草枕

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草枕(くさまくら)は夏目漱石小説1906年に「新小説」に発表。熊本小天温泉を舞台にして、著者のいう「非人情」の世界を描いた作品である。

「山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。」という一文に始まり、「智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。」と続く冒頭部分が有名である。

目次

[編集] あらすじ

日露戦争のころ、当時はやや歳をとった30歳の洋画家である主人公が、山中の温泉宿に宿泊する。やがて宿の「若い奥様」の那美と知り合う。出戻りの彼女は、彼に「茫然たる事多時」と思わせる反面、「今まで見た女のうちでもっともうつくしい所作をする女」でもあった。そんな「非人情」な彼女から、主人公は自分の画を描いてほしいと頼まれる。しかし、彼は、「足りないところがある」と描かなかった。ある日、彼は那美と一緒に彼女の従兄弟(いとこ)で、再度満州の戦線へと徴集された久一を見送りに駅まで行く。その時、偶然に野武士のような容貌をした、満州行きの「御金を(彼女に)貰いに来た」、別れた夫と那美は発車する汽車の窓ごしに瞬間見つめあう。そのとき彼女の顔に浮かんだ「憐れ」を彼はみてとり、感じて、「それだ、それだ、それが出れば画になりますよ」と「那美さんの肩を叩きながら小声に云う」という筋を背景に、芸術論を主人公の長い独白とおして織り交ぜ、「久一」や「野武士(別れた夫)」の描写をとおして、戦死者が激増する現実、戦争のもたらすメリット、その様な戦争を生み出す西欧文化、それに対して夏にまで鳴く山村の鶯、田舎の人々との他愛のない会話などをとおして、東洋の芸術や文学について論じ、漱石の感じる西欧化の波間の中の日本人がつづられている。また、漱石がこだわった「探偵」や「胃病」の話が脈絡無くキーワードとしてでる。

[編集] 芸術論

「西洋の詩になると、人事が根本になるからいわゆる詩歌の純粋なるものもこの境を解脱する事を知らぬ。どこまでも同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、浮世の勧工場(かんこうば)にあるものだけで用を弁じている。いくら詩的になっても地面の上を馳けてあるいて、銭の勘定を忘れるひまがない。」 「 うれしい事に東洋の詩歌はそこを解脱したのがある。…超然と出世間的(しゅっせけんてき)に利害損得の汗を流し去った心持ちになれる。独坐幽篁裏(ひとりゆうこうのうちにざし)、弾琴復長嘯(きんをだんじてまたちょうしょうす)、深林人不知(しんりんひとしらず)、明月来相照(めいげつきたりてあいてらす)。ただ二十字のうちに優に別乾坤(べつけんこん)を建立(こんりゅう)している。…汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼義で疲れ果てた後に、すべてを忘却してぐっすり寝込むような功徳である。」と芸術を、東洋(中国や日本)の自然の中の人間と、西洋の人の中の人間としてそれを対比している。

[編集] 日本の近代化(西洋文明の摂取)について

「二十世紀に睡眠が必要ならば、二十世紀にこの出世間的の詩味は大切である。惜しい事に今の詩を作る人も、詩を読む人もみんな、西洋人にかぶれているから、わざわざ呑気(のんき)な扁舟(へんしゅう)を泛(うか)べてこの桃源(とうげん)に溯(さかのぼ)るものはないようだ。余は固(もと)より詩人を職業にしておらんから、王維(おうい)や淵明(えんめい)の境界(きょうがい)を今の世に布教(ふきょう)して広げようと云う心掛も何もない。ただ自分にはこう云う感興が演芸会よりも舞踏会よりも薬になるように思われる。ファウストよりも、ハムレットよりもありがたく考えられる。」と批判している。

[編集] 外部リンク