ゆく年くる年

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決定稿の台本表紙(画像では年は隠されているが、2007-2008年のものと思われる[要出典]

ゆく年くる年(ゆくとしくるとし)は、年末年始12月31日23:45 - 翌年1月1日00:15[1])に放送される日本テレビ番組ラジオ番組である。

同名タイトルではあるが、NHKのものと民間放送のものとでは、内容が全く異なっている。

目次

[編集] NHK

[編集] テレビ

ゆく年くる年
ジャンル 年末特別番組
放送時間 毎年12月31日23:45 - 翌年1月1日0:15(30分)
放送期間 1927年 -
放送国 日本の旗 日本
制作局 NHK
出演者 司会者については#年表を参照。中継先はその地元のNHK放送局のアナウンサーがリポートを担当。
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NHK総合テレビで放送される。

[編集] 概要

NHKでは、除夜の鐘が鳴り響く各地の寺院の境内や本堂の様子、参拝客達が深夜の初詣に訪れ、新年の祈願をする模様などがリレー中継される。嘗ては新年を迎えた直後の日本国外各国(例として、時差の関係で日本時間の00:00頃に初日の出が観られるアイスランドなど)の様子を中継したこともあるほか、日付や時間に関係なく普段と変わらずに働き続ける人々(例として東京・新橋タクシー運転手や福岡八幡製鉄所の従業員など)の様子を中継したこともある。直前の23時44分まで放送される『NHK紅白歌合戦』での喧騒が一瞬にして消去され、静寂と荘厳な雰囲気に包まれる。仏教の仏と神道の神を等しく貴ぶ日本人の精神性や宗教観が色濃く反映された番組である。ナレーションでは、当該地域の紹介や過疎化の問題など、様々な話題に触れる。

各国からの中継としては、近年ではギリシャアテネ)・スリランカアンパーラ)・イラクバグダッド)・韓国ソウル)などから中継している。

カテゴリは報道番組とされているが、「究極の宗教番組」と位置付ける意見(五木寛之河合隼雄)もある。長崎浦上天主堂などキリスト教会礼拝ミサの様子も中継されたこともある。

テレビ放送が開始される前から存在する番組で、除夜の鐘の中継放送が初めて行われたのは1927年昭和2年)に上野寛永寺からJOAK(現:NHK放送センターの前身である、社団法人東京放送局)のラジオによるものであり、今日のようなリレー放送が始められた時期は1932年(昭和7年)からである。1927年(昭和2年)から続く日本最古の現役番組でもある。

日付が変わって年越しを迎えた瞬間においても、画面左上に「0:00」と時刻表示され(かつては時報も加わっていた[2]。同時放送を行う海外向けNHKワールドは時刻表示なし。)、アナウンサーが「新年、明けましておめでとうございます」と淡々とナレーションするという極めてシンプルなものであり(2011年(平成23年) - 2012年(平成24年)は、「2012年、平成24年の幕開けです。」になっていた。)、様々な形式(大勢が賑やかに迎えることが通例)で新年のカウントダウンが行われる民放テレビ各局の年越し番組とは確実な差異がある。

ただし、1999年(平成11年) - 2000年(平成12年)は例外であった[3]

BSハイビジョン放送では一部編成が変わる場合があり、また2002年(平成14年) - 2004年(平成16年)は紅白歌合戦のまとめ番組があったために23:59まで開始しなかった。

年越し後は、各地で新年を迎えたその模様が中継される。前年に話題になった場所や、新年に大きなイベントが開催される会場地などを対象としている。前年に話題になった場所の例としては、1999年(平成11年) - 2000年(平成12年)の放送では2000年問題対策を行う事業者達の対策風景、2004年(平成16年) - 2005年(平成17年)の放送では新潟県中越地震被災地、2007年(平成19年) - 2008年(平成20年)の放送では新潟県中越沖地震被災地などが中継された。

新年に大きなイベントが開催される会場地などの例としては、1984年(昭和59年) - 1985年(昭和60年)の放送では国際科学技術博覧会(つくば万博)の会場、1989年(平成元年) - 1990年(平成2年)の放送では国際花と緑の博覧会(花博)の会場、1997年(平成9年) - 1998年(平成10年)の放送では長野オリンピック白馬村スキージャンプ競技場、2001年(平成13年) - 2002年(平成14年)の放送ではサッカーFIFAワールドカップ会場予定地、2004年(平成16年) - 2005年(平成17年)の放送では2005年日本国際博覧会(愛知万博)会場予定地などがある。

前番組『紅白歌合戦』の視聴者の流れもあり、毎年20%以上の高い視聴率を記録している。

台本内の絵コンテとコメント例。鐘のタイミングなどが事前に決められている(2007-2008年のものと思われる[要出典])。

[編集] 演出と制作体制

この番組の制作を担当する部署は、東京・報道局の『おはよう日本』部である。リポートするアナウンサーは顔出ししない(近年は一部中継場所で顔出しすることがある)が、年越し後に『おはよう日本』7時台のキャスター2人が揃って顔出しで登場している(2005年 - 2006年では登場せず)。

近年では、2006年 - 2007年は年越し前に松尾剛首藤奈知子両アナが柴又帝釈天前から中継を行った。2007年 - 2008年の放送は前年の2人が中継先の浅草寺から進行役を務めた。2008年 - 2009年の放送では、紅白の白組司会を4年間(2001年 - 2004年)担当した阿部渉アナが大晦日4年ぶりに進行を務め、島津有理子アナと共に新勝寺から、2009年 - 2010年の放送では島津有理子・森本健成両アナが増上寺から中継を行った。2010年 - 2011年の放送では森本健成がゲストの瀧本美織と共に亀戸天神社から中継を行った。

制作は全国の報道系のディレクターが担当し、中継場所の選定はほぼ1ヶ月前から入る。

かつてはクレーンや照明の手配などで中継1ヶ所の予算が500万円以上などが普通であったが、現在では節約が図られている。

中継番組のため、その場で起きていることをそのまま映している様に錯覚するが、寺社を巻き込んでNHKの演出意図通りに参拝客や僧侶、神主、或いは地元の人々に協力してもらっていることが多く、時には行事がNHKの放送時に合わせたかの様に復活することもある。また、定期的に職員が異動して継承が途切れるため、山形羽黒山福島などでは数年前とほぼ同じ構成の中継が出たことがある。

この様に完璧を期した番組は、半月以上前から台本絵コンテ付きで制作される。そしてカットの秒数、コメントの内容が綿密に作られ、東京のチェックを定期的に仰いだ上で、当日まで作り込みを続けていく。

放送2日前よりカメラのセッティング、中継車の回線接続、照明の建て込みの準備が入る。人員は放送時の安全対策も重視され、職員の動員がかけられる。例えば、現場の中継車ではメインのディレクターの後ろでカットの秒数をカウントダウンするディレクター、各カメラ防護用のディレクター、スタッフの宿泊や食事の手配のディレクターなどがいるが、すべて職員のディレクターである。コメントを読むアナウンサーの横では必ず管理職アナウンサーや部長クラスが現場入りし、並々ならぬチェック体制が敷かれる。

また、紅白歌合戦の最中に「全国通しリハーサル」と呼ばれる疑似放送リハーサルを行い、本放送とほぼ同様のことを行って各中継場所へ内容に関するチェックを行う。各リハーサルはVTRで収録するが、これは確認用としてだけでなく、万が一に備えたものでもある。放送時には中継入りと同時にこの収録部分も本放送で再生していき、いざとなったら切り替えができる様になっているなど、絶対に中断の起きえない放送体制が敷かれている。

[編集] チャンネルなど

地上波総合テレビジョンと海外向けNHKワールド・プレミアムで同時放送される。また、2008年 - 2009年以降の年明けの放送(この回から5.1サラウンド放送を実施)は前者2波に加え、BS2でも同時放送される(2010年 - 2011年の年明けまで)。2006年 - 2007年の年明けの放送まではデジタル衛星ハイビジョンで、2007年 - 2008年の年明けまではNHKワールドTVでもそれぞれ同時放送されていた。しかし、前者はチャンネル再編による編成の見直しで、後者はNHKワールドTVが完全英語放送化されたため、それ以降の放送は行われない。その後、NHKワールドTVでは放送が再開され、2010年 - 2011年の年明け放送分から総合テレビと同じ映像で英語の字幕スーパー差し替えと英語同時通訳をつけて放送を行なっている(タイトルは「Old Year New」)。

この番組の終了直後の『NHKニュース』(NHKワールド・プレミアムでも同時放送。2011年の年明け最初の放送ではノンスクランブル放送を実施)では、キャスターが「明けましておめでとうございます」の挨拶で始め(『ゆく年くる年』以外で初めての新年の挨拶)、通常、年越しの話題や各分野における前年の統計値などを報じるニュースから始められる。近年では携帯電話の普及によって起きる様になったいわゆる「おめでとうコール」「おめでとうメール」の集中が原因で発生する通話回線の輻輳サーバのパンク状態、並びにそれに対する各電話会社の対応状況などが読み上げられることが多い。同番組終了後は文化人との対談などの番組が続き、終夜放送の後、1月1日の早朝から新年を祝う番組へと続いていた。

しかし近年、総合テレビでは『ゆく年くる年』→『ニュース』に続いて、紅白歌合戦に出場したさだまさしが進行を務める生放送のバラエティ番組『年の初めはさだまさし』が放送されている。この番組のシリーズは「究極の低予算番組」と言われているが、2000年代中頃にNHKで相次いだ不祥事の影響などで制作費用の効率化が課題となっているためと見られており、近年における『ゆく年くる年』の放送時間・放送波の変更も同様の理由と考えられている。

NHKで終夜放送が常態化する以前の時代では、1980年代前半まで(1981年の年明けなど)ではこの番組の終了直後のNHKニュース(0:30 - 0:40)をもって明朝6時の放送再開まで放送休止(停波。但し、日章旗掲揚・君が代演奏はこの当時午前0時をまたいだ場合原則行っていなかった)となった。1980年代後半(1987年の年明けなど)から当番組の終了直後のNHKニュースの後に特番が放送される様になったが、それでも終夜放送ではなかった。普段終夜放送が行われる様になってから、年越しの夜も終夜放送となった。

なお、同じくNHKでも総合テレビ・ラジオ第1以外(Eテレ(教育テレビ)BS1BSプレミアムラジオ第2FM放送)ではこれに相当する年越し番組は歴代放送されていない(いずれも通常の番組が放送される。衛星放送の場合、日本国外の放送局によるニュースなど。なお、かつてのBS2では、2008年 - 2009年から2010年 - 2011年の年明けについては地上波総合テレビと同時に本番組が放送された)。Eテレの場合、クラシックコンサートが放送されていた(ほぼ大晦日21時頃 - 元日1時頃)が、これは後述するテレビ東京系列の『東急ジルベスターコンサート』と異なり、生中継ではなく、複数のコンサートの放送で構成される番組であり、年明けのカウントダウンなどはない(ただし、1999年 - 2000年では途中でカウントダウンの秒数だけが表示された)。2011年 - 2012年は、年越し特番として「0655・2355 年越しをご一緒にスペシャル」を放送している。

[編集] 年表

表中の「主な中継地」の欄の太字の場所は、0時を迎えたとき(年越しの除夜の鐘)の中継地、KSの記号がついた場所は、進行役アナウンサーと放送基地があったキーステーションを表す。

放送年 主な中継地 進行役
アナウンサー
備考
1 1997年 - 1998年 善光寺(長野県長野市長野)
長野オリンピック会場(同北安曇郡白馬村)KS
里谷多英、日の丸飛行隊が活躍した長野オリンピック、さらに、FIFAワールドカップフランスが開催した年。
2 1998年 - 1999年
3 1999年 - 2000年 NHKホール(紅白歌合戦会場) 三宅民夫 ステージ上に大きなデジタル時計を表示し、大勢でカウントダウンを行った。この年は、西暦が2000年に到達するミレニアムを迎える事もあり、大勢の人間でミレニアムの瞬間を迎えようという意図もあり、00:00を迎える直前にNHKホールに中継先を差し戻した。また、高橋尚子が活躍したシドニーオリンピックがあった。
4 2000年 - 2001年 日本科学未来館 三宅民夫 20世紀から21世紀への世紀替わりの瞬間を迎えた全国(20箇所)の表情などを中継。
5 2001年 - 2002年 横浜国際総合競技場(神奈川県横浜市港北区)KS 青山祐子 FIFAワールドカップKOREA・JAPAN決勝戦の舞台。他にもソルトレークシティオリンピックも開催した。
6 2002年 - 2003年 柿沼郭 KS会場には、作家の五木寛之が解説で出演。
7 2003年 - 2004年 金剛峰寺(和歌山県伊都郡高野町高野山)
浅草寺(東京都台東区浅草)KS
朝日山計仙麻神社(宮城県石巻市)
ふるさと銀河線陸別駅(北海道足寄郡陸別町)
勝興寺(富山県高岡市)
一般人宅(宮城県登米市)
シンタグマ広場(ギリシャ・アテネ)
岩戸神社(宮崎県延岡市北川町※当時は合併前で東臼杵郡北川町
薬王寺(徳島県海部郡美波町)
筒賀大歳神社(広島県山県郡安芸太田町)
三宅民夫
高橋美鈴
地上デジタル放送がスタートした翌年、アテネオリンピックが開催。野口みずき選手らが金メダルを獲得した。4世代申年の鈴木賢史一家が出演、さらに、アテネ市長も出演した。
8 2004年 - 2005年 常慶院(長野県下水内郡栄村)
洞盟寺(新潟県長岡市)
厳島神社(広島県廿日市市宮島)
臼杵石仏(大分県臼杵市)
平安神宮(京都府京都市左京区)
2005年日本国際博覧会(愛知県愛知郡長久手町)KS
明治神宮(東京都渋谷区)
金刀比羅宮(香川県仲多度郡琴平町)
毛越寺(岩手県西磐井郡平泉町)
飯生神社(北海道山越郡長万部町)
クリネックススタジアム宮城(宮城県仙台市宮城野区)
アンパーラ(スリランカ)
バグダッド(イラク)
原爆ドーム(広島県広島市中区大手町)
1.17希望の灯り(兵庫県神戸市中央区三宮)
那谷寺(石川県小松市)
ソウル(大韓民国)
野村正育
高橋美鈴
高橋アナは2回目の出演。博覧会内の日本館から中継を行った。さらに、仙台市の球場では東北楽天ゴールデンイーグルスアドバイザー・ファンサービス部長のマーティ・キーナートも出演した。
9 2005年 - 2006年 常呂町カーリングホール(北海道北見市)
出羽三山神社(山形県鶴岡市)
埼玉スタジアム2002(埼玉県さいたま市緑区)
東京湾海上交通センター(神奈川県横須賀市)
恵比寿神社(福井県丹生郡越前町)
豊川稲荷(愛知県豊川市)
比叡山延暦寺(滋賀県大津市)
薬師寺(奈良県奈良市西ノ京町)
世界平和記念聖堂(広島県広島市中区)
竹林寺(高知県高知市五代山)
椎葉厳島神社(宮崎県東臼杵郡椎葉村)
該当者なし この年は、荒川静香が活躍したトリノオリンピック2006 FIFAワールドカップドイツ大会があった。
10 2006年 - 2007年 姥神大神宮(北海道檜山郡江差町)
大畑八幡宮(青森県むつ市)
願成寺(福島県喜多方市)
柴又帝釈天(東京都葛飾区柴又)KS
法明寺 鬼子母神堂(東京都豊島区)
伊勢神宮外宮(三重県伊勢市)
知恩院(京都府京都市東山区)
箸蔵寺(徳島県三好市)
光明寺(山口県下関市)
竹富島(沖縄県八重山郡竹富町)
松尾剛
首藤奈知子
寅さんの舞台に進行キャスターの松尾&首藤コンビが2004年 - 2005年の野村&高橋コンビ以来1年ぶりの出演。
11 2007年 - 2008年 夕張神社(北海道夕張市)
中尊寺(岩手県西磐井郡平泉町)
浅草寺(東京都台東区浅草)KS
番神堂(新潟県柏崎市)
明善寺(岐阜県大野郡白川村)
平等院鳳凰堂(京都府宇治市)
長谷寺(奈良県桜井市)
西國寺(広島県尾道市)
岩屋寺(愛媛県上浮穴郡久万高原町)
カトリック中町教会(長崎県長崎市)
松尾剛
首藤奈知子
2回目の出演となる松尾&首藤コンビは2回目のキーステーション、以前は三宅&高橋コンビが進行を勤めた浅草寺。この年は、ソフトボール日本代表が活躍した北京オリンピックの年。
12 2008年 - 2009年 沼田神社(北海道雨竜郡沼田町)
唐松神社(秋田県大仙市)
双林寺(宮城県栗原市)
成田山新勝寺(千葉県成田市)KS
赤レンガ倉庫(神奈川県横浜市中区)
瑞龍寺(富山県高岡市)
清水寺(京都府京都市東山区)
美保神社(島根県松江市美保関町)
善通寺(香川県善通寺市)
観世音寺(福岡県太宰府市)
阿部渉
島津有理子
この回からは、除夜の鐘の中継がされなくなった。

紅白歌合戦で白組司会を務めた阿部渉アナが当番組の進行キャスターを務めた。

13 2009年 - 2010年 慈恩寺(山形県寒河江市)
朝護孫子寺(奈良県生駒郡平群町信貴山)
増上寺(東京都港区芝公園)KS
両子寺(大分県国東市安芸町)
上武佐ハリストス正教会(北海道標津郡中標津町)
多聞院(広島県広島市南区)
妙厳寺豊川稲荷〕(愛知県豊川市)
歌舞伎座(東京都中央区銀座)
潮江天満宮(高知県高知市天神町)
妙成寺(石川県羽咋市)
森本健成
島津有理子
2回目の出演である島津アナが土・日・祝日担当キャスターの森本アナと共に増上寺から行った。この年は、バンクーバーオリンピック2010 FIFAワールドカップ南アフリカ大会の年。
14 2010年 - 2011年  亀戸天神社(東京都江東区)KS
知恩院(京都府京都市東山区)
東京スカイツリー(東京都墨田区)
羽田空港(東京都大田区)
中山寺(福井県若狭郡高浜町)
白兎神社(鳥取県鳥取市)
白鬚神社(宮崎県児湯郡川南町)
津軽鉄道(青森県五所川原市)
陶山神社(佐賀県西松浦郡有田町)
鵡川神社(北海道むかわ市)
ソウル(大韓民国)
伊東市の海底(静岡県伊東市)
三番叟まわし(徳島県三好市)
森本健成 この回がアナログ放送最後の年末番組、森本アナは2回目。
瀧本美織NHK紅白歌合戦会場から駆けつけてゲスト出演。
例年は00:15に終了するが、岩手・宮城・福島の3県を除くアナログ放送下では最後の放送となるからか、今回は00:30まで放送された。[4]
15 2011年 - 2012年  ニセコスキー場(北海道虻田郡倶知安町
中尊寺(岩手県西磐井郡平泉町KS
洞源院(宮城県石巻市
相馬太田神社(福島県南相馬市
東京スカイツリー第1展望台(東京都墨田区)
山下公園(神奈川県横浜市中区)
日石寺(富山県中新川郡上市町
東大寺(奈良県奈良市)
湯神社(岡山県美作市
石手寺(愛媛県松山市)
波上宮(沖縄県那覇市)
ウェンブリー・スタジアムイギリスの旗 イギリスロンドン市
森本健成
鈴木奈穂子
この回が岩手・宮城・福島の3県を除いてデジタル放送最初の年末番組となり、森本アナは3回目。
鈴木奈穂子が初の進行役(ちなみに今回は5.1cnサラウンド放送)[5]

[編集] 紅白歌合戦との関係

  • 上述した様に、紅白歌合戦の流れにより毎年、高視聴率を記録している。
  • 1999年から2000年に掛けて放送された時は、前述の様にミレニアムを迎える事もあり、当番組特有の静けさとは打って変わり、カウントダウンのため、喧騒取り巻くNHKホールに中継先が差し戻された。
  • 番組と番組をつなぐ切り替え作業の手法が通常の切り替え方式とは全く異なっている(2009年12月30日放送の紅白歌合戦AtoZより)。通常放送時は音声をフェードアウトして次番組に切り替わって音声をフェードインするが、紅白歌合戦と本番組の切り替えでは紅白歌合戦の音声をフェードアウトせず、次番組の切り替えと同時に音声も消えて、本番組開始時に音声をフェードインする。この手法は高校野球中継の総合テレビ・Eテレのリレー放送時の相互切換、大相撲中継時の中断ニュース、災害・地震などの特設ニュースが入った時でも見られる。

[編集] 不祥事

  • 2002年(平成14年)12月28日、大阪放送局の委託業者が撮影照明ライト固定のために、東大寺の鐘楼(国宝)に釘9本を打ち込み、厳重注意を受けた。

[編集] ラジオ

ゆく年くる年
ジャンル 年末特別番組
放送方式 生放送
放送時間 毎年12月31日 - 翌年1月1日
放送局 NHKラジオ第1
出演 濱中博久アナ(メイン会場の総合司会)、他ゲスト若干名
公式サイト 公式サイト
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ラジオ第1放送でも同名の番組が放送されていたが、2007年 - 2008年の年越しから番組名を「新たな年へのメッセージ」に変更した。その後、2008年 - 2009年の年越しは「年越しラジオ」、2009 - 2010年の年越しはこの2つのタイトルを組み合わせた「年越しラジオ ゆく年くる年」として放送された。

2006年 - 2007年までは『NHK紅白歌合戦』終了後の23:45より東京・NHKラジオセンターのスタジオをメイン会場として、各地の寺社のリポート、午前0時の時報と共に「新年明けましておめでとうございます」の挨拶、新年を迎えた各地の寺社のリポートの後、番組テーマ(2006年 - 2007年は「今、築く絆〈きずな〉〜命・信頼・そして家族〜」)に従って、メイン会場に迎えるゲストと司会者のアナウンサーらとの対談トークが行われ、0:45まで続く。その後ニュースが入り、1:00から『ラジオ深夜便』につながる。

「新たな年へのメッセージ」では、基本的な構成は『ゆく年くる年』を受け継いだが、番組の作り方に若干変更が行われた。

[編集] 民放テレビ

ゆく年くる年
ジャンル 年末特別番組
放送時間 毎年12月31日 - 翌年1月1日
放送期間
放送国 日本の旗 日本
制作局 民放各局(1988年まで毎年持ち回り・共通内容)
出演者 #年表参照
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[編集] 民放共同

過去に民放で放送されていたものは、在京キー局が輪番制で年越し向けの番組の制作に当たり、それを全国の民放テレビ局が同時放送するというものであった。終了当時、民放全局フルネットの番組はこの番組と放送広告の日(現・民放の日)の特番及び「民放連会長あいさつ」のみである。毎年、あるテーマに沿った内容で全国各地からの中継を展開していた。新聞・雑誌の番組表も局と局の間の線をなくして長めの表になっているものがあった。

第1回放送から最終回まで一貫してセイコー(服部時計店→服部セイコー→現在)一社提供であった。そのため、カウントダウンや時報には同社の時計が使用されていた。また、年越しの瞬間に同社の関連施設である東京銀座和光の時計台がバックに映っていた事があった。

テレビ放送では1988年 - 1989年の放送を最後に共同制作は終了。結果的に昭和時代の共同制作番組といえる。最後に制作したのはテレビ朝日であり、テレビ東京は1989年 - 1990年分の制作を逃した格好となった。

クロスネット局が次第に減少していった影響もあり、1990年 - 1991年からは各放送局で独自の内容の年越し番組を制作し、放送している。

この民放テレビ版放送の第1回は、日本テレビラジオ東京(現:TBSテレビ)の共同制作であった。フジテレビ系列は、しばらくはこの民放テレビ版放送の制作・放送には加わらず、同じセイコーからの提供番組でありながら独自の番組を放送していた。その後1971年にようやく民放テレビ版に参加し、これをもって初の民放全局放送となった。テレビ東京は、東京12チャンネルであった頃の1974年に制作へ参加。それまでは他局制作分の番組を流すだけの受け局であった。

特筆すべきものとして、1980年 - 1981年の日本テレビ制作のものは『ズームイン!!朝!』に近い形となったほか、1987年 - 1988年フジテレビ制作のものはJNN加盟局があるにも拘らずニュースが放送されている[6]。また、1984年 - 1985年のテレビ東京制作のものは、系列局が少ないものの、午前0時前後に全国各地の映像を入れていた(但し、生中継かどうかは定かではない。)。

[編集] 年表

注…CBC=中部日本放送OTV(大阪テレビ放送)=後に朝日放送と吸収合併、HBC=北海道放送NET(日本教育テレビ)=現:テレビ朝日東京12チャンネル=現:テレビ東京

放送年 制作局 ネット
局数
総合司会 テーマ 備考
1 1956年 - 1957年 日本テレビ
ラジオ東京
4 日本テレビラジオ東京、CBC、OTVの4局で番組放送開始。
2 1957年 - 1958年 5 HBC開局で初参加。
3 1958年 - 1959年 フランキー堺 23時40分よりラジオ・テレビ同時放送。
4 1959年 - 1960年 日本テレビ フランキー堺
朝丘雪路
NET初参加
5 1960年 - 1961年 TBS
6 1961年 - 1962年 日本テレビ 40 秋山ちえ子 地方局が続々と開局。40局ネットとなる。
7 1962年 - 1963年 TBS 40 坂本九 ドキュメンタリー・ドラマ風。
8 1963年 - 1964年 NET 40 森繁久彌 日本を謳う 安部公房が番組の構成を担当。
9 1964年 - 1965年 日本テレビ 40 三木鮎郎
小島正雄
坂本九
植木等
タイトルは「ゆく年くる年・スタープレゼント」。三船敏郎石原裕次郎などのスターがスタジオに集合。
10 1965年 - 1966年 TBS 40 山村聰 おめでとう日本列島 「ゆく年くる年」は副題。
11 1966年 - 1967年 NET 40 木島則夫
小林桂樹
おめでとう若い日本 「ゆく年くる年」は副題。
12 1967年 - 1968年 日本テレビ 40 坂本九
吉永小百合
おめでとう'68年 「ゆく年くる年」は副題。各地の風景・未来の夢・日本の現実・建設の4つがテーマ。
13 1968年 - 1969年 TBS 43 古谷綱正
池内淳子
沢田雅美
にっぽん・ゆく年くる年 東京12チャンネル初参加。43局ネット。
14 1969年 - 1970年 NET 52 竹脇無我
栗原小巻
あなたと僕の握手 万国博会場から『世界の広場で』の大合唱。
15 1970年 - 1971年 日本テレビ 58 高橋圭三
ザ・ドリフターズ
全員集合!! 71年夢いっぱい 大阪天満宮の初詣。関門橋建設現場などから中継。
16 1971年 - 1972年 TBS 83 堺正章
井上順之
コント55号
ザ・ドリフターズ
笑い初めだョ! ゆく年くる年 フジテレビ系初参加。全民放83局同時ネットとなる。
17 1972年 - 1973年 フジテレビ 86 小川宏
高峰三枝子
若さでいこう ゆく年くる年 各局の人気番組のタレントを番組のままの服装で登場させ、ミニドラマを展開。
18 1973年 - 1974年 NET 86 高島忠夫
黒柳徹子
人と社会と自然のふれ合い 全国各地から生活に密着した6つの素材を選んで構成。
19 1974年 - 1975年 東京12チャンネル 87 石坂浩二
うつみ宮土理
豊かな明日のために 古き良き物と新しい物を中継。男鹿半島なまはげなど。
20 1975年 - 1976年 日本テレビ 89 高島忠夫
仁科明子
みんなと話そう 人間同士の対話を取り戻し、絆を強く結び直すことがテーマ。
21 1976年 - 1977年 TBS 89 田宮二郎
山口百恵
愛してますか あなたは… スタジオを使わず、司会者も外からの中継。
22 1977年 - 1978年 フジテレビ 89 渥美清
夏目雅子
露木茂
世界とともに 世界各国の街の表情や、日本国外で活躍する日本人をリポート。
23 1978年 - 1979年 テレビ朝日 91 萩本欽一
檀ふみ
ふれあいを求めて 1979年が国際児童年のため、この趣旨に沿った話題で進行。
24 1979年 - 1980年 東京12チャンネル 93 関口宏
浅茅陽子
愛と祈り 市川崑が総監督を担当。増上寺経蔵テレビ初公開。大井川鐵道SL中継。
25 1980年 - 1981年 日本テレビ 94 渡辺謙太郎
金子勝彦
露木茂
溝口泰男
徳光和夫
だから日本が好き! 新宿鶴ヶ城富士山五合目、宇高連絡船などから中継。また、主体の司会5人は各民放の看板アナ(溝口はフリー)が登場。
26 1981年 - 1982年 TBS 96 古谷一行
中原理恵
星野知子
21世紀への旅立ち 20年後の世界に目を向け、2001年は世界がどう変わっているかを展望。
27 1982年 - 1983年 フジテレビ 99 小川宏
ビートたけし
俵孝太郎
ジャイアント馬場
田丸美寿々
だから! より人間らしく 同番組初のステレオ放送。「ゆく年」の15分間は日本列島各駅からの中継。「くる年」になる午前0時の15秒前からは、この年(1983年)に開園する東京ディズニーランドから生中継を行った。
28 1983年 - 1984年 テレビ朝日 102 武田鉄矢
名取裕子
信じることからはじめよう コンピューターグラフィックスによる正零時の時報。
29 1984年 - 1985年 テレビ東京 102 市川猿之助
桂文珍
中井貴恵
未来、それはいま オープニングは歌舞伎座から中継。猿之助自ら企画・構成・演出。
30 1985年 - 1986年 日本テレビ 103 加山雄三
徳光和夫
日本・きた道ゆく道 新しく竣工したばかりの両国国技館から生放送。
31 1986年 - 1987年 TBS 103 仲代達矢
大地真央
小泉今日子
おーい! 愛しの地球よ ソウル長崎オランダ村本部半島などから中継。
32 1987年 - 1988年 フジテレビ 106 逸見政孝
笑福亭鶴瓶
榊原郁恵
時を見つめて 瀬戸大橋青函連絡船などから中継。
33 1988年 - 1989年 テレビ朝日 106 西田敏行
富田靖子
小宮悦子
好きです輝いてるあなたが 最終回。33年の歴史に幕。全民放106局同時ネット。

[編集] その後の民放局の展開

[編集] 在京キー局

[編集] 日本テレビ

日本テレビ系列では、同時ネット終了後も1990年(平成2年)から1991年(平成3年)の年越しまで独自の「ゆく年くる年」を放送した。その後は『いけ年こい年』を1994年 - 1995年1999年 - 2000年・2000年 - 2001年の各12月31日 - 1月1日、全3回放送した(2000年 - 2001年の放送ではカウントダウンが2分早く、「21世紀が来たー!」というテロップが12月31日23時58分に放送されるという前代未聞のハプニングを起こしたことで、視聴者から苦情が殺到した。これにより、『電波少年』などを主体とする番組での放送を廃止した)。2001年 - 2002年分はナインティナインをメインに「ぐるぐるナインティナイン」主体の番組となり、以後2005年 - 2006年までの5年間担当した。

2006年以降は、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』の特別版、「笑ってはいけないシリーズ」を放送している。全編録画で放送し、そのまま年を越す。途中生放送の差し込みによるカウントダウンも実施しない[7]。民放でカウントダウンもなく年を越すパターンは、独立UHF局を除いても近年では珍しいケースである。

[編集] TBS

TBS系列では、1979年 - 1980年の『ゆく年くる年』(東京12チャンネル(当時)制作)の後に延長線上の番組『80年、未来をこの手に!』が全民放に向けて放送された。この日からライオン油脂・ライオン歯磨の合併によりライオン株式会社発足を記念した一社提供で「ライオンスペシャル」と冠が付いていた(なお、形式上は全民放に向けて放送となっているが、実は諸事情でびわ湖放送のみこの番組のネット受けを直前になって拒否した。詳しくは、びわ湖放送#備考を参照)。

平成に入ってからは、サザンオールスターズ桑田佳祐の年越しライブを、地上波では異例の試みとして生中継で放送し、2000年まで続けられた(2000年はWOWOWとの同時放送)。現在では、NHKやフジテレビと同時刻より『COUNT DOWN TV』のスペシャルライブを生放送し、カウントダウンも行っている(2008年 - 2009年までは同番組の前に一年最後の『JNNニュース』も放送していた)。それでも、1992年から2000年までは『39時間テレビ』『30時間テレビ』『超える!テレビ』『SANBA TV』といった年跨ぎ大型特別番組内でもカウントダウンのコーナーを設けていた。

[編集] フジテレビ

1989年(平成元年) - 1990年(平成2年)は『やっぱり猫が好き』のスペシャル版『年またぎ・猫が好き』が放送され、劇中でカウントダウンも行っていた。その後も自社で特別番組を制作・放送していたが、1998年からは東京ドームで行われる『ジャニーズ年越しコンサート』の模様を毎年生中継している(途中でカウントダウンを挿入)。

[編集] テレビ朝日

民放テレビ版の終了以後、テレビ朝日系列では『スーパーアーティストカウントダウンライブ』『ゆく年くる年地球の歌』などの特別番組を経て、1999年 - 2000年は『24時間地球大騒ぎ カウントダウン2000』を、同年から2003年まで同局のテレビ番組やスポーツ中継の名場面などを放送していた。2004年から2007年までは『お笑い!!ゆく年くる年』が放送され、お笑いを主題とした内容でありながら、かつての民放テレビ版放送の第1回目を再現しようとの主旨で企画されたものだった。

2008年2009年は『年越し雑学王』が放送され、クイズ出題中にカウントダウンを行うシーンが挿入された。2010年は『そうだったのか!池上彰の学べるニュース 年またぎ6時間半スペシャル』が放送され、番組中にカウントダウンが挿入される。また、翌年の2011年にも『そうだったのか!池上彰の学べるニュース 年またぎ7時間半スペシャル!!』の放送が決定したため、今年も番組内でカウントダウンが挿入される可能性がある。

[編集] テレビ東京

テレビ東京系列では、1990年代前期頃から『ゆく年くる年GALA(ガラ)コンサート』を放送した後、1995年からは東急グループ主催のクラシックコンサート『東急ジルベスターコンサート』の模様を生中継している。年を越す曲は毎年変わり、午前0時丁度にピッタリと曲を終わらせ、新しい年を迎えることが特徴。

なお、この番組の終了直後にミニニュース番組『TXNニュース』が放送される(内容はNHK総合テレビの同時間のニュースと同様。2000年代前期までは「東急ジルベスターコンサート」の前に放送)ため、年越しの時間帯に関してはもっともNHK総合テレビに編成が近いといえるが、『東急ジルベスターコンサート』は年越しについて、厳粛さよりは華やかさを強調した雰囲気である。

[編集] 独立UHF局

独立UHF局では、1989年 - 1990年以降、毎年1998年 - 1999年までフルネットの特番(TVK制作)を放送していた(ただし、1995年 - 1996年にMXテレビ(現:TOKYO MX)が放送した「東京NEWSスペシャル」〈時間延長〉を除く。この番組では映像記者がスタジオに集まって、行く年に手を振った)。内容は毎年異なり、どちらかというと硬い話題(例えば「道」)を柔らかめにしたものが多かったが、1993年 - 1994年の「SONY MUSIC TVスペシャル」のようなケースもある。

1999年 - 2000年はいわゆるミレニアム年越しに伴い、各地でカウントダウンがブームとなったため、独立U局は地元のカウントダウンイベント中継など自社制作をする様になった(ただし、1999年開局のとちぎテレビは通常編成)。このため、この年の局を超えた年越し特番はtvkサンテレビの2局ネットだけになった。翌2000年 - 2001年も世紀を跨いだカウントダウンとなったことから、この傾向が完全に定着し、以後各局の自主編成(通常編成を含め)となった。

内容としては、県内各地からの生中継や、地元スポーツ(プロ野球Jリーグなど)に関する討論会などが中心である。サンテレビジョンの場合は阪神タイガースの選手・監督・ファンの有識者による「タイガース座談会」(2010年は大晦日が金曜日であったため熱血!タイガース党がベースの特番だった)が行われている。

2009年 - 2010年以降、テレビ埼玉が「ゆく年くる年歌合戦」を制作、UHFの数局が同時放送している。

[編集] 民放ラジオ

[編集] AM(中波)・短波

ゆく年くる年
ジャンル 年末特別番組
放送方式 生放送
放送時間 毎年12月31日 - 翌年1月1日
放送局 輪番制
ニッポン放送
文化放送
TBSラジオ
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民放AMラジオでも、過去に在京キー局であるニッポン放送文化放送TBSラジオが輪番制で番組を制作していた(1960年代までは在京キー局を含む30数社の共同制作という形態だった)。1955年 - 1956年の年越しより放送開始(提供・コカ・コーラ)。この放送コンテンツは中波局はもちろん、短波放送であるラジオたんぱ(現:ラジオNIKKEI)を含めてすべてのAMラジオ放送局で放送されていた。ラジオたんぱでは通常の大学受験講座がこの番組に変わるだけ(同番組は12月31日は例年全局で休講)で、他は全く通常編成であった(但し直後の長時間ニュースは30分遅れ)。

なお、1963年 - 1965年(1966年への年越し)の間はJRNNRNの両ネットワークで別々の年越し番組を制作していた。この間はラジオたんぱも別プログラムだった。

[編集] 1950年代の内容

ゲスト:大下弘西鉄ライオンズ)、火野葦平玉乃海
ゲスト:稲尾和久(西鉄ライオンズ)、岸恵子
日本短波放送(ラジオたんぱ)初参加

[編集] 1960年代の内容

ラジオ関東(現・RFラジオ日本)はこの年から1965年まで不参加
  • 1962年 - 1963年(「若き明日の日本の若さを」 アイ・ジョージ倍賞千恵子
  • 1963年 - 1964年
    • TBS:『ゆく年くる年』(高橋圭三石井好子HBCTBCCBCABCRKBと共同制作)
    • 文化放送:『新春を迎えるオールナイト・ミュージック』
    • ニッポン放送:『歳末多元報道特集・新しい年の足音』(中村メイコSTVYBCSFMBSRCCKBCと共同制作)
    • ラジオたんぱ:『一本の棒のごとくに去年、今年』
  • 1964年 - 1965年
    • TBS:『ゆく年くる年』
    • 文化放送:『新春を迎えるオールナイト・ミュージック』
    • ニッポン放送:『オールナイト電話リクエスト・ゴールデンパレード』
  • 1965年 - 1966年
  • 1966年 - 1967年(ケン田島他)
全局統一放送に戻る

[編集] 1970年代の内容

  • 1970年 - 1971年(「オン・ライン日本列島」 芥川也寸志
  • 1971年 - 1972年(ニッポン放送「日本の伝統と若者たち」 黒川紀章
  • 1972年 - 1973年(TBSラジオ「日本の伝統と若者たち」 愛川欽也見城美枝子
  • 1973年 - 1974年(文化放送「美しい日本」 愛川欽也)
  • 1974年 - 1975年(ニッポン放送「生きざまそして昭和50年」)
  • 1975年 - 1976年(TBSラジオ「若者元年・見つめようあしたを」 小室等桝井論平
  • 1976年 - 1977年(文化放送「若者たち・再びロマンの海へ…旅・冒険・ロマンの世界を」 みのもんた
  • 1977年 - 1978年(ニッポン放送「1/35000000 〜ワカモゲラ・ニュージャパニーズ」 タモリ西村知江子
  • 1978年 - 1979年(TBSラジオ「若いことばはエイトビートで」 久米宏山本エミコ
  • 1979年 - 1980年(文化放送「走れ!80年代のメロスたち」 梶原茂高石ともや

[編集] 1980年代の内容

  • 1980年 - 1981年(ニッポン放送「ひとりじゃないよ・タモリの日本のご家庭大研究』)
  • 1981年 - 1982年(TBSラジオ「青春年齢いま20歳」 さだまさし
  • 1982年 - 1983年(文化放送「コミュニケーション元年」 さだまさし、吉田照美
  • 1983年 - 1984年(ニッポン放送「'84地球はスポーツ気分」 山口良一川島なお美
  • 1984年 - 1985年(TBSラジオ「マイサウンズ・マイソング!」 山本コウタロー山下久美子
  • 1985年 - 1986年(文化放送「100年後に残したいこの100曲」 小林克也千倉真理
  • 1986年 - 1987年(ニッポン放送「みんなでプッツン!高校生のゆく年くる年』 上柳昌彦渡辺美里
  • 1987年 - 1988年(TBSラジオ「史上最大のロック電リク」 松宮一彦富田靖子
浅草から公開生放送。
  • 1988年 - 1989年(文化放送「明日のスーパースターを探せ」 長嶋茂雄他)
  • 1989年 - 1990年(ニッポン放送「今、一番大切なあなたへ」 大槻ケンヂ

[編集] 1990年代の内容

  • 1990年 - 1991年(TBSラジオ「脱・オタク宣言」 サンプラザ中野
  • 1991年 - 1992年(文化放送「おいしい夢を食べよう」 吉田照美小川範子
  • 1992年 - 1993年(ニッポン放送「1億人の大合唱」 伊集院光小室哲哉
  • 1993年 - 1994年(TBSラジオ「夢を語れますか?」 松宮一彦、岸谷五朗
  • 1994年 - 1995年(文化放送「愛してるからラブレター」 本木雅弘荻野目慶子
  • 1995年 - 1996年(ニッポン放送「未来へのマーチ」 福山雅治
  • 1996年 - 1997年(TBSラジオ「合言葉はHAPPY」 伊集院光、櫻井智
なお、この前日に放送した『伊集院光 深夜の馬鹿力』では、公開リハーサルと称して、勝手にこの番組のパロディ企画を放送している。
第3次声優ブームという事もあって、当時文化放送のアニメゲーム関連番組(いわゆる「A&G」ゾーン)の出演者が多く登場した。新宿渋谷からの中継もあった。
この年はコカコーラの提供はなく、代わってアニメ・ゲーム関連のスポンサーが多く目立っていた。
1999年はナイナイの年という事で、第九を歌う企画(ただ曲に合わせて「ナインティナイン」と叫ぶだけのもの)。北海道(担当:STVラジオ)・沖縄(担当:ラジオ沖縄)・お台場の3元中継。
  • 1999年 - 2000年(TBSラジオ「次世代スター大発表」 伊集院光、小倉弘子
伊集院光 日曜大将軍』をベースにした番組。松坂大輔らが出演した。

[編集] 2000年代の内容

  • 2000年 - 2001年(文化放送「21世紀への夢」)

2000年 - 2001年にかけての放送(担当:文化放送)をもって共同制作は終了。結果的に20世紀に放送された共同制作番組といえる。以後、日経ラジオ社は深夜放送枠を縮小して以降、年越しの放送を行っていない。

中波各局は、各局独自(単独やブロックネット)の年越し特番を制作・放送しているが、一部の局では人員・予算の関係でニッポン放送・文化放送・TBSラジオのいずれかの年越し特番をネット受けしたり、年越し特番をせずに通常の録画ネット番組を放送する局もある。

[編集] FMラジオ

ゆく年くる年
ジャンル 年末特別番組
放送方式 生放送
放送時間 毎年12月31日 - 翌年1月1日
放送局 TOKYO FM
ネットワーク JFN
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TOKYO FMをキー局にしたJFN各局では、共通の年越し番組を毎年行っているが、2008年 - 2009年はかつて民放テレビの「ゆく年くる年」のスポンサーを務めたセイコーが20年ぶりに復帰し、「SEIKO presents ゆく年くる年」としてJFN加盟38局同時ネットで放送された。


[編集] 地上波以外

JLC NEWS 年末スペシャル
『競艇ゆく年くる年』
ジャンル スポーツ番組 / 年末特別番組
放送時間 前年12月31日 - 翌年1月1日(540分)
放送期間 2007年12月31日 - 2008年1月1日(1回)
放送国 日本の旗 日本
制作局 日本レジャーチャンネル
出演者 植木通彦
中道善博
ほか
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2007年(平成19年)12月31日21時から2008年(平成20年)1月1日6時まで、9時間にわたって日本レジャーチャンネルが「JLC NEWS 年末スペシャル『競艇ゆく年くる年』」を放送した。

この節は執筆の途中です この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています

[編集] 脚注

  1. ^ 2010年平成22年) - 2011年(平成23年)はアナログ放送下では最後の放送のため、00:30まで放送された。
  2. ^ 1976年(昭和51年) - 1977年(昭和52年)は短波無線局JJY」の時報を放送した。
  3. ^ この時は1999年平成11年)12月31日23時58分30秒頃より画面が紅白歌合戦終了直後のNHKホール内の映像に切り替わり、紅白歌合戦出演者及び観衆による2000年(平成12年)に向けてのミレニアムカウントダウンの模様が放送された。
  4. ^ 実際の本編の終了時間は00:29.30であり、残りの30秒間は総合テレビ・BS2では中継先の東京スカイツリーから、地上デジタル放送推進大使を務める鈴木奈穂子の出演により生でテレビのアナログ放送終了に関する告知が放送された。一方、NHKワールド・プレミアムではその間、フィラー映像(動物の生息する景色)に差し替えられた。
  5. ^ ゆく年くる年 (PDF) NHK広報局 2011年12月21日付
  6. ^ JNN系列局は、他系列の制作したニュースを放送してはならないという「JNN排他協定」がある。
  7. ^ 番組終盤に「年を越した」旨が出演者から伝えられるが、その部分も事前録画である。
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