ホルヘ・カントゥ
| ロサンゼルス・エンジェルス(マイナー) | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | (二重国籍)[1] |
| 出身地 | テキサス州マッカレン |
| 生年月日 | 1982年1月30日(31歳) |
| 身長 体重 |
6' 3" =約190.5 cm 200 lb =約90.7 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 内野手 |
| プロ入り | 1998年 アマチュアFA |
| 初出場 | 2004年7月17日 |
| 年俸 | 6,000,000ドル(2010年)[2] |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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| 国際大会 | |
| 代表チーム | |
| WBC | 2006年、2009年、2013年 |
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この表について
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ホルヘ・ルイス・カントゥ(Jorge Luis Cantú, 1982年1月30日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州マッカレン出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。
両親ともにメキシコ人で、幼少時代はリオ・グランデ川を挟んでマッカレンの対岸にある双子都市のメキシコ合衆国タマウリパス州レイノサで過ごした。ワールド・ベースボール・クラシックやアテネ五輪アメリカ大陸予選(2003年)などの国際大会にメキシコ代表として出場している。
目次 |
経歴 [編集]
アマチュア、マイナー時代 [編集]
メキシコで1番人気のスポーツであるサッカーには興味がなく「見るのも、やるのも退屈なんだ」と語り、カル・リプケンに憧れ野球にのめり込む[3]。高校生のときにメキシコシティで開催された大会に出場し、そこでの活躍に目をつけたタンパベイ・デビルレイズ(現レイズ)と16歳のときに契約する。
マイナーリーグ時代は主に遊撃手として出場していた。カントゥに対する評価は「打撃力がない」「パワーがない」というのが多く、2002年には引退も考えたが、父から自身の苦労話を聞かされて翻意する[3]。2003年にはシーズン途中でAAA級ダーラム・ブルズに昇格、60試合に出場し打率.295・30打点という成績を残した。シーズン終了後にはアテネ五輪アメリカ大陸予選にメキシコ代表として出場。メキシコが米国に勝利したことで、前回大会金メダルの米国が予選敗退という波乱が起こったが、メキシコも予選通過できず五輪出場権を逃した。
タンパベイ・デビルレイズ [編集]
2004年にAAA級ダーラムで95試合に出場したカントゥは、打率.302・22本塁打・80打点を記録。シーズン途中にメジャー昇格を果たし、7月17日に初出場、その後二塁手・三塁手としてシーズン終了まで50試合に出場する。2005年1月にデビルレイズはベテラン二塁手のロベルト・アロマーと契約したが、3月にアロマーが引退したため、カントゥが二塁のレギュラーポジションをつかむ。この年150試合に出場したカントゥは、打率.286・28本塁打・117打点(リーグ7位・当時の球団記録[4])・40二塁打(同8位)の好成績を残し、新人王投票で5位に入った。
2006年3月に行われたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)にも、カントゥはメキシコ代表として出場。2次リーグPOOL 1 最終戦の米国戦では、2番・二塁として先発出場したカントゥが2打点を挙げ、2-1 でメキシコが米国に勝利。この結果、日本が準決勝に進出し、その後優勝した。日本は一時は準決勝進出が絶望視されていたため、カントゥの活躍は日本のWBC優勝を手助けしたかたちとなった。しかしその後のMLBレギュラーシーズンでは、開幕4試合目に足に自打球を当て、その後も無理に試合に出続けた結果として状態が悪化し、約5週間の故障者リスト入りを余儀なくされた。復帰後も不振に陥り、本塁打・打点ともに前年のほぼ半分に落ち込んだ。
2007年には、日本プロ野球・東京ヤクルトスワローズから岩村明憲が加入。カントゥは岩村とWBCで知り合い、チームメイトになってからはとても仲良くしていた[5]。しかし岩村の加入によりデビルレイズの内野陣が飽和状態となり、レギュラーポジションをなくしたカントゥを、チーム首脳陣はマイナーに降格させた。これにカントゥは激怒。「俺はマイナーリーガーじゃない」と、一時はマイナーでの試合出場ボイコットを示唆し他球団へのトレードを要求した[6]。その後これを撤回してAAA級ダーラムで試合に出場し、4月下旬には右脇腹を痛めて故障者リスト入りした岩村に代わってメジャー昇格も果たしたが、25試合で打率.207と低迷。7月28日にシンシナティ・レッズへトレードされた。レッズでは27試合に出場したものの、シーズン終了後に放出されている。
フロリダ・マーリンズ [編集]
2008年1月にフロリダ・マーリンズとマイナー契約を結ぶ。その後開幕メジャー入りを果たすと、三塁のレギュラーとして155試合に出場し、自己最高の29本塁打を記録。また、一塁手のマイク・ジェイコブス、二塁手のダン・アグラ、遊撃手のハンリー・ラミレスと共に、同一チームの内野手4人がそれぞれシーズン25本塁打以上というメジャー史上初の記録を達成した[7]。
マイク・ジェイコブスの後釜のギャビー・サンチェスが開幕をマイナーで迎えたため、カントゥは2009年、主に一塁手として試合に出場[8]。4月は打率.365、7本塁打、22打点という成績を残したが、その後はホームラン数が伸び悩み、最終的には16本塁打に終わった。しかし、自身2度目となる100打点を達成した。
2010年は、開幕から10試合連続で安打と打点を記録し、打点が公式記録となった1920年以降のメジャー記録だったジョージ・ケリーの8試合連続の記録を89年ぶりに更新[9]。また、打点は昨シーズンから14試合連続で記録し、2000年にマイク・ピアッツァが15試合連続打点を記録して以降では最長となった[10]。7月30日にマイナーリーガーの2名と交換でテキサス・レンジャーズへ移籍[9]。
マーリンズ退団後 [編集]
チームが地区優勝を決めた9月25日のオークランド・アスレチックス戦では勝ち越しの適時打と決勝点となる本塁打を放ったが、レンジャーズ移籍後の打点はこの日の2打点のみだった。
2011年1月26日にサンディエゴ・パドレスと1年85万ドルで契約。しかし57試合の出場で打率.194、3本塁打、OPS.517と低迷し、6月15日にDFAとなり、21日に解雇された。7月30日にコロラド・ロッキーズとマイナー契約を結ぶ。
年度別打撃成績 [編集]
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2004 | TB | 50 | 185 | 173 | 25 | 52 | 20 | 1 | 2 | 80 | 17 | 0 | 0 | 0 | 1 | 9 | 0 | 2 | 44 | 5 | .301 | .341 | .462 | .803 |
| 2005 | 150 | 630 | 598 | 73 | 171 | 40 | 1 | 28 | 297 | 117 | 1 | 0 | 0 | 7 | 19 | 1 | 6 | 83 | 24 | .286 | .311 | .497 | .808 | |
| 2006 | 107 | 448 | 413 | 40 | 103 | 18 | 2 | 14 | 167 | 62 | 1 | 1 | 0 | 6 | 26 | 2 | 3 | 91 | 16 | .249 | .295 | .404 | .699 | |
| 2007 | 25 | 65 | 58 | 4 | 12 | 1 | 0 | 0 | 13 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 | 0 | 1 | 16 | 3 | .207 | .277 | .224 | .501 | |
| CIN | 27 | 68 | 57 | 8 | 17 | 8 | 0 | 1 | 28 | 9 | 0 | 0 | 0 | 2 | 7 | 0 | 2 | 10 | 3 | .298 | .382 | .491 | .873 | |
| '07計 | 52 | 133 | 115 | 12 | 29 | 9 | 0 | 1 | 41 | 13 | 0 | 0 | 0 | 3 | 12 | 0 | 3 | 26 | 6 | .252 | .331 | .357 | .688 | |
| 2008 | FLA | 155 | 685 | 628 | 92 | 174 | 41 | 0 | 29 | 302 | 95 | 6 | 2 | 0 | 7 | 40 | 6 | 10 | 111 | 15 | .277 | .327 | .481 | .808 |
| 2009 | 149 | 643 | 585 | 67 | 169 | 42 | 0 | 16 | 259 | 100 | 3 | 1 | 0 | 5 | 47 | 4 | 6 | 81 | 15 | .289 | .345 | .443 | .788 | |
| 2010 | 97 | 410 | 374 | 41 | 98 | 25 | 0 | 10 | 153 | 54 | 0 | 0 | 0 | 7 | 23 | 1 | 6 | 76 | 11 | .262 | .310 | .409 | .719 | |
| TEX | 30 | 105 | 98 | 9 | 23 | 4 | 1 | 1 | 32 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 6 | 0 | 0 | 19 | 4 | .235 | .279 | .327 | .605 | |
| '10計 | 127 | 515 | 472 | 50 | 121 | 29 | 1 | 11 | 185 | 56 | 0 | 0 | 1 | 7 | 29 | 1 | 6 | 95 | 15 | .256 | .304 | .392 | .695 | |
| 通算:7年 | 790 | 3239 | 2984 | 359 | 819 | 199 | 5 | 101 | 1331 | 460 | 11 | 4 | 1 | 36 | 182 | 14 | 36 | 531 | 96 | .274 | .320 | .446 | .766 | |
- 2010年度シーズン終了時
脚注 [編集]
- ^ “Texas Rangers acquire Jorge Cantu from Florida” (英語). rangersblog.dallasnews.com. 2013年3月23日閲覧。
- ^ “Texas Rangers Salary/Payroll Information - 2010” (英語). ESPN.com. 2010年8月19日閲覧。
- ^ a b 谷口輝世子 「ホルヘ・カントゥ[デビルレイズ]メキシコの赤い太陽」 『月刊スラッガー』2006年6月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-6、26-27頁。
- ^ "Tampa Bay Rays Batting Leaders," Baseball-Reference.com. 2008年4月6日閲覧。
- ^ 阿部寛子 「MLB30球団最新レポート&全選手個人成績 タンパベイ・デビルレイズ/TB 大親友の岩村といつか一緒にプレーを」 『月刊スラッガー』2007年7月号、日本スポーツ企画出版社、2007年、雑誌15509-7、75頁。
- ^ Marc Topkin, "Angry Cantu sent down, wants out / Former Rays MVP says he has nothing to prove at Triple A, and he may not report to Durham.," St. Petersburg Times, April 1, 2007. 2008年4月6日閲覧。
- ^ "Strength and honor: Marlins surprise MLB.com. 2008年11月23日閲覧。
- ^ Associated Press (2009年3月31日). “Bonifacio to start at third for Marlins” (英語). USA Today. 2010年8月19日閲覧。
- ^ a b “Rangers add INF Jorge Cantu to 25-man roster; option 1B Chris Davis to Triple-A Oklahoma City” (英語). MLB.com (2010年7月30日). 2010年8月19日閲覧。
- ^ Gonzalez, Alden (2010年4月16日). “Cantu notches hit, RBI in record 10th straight” (英語). MLB.com. 2010年8月19日閲覧。
外部リンク [編集]
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube