青木定雄

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青木 定雄(あおき さだお、1928年6月23日 - )は、日本実業家在日韓国人1世で、本名は兪奉植(ユ・ボンシク、유봉식)。元エムケイ会長、近畿産業信用組合代表理事会長。

目次

[編集] 略歴

韓国慶尚道生まれ。関西在日コリアン社会の代表的な人物として知られる。

  • 1956年(28歳) 倒産した勤務先・永井石油を引き継いだが展望は開けなかった。
  • 1960年(32歳) MKタクシーの前身であるミナミタクシー株式会社を創業。
  • 1977年(49歳) 桂タクシーを吸収合併しMKタクシー(エムケイ株式会社)を設立、MK株式会社代表取締役社長に就任。
  • 1994年(66歳) エムケイ代表取締役会長を退任。同会長になるとともに、経営を息子の信明、政明、義明に継承。同代表取締役社長は、実弟青木秀雄、次いで三木正雄が就任した。この年青木らは「企業内個人タクシー」制度を開始。これが後のいわゆる「給料0円裁判」の元凶となった。「企業内個人タクシー」制度は、現在の「MKシステム」と称する給与支払方法の基礎になっている。「給料0円裁判」の件でMKグループは、平成20年6月現在、元運転手及び現運転手から多数の民事提訴を受け、民事訴訟が係争中である。
  • 2000年(72歳)「MKグループ10万人雇用創造計画」を発表。後の2008年に長男信明も「MK一万人雇用計画」を発表。
  • 2001年(73歳) 6月、(総額8,670億円の公的資金が投入され、経営破綻した)3つの信用組合の事業を引き継いだ韓国系近畿産業信用組合の代表理事会長に就任。
  • 2002年(74歳) 5月17日、第154回国会 財務金融委員会にて、経営破綻した三つの信用組合の事業を引き継ぎ、青木が会長を務める近畿産業信用組合に関し、不自然な受け皿選定であったとの指摘を受ける(詳細は、下記「第154回国会 財務金融委員会」の質疑・答弁を参照)。
  • 2003年(75歳) 4月、長男信明(42歳)がエムケイの代表取締役社長に就任。
  • 2004年(76歳) 盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権下の韓国政府より、韓国国民勲章「無窮花章」を受勲。この件に関し、2004年6月24日付東洋経済日報は、「兪会長(青木)が韓国の国民勲章『無窮花章』を受けた時、その祝賀会の費用1,000万円が、近畿産業信用組合から出されたともいわれている」と報じた。この「無窮花(むくげ)章」は韓国政府によって国内外の韓国一般市民に与えられている勲章である。2007年10月には張本勲もこの韓国国民勲章を受勲している。この青木の受勲について、「青木自身が、自らの過去・経歴を一番よく知っているのであるから、韓国政府より受勲の打診があった時点で、これに対し辞退を申し入れるべきであったのであり、結果として青木は韓国国民勲章『無窮花章』に著しく泥を塗ってしまった」との指摘もある。
  • 2005年(77歳)
    • 3月13日、青木の次男政明(41歳、東京エムケイ代表取締役社長)が川崎市の東急田園都市線鷺沼駅構内で酒に酔って駅員に暴行をはたらき、全治10日間の軽傷を負わせ現行犯逮捕された。青木は翌14日に謝罪会見をおこなっている[1]。なお、次男政明はこの暴行傷害事件から僅か1年で東京エムケイ代表取締役社長に復帰している。
    • 8月25日、読売新聞報道によれば、MKグループ傘下の大阪エムケイは、同社の元運転手から労働基準法違反等の集団訴訟、いわゆる『給料0円裁判』を起こされた[2]。同訴訟については、平成21年8月現在においても係争中であり、MKグループ各社においては、平成20年7月現在、大阪だけではなく、名古屋、京都、東京の各地で同様の訴訟が多発し係争中である。特に名古屋ではエムケイに対し集団抗議行動なども行われた。
  • 2008年(80歳) 9月12日、次男政明(44歳、東京エムケイ代表取締役社長)が、同年4月9日午前8時半ごろ、従業員に対し暴行を加え全治2週間の傷害を負わせたとして、警視庁月島署に傷害容疑で書類送検されていたことが報道された(msn産経ニュース、時事通信社)。政明は3年前にも暴行傷害で現行犯逮捕されている。
  • 2009年(81歳) 6月9日、第171回国会 衆議院国土交通委員会で、MKグループについて、本格的に追及が行われた。MKグループのタクシー会社が通常実現不可能である増車と低運賃とを両立し得る、MKグループの実質的なリース制で、且つ超累進的な歩合給である給与体系について、穀田委員が追及を行った。この点詳しくは、下記「第171回国会 衆議院国土交通委員会 (2009年6月9日)」を参照。

(経歴は青木定雄の自伝、紳士録、MKグループホームページ「MKの歩み」、第154回国会 財務金融委員会議事録などから)

[編集] 第154回国会 財務金融委員会

第154回国会 衆議院財務金融委員会(2002〔平成14〕年5月17日)において、近畿産業信用組合に関連して青木のことについても議論がなされた。五十嵐文彦の質問と、それに対する村田吉隆(当時の内閣府副大臣)の答弁を部分的に抜粋する。なお、詳細については第154回国会 財務金融委員会の議事録を参照のこと[3]

五十嵐委員
「関西興銀と京都商銀を合わせた預金量は、実に近畿産業信用組合の50倍ですね。10倍のものをのみ込んで、さらに五十倍のものをのみ込んだという極めて異常な受け皿のバトンタッチが行われたわけですね。」(途中略)「この不自然な受け皿選定に際して」(途中略)
村田副大臣
「青木さんの中では、関西興銀について、あたかも何か引き受けを慫慂したような発言がございまして」(途中略)
五十嵐委員
近畿産業信用組合の今でも実質的なオーナーであります青木定雄氏との深い関係があったということは指摘をされているわけでありまして」(途中略)
五十嵐委員
「もともと、今言われた金融機関の会長さんは、前科十犯なんじゃないですか。そういう方が雪だるま式に膨れ上がっていく金融機関の会長職を務める、事実上支配できるというのは、私は大変問題だと思いますよ。その人と癒着関係にある人がいろいろ動いて、何にもありませんでした、一点の曇りもありませんなんという話は、世間では通用しないです。」(以下略)

[編集] 第171回国会 衆議院国土交通委員会 (2009年6月9日)

穀田委員
「今お話ししたように、MKの場合には、非連続でないかもしれないけれども、急カーブを描いてぐっと上がる。こういうことになれば、まさに究極の累進歩合給ではないか。刺激性の高いMKの累進歩合制が、ないしは類似行為がなぜ禁止されないのかということを私は言いたいわけです。多くの人たちがこれは理解に苦しむわけですよ。誘発する極端な長時間労働ということを言うのであれば、そこに着目すれば、MKが京都の中でも極めて長時間の労働を強いている実態や、急速なカーブを描いているということは、だれもが知っているわけですね。」
「そこで、もう一つ。このMKというのは、今言った累進歩合給で一方やると同時に、もう一つ、別なやり方をしているんですね。名義貸しという問題について少し触れたいと思うんです。」
「名義貸しの根本というのは、タクシー経営者とは、タクシー事業に係る損益の帰属主体として、みずからの危険負担のもと、事業遂行に伴うさまざまな責務を適切に全うすべき主体を指すという規定なんですね。これは、聞いているとなかなかわからないので、簡単に言えば、平たく言えば、事業をする上で損失等のリスクは事業者が負うべきである、労働者にそのリスクを背負わせることがあってはならないとしているわけですね、簡単に言うとそういうことですわな。これは名義貸しの行為の判断の基準であって、労働者性の担保にかかわる問題であります。そこで、MKのシステム支給基準を見ていただきたい。真ん中ですね。それは、運転手が負担する固定経費の中には、車両費や社会保険の事業主負担分、公課費という名目で事業主負担分が明記されています。車両保険費が含まれている。さらに、下の変動経費の欄には、燃料費、修理部品費、制服費、メーター費、シートカバー費まで含まれています。要するに、タクシー事業に必要な経費はすべて運転手が負担するという仕組みで、MK側はリース制と言ってはばかりません。このようなやり方が経営者として、先ほど述べた、みずからの危険負担をせずに、事業遂行に伴うさまざまな責務を適切に全うしていないということは明らかではないのか。」
「タクシーの需要が増大しないにもかかわらず、なぜ増車が続くのか、この根本原因は、歩合給、とりわけ累進歩合給の事実上の蔓延があるからなんですよ。また、低運賃競争がなぜ可能なのか、それは、事実上のリース制によって、収益が減るリスクは運転者に負わせ、経営者が損をしない仕組みとなっているからなんですよ。経営者は、運賃値下げもしくは増車によって一台当たりの営業収入が減っても、台数をふやすことによって売り上げを維持ないしは増加させることができるわけであります。つまり、歩合制、累進歩合制と事実上のいわゆるリース制をとっていること自体が、必然的に増車、値下げ競争が激化する産業構造なんです。ここがポイントなんですよ。」

[編集] 活動

[編集] タクシー業界の規制緩和について

日本におけるタクシー業界の規制緩和は、青木による運賃値下げ闘争から始まったといわれている。青木は運輸省によるタクシーの『同一地域内、同一運賃』の行政指導へ異を唱え、京都市内における一律のタクシー料金値上げにも単独反対し、タクシー料金値下げを単独断行した。1985年、青木は運輸省近畿運輸局に対し運賃値下げ訴訟をおこし、大阪地裁で勝訴、翌1986年に大阪高裁で和解した。和解により、1993年になってから、MKタクシーに対し運輸省によって全国初のタクシー運賃値下げ(10パーセント)認可がおこなわれ、近畿運輸局から認可書が交付された[4]

このため、青木は接客サービスの向上により旧弊の残るタクシー業界に新風を吹き込み、2002年のタクシー業界の規制緩和の『きっかけ』を創った人物として評価された時期もあり、青木自身も公演等においてこの点を特に強調している。

ただし、タクシー業界における規制緩和は、接客トラブルの増加、交通違反、都市部のタクシー台数増加による過度の交通渋滞、低賃金と過酷な長時間労働のもたらす過労による交通事故の顕著な増加、タクシー乗務員の自殺の誘因を作ったことなどの弊害を指摘されている。

警視庁交通部理事官は、「110番と事故処理で他の業務ができず、タクシーが地域の治安悪化の原因を作っている」と指摘している(東京交通新聞2009年7月20号3面など、ブログ「タクシーを語る」「警視庁が激怒した理由2009年8月7日」)。

また、第45回衆議院議員総選挙直前の2009年8月16日、読売新聞は、「収入減で『楽しみの酒を控えるようになった』『この選挙は規制緩和反対の我々にとって『一揆』に近い』と憤りを隠さない。離婚や自殺に追い込まれた仲間の思いまで、1票に込めるつもりだ」という個人タクシーの男性のインタビューを報じた。

現在、タクシー業界の規制緩和はニューヨークをはじめとする世界の主要都市で否定されている。タクシー会社の利益拡大と市場経済メカニズムとは融合し得ないため、タクシーの車輌台数や運賃などには、法及び公的機関などの一定の規律の取れた管理を必要とすることによる[5]。日本では2009年6月19日の参議院本会議で全会一致により可決成立したタクシー特措法によって実質的に否定された。

これはタクシー会社の収益構造に起因する。タクシー会社の利益は、売上に応じて運転手とタクシー会社が取り分を分け合う給与体系のため、タクシー会社側は次々増車して利益を確保しようとする。そして、この増車に伴い、タクシー会社各社においては限られた乗客の争奪戦が始まり、結果として簡単に『運賃値下げ』が行われがちである[5]

タクシー会社は一定の大きさの乗客の需要というパイの中で、極端な運賃値下げ競争と車輌台数増加を行い、自社の利益の最大化を追求する傾向になりがちである。それは市場原理による価格決定のメカニズムに基づき、タクシー利用者の需要に応じて、供給側であるタクシー会社がタクシー台数を増やすというものではない。

なぜならば、タクシー会社とその他の業種の会社とでは、売上高及び人件費にかかる利益の算出根拠が大きく異なるからである。この点言い換えれば、タクシー会社の利益は、各運転手の売上(水揚げ)にさほど影響を受けず、それよりタクシー会社の保有する(稼動する)タクシー車両の台数により大きく影響を受けるのである。タクシー会社の収益構造はこのように特異な性質をもっている。

エムケイにおいては、売上に応じて運転手とタクシー会社が取り分を分け合う単純な給与体系ではなく、運転手の当月の賃金が確定される前に、運転手の売上から経費及び会社の取り分を事前に差し引く、いわゆる「売上原価決定前の利益事前確定」という、企業会計の一般原則及び税法に反する経理手法であるため、同業他社と比べより一層、当該「極端な運賃値下げ競争と車輌台数増加」という現象が顕著である。

[編集] 経営の特色

かつて青木による独特の社員教育に注目が集まった時期があったが、近年ではMKグループと近畿産業信用組合における運転手や従業員の離職率が非常に高いことが公共職業安定所を通じて明らかになっている。MKグループの広報担当は離職率が高い理由について、「社員教育などが厳しいため」と説明しているが、現実には労働基準法にも満たない労働条件や、朝から全員大声を出したり拍手の練習をしたりといった独特の社員教育や、特有の社風及び洗脳的な社員教育に疑問を感じて退職していく者たちがいる。

青木の経営の特色は、低所得者層を主な乗客として取り込み、広く浅く収益を上げることであり、エムケイタクシーの低料金はこれを具現化したものである。問題点は、低賃金や無報酬および労働基準法にも満たない労働条件を従業員に強要していることである。

青木は会長退任後もMKグループ内で"オーナー"と呼称されている。これについて2004年6月24日付東洋経済日報は、「兼任違反の恐れがある。信用組合の経営者は、法的に他の企業経営を禁止されている。兪会長はMKグループのオーナーということだが、実質代表権を持っていることは、MKグループの京都路線バス参入問題で発言していることにも表れている」と指摘している。

[編集] 人物

[編集] 持論など

青木の持論については、「韓国は日本の経営者を見習うべきである」とされているが、この一方で、2005年に韓国のメディアの取材に対し「韓国民が意志を結集すれば、10年内に日本に追いつくことができる」等の青木の発言もあり[6]、それ故、青木は、韓国国民及び日本国民の、それぞれの対象ごとに持論・主張を変えている、との指摘がある。

また青木の持論は、「とりわけ、何よりも運転手の意識改革が先決だとの強い思いから挨拶と清掃を中心とした『基本』と『常識的なこと』の励行を徹底して行ったのです」(近畿産業信用組合の「きんさん新聞」2009年6月1日号、第155号)というもので、青木はこれを幾度も繰り返す。

しかし現実には、青木は、既存のタクシー運転手に教育を行い、又、意識を改革し、タクシー運転手に挨拶を行えるようにした訳ではない。名古屋地方裁判所が2008年12月16日の判決で事実認定したように、(子息を含む)青木は、もともと挨拶等の出来る業界未経験者に対し、虚偽の求人を行ない、雇い入れ、そして彼らに型にはまった挨拶の練習を行わせているだけであって、それ故、青木がいかにも既存のタクシー運転手の意識改革を実現できたかのような発言をすることは明らかにおかしいとの指摘が多い。

国の最高意思決定機関である国会(第154回国会 財務金融委員会)で、「今言われた金融機関の会長さんは、前科十犯なんじゃないですか。」と指摘される人物を、なぜ、8,670億円という巨額の公的資金、すなわち国民の税金が投入された金融機関のトップである会長職に就任させたのか、という非難は大変多い。

[編集] 家族・親族

  • 妻、文子(旧名:金本文子、本名 金貞順=キム・ジュンスン)との間に3男2女(長女・次女・長男信明・次男政明・三男義明)がいる[7]
    • 長男・信明は、京都市出身1961年生、京都商業高校(現京都学園高校)卒、昭和58年10月にエムケイ入社。取締役、専務などを経て平成14年11月から副社長であった。
  • 実弟青木秀雄は、1936年韓国生、55年来日、立命館大学法学部卒、元エムケイ取締役副会長、韓国語原書で韓国文部省青少年向け推薦図書の日本語訳『お金ではなくいのちですーもうひとつのMKタクシー物語』(いのちのことば社サイトブックス)の作者で、キリスト教徒。

[編集] 関連人物

  • 三木正雄
    昭和12年和歌山県生。昭和31年県立和歌山商業高校卒。同年住友銀行入行、松原・和泉・池田各支店長。平成2年、「エムケイ産業」専務、同3年「エムケイ」専務、同4年「エムケイ」社長、同14年「エムケイ」代表取締役社長[8]。2003(平成15)年青木信明が「エムケイ」社長、三木正雄は代表権のある会長に就任(『産経新聞』2003年4月16日)。

[編集] 諸問題

青木が代表理事会長を務める近畿産業信用組合は経営破綻した三つの信用組合の事業を引き継いでいるが、この破綻処理には総額8,670億円の公的資金が投入されている[9]。その後、同信用組合は、金融当局から法令違反、ずさん融資、見せかけ増資、そして不明朗融資等の複数の指摘を受けた(財務省近畿財務局公表内容等より)。なお、当局からの指摘事項の多くは青木が深く関与していたとみられ、信組の私物化との批判が強まっている[10]

以下、時系列で表す。

近畿産業信用組合をめぐる主な法令違反・ずさん融資・不明朗融資など

2001(平成13)年5月~8月
青木の紹介企業に融資した3億3,000万円のうち2億6,000万円が焦げ付く。
前身の京都シティ信組から近畿産業信用組合に改称する3日前の2001年5月25日、青木の知人が経営する同一企業グループ5社へ、分散して融資した計3億3,000万円のうち3億円が、融資当日に青木のファミリー企業の口座に流れていた。同5社は8月不渡りとなり、約2億6,000万円が焦げついた。青木へ債務3億円を返済するために、同一企業グループ5社はシティ信組から融資を受けたと、近畿財務局は判断した模様である。融資当日に青木のファミリー企業の口座に3億円が流れていたのはこのことである。3億3,000万円の融資額は、当時の大口融資限度額を上回っていたため、限度超過を回避するために、意図的に5つの会社に融資を分散した事実があったという。融資の名目はたんに「長期運転資金」だったとされる。青木はこの融資の1か月後、6月28日、近畿産業信用組合の総代会で代表理事会長に選出された[11]
2001(平成13)年5月~2002(平成14)年1月
近畿産業信用組合 自己資本を粉飾 30億円見せかけ増資 関西興銀譲渡交渉時 商法違反。
破綻した信用組合「関西興銀」の事業譲渡交渉を進めていた2001年から2002年初めにかけて、自己資本の規模を実態以上に粉飾するため、近畿産業信用組合は約30億円の見せかけ増資をしていた。うち26億円は青木が親族らを使い関与したとされる。近畿産業信用組合は、自己資本の増強などを条件に事業譲渡の優先交渉権を獲得した。見せかけ増資は商法違反である。近畿産業信用組合は13年5月、青木の親族やMKグループの役員ら12人に、無審査のまま約6億円を融資。融資金は同日中に、当時、青木が代表取締役だったファミリー企業の口座に移されたうえで、ほぼ全額が青木と妻らの名義で近畿産業信用組合へ出資された。
同年11月末には、青木の実弟が代表取締役を務める運送会社など、5社に計20億円の融資を実施。このファミリー企業やエムケイ、青木の口座などを経由して、14年1月に20億円がエムケイの代表取締役社長青木信明ら3人の名義で近畿産業信用組合へ出資された[12]
2002(平成14)年3月~2004(平成16)年4月
琵琶湖畔の土地1億6,000万円焦げ付き 実勢価格の2倍で自己競落。
問題の土地は滋賀県守山市にある琵琶湖大橋脇の荒地。同県内の不動産会社が平成14年1月、この土地を購入し、造成後転売するための資金として、近畿産業信用組合へ融資を申し込んだ。
近畿産業信用組合審査部は当初「特殊物件」という理由でいったん融資を否決したが、同年3月青木の指示で一転、1億6,000万円の融資を実行した。ところが、その融資先不動産会社は20日後に不渡りを出し、ほぼ全額が焦げ付いた。登記簿などによると、近畿産業信用組合はこの土地に根抵当権を設定しており、債権回収を図るため、大津地裁に競売を申し立て、2004年3月から4月にかけて競売が行われた。近畿産業信用組合は実勢価格のほぼ2倍にあたる7,000万円で自己競落した。この自己競落により、近畿産業信用組合は表面上だけは、1億6,000万円のうち7,000万円を回収したことになった[13]
2002(平成14)年9月~2003(平成15)年2月
営業地区外の建設会社に3,000万円融資。2回目の融資分2,800万円が焦げ付く 法令違反。
問題の広島県東広島市の建設会社は2002年夏、青木の紹介で、近畿産業信用組合へ3,000万円の融資を申し込んだ。近畿産業信用組合審査部では、建設会社の関連会社が債務超過に陥っていることや、会社から同代表取締役に多額の貸付金があるなど、建設会社自体も債務超過状態になっている可能性があると判断した。
さらに、担保の本社ビルの土地、関連会社が所有する建物には既に地銀、信金による根抵当権が6番まで設定されており、担保余力はゼロの状態。連帯保証人も代表取締役と取締役の2人だけで、近畿産業信用組合審査部は、返済見込みが不透明として、「融資否決」を出す方針を固めたという。しかし青木が融資を役員に強く指示。理事長を含む数人の役員らで構成する融資審査会議で融資を決定した。
近畿財務局は、融資そのものの違法性に加え、理事としての監視義務を果たしていないとして、中小企業等協同組合法(中企法)の善管注意義務に違反すると指摘し、内部牽制機能の強化を強く求めた。
問題の融資は14年9月に実施。3,000万円を近畿産業信用組合が融資した。その後、建設会社は経営破綻し、近畿産業信用組合からの2回目の融資分の大半、2,800万円が不良債権化。近畿財務局は15年5月の検査で、建設会社が営業地区外にあったことをふくめ、中企法や商法に違反すると指摘した。青木は「指摘を受けた後、同額の預金を担保として提供した」と述べた[14]
2004(平成16)年3月~8月
MKグループ4社に86億円を融資。実弟経営の運送会社も含めれば、ファミリー企業への融資は総額110億円にのぼった。
この件に関し、2005(平成17)年3月29日 産経新聞は近畿産業信用組合がMKグループ4社などに対し110億円に上る不明朗な融資を行ったと報じた。融資を受けたのはMKグループの京都エムケイタクシーの52億円、神戸エムケイタクシーの5億円、大阪エムケイタクシーの10億円、エムケイ石油の19億円、青木の実弟が社長を務める運送会社の太陽コーポレーション(京都市南区)の25億円。
融資は「長期運転資金」の名目に過ぎず、融資先の担保不動産の評価額が融資相当額を大幅に割れているにもかかわらず、5社に対する金利は、いずれも2.5%で、貸し出し平均金利である3%台後半を大きく下回った。近畿産業信用組合への出資金は通常は融資額の約4%が求められているにもかかわらず、MKグループ各社が各100万円、太陽コーポレーションは1万円しかなかった。この報道に対し、MKグループの財務担当者は「路線価で計算した担保不動産の評価額が融資金額に対して、一時的に80~90%程度になったことはある」とした。MKグループに対する融資は、「当社の経営状態などは同信組側に提示しており、経営の将来性が見込まれる点と、当社が継続的に預金等で協力してきた実績が認められたものだ」と説明。また、近畿産業信用組合の融資審査については「通常の審査と変わらない形で行われた」と、正当性を主張した[15]
また近畿産業信用組合は、2004(平成16)年に近畿財務局から青木の知人に対し不適切な融資があったなどとして業務改善命令を受け、改善状況の報告を義務付けられている[16]

[編集] その他

運賃値下げ訴訟の和解以後、2002年の改正道路運送法までの間、運輸省は、市場の「適正車両数を越えた最大20パーセントまでの新規参入と増車の許可」・運輸局の定める「標準運賃より最大10パーセントまでの値下げ許可」などの規制緩和措置を試験的に講じた。2002(平成14)年2月1日、改正道路運送法が施行されタクシー事業は規制緩和された。これにより、タクシー会社の新規参入は免許制から許可制となり、区域ごとのタクシーの台数制限は撤廃された。タクシー運賃はこれまでどおり認可制だが、国土交通省は不当なもの以外は認めることにした(2002年2月1日産経新聞東京朝刊など)。タクシー事業の規制緩和によって、タクシー会社の新規参入が容易になり、タクシー台数の急激な増大、運賃の低額化が見込まれるようになった。 同日、エムケイ本社は、大阪と名古屋で初乗り運賃500円(中型、クラウンかセドリック)のタクシー事業に乗り出すとし、大阪エムケイは近畿運輸局に事業認可を申請した。大阪エムケイは「平成15年春までに200台の500円タクシーを営業する計画だ。そうなれば年間1億円の経常利益を稼ぎ出せる」と予測した(2002年2月1日産経新聞大阪朝刊経済面など)。初乗り運賃500円は当時業界最安値のレベルであった。2002(平成14)年5月30日、タクシー事業の規制緩和の改正道路運送法の施行から約4か月の間、近畿2府4県では、1,000台以上もの新規タクシーの「増車申請」があった。「値下げ申請」も5月29日までで111件に達しており、6月中にも認可されれば「初乗り500円」を掲げた新運賃タクシーが登場することになった。上記大阪エムケイは、当初は初乗り1・7キロ、500円で申請したが、近畿運輸局から客には「距離がわかりにくい」と指摘され、同2キロ500円で再申請した(2002年5月30日産経新聞大阪朝刊経済面など)。 国土交通省の改正道路運送法(2002年)によって、運賃設定・新規参入・増車などで、タクシー業界は規制緩和され、上記のようにMKタクシーではこれに対応した顕著な動きがあった。エムケイ(経営企画部)は、2004年11月、「規制緩和は数年すると業者の淘汰が進むことが多いが、タクシーは賃金体系の特質から、運転手にしわ寄せがくる構造だ」と指摘した(2004年11月17日産経新聞東京朝刊社会面)。 MKグループでは代表取締役社長直属の秘書課が苦情処理等をおこない、経営企画部がマスコミからのインタビューへの対応等をおこなっているという指摘がある。

[編集] 栄典

  • 韓国国民勲章無窮花章 (2004)

[編集] 脚注

  1. ^ 『産経新聞』2005年3月14日大阪夕刊社会面、3月15日大阪朝刊社会面
  2. ^ 『読売新聞』2005年8月25日夕刊
  3. ^ 「第154回国会衆議院財務金融委員会会議録第16号」五十嵐文彦議員質疑, 衆議院, 2002年(平成14年)5月17日.
  4. ^ 『産経新聞』1993年11月18日東京夕刊1面
  5. ^ a b NHK『クローズアップ現代』NO.2429など
  6. ^東亜日報』「dongA.com 国際」2005年12月28日
  7. ^ 『MK青木定雄のタクシー革命』128頁東洋経済新報社、『人事興信録』上巻 平成19年 興信データ株式会社
  8. ^ 『日本紳士録』第77版 平成14年 交詢社出版局および『新訂現代日本人名録』2002年 日外アソシエーツ
  9. ^ 『産経新聞』 2006年1月1日 大阪朝刊第1面
  10. ^産経新聞2006年3月13日付東京朝刊社会面記事
  11. ^ 『産経新聞』2005年6月28日大阪朝刊社会面など
  12. ^ 『産経新聞』2006年1月1日大阪朝刊第1面など
  13. ^ 『産経新聞』2005年8月6日大阪朝刊社会面など
  14. ^ 『産経新聞』2005年4月21日大阪夕刊社会面など
  15. ^ 『産経新聞』2005年3月29日大阪朝刊第1面、第31面など
  16. ^神戸新聞2007年8月26日

[編集] 関連事項

[編集] 外部リンク

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