会話

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人間同士は会話する
ジョージ・W・ブッシュと10歳のハンク少年
2006年10月18日

会話(かいわ)とは、2人もしくはそれ以上の主体が、主として言語の発声・手話・ジェスチャーなどによる意思表示によって共通の話題をやりとりするコミュニケーションや、あるいは話をする行為全般(内容・様式など)のこと。

概要[編集]

会話は話題の伝達を目的とせずに、話すことで共通の話題を共有したり、共通の時間を分かち合ったりすることに着眼点があるものである。また、話すことでストレスを解消する機能もある。

会話はしばしばキャッチボールに喩えられる。キャッチボールは向かい合った二人ないし複数人数が相互にボールを投げ、投げられたボールを相手が受け取って投げ返す遊びであるが、会話も相互に相手に話題を投げ掛け、その返答を期待するものである。片方が一方的に喋っていたり、お互いに相手の話題に関係なく自分の言いたいことを述べ合っているという「ラジオを2台ないしそれ以上並べて、別々の番組を流している」のと大差ないような場合は、会話の範疇には含まれない。このため会話の場合は「相手が話題を返し易いよう、その内容を選ぶ」という性質を持つ。

近年では電話インターネットといった通信媒体(→伝送路)の発達にも伴い、電話越しに会話したり、あるいはインターネット上のシステムの働きにより文字を介して行う電子掲示板チャットなどの様式も見られ、またこれらの発展系であるテレビ電話やボイスチャットも利用され始めている。またこういったシステムは、複数人数で会話する用途にも利用されており、単なる日常の話題から社会問題に関する議論まで、様々な話題での会話が見られる。

これらは個人に内在する情報を相互に投げ掛けあう性質のものであり、共通認識を育んだり、社会性を育んだりする一方、デマ風説集団思考(「集団浅慮」とも)のような誤情報の共有といった問題行動の一助ともなりうる行為でもある。

ただ問題面を考慮しても会話は多くの場合において好ましいものだと認識されており、また多くの者が好む傾向が見られる。

会話と学習・学問[編集]

会話は相互に相手の言葉を理解しながら返答を返すため、語学教育分野においてしばしばとられる手法である。その最も顕著な例が日本での英会話教室など語学教育の場で、任意学習であるにも関わらず、盛況を博すほどである。

またその一方で哲学の分野ではソクラテスの提唱した問答法のように、問答形式で行う学問があり、同様に日本でも仏教の範疇で禅問答に見るような問い掛けと答弁による宗教哲学の考察という分野が存在する。

会話は段階を追って思考検証しながら進めていくことにも繋がるため、物事を理解する助けにもなる。また他人と言う客観を挿むことで独善に陥ることが避けられもするため、より合理的な思考過程の上でも対話は有効である。

百科事典を含む辞書の編集では、しばしば客観性を維持するためにも編集者間で会話しながら編集作業が行われるが、ウィキペディアでもその編集過程において、ノートページを利用する形で編集者間の意見交換が行われており、常にリアルタイムでより合理的で良い品質の記事への研鑚が行われている様子が見られる。

会話とストレス[編集]

会話を行うことで、ストレスが低下する傾向はしばしば見られる。これはストレスの原因となっていることを吐露することで鬱憤も放出される一方、自分が如何にストレスに晒されているかを説明する上で、自身に内在する未整理の情報を少しずつ整理しながら話すことも会話中に行われ、これによりストレスの原因を客観的に理解することでその対処方法に対する答えも得易くなる効果が挙げられよう。

また会話することで相手の悩みを他人が理解する助けにもなる。これはカウンセリングでも行われる手法である。カウンセラーと会話することで、あるいはカウンセラーを交えながらも同じ悩みを抱くもの同士の集団で会話をすることで、ストレス軽減と問題の抑制が期待される療法も見られる。

ただ会話が苦手な者や、望まない相手との会話を強いられた者にとっては、この会話こそがストレスの原因ともなりうる。うつ病の場合では、過度の働き掛けが逆に症状を悪化させる懸念も見られるため、当人が会話を望んでいるかどうかにも注意が必要である。

関連項目[編集]