2000年8月24日[9]で、MD-11は生産開始からわずか10年で製造終了となった。初飛行の時点では確定発注126機・オプション発注189機あった[6]が、最終的に製造数は全ての仕様を合計しても200機という結末であった。

機体[編集]

構造概説[編集]

DC-10の第2エンジン周り。テイルコーンは丸みを帯びている MD-11の第2エンジン周り。平板状となったテイルコーンと面積を縮小した水平尾翼も見える
DC-10の第2エンジン周り。テイルコーンは丸みを帯びている
MD-11の第2エンジン周り。平板状となったテイルコーンと面積を縮小した水平尾翼も見える
主翼に装備されたウイングレット

前述の通り、開発コスト低減のため、製造設備などはDC-10のものがそのまま活用される事になったため、基本的な機体構造はDC-10とは大きく変わるところはない。

胴体はDC-10よりも18.6フィート(5.67メートル)延長され、3クラスでの標準座席数は298席となり、DC-10と比較すると40席ほど増加することになった[10]。また、胴体後端のテイルコーンの形状は、DC-10では丸みを帯びた形状であったのに対し、平板状とされた。

主翼端にはウイングレットが装備された。これは巡航時の誘導抵抗減少を図ったもので、高速巡航時の空気抵抗が3%減少した[10]

空気抵抗低減策として、マクドネル・ダグラスがもっとも強調したのは水平尾翼(スタビライザー)の面積縮小である[11]。これは、他機に比べて揚力中心を機体の重心により近づけることとし、水平尾翼の面積をDC-10と比較して30パーセント減少させることによって空気抵抗を減少させるという方策で、空気抵抗が2パーセント、重量も0.5パーセント減少する[11]。一般的に大型航空機は機体重心より後方に揚力中心が有る。このことで尻上がりの姿勢を取ろうとするため、その姿勢を矯正すべく水平尾翼には下向きの揚力を生じさせる(スタビライザーとの命名理由である)。水平飛行中であっても水平尾翼には下向き揚力が生じており、主翼で発生している上向きの揚力を常に下方へ減じている。この上向き揚力の一部相殺は、機体全体の空力特性には抵抗成分として現れる(ただし縦方向の外乱に強くなる)。マクドネル・ダグラスが採った水平尾翼の面積縮小は、この抵抗成分(空力的なロス)の減少が目的であった。副次効果として機体重量も前述のように減少した。また、水平尾翼内部も燃料タンク(すなわち重し)とすることで機体尾部に下向きの力を加え、さらなる水平尾翼の面積縮小を企図した。この副次効果として当然に航続距離も延び、水平尾翼内のタンクまで全て満たした場合の燃料搭載量は240,000ポンド(108,000キログラム)である[12]。ただし、水平尾翼の面積縮小は縦方向(ピッチング)の飛行安定性を減じてしまうため、フライ・バイ・ワイヤ操縦システム側でソフトウェア的に外乱対策を行なうことになった。


エンジン[編集]

エンジンはプラット・アンド・ホイットニー PW4460またはゼネラル・エレクトリック CF6-80C2D1Fを選択できる。開発当初にはロールス・ロイストレント650エンジンの選択も考慮されていたが、発注はなかった。

第2エンジンの装着方法はDC-10と同様で、垂直尾翼をエンジンとダクトで串刺しにしたような配置となっている。

性能改善対策[編集]

MD-11のテスト飛行中に発覚した性能未達は、MD-11の販売上重大な支障となった。マクドネル・ダグラスでは、飛行性能の問題を改善し、開発時に保証した性能を発揮できるようにするために、パフォーマンス・インプルーブメント・プログラム(Performance Improvement Program、以下略して「PIP」と表記する)と呼ばれるプロジェクトを開始した[6]

PIPの改善内容は、燃料タンクの容量増大や第二エンジンダクト形状、フラップトラックフェアリングの形状変更といった大掛かりなものから、ワイパー停止時の向きのような細かいものまで多岐に渡っており、1993年以降数次にわたって公表された。これらの改善策は生産ライン上にあった機体に反映されるだけではなく、一部の改善項目は既に引渡しが行なわれた機体にも適用(レトロフィット)することが可能となっていた[6]

操縦システム[編集]

各席にCRTディスプレイが横に3つ並んだグラスコックピット

マクドネル・ダグラスのワイドボディ旅客機としては、初めてグラスコックピットが採用された。これにより、エンジン等の監視についてはコンピューター制御されることになり、航空機関士の乗務は不要となった。コックピットからアナログ計器類が大幅に減少したため、DC-10とはコックピット内の印象は大きく変わることになった。その一方で、スラストレバー周り(センターペデスタル)の装備品については、DC-10から大きく変わっておらず、フラップの下げ角度を1度刻みに設定できる「Dial a Flap」システムもDC-10から継承されている。

また、MD-11ではさらに自動化を進めるため、以下の3システムを導入した。

LSAS[編集]

Longitudinal Stability Augmentation Systemの略、「エルサス」と呼ばれる[13]。日本語で表現すると「縦安定増加装置」である。

前述のように、空気抵抗を減少させるための方策として、水平尾翼の面積をDC-10と比較して30%減少させたが、そのままでは縦方向に対する安定性が損なわれる。LSASはこれを補うために装備されたシステムである。自動操縦装置の作動中に機体の角度を一定に保つほか、操縦士の手動操縦時に操縦桿に力がかからなくなると、その時の機体角度を保つ機能を有する[14]

このシステムはMD-11にとっては重要なシステムで[11]、4重系統となっているうちの3系統が動作しなくても、残る1系統が正常動作していれば有効に作動する[11]

RCWS[編集]

Roll Control Wheel Steeringの略。

水平安定性を維持するためのシステムで、このシステムは自動操縦装置の作動中に機体の傾きを30度以内に保つほか、手動操縦時に30度を越える角度へ傾けようとすると操縦桿の操作を重くし、操縦桿から力を抜くと、直ちに30度まで傾き角を戻す機能を有する[14]

テイル・フューエル・マネージメント[編集]

MD-11では、水平尾翼の内部も燃料タンクとすることで航続距離の延長を図ったが、燃料の減少に伴い重心位置が移動することになる。これを補いつつ、重心位置を燃料の残量に関わらず一定に保ち、巡航性能を向上させるため、FSC(Fuel System Controller)と呼ばれるシステムを採用した。

これは、主翼・胴体の燃料タンクと水平尾翼内の燃料タンクとの間で燃料を移送するシステムで、2つの燃料タンクの残量が60,000ポンド(27,000キログラム)以上の場合に機能する[14]。また、燃料が凍結しないために、30分毎に主翼のタンクと水平尾翼のタンクの燃料を循環させる機能も有している[14]。また、水平尾翼のタンクの燃料残量が15,000ポンド(6,250キログラム)以下になると、水平尾翼内の燃料を全て主翼内のタンクに移送する[14]

客室[編集]

登場当時の標準的な座席配置はエコノミークラスは横9列(2列-5列-2列か3列-4列-2列)の配置で、荷物棚(オーバーヘッド・ストウェッジ)は窓側座席だけではなく中央列上にも設けられ、1区画の長さを80インチ(2.3メートル)と大型化した。これは長尺の荷物も収容できるようにしたためである[15]

また、機内の座席配列などの配列に柔軟性を持たせ、客室仕様の変更を最大18時間で行なうことが出来るように考慮された[15]。なお、これはエコノミークラスに個人用テレビなどのエンターテインメント設備がない場合である。

操縦特性[編集]

操縦が難しい機体[編集]

操縦特性としては、乗りこなすことが比較的難しいとの評価がある。同等の航空機に比べて高い速度(フラップ35度の設定で147ノット(時速272キロメートル)[16])での着陸を余儀なくされるために、着陸時のコントロールが難しくなっているようである。「操縦が難しい機体である」と、一部のメディアでは報道された[17]

設計思想の誤り[編集]

前述の構造概説で記述したように、MD-11では空気抵抗の減少のために重心を後方に移動することで水平尾翼の小型化を行なった。しかし、重心を後方にずらす手法は、主に戦闘機などで用いられる縦方向の動作を鋭敏にするための機動性重視の方策[11]、旅客機においては妥当な設計思想ではなかったといわれている[18]

縦方向の安定性が悪い上、それをフォローするためのLSASと自動操縦装置が外れると、操縦士ではリカバリーが困難となることが後に判明した[18]後述する事故以外にも、自動操縦装置を切ると激しい上下動を繰り返す事例が報告されている[18]

MD-11 擁護論[編集]

しかしその一方で、MD-11を好みフィンエアーで長年機長をつとめたトニーオ・ランクドルフによると、MD-11の特性とは離陸時の機体角度調節の滑らかさであるという。香港・啓徳空港(現在閉港)のような急な離陸角度を必要とする空港でも難なくつとめることができたのはMD-11の機体角度調節システムのおかげだとして、ハイテク化が進む現在の機材には無い美しいローンチングが可能だという。トニーオ・ランクドルフの引退とともにフィンエアーでの旅客型MD-11の使用は終わった。

仕様[編集]

主な仕様の比較については主要諸元表を参照。

開発された仕様[編集]

MD-11(基本型)[編集]

MD-11の基本仕様。最大離陸重量は当初計画では605,500ポンド(274,650キログラム)であったが、前述の性能改善対策だけではまだ不足であるため、段階的に引き上げを行なった結果、最終的には630,500ポンド(285,990キログラム)となった[19]。また、当初は空だった翼端まで主翼の燃料タンクを拡大し、さらにオプションで床下貨物室に補助燃料タンクを増設できるようにして、航続距離の延長に対応した[19]。基本型の生産機数は最終的に132機となった。

MD-11ER(航続距離延長型)[編集]

基本型の最大離陸重量は最終的に630,500ポンド(285,990キログラム)として[19]まで引き上げられたが、オプションの補助燃料タンクを2個増設した仕様は、航続距離延長型(Expanded Range、ER型)として区別された。CF6型エンジン搭載仕様がガルーダ・インドネシア航空に2機[5]、PW4000型エンジン搭載仕様がワールド・エアウェイズに2機[5]導入された。

MD-11C(貨客混載型)[編集]

機体前方を客室、機体後方を貨物室として胴体後部の側面に幅4.06メートル・高さ2.59メートルの貨物扉を設置した。客室と貨物室の比率は変更することが可能[19]。アリタリア航空が5機導入[20]

MD-11F(貨物型)[編集]

胴体前方の側面に幅3.56メートル・高さ2.59メートルの貨物扉を設置し、床を強化した純貨物型仕様。床上貨物室の容積は440立方メートルで、カーゴパレット26枚の搭載が可能で、床下貨物室の容積は158立方メートル。受注機数は53機で、2000年8月24日ルフトハンザ・カーゴに導入された機体が、MD-11最後の新造機となった[9]。なお、その後も旅客型から貨物型への改修が行なわれている。

MD-11CF(旅客・貨物転換型)[編集]

旅客用と貨物用の転換が可能な「コンパーチブル型」で、貨物型と同様に胴体前方の側面に幅3.56メートル・高さ2.59メートルの貨物扉を設置しているが、客室窓・乗降扉もそのまま残されている。床上キャビン(旅客仕様なら客室、貨物仕様なら貨物室)の容積は410立方メートルと純貨物型よりやや少ない[20]。新造されたのは6機で、マーチンエア・ホーランドとワールド・エアウェイズのみ導入[19]。旅客型からの改造も行なわれている[20]

計画のみの仕様[編集]

MD-11LR(Long Range、長距離仕様)[編集]

翼端を3.6メートルずつ延長した上で中央脚を4輪として、8,000マイル(14,820キロメートル)の航続距離を得る計画だった[20]

MD-11ストレッチ仕様[編集]

胴体を主翼の前後で合計34フィート(10.36メートル)延長する仕様。3クラスで最大337席、エコノミークラスを増やした2クラスであれば474席を設けることが出来る計画だった[7]

パノラマキャビン仕様[編集]

MD-11ストレッチ仕様の前方床下貨物室を客室として使用することで、さらに旅客定員の増加を図ったモデル。階下席にはビジネスクラスで2列-2列の配列で66席、エコノミークラスを2列-3列の配置とすると99席が設置できる計画であった[7]

MD-11XX[編集]

胴体を主翼の前後で合計12フィート(3.6メートル)延長した上で、後退角をやや小さめにした上でアスペクト比を高める新設計の主翼を組み合わせるものであった[20]

販売成績[編集]

貨物機として使用されるUPSのMD-11

総生産数は200機で、現在は貨物機で使われている割合が多い。マクドネル・ダグラスがボーイングに吸収された際には「貨物機の需要がある」として生産の継続が検討されていたが、2001年2月に、販売成績が思わしくないことと、貨物型の需要も既に就航している旅客型からの改修で満たせること、ボーイング社の777と競合することなどから200機で生産が中止された。生産開始からわずか10年間しか製造されなかった。

販売成績が伸び悩んだ理由は、いざ飛行試験が始まると空気抵抗が予想以上に大きく、またエンジンの燃費も予想以上に悪かったこと、さらには機体重量が予定を大幅にオーバーしてしまいユーザーとなる航空会社を満足させられなかったこと、ETOPS規制の大幅緩和により飛行ルート選択における双発機に対するアドバンテージが失われたこと、生産が開始される前に、より経済性の高いエアバス社のA330A340ボーイング社の777などの開発が開始されたためである。

これらのライバル機材の開発の開始により、大量の発注を行っていたシンガポール航空など複数の航空会社がMD-11の発注をキャンセルしたり、オプション発注のキャンセルを行った。また就航してからも、日本航空やタイ国際航空、大韓航空やアリタリア航空のように、保有しているMD-11を売却をしてこれらのライバル機を購入したり、保有はするが旅客機ではなく貨物機として運航するということが相次いだ。

マクドネル・ダグラスは当初の設計目標を達成するため、前述のように生産中に様々な改良を行っているが、社会的信頼を大きく失ってしまったのも事実であり、最後まで業績を回復することはできなかった。

現在は、旅客機としての役目を終えた機体の多くが貨物会社に売却されて貨物機に改造され活躍している。旅客機としては不人気でも、貨物機としては、胴体の幅が大きいことと3発エンジンのため貨物搭載量が多いことから使いやすいので需要が旺盛である。しかし一方では、このことが旅客機としての活躍期間を縮めてしまったという声もある。

導入した航空会社(一部)[編集]

フィンランド航空MD-11(ムーミンの特別塗装)OH-LGB[21]

現役[編集]

退役[編集]

日本におけるMD-11[編集]

日本航空[編集]

日本航空のMD-11
日本航空のMD-11

日本航空会社では日本航空(JAL)が国際線専用機材として10機を導入し、およそ10年間にわたって運航した。

導入された10機には「J-bird」の愛称が与えられ、リアエンジンのインテーク部には「J Bird」のロゴが入れられた。そして各々の機体には日本の貴重な野鳥の名称が付けられ、さらにウイングレットにはボーイング747-400と同じく「JAL」のロゴと、それに加えて各機体に付けられた野鳥のイラストが描かれた。

同社では短・中距離仕様と長距離仕様の2タイプを各々5機ずつ導入した。前者は中・短距離のアジア・ホノルル線で使用させているDC-10-40の後継機として、後者には747-400だとキャパシティオーバーになる長距離欧米路線に投入するための新型中型機材としての役割が与えられた。選定されたエンジンは、同社の747-400や767-300ERなどと同じGE社製のCF6-80C2ではなく、DC-10-40と同じP&W社製のJT9D系を進化させたPW4000系(PW4460)を選定した。

1993年11月29日に米国のマクドネル・ダグラス社で1号機を受領。翌1994年4月1日の羽田発鹿児島行きで就役し、国内線でしばらく運航されたのち導入された全機が国際線で運航された。短・中距離路線では747クラシックやDC-10-40、767-300などと、長距離路線では747-400と共に活躍した。

しかし、ボーイング777やエアバスA330などの双発中型機がETOPSの規制緩和の恩恵を受けるようになると情勢が一変し、経済性で劣る3発機でそれらに対抗するのは不利な状況となっていた。2000年頃、それらの状況をうけて日本航空はMD-11の退役を決定し、その後継として双発機のボーイング767-300ERの追加導入と777-200ERの新規導入を決定した。そして2002年から777-200ERの導入がはじまると、MD-11はそれらの導入が進むにつれて中距離路線仕様から退役がはじまり、2004年10月12日の香港発成田行き730便(担当機材はJA8582)をもって全機が退役、10年6ヶ月の営業運航を終了した。これは先輩格に当たるDC-10(2005年に全機退役)よりも早く、さらに10年程度の運航期間はコンベア880以来となる“短命”機にもなった。

その後、日本航空より引退した全機がアメリカの貨物専門航空会社「ユナイテッド・パーセル・サービス(UPS)」へ移籍した。移籍後は貨物専用機に改造されて現在もUPSの主力機材として活躍しており、日本発着路線にも投入されている。

なお、2004年10月のラストフライトを担当したJA8582のみ当時の日本航空のCIカラー(サンアーク塗装)に塗り替えられたが、それ以外は全て旧鶴丸塗装での退役となった。また、オプション分10機の購入は前述の時代背景等もあり見送られている。

運航機 機体記号 型式 製造番号 愛称 登録年月日 退役年月日
1号機 JA8580 MD-11 48571/552 エトピリカ 1993/11 2002/9 退役(現N272UP)
2号機 JA8581 MD-11 48572/556 ヤイロチョウ 1993/12 2002/7 退役(現N271UP)
3号機 JA8582 MD-11 48573/559 タンチョウ 1994/3 2004/10/12 退役(現N279UP)
4号機 JA8583 MD-11 48574/566 イヌワシ 1993/8/11 2003/5 退役(現N273UP)
5号機 JA8584 MD-11 48575/568 ヤンバルクイナ 1994/9/13 2003/6 退役(現N274UP)
6号機 JA8585 MD-11 48576/574 クマタカ 1995/4/4 2002/11 退役(現N270UP)
7号機 JA8586 MD-11 48577/583 コウノトリ 1994/4/11 2004/8/4 退役(現N278UP)
8号機 JA8587 MD-11 48578/588 ノグチゲラ 1995/6/28 2004/5 退役(現N277UP)
9号機 JA8588 MD-11 48579/599 オジロワシ 1996/4/3 2003/10 退役(現N276UP)
10号機 JA8589 MD-11 48774/610 ライチョウ 1997/3/ 2003/7 退役(現N275UP)

乗り入れ航空会社[編集]

旅客機では、1990年代にはアメリカン航空デルタ航空ヴァリグブラジル航空など多数の航空会社が定期乗り入れ機材として運航したものの、2009年現在では、フィンランド航空関西国際空港に乗り入れるのみとなっていたが、A340へ変更されたため日本国内空港から旅客型の乗り入れが消滅した。現在貨物機ではユナイテッド・パーセル・サービスやフェデラルエクスプレス、ルフトハンザカーゴなど多数の航空会社が日本へ乗り入れている。

付記[編集]

事故[編集]

MD-11は第四世代ジェット旅客機(アドテク機)の中で最も事故発生率が高かったとの指摘もある。実際、同世代のボーイング747-400エアバスA330エアバスA340ボーイング777は運航機数が多いにもかかわらず、大破した事故が1-2件なのに比べると大破、墜落する事故が多く、しかもそのうち操縦ミスが原因の事故が4件をしめている。また巡航中に乱高下する重大インシデントも発生していることから操縦系統が敏感すぎることが原因であったといわれている。操縦特性の項目でも触れているように、同等機に比べてMD-11は「操縦が難しい」機体という評価が多い。

全損事故[編集]

2010年8月現在、MD-11の全損事故は8件発生している。そのうちフェデックスの事故だけで3件を占めており、いずれも着陸時の事故である。また機内火災1件以外の7件はいずれも離着陸時に発生しており、うち3件は横転している。

  • 1999年4月15日:中華人民共和国上海から韓国ソウルに向けて離陸した大韓航空6316便(HL7373)が、機長が飛行高度が高すぎると誤った認識をし、急速に操縦桿を押して下げようとしたために失速、上海郊外の住宅地に墜落。乗員3名と地上にいた5名が死亡。
  • 2009年3月23日:中華人民共和国の広州発、成田国際空港行きフェデックス80便が、成田国際空港A滑走路に着陸しようとした際、ウインド・シアにより滑走路上で2度のバウンド後、左に横転して転覆、大破・炎上し滑走路脇へ停止。乗員2名全員死亡。同空港内における開港以来初の全損及び死亡事故となった(フェデックス80便着陸失敗事故)。
  • 2009年11月28日:上海浦東国際空港からキルギス行きジンバブエのアヴィエント・アヴィエーションの貨物便が離陸失敗、爆発炎上。乗員7名中3人死亡、1人重傷、3人軽傷。同空港内における開港以来初の全損及び死亡事故となった。

その他の事故[編集]

ほかにも墜落には至らなかったが、巡航中に不安定となって死傷者を出した事故も発生している。

  • 1993年4月6日、上海からロサンゼルスに向かっていた中国東方航空583便(B-2171)が、太平洋上空を飛行中、乗組員が前縁フラップのレバーに誤って触れ、フラップが前方に稼動したため機体は上下に揺れ、下降と上昇を何度か繰り返した後、5000フィートまで高度を落とした。この乱高下事故で2名の乗客が死亡、149名の乗客と7名の乗組員がケガをした。そのうち乗客1名が両脚不随に、客室乗務員1名が頭に重傷を負った。事故による機体外部の損傷はなかったが、客室内は大きな損傷を受けた。なお、この事件を題材にアメリカ合衆国の小説家マイケル・クライトンは、『エアフレーム -機体-』(日本語版:早川書房)を発表[22]している。
  • 1997年6月8日、香港から名古屋に向かっていた日本航空706便が、着陸降下中であった志摩半島上空で突如乱高下し、多数の乗員乗客が負傷した。負傷者のうち乗員1名が1年8ヵ月後に事故による昏睡状態から回復することなく死亡した。運輸省航空事故調査委員会(当時)は機長の不適切な操縦が事故を招いたとしたが、後の刑事裁判では事故機特有の操縦システムの不具合が原因であるとして、機長は無罪になった。そのため現在でも事故原因をめぐり争いがある(日本航空MD11機乱高下事故)。

主要諸元表[編集]

MD-11 MD-11F MD-11C MD-11ER
乗客数(1クラス) 410 - - -
乗客数(2クラス) 323 - 204 -
最大離陸重量 602,555 lb (273,314 kg) 630,500 lb (285,990 kg) 620,350 lb (283,700 kg) 630,500 lb (285,990 kg)
航続距離 12,633 km 7,242 km 12,392 km 13,408 km
就航マッハ数 0.87 (約1050km/h)
全長 61.21 m (200 ft 10 in)
翼幅 51.66 m (169 ft 6 in)
全高 17.60 m (57 ft 9 in)
エンジン P&W PW4460 ターボファンエンジン 267 kN (60,000 lbf) × 3、またはP&W PW4462 ターボファンエンジン 276 kN (62,000 lbf) × 3、またはGE CF6-80C2D1F ターボファンエンジン 274 kN (61,500 lbf) × 3
MD11v1.0.png

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『月刊エアライン』2001年2月号 p65
  2. ^ a b c d e f g h i j イカロス出版『旅客機型式シリーズ1 トライ・ワイドボディ・ジェット DC-10/MD-11 & L-1011』p69
  3. ^ a b c イカロス出版『旅客機型式シリーズ1 トライ・ワイドボディ・ジェット DC-10/MD-11 & L-1011』p70
  4. ^ a b 『月刊エアライン』2001年2月号 p66
  5. ^ a b c d e f イカロス出版『旅客機型式シリーズ1 トライ・ワイドボディ・ジェット DC-10/MD-11 & L-1011』p72
  6. ^ a b c d e f g h イカロス出版『旅客機型式シリーズ1 トライ・ワイドボディ・ジェット DC-10/MD-11 & L-1011』p73
  7. ^ a b c d e f g h i 『月刊エアライン』2001年2月号 p67
  8. ^ a b 『月刊エアライン』2001年2月号 p69
  9. ^ a b c d e 『月刊エアライン』2001年2月号 p70
  10. ^ a b イカロス出版『旅客機型式シリーズ1 トライ・ワイドボディ・ジェット DC-10/MD-11 & L-1011』p71
  11. ^ a b c d e 『月刊エアライン』2001年2月号 p52
  12. ^ 『月刊エアライン』2001年2月号 p63
  13. ^ 『月刊エアライン』2001年2月号 p44
  14. ^ a b c d e 『月刊エアライン』2001年2月号 p45
  15. ^ a b 『月刊エアライン』2001年2月号 p68
  16. ^ 『月刊エアライン』2001年2月号 p53
  17. ^ 着陸失敗のMD11型機、海外でも横転事故…難しい操縦性 yomiuri online、2009年3月24日付
  18. ^ a b c 『月刊エアライン』2001年2月号 p53
  19. ^ a b c d e イカロス出版『旅客機型式シリーズ1 トライ・ワイドボディ・ジェット DC-10/MD-11 & L-1011』p74
  20. ^ a b c d e イカロス出版『旅客機型式シリーズ1 トライ・ワイドボディ・ジェット DC-10/MD-11 & L-1011』p75
  21. ^ MD-11として、日本路線(関西発ヘルシンキ行)最後の旅客便を担当した機体である。
  22. ^ フィクションであるため、サスペンス仕立てになっているうえに、機種名もノートンN22となっているが、死者2名と壊滅的な客室破損を被っているなど、実際の事故と被害状況は酷似している

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 『旅客機型式シリーズ1 トライ・ワイドボディ・ジェット DC-10/MD-11 & L-1011』(イカロス出版・2000年)ISBN 4-87149-275-3
  • 『月刊エアライン』2001年2月号(イカロス出版)

外部リンク[編集]