テイク・ザット

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Take That
メトロ・ラジオ・アリーナでのパフォーマンス(2007年11月)
メトロ・ラジオ・アリーナでのパフォーマンス(2007年11月)
基本情報
出身地 イングランドの旗 イングランド マンチェスター
ジャンル Pop
活動期間 1990年 - 1996年
2005年 -
レーベル ソニー・ミュージック (1990年-1996年)
MCA(2005年 - )
ポリドール・レコード (2005年 - )
公式サイト www.takethat.com
メンバー

ゲイリー・バーロウ (1990-1996, 2005-)
マーク・オーウェン(同上)
ハワード・ドナルド(同上)

ジェイソン・オレンジ(同上)
旧メンバー
 ロビー・ウィリアムズ(1990-1995)
  

テイク・ザット(Take That)はイギリスのボーイバンド。マンチェスターで結成され、ポップ・ミュージックの先駆者として認められており、後のバックストリート・ボーイズスパイス・ガールズ5iveウエストライフなどのポップ・グループ、そしてボーイズバンドの流行を作った。1990年から1996年の間に2500万枚を売り上げた。1991年に初めてシングルをリリースしてから解散する1996年までの間イギリスのテレビ局、BBCでは「UK音楽史上、ビートルズ以来、最も成功したバンドで老若男女問わずに愛されている」とたびたび報じられたほど。ダンス・ポップ調やバラードの曲に人気があり、1990年代前半のチャートを占めていた。一人がメインで歌い、他のメンバーがコーラスを担当するという、メンバーの全員が歌うスタイルをとっている。初期のテイク・ザットの曲はメンバーのゲイリー・バーロウによってほとんどが作られたが、他のメンバーも作詞作曲の能力があり、再結成後には全員で曲作りを担当している。1993年にアルバム、『エヴリシング・チェンジズ』、1996年に『グレイテスト・ヒッツ』をリリースしている。1996年に解散しているが、2005年にはテイク・ザット特集のドキュメンタリー番組が放送され、また同年にはベスト盤を再度リリース。2006年にはイギリスでツアーを開始すると発表された。同年5月9日には10年ぶりにニューアルバム製作にむけてスタジオ入りした。2006年のイギリスでの再結成ツアーは大成功を収め、2006年末には再結成後初のアルバムもリリース。2007年3月にはアルバムプロモーションのため、再結成後初の来日を果たした。2007年秋からは世界ツアーと称してイギリスとヨーロッパ各地で再び大々的なライブツアーが行われた。

目次

[編集] 結成

イギリスのチェシャーで生まれたゲイリー・バーロウは15歳のときにイギリスのテレビ局、BBCで主催で開催されたA Song For Christmasというコンテストに出場。Let's Pray For Christmasをパフォーマンスした。そのコンテストで準決勝まで勝ち進むと、London's West Health Studiosにレコーディングをしないかと招待される。これがきっかけで、Northern club circuitというところで彼自身の歌やカバー・ソングを披露するようになった。18歳になるとマンチェスターでカーティス・ラッシュという名前でレコーディング活動をはじめた。ここで1990年にイギリスの有名なマネージャーであるマーティン・スミスが「いまのUKチャートには新しいバンドが必要」と思いたちバーロウと2人でオーディションを開催。ここでランカシャーで生まれたマーク・オーエンロビー・ウィリアムズが出会い2人はこのオーディションに合格する。RDS Royalというクラブでブレイク・ダンサー、そしてDJをしていたジェイソン・オレンジ画家、室内装飾業者をしながらストリートダンサーとしてテレビ番組にも出演していたハワード・ドナルドの2人はStreetbeatというグループを結成する。マネージャーであったマーティン・スミスはバックダンサーのオーディションも行い、この2人がメンバーとなり5人として活動を開始する。

[編集] デビュー当初

そろった5人は自らテイク・ザット(Take That)と呼ぶようになる。この名前はある日読んだ新聞にマドンナについて記事が書かれていて、そこに書いてあった単語、"Take That"からとった。また、バーロウは次のようにコメントをしている。「これはいくつもの案の中でも悪いやつ。でも最初のアイディアよりはまし。だって最初のアイディアはKick Itだったんだから。」最初の2年はイギリスのゲイ・クラブや高校で主にプロモーションを兼ねたライブ活動をしてた。ゲイ・クラブでの活動やそのパフォーマンス・ファッションに注目が集まり、「マネージャーのマーティン・スミス氏はゲイだ」というパロディ・ソングなども歌われた。結果、1992年には念願のメジャー・レーベルと契約。ファースト・シングル、「ドゥ・ホワット・ユー・ライク」(UKチャート82位)のプロモーション・ビデオでは、メンバーが裸になり、ゼリーを体に塗りつけるという過激な内容であった。こうしたゲイ・クラブでのライブの経歴などから、「ゲイ・バンド」という先行したイメージがもたれ、また重要である10代の女性層に人気がなく、その後リリースされた「愛を知るとき」と「プロミス」はUKチャートにもやっとランクインする程度であった。

[編集] 成功

ジョナサン・キングのカバー曲、「イット・オンリー・テイクス・ア・ミニット」をリリースすると、たちまちヒット曲となる。テンポが早く、ダンス調のこの曲はUKチャート7位をマークした。この動きから、次のバラードソング「ミリオン・ラヴ・ソングス」と「アイ・ファウンド・ヘブン」は両方ともトップ20にランクインした。しかしこれらの曲は、UKチャートのトップテン上位には及ばなかった。起死回生を図るため、ボーカルをこれまでのゲイリー・バーロウからロビー・ウイリアムスに変更し、バリー・マニロウドナ・サマーのヒットをカバーした「恋はマジック」をリリースすると大ヒットとなった。この4曲のヒットでテイク・ザットは公の場でパフォーマンスを行うようになる。1992年にはアルバム、『テイク・ザット&パーティ』をリリースした。1993年は アルバム、『エヴリシング・チェンジズ』をリリース。このアルバムは、バリー・マニロウのヒット曲をカバーしたものがほとんどであった。このアルバムからの1stシングル、「いつも二人で」がUKチャート2位をマークすると、その次のシングル、「プレイ」が初めてUKチャート・ナンバー1を獲得する。それに続き、「リライト・マイ・ファイア」、「ベイブ」(しかし、この曲は・クリスマス・ナンバー1ソングを逃した)、そして「エヴリシング・チェンジズ」が1位をマークする。5枚目のシングル「ラヴ・エイント・ヒア・エニモア」はUKチャート3位を記録した。またダイアナ元妃との会談、エルトン・ジョンとのテレビ番組など、一時代を築いた。1995年に『ノーバディ・エルス』をリリースし、このアルバムからのシングル「シュア」はUKチャート1位をマークすると、次のシングル「バック・フォー・グッド」はアメリカで大ヒットとなった。日本ではフジテレビの深夜に放送されていた音楽番組BEAT UK』でも発表するシングルのほとんどが初登場No.1を獲得していた。この間も日本にプロモーションやライブで何度も来日している。

[編集] ロビー・ウィリアムズの脱退

1995年7月にロビー・ウィリアムズがマネージャー、メンバーとの意見の食い違いからテイク・ザットを脱退する。テイク・ザットはそれでもアルバム、『ノーバディ・エルス』のプロモーション活動を続けた。特に人気のあった「ネヴァー・フォーゲット」をパフォーマンスし続け、日本にも4人で4度目の来日を果たし、国立代々木競技場にて2日連続のライブを行なった。しかし、これが解散前の最後のテイクザットとしての来日公演となってしまった。

[編集] 解散

ロビー・ウイリアムスなきテイクザットの行く末は、マネージャーのナイジェル・マーティン・スミス氏が初めから目論んでいた、ゲイリー・バーロウの単独ソロでの成功という方向性だった。1996年2月13日、テイク・ザットは解散を発表する。このニュースは世界中のファンの心に衝撃を与え、電話相談サービスが設けられたほどである。ファンの悲嘆は予想以上で、メンバーのハワード・ドナルドも自殺未遂をするほどの状況であった。解散前最後のアルバムとして、1996年にベスト盤、『グレイテスト・ヒッツ』をリリース。またこのアルバムに新曲、「愛はきらめきの中に」が加えられ、最後のナンバー1シングルとなった。同曲はビー・ジーズの大ヒット曲でもある。

[編集] 解散後

[編集] ゲイリー・バーロウ

解散後、バーロウはソロ活動を始め、アルバム、"Open Road"を1997年にリリース。また、シングル、"Forever Love"はUKチャート1位をマークした。この後、2枚目のアルバム、"Twelve Months, Eleven Days"をリリースしたが前作ほどのヒットには至らず、レーベルと契約を解除。するとメディアはそろって、「バーロウは遅いテンポのバラードしか歌えない」と報じた。ソロでアメリカ進出を目指すも、前途多難で、かつストレスによる肥満などに悩まされた。チェシャーにスタジオを作ってからは、作詞家やプロデューサーとして活動していた(主にドニー・オズモンドブルーデルタ・グッドレムに楽曲をあたえた)。結局ソロでの成功には行き詰ってしまった。

[編集] ロビー・ウィリアムズ

1997年にソロアルバム、"Life Thru A Lens"をリリース。ファースト・シングル、"Freedom '90"はジョージ・マイケルのカバー・ソングである。5枚目のシングル、"Angels"が大ヒットし、これは彼の代表的な曲といえる。それからは"I've Been Expecting You"、"Sing When You're Winning"、"Escapology"と数々のアルバムをリリースし、2005年には世界中でトータル4,500万枚を売り上げたとしてUKで「最も売り上げの多い歌手」、「イギリス音楽史上、もっとも成功した男性ソロアーティスト」と名づけられた。現在再び新たなアルバム制作を進めている。

[編集] マーク・オーエン

今までにソロで3枚のアルバムをリリースしている。("Green Man"、"In Your Own Time"(日本未発売)と"How the Mighty Fall") 解散後、ソロとしてのデビューシングル"Child"はUKチャート3位になる。続くセカンドシングル"Clementine"もUKチャートの3位を記録する。他のメンバーに先駆けて1996年12月に"Green Man"を発売。その後もシングル"I Am What I Am"をUKにてリリースする。

2002年には、テレビ番組"Celebrity Big Brother"で勝ち残りナンバー1になったことで、再び世間の注目を集める。2004年にイギリスで4位にチャートインした"Four Minute Warning"を含む"In Your Own Time"(日本では未発売)を発売。その後もシングル“Alone Without You”をUKリリース。 そして2006年1月には"How the Mighty Fall"をリリース。シングル曲"Hail Mary"も同年UKリリース。

ソロでイギリスや、ヨーロッパ各地で何度もプロモーション&ライブツアーが行なわれている。すべてのソロアルバムで自身が作詞作曲し、"How the Mighty Fall"では独自のレーベルを立ち上げ制作したほど、ソングライティングにはとても熱心で意欲的である。日本でも"Green Man"発売時にプロモーションで単独で来日、2006年にも"How the Mighty Fall"発売時に、プロモーションとミニライブでの単独来日を果たしている。また、バンド結成時からの親友ロビー・ウィリアムズのライブやツアーに予告なく登場するなどして、2人は今でも良い関係だと言われている。2007年の夏に再びソロアルバムの制作に取り組むという噂があったが延期になった。

[編集] ハワード・ドナルド

シングル、"Speak Without Words"を収録したが、発売までには至らなかった。その後、イギリスドイツDJとして活躍し評判も良く、クラブをめぐるツアーを何度も行なっている。テイクザットの活動の合間にもDJとして活動したりしている。

[編集] ジェイソン・オレンジ

音楽という方向性から一転、アクターズスクールにて演技を学び、俳優としてイギリスのミュージカルやTVドラマに出演した経験がある。

[編集] 再結成

テイク・ザットはまだ終わっていない…新しいアルバムの製作にとりかかるよう、“合法的”に契約を結ばされた。2005年11月16日、ITVに出演、解散時どのような気持ちであったか、また解散してから今までの10年、何をしていたかなどをテーマにした、ドキュメンタリー番組を放送。(脱退したロビー・ウィリアムズも出演)この番組ではテイク・ザットの本音、関係者の暴露、共に共演したアーティストの暴露などが放送された。テイク・ザットはデビュー当時からマネージャーの「お酒、タバコはだめ、ガールフレンドは絶対につくらない」という方針に縛られていた。そんな中でメンバーのウィリアムズがドラッグアルコール中毒になったのは有名な話(関係者によると一番ひどいときで1時間に2回コカインを使っていた)。また、ハワードが「マネージャーは知らないけど、実際何人もの女性と一緒に寝た。」と暴露。すると共演したある女性アーティストが「ええ、それは私よ。ウィリアムズとも寝たわ。」とコメントを残した。同月26日には2006年からロビー・ウィリアムズを除く4人でツアーを開始すると発表。2006年4月から当初11公演の予定であったツアーはすぐにチケット完売となり、19公演を追加。2ヶ月に渡るツアーを成功させた。また、アメリカの人気女性グループ、プッシーキャット・ドールズシュガーベイブスなどがゲストとしてテイク・ザットと共にパフォーマンスをした。ウィリアムズがツアーに参加しない間、メンバーはしきりにライブでこのようにコメントした。「ロビーを迎え入れるドアはいつも開いている!もしなにか退屈になってもし歌が唄いたくなったら、いつでも準備はできてる!僕達は彼のためにもう1つ余分にマイクを用意しているんだ!」新しく発売されたテイク・ザットのベスト・アルバムには新曲、"Today I've Lost You"が収録されている。(同曲は解散する直前に仕上げられ、未発表となっていた)。

テイク・ザットの再結成、そして成功は他のアーティストに多大な影響を与えた。後に説明するブリット・アウォーズでは受賞の際、ナレーションで「解散してから再結成して、ここまで成功するアーティストはいままでにはなく、これからもないだろう。」と言われた。また、5iveボーイゾーンの再結成に影響をあたえた。(5iveは契約できるレコード会社がなく再び解散)。長期にわたって再結成が噂されていたスパイス・ガールズも2007年6月28日に正式に再結成を発表し、「テイク・ザットに影響されている。」と語っている。

[編集] PatienceとBeautiful World

2006年5月9日にテイク・ザットは約10年ぶりにレコーディング活動を再開する。メンバーのオーエンは「これまでにない最高のアルバムをつくる。」とコメント。また、ドナルドがロビー・ウィリアムズに再結成、レコーディング活動再開のことを伝えたとコメントするとウィリアムズが戻ってくるのではないか、と噂が流れ始めた。同年9月10日にはシングル、「ペイシェンス」がテイク・ザット再結成後初のシングルになると発表。音楽産業界は「待つ価値がある。」とそろってコメントをした。2006年11月20日にシングル、「ペイシェンス」をリリースすると、2週目にはUKチャート1位をマーク。テイクザット9度目のチャート1位を記録した。また同曲は2006年シングル売り上げランキング8位に輝く。ドイツでは1週目のチャートで「バック・フォー・グッド」(1995年)以来のチャート1位をマーク。アルバム、『ビューティフル・ワールド』は2006年12月6日にUKチャート1位を記録。6週間連続でUKチャート1位をマークし、11月の後半にリリースされたにもかかわらず、2006年アルバム売り上げランキングでは2位に輝いた。また同アルバムは『ノーバディ・エルス』以来、約11年ぶりのトップ・アルバムになった。

2007年1月にはイギリスの女性雑誌、『New Woman』でジョニー・デップ(3位)、オーランド・ブルーム(4位)、ジョージ・クルーニー(6位)、ブラッド・ピット(7位)、ジャスティン・ティンバーレイク(10位)、デビッド・ベッカム(20位)を抑えてテイク・ザットとして世界で1番セクシーな男性に選ばれた。

[編集] Shine

2007年の初頭にはアメリカのレコード会社と契約し、ニューアルバムである『ビューティフル・ワールド』はカナダでもリリースされることになった。約10年ぶりにニューアルバムをリリースし1ヶ月でUKのみで150万枚を売り上げ、見事音楽シーンにカムバックしたテイク・ザットはスペイン、デンマーク、イタリア、ドイツ台湾日本でプロモーション活動をし、2007年10月にはイギリスヨーロッパ各地で世界ツアーが行われた。

このニューアルバム、『ビューティフル・ワールド』から、「ペイシェンス」につづく2ndシングルとして「シャイン」が2007年2月26日にリリースされた。それにさきがけ、イギリスの番組、チャンネル4ではビデオが同年1月15日に放送された。2007年2月14日にはイギリスアールズ・コートで開催された音楽の祭典、ブリット・アウォーズで「ペイシェンス」をパフォーマンスし、同曲は見事UKベスト・シングル賞を受賞した。3月4日には「シャイン」がUKチャート1位を記録し、生涯で10度目のナンバー1シングルとなった。これはアバスパイス・ガールズの記録、9曲を抜いたことになる。マーク・オーエンによって歌われる「シャイン」の歌詞は脱退したロビー・ウィリアムズに対するものではないかと噂されているが定かではない。 「シャイン」につづく3rdシングルとして「アイド・ウェイト・フォー・ライフ」がUKで6月18日にリリースされたが、この曲は、なぜかUKチャート上位をマークできなかった。しかし、「ペイシェンス」と「シャイン」はUKチャートでロングランし続けた。

[編集] 2007年

2007年8月に欧米にかけてヒットしたマシュー・ヴォーン監督作映画、スターダストのメインテーマとして新曲、ゲイリーがメイン・ヴォーカルを努める「ルール・ザ・ワールド」をレコーディング。ITV2ではプロモーションビデオが公開された。この映画のサウンドトラックには収録されない予定でテイク・ザット自身の新作アルバムに収録される予定である。また、同曲は2008年度のアカデミー賞(歌曲賞部門)にノミネートされる期待がたかまったが、結局ノミネートされなかった。シングルとしては2007年10月22日にUKでリリースされた。

2007年秋からはヨーロッパをツアーで回った。一時メンバーのハワードが出演中に怪我をしたため、数公演を3人で回ったことがあったが後に復帰して無事最後の公演を終えた。

[編集] 2008年

2007年の成功により、2008年のブリット・アウォーズにベスト・グループ、ベスト・シングル(シャイン)、ベスト・アルバム(ビューティフル・ワールド)、ベスト・ライブ・アクト部門の計4部門にノミネートされた。このうちベスト・シングルとライブ・アクト部門の2部門を受賞した。

再結成ライブとビューティフル・ワールド・ライヴの2つの大規模なライブを成功させたテイク・ザット。彼らは当初、2008年は8月まで休暇を取り秋から新たなアルバム制作に取り組む予定だったが前倒しになった。初夏にはレコーディングスタジオで目撃された。9月には曲作りの仕上げとしてLAでレコーディングを行った。クリスマスまでに新しい新曲、そしてアルバムをリリースする予定であり、10月からは新曲"Greatest day"のプロモーション活動に入った。10月13日にUKのローカルラジオ局にて新曲、「グレイテスト・デイ」が初公開された。UKでの発売日は11月24日。UKチャートで1位を記録した。この際、電話出演をしたメンバーのゲイリーがアルバム名は『ザ・サーカス』であることを公表した。2008年12月1日に発売。

[編集] 2009年

2009年のブリット・アワードではベストグループ部門にノミネート。また「グレイテスト・デイ」をパフォーマンスした。

3月2日には「アップ・オール・ナイト」(Bサイド曲は「84」)がシングルとしてUKで発売された(オフィシャルチャートで14位)。ドイツとイタリアでは同曲の代わりに3月20日に「ザ・ガーデン」がシングルとしてリリースされた。6月15日には「セッド・イット・オール」がシングルとしてUKで発売される。メンバーのマークは以前から計画していたソロ活動の準備を進めている。テイク・ザットとしての歴史をまとめたフォトブックをロビーも一緒に協力し10月に出版する予定がある。

現在、「ザ・サーカスツアー」を刊行中。このツアーのチケットの売り上げの速さはマイケル・ジャクソンの"Bad Tour"を抜き、UKで最も早くチケットを売り上げたツアーとされている。また、このツアーの最中の2009年6月に同年の秋には6枚目のアルバムを作成し始める予定だと発表した。

[編集] ロビー・ウィリアムズの復帰について

2007年4月、元テイク・ザットメンバーのロビー・ウィリアムズの母が、彼自身テイク・ザットの最近の功績やまたメンバーの一員になることに興味があると大衆紙に発表。またロビー自身もテイク・ザットに近い将来戻ることは「必然的なことである」とコメントした。2007年7月1日にイギリスで放送される故ダイアナ元妃の追悼コンサートであるコンサート・フォー・ダイアナでロビーが合流するのでは、と噂されたが、実現しなかった。 2007年夏にも再結成したメンバーらがLAで再度ロビーのメンバー入りを口説くが失敗に終わる。最終的にはしびれを切らしたかのごとく、インタビューでゲイリーらは「彼の居場所はもうない」と語った。 2008年秋にはロビー・ウィリアムズ単独でのアルバム制作が行われた。2009年中に発売予定である。 2009年3月、ロビー・ウィリアムズはある雑誌のインタビューで、もしゲイリーがまた(ロビーを)呼んでくれれば、2009年あるいは2010年にメンバーの一員に戻ることを示唆した。 2009年4月、ゲイリーは「現在のテイク・ザットはハッピーなバンド。だからロビーは復帰しないだろう。」とインタビューで答えた。

[編集] ゲイリーとロビーの関係

1996年のテイク・ザット解散後、ゲイリーとロビーはソロ活動を始めた。メディアはそろってどちらが成功をおさめるかを報道し、まず最初に成功を収めたのがゲイリーであった。ロビーも"Freedom"、"South of The Border"、"Lazy Days"といったシングルをリリースするが、どの曲もゲイリーを上回ることができなかった。また、酒と薬の乱用から嫌われ者になりつつあった。そんな中でリリースした"Angel"が世界各国のチャートで1位を記録する大ヒットを収め、またゲイリーのセカンドアルバムがUKチャート20位以内にランクインできなかったこともあり、音楽・メディア業界でロビーの人気は爆発的なものとなる。そしてゲイリーを人間、そしてミュージシャンとして貶すようになる。この言動はゲイリーがレコード会社と1999年に解約し、そして8年もの間メディアから消えるほどのものであった。その後もロビーは成功を収め、メディアが騒がなくなった頃にゲイリーは結婚し、家庭をもった。

2005年のドキュメンタリー、"Take That - For The Record"ではゲイリーとロビーの両者がそのときの心境を語り、インタビュー内でロビーはゲイリーに行ったことを謝罪。また、ゲイリーのことを「見事な作詞家であり、見事な歌手」と証した。またゲイリーは当時の様子を「みんなが見たがる昔かたぎのバトルで、最後に勝者は一人しかいない。」と表し、それでもロビーのようなキャリアを積みたかったと語っている。そのドキュメンタリーでは最後にロビーが「彼の幸せな家庭と僕の経歴を交換したい」と告白して終わる。実際、元マネージャーのマーティン・スミスも「どちらが本当に幸せなのか、(ファンには)よく考えてほしい。」と発言している。

2007年に1996年以来初めて両者は再会し、関係を修復しはじめた。しかし、また一緒にパフォーマンスを行うかは不明である。

2008年11月8日、バーロウと息子2人、そしてロビーはエミレーツ・スタジアムマンチェスター・ユナイテッドアーセナル戦を一緒に観戦し、Sky Sportsのインタビューでも「まだ一言も話してない」「(この再開は)もっと関係を悪化させるかも」などジョークを言いあうほどであった。また、試合中に笑いながら観戦する様子も放送された。

[編集] ディスコグラフティ

詳細は「テイク・ザットの作品」を参照

[編集] オリジナルアルバム

[編集] シングル

[編集] 外部リンク