草野マサムネ
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| 草野 マサムネ | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出生名 | 草野 正宗 |
| 出生 | 1967年12月21日(44歳) |
| 血液型 | O型 |
| 学歴 | 福岡県立城南高等学校→東京造形大学造形学部美術学科絵画専攻中退→武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科 |
| 出身地 | 福岡県福岡市 |
| ジャンル | J-POP |
| 職業 | ミュージシャン |
| 担当楽器 | ボーカル、ギター |
| レーベル | ポリドール (1991年 - 2001年) ユニバーサルJ (2002年 - ) |
| 事務所 | Road & Sky |
| 共同作業者 | スピッツ |
草野 マサムネ(くさの まさむね、本名:草野 正宗(読みは同じ)、1967年12月21日 - )は、日本のロックバンド・スピッツのボーカリストおよびギタリスト。
目次 |
[編集] 人物
[編集] 概要
- 身長167.5cm、体重53kg。
- 現在まで結婚の発表はないので独身であるとされる。
- 弟と妹のいる長男である(ちなみにスピッツはメンバー全員が長男である)。草野家の長男は代々名前に「正」の字が付く。
- 10代の頃から重度の花粉症で、アレルギー性鼻炎持ち。
- 視力が非常に悪く、コンタクトレンズとメガネを使用。
- 手相が百にぎり(ますかけ線)である。
- 嫌いなものは蓮の種。
- スピッツの楽曲の歌詞において多くの場合一人称が「ぼく」であるのとは対照的に、自分のことは「俺」と言っており、「~っつうか」という言葉遣いもよく見られるのが特徴である。
[編集] 来歴
- 中学時代は陸上部。出席率が良いという理由で部長だった。ちなみに最初に入部したテニス部は、中1の夏休み前に辞めている。
- 中学1年生のとき母親のガットギターを弾き始めたのが音楽活動の始まり。中学時代にすでに作詞作曲を開始している。
- 高校時代から本格的にバンド活動を始め、初めてオリジナル曲を披露する。
- 上京して東京造形大学に入学後、同級生の田村明浩と出会いスピッツの前身となるバンド「チーターズ」を結成。音楽サークル「重音」に所属。先輩にカーネーション(後にアレンジャーとして参加する棚谷祐一が在籍)やフライングキッズなどがいる。
- THE BLUE HEARTSにショックを受けて音楽活動を休止し(後述)、武蔵野美術大学に再入学。しかし田村の家にテレビゲームがあったことから交流は続き、バンド再結成に向かう。
[編集] 趣味
- プロ野球・福岡ソフトバンクホークスの大ファンで、地元福岡でのライヴではホークスのレプリカユニフォームを着用する。なお、オリックス・バファローズの北川博敏とも交流がある。
- 本人曰く昆虫博士・地図オタク。しかし、地図が好きな割に、よく道を間違えるという。
- 好きな色は「カーマイン」。
- ファンにもらって嬉しい物は靴下(手作りものはあんまり…らしい)。
- 好きな漫画は『きまぐれオレンジロード』と公言している。
[編集] 音楽的影響
- 少年時代はラジオの音楽番組で流れるチープ・トリックなどを好んでいた洋楽少年だったが、その一方で母親が好んでいた浜口庫之助などのフォークソングや歌謡曲も愛好していた。
- バンド少年になった後はユーライア・ヒープなどのハードロック・ヘヴィメタルに夢中になり、パンクロックにも傾倒をはじめた。
- 過去に組んでいたことのあるバンドは、「ラディッシュ」→「からす屋」→「チーターズ」→「スピッツ」。チーターズではチータこと水前寺清子の「365歩のマーチ」をパンクロック調で演奏したり、「『いちご白書』をもう一度」をブラック・サバス風に演奏したりするなど、洋楽と歌謡曲の融合傾向が当初より見られた。
- 学生時代にスピッツの前身といえる「ザ・スピッツ」を結成した当時はパンクかぶれだったが、THE BLUE HEARTSの「人にやさしく」に出会い、自分の求めていた音楽を先にやられたことにショックを受けて自信をなくし、一旦音楽活動を休止した。再開してもしばらくはTHE BLUE HEARTSの影響を抜け出せず、自分の個性を模索し始めた結果たどり着いたのが、ドノヴァンを参考としたアコースティックギターを持ってのフォーク・ロックだった。
- 洋楽少年ではあったが日本のロックからも多大な影響を受けている。とりわけエレファントカシマシのファンであり、同じ音楽イベントに出演した際に、舞台袖からエレカシのステージを鑑賞し、感動のあまり涙を流したという。また家では正座で曲を聞いていると発言したこともある。ザ・コレクターズにも影響を受けており、パンクかぶれだった当時は衝撃で、一曲一曲が一本の映画のようだったと話している(再発盤「虹色サーカス団」の推薦文より)。他にニューエスト・モデルなどの影響を公言している。
- ほぼ同期デビューである、the pillowsも好んで聴いている。後進のバンドではBUMP OF CHICKENの楽曲にも感銘しており「(自分が若ければ)絶対好きになってた」(2007年10月『ROCK'IN ON JAPAN』誌にて)と発言、フェイバリットに「オンリー ロンリー グローリー」(2009年9月4日FM802「STILL20 YOUR RADIO 802」での発言)を挙げている。
[編集] 音楽活動
- スピッツのほとんどの曲を作詞・作曲している。作詞、作曲の際の名義は本名の「草野正宗」を用いる。他アーティストへの楽曲提供もしている。聴き手自身でいろいろな解釈をしてもらいたいからと、自身で楽曲の解説をすることは少ない。
- 歌い手としても多くの作品に参加している。
[編集] 他アーティストへの提供曲
※カバーは除く。
- ファンタジー(トランジスターグラマー)
- 作詞のみ。アルバム『TRANSISTOR GLAMOUR』収録。
- 青い星のまん中で(五島良子)
- 作詞のみ。アルバム『froggie』収録。
- 野生のチューリップ(遊佐未森)
- もともとはスピッツがアマチュア時代に演奏していた曲。2ndアルバム『名前をつけてやる』の時にレコーディングされたが収録には至らず、歌詞を一部変更して提供した(その後、『花鳥風月』にオリジナルを収録)。
- テディベアに埋もれて(rosy)
- 流れ星(辺見えみり)
- これももともとはスピッツがアマチュア時代に演奏していた曲(後に『花鳥風月』でセルフカバー)。ちなみに辺見えみりはスピッツの大ファンであり、この曲と同名のアルバムでは「夢じゃない」「ハニーハニー」「サンシャイン」もカバーしている。
- 愛のしるし(PUFFY)
- これも後に『花鳥風月』でセルフカバー。メロディーはもともと『フェイクファー』の候補曲として書いていたもの。奥田民生から依頼を受けたため、同じく依頼を受けたトータス松本と電話で相談してお互いに提供することを決めたという(トータス松本は「ネホリーナ・ハホリーナ」を提供)。
- 作曲のみ。作詞は松本隆。後にイベントでセルフカバーした。
- 帰り道(櫛引彩香)
- Never on Sunday(野宮真貴)
- 作曲のみ。アルバム『Lady Miss Warp』収録。
- 恋のエチュード(PUFFY)
- アルバム『Splurge』収録。ダイハツのCMソングにもなった。
- 夜明け(よなは徹)
- アルバム『宴 ~party~』収録。編曲と演奏にはスピッツのメンバー全員が参加。よなは徹とは過去に、スピッツの「ナンプラー日和」(11thアルバム『スーベニア』収録)でコラボレーションしている。また、スピッツとしてもファンクラブイベントGO!GO!SCANDINAVIA 3で披露しているが、提供曲とは歌詞も楽曲も異なる。
[編集] ソロでの参加作品
※スピッツのメンバー4人での参加については、スピッツの項目を参照。
- スナオになりたいね/種ともこ(シングル/1993年2月21日)
- カップリング曲「今さら I LOVE YOU」にバッキングボーカルで参加。
- WHAT'S UP?/森純太(2000年3月10日)
- 6曲目「18の夏」にアコースティックギターで参加。
- 唄ひ手冥利〜其ノ壱〜/椎名林檎(2002年5月27日)
- ええねん/ウルフルズ(2003年12月10日)
- スペシャルディスクの1曲目「Sleep John B」(ザ・ビーチ・ボーイズの「Sloop John B」のカバー)にコーラスで参加。
- アコースティックギターとサビ部分の作詞、ボーカルで参加。アルバム『よろしくお願いします』ではアルバムバージョンで収録。
- the popular music 筒美京平トリビュート(2007年7月11日)
- Ken's Bar II/平井堅(2009年5月27日)
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