大森隆志

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大森 隆志(おおもり たかし、1956年12月12日 - )は、日本ミュージシャンギタリスト)・歌手宮崎県出身。宮崎大宮高校卒業。青山学院大学経済学部中退サザンオールスターズ結成時のメンバー。

目次

人物

青山学院大学在学中に結成したバンドが有名になり、その後、サザンオールスターズとして『勝手にシンドバッド』でデビュー。尚、桑田佳祐は「デビューのきっかけをつくったのは大森」と大森が独立した後も含め幾度か言及している。サザンではリードギターを担当していた。 愛称は「ター坊」。サザン時代は「イェーイ、ノッてるかーい!」のMCがお馴染みだった。また、空手の有段者でもある。 桑田が大森をサザンに誘い加入させた理由として、「自分よりギターが下手だったから」と語っているが、これがジョークか本音かは定かではない。 1980年代には、元「ゴールデンハーフ・スペシャル」のリンダと結婚したが、後に離婚。 間もなくして、池田大作の美人通訳として創価学会本部で活躍していた矢倉涼子と再婚した。

23年間にわたるサザンでの活動の後、2001年8月に独立、ソロ・アーティストとなる。その理由は、公には「大森個人のソロ活動に集中するため」というが、ネットを含めファンの間ではさまざまな憶測が飛び交っている。中でも、大森が創価学会の信仰活動に入れこみ過ぎていたのを他のメンバーや所属事務所が危惧したためという説が有力視されている。[要出典]

2006年に入ってからは大森隆志、およびPROJECT OAとしての活動は発表されておらず活動が不透明となっていた。また、この頃には公式HPの掲示板が閉鎖され、大森自身が執筆している日記も4ヶ月以上も更新されていなかったうえ、4ヶ月ぶりの更新にも今年度の活動に関することが何1つ説明されていなかったため、ファンからは大森の音楽活動に対する疑問の声も上がり始めていた。ファンクラブに関しても、会費の振込先が大森個人の口座であること、会報が送られてこないなどのトラブルが発生しているともいわれていた。

その矢先の5月11日覚せい剤10g、大麻40gを所持していたとし、覚せい剤取締法違反と大麻取締法違反の現行犯で、妻の涼子と共に神奈川県警逮捕された。 本人は「自分で吸うために買った」と事実を認めたが、入手経路は「言えない」と黙秘。自宅から押収された大麻が尋常な量ではなかったことから、暴力団とのからみもにらんで捜査が行われた。また、桑田佳祐はラジオ番組『桑田佳祐のキヤノンFMワンダーランド~やさしい夜遊び~』で「人間関係をさぼるな。帰ってきたらギターで半殺しにします。」と冗談半分ながら発言。

2006年7月19日の判決公判では、懲役2年6ヶ月、執行猶予4年が言い渡された。現在は音楽活動を再開しており、ブログも開始している。

作品

サザンでも何曲かボーカル曲があり、その際には作詞曲も自ら担当している。また、ソロユニットTABO'S PROJECTを結成しシングルアルバムを発表しているほか、大森隆志名義でのソロアルバムも1枚発表している。サザンを独立後にもソロミュージシャンとしてライブを中心に活動しており、新ユニットPROJECT OAとしてテレビ出演も果たす。

以後、さまざまなアーティストとジョイント・ライブ活動。また、障害者の施設にて演奏披露、大和ミュージアムのオープン記念式典プロデュースと、ボランティア活動にも意欲を見せ、現在に至る。

略歴

  • 1980年
  • 1982年
    • 1stソロアルバム『真夜中のギターボーイ』発表。
    • 渋谷京都神戸大阪にてライブハウスツアー。
  • 1986年
    • 135のデビューシングル「0%麗人」を作曲プロデュース。c/wの「SOLDIER」も作曲。
    • 音楽ユニットTABO'S PROJECTを、矢島賢ギター)、NATSU(ボーカル)と共に結成。1stシングル「DANCE AWAY (ひとりぼっちにサヨナラ)/TRUTH」、1stアルバム『EYES OF A CHILD』発表。
    • 原宿ラフォーレ・ミュージアムにて同アルバム発売記念ライブを2日間に渡り行う。結局このプロジェクトはこの2枚のみ発表し解散。
    • 中村雅俊に楽曲「風が踊る午後に」を提供。
  • 1988年
  • 1989年
    • アニメアルバム『ここはグリーン・ウッド』に収録された「グリーウッドカーニバル」のうち、「汝の日常を愛せよ」を作曲。
  • 1990年
    • 永田真代のアルバム『JUST ME』収録曲「水の惑星」を作曲。
    • ビクターエンタテインメントの企画作品、『スノー・バードホテル』のプロデュースに参加。収録曲『SILENT MORNING』を作曲。
    • 原田知世のアルバム『BLUE IN BLUE』プロデュース。そのうち「SILENCE BLUE」「白い朝」「蒼い夢」を作曲。
  • 1991年
    • BOROのアルバム『薔薇と女』で、タイトル曲「薔薇の女」を作曲。
    • 原田知世のアルバム『彩』をプロデユース。「BREEZE」を作曲。
    • ラングラーTVのCMソングを製作。
    • 浅香唯のアルバム『硝子の都』収録曲、「宇宙への手紙」「サイクリングガール」を作曲。さらにアルバム『STAY』をプロデュース、収録曲「友情」「リズム・オブ・ユニヴァース」を作曲。シングル曲「愛しい人と眠りたい」の作曲も担当する。
  • 1993年
  • 1994年
  • 2000年
  • 2001年
  • 2002年
    • 渋谷A-X ハプニングス・フォーのライブにゲスト出演。
  • 2003年
    • 1月
      • 渋谷A-X 大阪 バナナ・ホールにて独立後初のライブ開催。
      • シングル「遠い夏/熱いくちづけ」リリース。
      • 自身専用レーベル“guitar-boy”設立。
    • 3月
      • BS朝日『原宿ロンチャーズ通り』で出演者にギター指導協力。
    • 5月
    • 活動視野を広げるために渡米。難波正司がプロデュースする新人女性歌手、チェルシーのCDリリースに編曲とギターで参加。曲目は「イマジン」、「ホテル・カリフォルニア」など。
    • 7月
      • 横浜を皮切りにライブハウスツアーを行なう。
      • 神奈川大阪広島宮崎千葉東京の6ヶ所のライブハウスでアコースティック・ライブ及びプロ活動25周年記念ライブ開催。
    • 8月
      • 再び渡米。難波正司のCDリリースに再び協力、参加。滞在中はかつて親交を持った現地アーティストたちとの旧交をあたためる。
    • 9月
    • 11月
    • 12月
      • 横浜横須賀の2ヶ所のライブハウスにゲスト出演。
      • 浅野孝巳とユニット結成を発表。
  • 2004年
    • T.A.G.C. with OAとして横浜、東京を中心に活動。
  • 2005年
    • インストゥルメンタルアルバム『Song For You』をリリース。
  • 2006年
  • 2007年
    • 12月19日、公式ブログを開始。以後、音楽活動も再開している。

脚註

外部リンク