テイク・ザット

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Take That
左からジェイソン、ロビー、ハワード、マーク、ゲイリー(2011年6月)}
左からジェイソン、ロビー、ハワード、マーク、ゲイリー(2011年6月)
基本情報
出身地 イングランドの旗 イングランド マンチェスター
ジャンル ポップ
ポップ・ロック
ソフトロック
アダルト・コンテンポラリー
ダンス・ミュージック
活動期間 1990年 - 1996年
2005年 -
レーベル ソニー・ミュージック (1990年-1996年)
MCA(2005年 - )
ポリドール・レコード (2005年 - )
公式サイト www.takethat.com
メンバー
ゲイリー・バーロウ (1990-1996, 2005-)
マーク・オーエン(同上)
ハワード・ドナルド(同上)
旧メンバー
ジェイソン・オレンジ(1990-1996, 2005-2014)
ロビー・ウィリアムズ(1990-1995, 2010-2014)

テイク・ザット(Take That)はイギリスポップグループ。1990年、マンチェスターで結成される。ボーカルグループの先駆者として認知されており、後のバックストリート・ボーイズスパイス・ガールズ5iveウエストライフなどのポップ・グループ、そしてボーイバンドの流行を作った。

1990年から1996年の間に2500万枚を売り上げ、1991年に初めてシングルをリリースしてから解散する1996年までの間イギリスのテレビ局、BBCでは「UK音楽史上、ビートルズ以来、最も成功したバンドで老若男女問わずに愛されている」とたびたび報じられた。ダンス・ポップ調やバラードの曲に人気があり、1990年代前半のチャートを占めていた。一人がメインで歌い(大半の楽曲のメインボーカルをゲイリー・バーロウが務めた)、他のメンバーがコーラスを担当するという、メンバーの全員が歌うスタイルをとっている。初期の楽曲はバーロウによってほとんどが作られたが、他のメンバーにも作詞作曲の能力があり、再結成後には全員で曲作りを担当している。

ロビー・ウィリアムズの脱退、マネージャーとの関係悪化により1996年に解散。メンバーはそれぞれソロ活動などをしていたが、2005年にロビーを除いた4人で再結成する。同年はテイク・ザット特集のドキュメンタリー番組が放送されベスト盤を再度リリース。2006年の再結成ツアーは大成功を収め、2006年末には再結成後初のアルバムもリリース。2007年3月にはアルバムプロモーションのため、再結成後初の来日を果たした。

結成[編集]

イギリスのチェシャーで生まれたゲイリー・バーロウは15歳のときにイギリスのテレビ局、BBCで主催で開催されたA Song For Christmasというコンテストに出場。Let's Pray For Christmasをパフォーマンスした。そのコンテストで準決勝まで勝ち進むと、London's West Health Studiosにレコーディングをしないかと招待される。これがきっかけで、Northern club circuitというところで彼自身の歌やカバー・ソングを披露するようになった。

18歳になるとマンチェスターでカーティス・ラッシュという名前でレコーディング活動をはじめた。ここで1990年にイギリスの有名なマネージャーであるマーティン・スミスが「いまのUKチャートには新しいバンドが必要」と思いたちバーロウと2人でオーディションを開催。ここでランカシャーで生まれたマーク・オーエンロビー・ウィリアムズが出会い2人はこのオーディションに合格する。RDS Royalというクラブでブレイク・ダンサー、そしてDJをしていたジェイソン・オレンジ画家・室内装飾業者をしながらストリートダンサーとしてテレビ番組にも出演していたハワード・ドナルドの2人はStreetbeatというグループを結成する。マネージャーであったマーティン・スミスはバックダンサーのオーディションも行い、この2人がメンバーとなり5人として活動を開始する。

デビュー当初[編集]

そろった5人は自らテイク・ザット(Take That)と呼ぶようになる。この名前はある日読んだ新聞にマドンナについて記事が書かれていて、そこに書いてあった単語、"Take That"からとった。また、バーロウは「これはいくつもの案の中でも悪いやつ。でも最初のアイディアよりはまし。だって最初のアイディアはKick Itだったんだから。」と言っている。

最初の2年はイギリスのゲイ・クラブや高校で主にプロモーションを兼ねたライブ活動をしていた。ゲイ・クラブでの活動やそのパフォーマンス・ファッションに注目が集まり、「マネージャーのマーティン・スミス氏はゲイだ」というパロディ・ソングなども歌われた。結果、1992年には念願のメジャー・レーベルと契約。ファースト・シングル、「ドゥ・ホワット・ユー・ライク」(UKチャート82位)のプロモーション・ビデオでは、メンバーが裸になり、ゼリーを体に塗りつけるという過激な内容であった。こうしたゲイ・クラブでのライブの経歴などから、「ゲイ・バンド」という先行したイメージがもたれ、また重要である10代の女性層に人気がなく、その後リリースされた「愛を知る時」と「プロミス」はUKチャートにもやっとランクインする程度であった。

成功[編集]

ディスコ・ボーカルグループのタヴァレス1975年に発表した、「イット・オンリー・テイクス・ア・ミニット」のカバー・バージョンをリリースすると、たちまちヒット曲となる。テンポが早く、ダンス調のこの曲はUKチャート7位をマークした。この動きから、次のバラードソング「ミリオン・ラヴ・ソングス」と「アイ・ファウンド・ヘヴン」は両方ともトップ20にランクインした。そしてバリー・マニロウドナ・サマーのヒットをカバーした「恋はマジック」をリリースすると大ヒットとなり、この4曲のヒットでテイク・ザットは公の場でパフォーマンスを行うようになる。1992年にはアルバム、『テイク・ザット&パーティ』をリリースした。

1993年は アルバム、『エヴリシング・チェンジズ』をリリース。このアルバムは、ダン・ハートマン1979年のヒット曲をカバーした「リライト・マイ・ファイア」以外はほぼバーロウ単独で書いた楽曲で構成され(「エヴリシング・チェンジズ」はバーロウと外部ソングライターの共作)、ドナルドも「イフ・ディス・イズ・ラヴ」で作曲に関わった。このアルバムからの1stシングル、「いつも二人で」がUKチャート2位をマークすると、その次のシングル、「プレイ」が初めてUKチャート・ナンバー1を獲得する。それに続き、「リライト・マイ・ファイア」、「ベイブ」(しかし、この曲は・クリスマス・ナンバー1ソングを逃した)、そして「エヴリシング・チェンジズ」が1位をマークする。5枚目のシングル「ラヴ・エイント・ヒア・エニモア」はUKチャート3位を記録した。またダイアナ元妃との会談、エルトン・ジョンとのテレビ番組など、一時代を築いた。

1995年に『ノーバディ・エルス』をリリースし、このアルバムからのシングル「シュア」はUKチャート1位をマークすると、次のシングル「バック・フォー・グッド」はアメリカで最高7位[1]を記録した。日本ではフジテレビの深夜に放送されていた音楽番組BEAT UK』でも発表するシングルのほとんどが初登場No.1を獲得していた。この間も日本にプロモーションやライブで何度も来日している。

ロビー・ウィリアムズの脱退[編集]

1995年7月にロビー・ウィリアムズがマネージャー、メンバーとの意見の食い違いからテイク・ザットを脱退する。テイク・ザットはそれでもアルバム、『ノーバディ・エルス』のプロモーション活動を続けた。特に人気のあった「ネヴァー・フォーゲット」をパフォーマンスし続け、日本にも4人で4度目の来日を果たし、国立代々木競技場にて2日連続のライブを行なった。しかし、これが解散前の最後のテイクザットとしての来日公演となってしまった。

解散[編集]

ロビー・ウイリアムスなきテイクザットの行く末は、マネージャーのナイジェル・マーティン・スミスが初めから目論んでいた、ゲイリー・バーロウの単独ソロでの成功という方向性だった。1996年2月13日、テイク・ザットは解散を発表する。このニュースは世界中のファンの心に衝撃を与え、電話相談サービスが設けられたほどである。ファンの悲嘆は予想以上で、メンバーのハワード・ドナルドも自殺未遂をするほどの状況であった。

解散前最後のアルバムとして、1996年にベスト盤『グレイテスト・ヒッツ』をリリース。またこのアルバムに新曲「愛はきらめきの中に」が加えられ、最後のナンバー1シングルとなった。同曲はビー・ジーズの大ヒット曲でもある。

解散後[編集]

ゲイリー・バーロウ[編集]

解散後、バーロウはソロ活動を始め、アルバム、"Open Road"を1997年にリリース。また、シングル、"Forever Love"はUKチャート1位をマークした。この後、2枚目のアルバム、"Twelve Months, Eleven Days"をリリースしたが前作ほどのヒットには至らず、レーベルと契約を解除。するとメディアはそろって、「バーロウは遅いテンポのバラードしか歌えない」と報じた。ソロでアメリカ進出を目指すも、前途多難で、かつストレスによる肥満などに悩まされた。チェシャーにスタジオを作ってからは、作詞家やプロデューサーとして活動していた(主にドニー・オズモンドブルーデルタ・グッドレムに楽曲をあたえた)。結局ソロでの成功には行き詰ってしまった。

ロビー・ウィリアムズ[編集]

1997年にソロアルバム、"Life Thru A Lens"をリリース。ファースト・シングル、"Freedom '90"はジョージ・マイケルのカバー・ソングである。5枚目のシングル、"Angels"が大ヒットし、これは彼の代表的な曲となった。それからは"I've Been Expecting You"、"Sing When You're Winning"、"Escapology"と数々のアルバムをリリースし、2005年には世界中でトータル4,500万枚を売り上げたとしてUKで「最も売り上げの多い歌手」、「イギリス音楽史上、もっとも成功した男性ソロアーティスト」と名づけられた。

マーク・オーエン[編集]

ソロとしてのデビューシングル"Child"はUKチャート3位になる。続くセカンドシングル"Clementine"もUKチャートの3位を記録する。他のメンバーに先駆けて1996年12月に1作目のソロアルバム「Green Man」を発売。その後もシングル"I Am What I Am"をUKにてリリースする。

2002年には、テレビ番組"Celebrity Big Brother"で勝ち残りナンバー1になったことで、再び世間の注目を集める。2004年にイギリスで4位にチャートインした"Four Minute Warning"を含む2作目のアルバム「In Your Own Time」(日本では未発売)を発売。その後もシングル“Alone Without You”をUKリリース。 そして2006年1月には3作目のアルバムとなる「How the Mighty Fall」をリリースし、シングル曲"Hail Mary"も同年UKリリースされた。

2007年の夏に再びソロアルバムの制作に取り組むという噂があったが、実際に4作目のソロアルバム「The Art Of Doing Nothing」がリリースされたのは2013年であった。本作はシングルヒットはなかったものの、アルバム自体はUKチャート29位を記録した[2]

ソロでイギリスや、ヨーロッパ各地で何度もプロモーション&ライブツアーが行なわれている。すべてのソロアルバムで自身が作詞作曲し、「How the Mighty Fall」では独自のレーベルを立ち上げ制作したほど、ソングライティングにはとても熱心で意欲的である。日本でも「Green Man」発売時にプロモーションで単独で来日、2006年にもプロモーションとミニライブでの単独来日を果たしている。

ハワード・ドナルド[編集]

シングル、"Speak Without Words"を収録したが、発売までには至らなかった。その後、イギリスドイツDJとして活躍し評判も良く、クラブをめぐるツアーを何度も行なっている。テイクザットの活動の合間にもDJとして活動したりしている。

ジェイソン・オレンジ[編集]

音楽という方向性から一転、アクターズスクールにて演技を学び、俳優としてイギリスのミュージカルやTVドラマに出演した経験がある。

再結成[編集]

テイク・ザットはまだ終わっていない…新しいアルバムの製作にとりかかるよう、“合法的”に契約を結ぶ。

2005年11月16日、ITVに出演。解散時どのような気持ちであったか、また解散してから今までの10年間それぞれが何をしていたかなどをテーマにしたドキュメンタリー番組『Take That: For the Record』を放送(脱退したロビー・ウィリアムズも別撮りで出演)。この番組ではテイク・ザットの本音、関係者の暴露、共に共演したアーティストの暴露などが放送された。テイク・ザットはデビュー当時からマネージャーの「お酒、タバコはだめ、ガールフレンドは絶対につくらない」という方針に縛られていた。そんな中でロビーがドラッグアルコール中毒になったのは有名な話であった(関係者によると一番酷いときで1時間に2回コカインを使っていたという)。またハワードが「マネージャーは知らなかったけど、実際は何人もの女性と寝た」と暴露。当時共演していたある女性アーティストが「それは私。ロビーとも寝たわ」とコメントした。

11月26日には2006年からロビーを除く4人で再結成ツアー『ライヴ・イン・マンチェスター』を開始すると発表。2006年4月から当初11公演の予定であったがすぐにチケット完売となり、19公演を追加。2ヶ月に渡るツアーを成功させた。またアメリカの人気女性グループ、プッシーキャット・ドールズシュガーベイブスなどがゲストとして共にパフォーマンスをした。ツアー中、4人は何度も「ロビーを迎え入れるドアはいつも開いている。もし何か退屈になって歌が唄いたくなったらいつでも準備はできてる。僕たちは彼のために1つ余分にマイクを用意しているんだ」と言い続けた。新しく発売されたベスト・アルバムには新曲「Today I've Lost You」が収録された(同曲は解散する直前に仕上げられ、未発表となっていた)。

テイク・ザットの再結成、そして成功は他のアーティストに多大な影響を与えた。ブリット・アウォードでは受賞の際、ナレーションで「解散してから再結成してここまで成功するアーティストはいままでにはなく、これからもないだろう」と言われた。また5iveボーイゾーンの再結成に影響を与えた(5iveは契約できるレコード会社がなく再び解散)。長期にわたって再結成が噂されていたスパイス・ガールズも2007年6月28日に正式に再結成を発表し、「テイク・ザットに影響されている」と語った。

2006年[編集]

2006年5月9日にテイク・ザットは約10年ぶりにレコーディング活動を再開する。マークは「これまでにない最高のアルバムをつくる」とコメント。またハワードがロビーに再結成とレコーディング活動再開のことを伝えたと公にすると、ロビーが戻ってくるのではないかという噂が流れ始めた。

9月10日にはシングル「ペイシェンス」が再結成後初のシングルになると発表。音楽業界は「待つ価値がある」と揃ってコメントをした。11月20日に「ペイシェンス」をリリースすると、2週目にはUKチャート1位を記録。テイク・ザット9度目のチャート1位を記録した。また同曲は2006年シングル売り上げランキング8位に輝いた。ドイツでは1週目のチャートで「バック・フォー・グッド」以来のチャート1位を記録。アルバム『ビューティフル・ワールド』は12月6日にUKチャート1位を記録。6週間連続でUKチャート1位を保ち、11月の後半にリリースされたにも関わらず2006年アルバム売り上げランキングでは2位に輝いた。また同アルバムは『ノーバディ・エルス』以来、約11年ぶりのトップ・アルバムになった。

2007年[編集]

2007年1月にはイギリスの女性雑誌、『New Woman』でジョニー・デップ(3位)、オーランド・ブルーム(4位)、ジョージ・クルーニー(6位)、ブラッド・ピット(7位)、ジャスティン・ティンバーレイク(10位)、デビッド・ベッカム(20位)を抑えてテイク・ザットとして世界で1番セクシーな男性に選ばれた。

2007年の初頭にはアメリカのレコード会社と契約し、『ビューティフル・ワールド』はカナダでもリリースされることになった。約10年振りのニューアルバムにも関わらず1ヶ月でイギリス国内のみで150万枚を売り上げ、テイク・ザットは見事音楽界にカムバックした。またスペイン、デンマーク、イタリア、ドイツ、台湾、日本でもプロモーション活動をした。

『ビューティフル・ワールド』からの「ペイシェンス」に続く2ndシングルとして「シャイン」が2月26日にリリースされた。発売に先駆け、チャンネル4ではミュージックビデオが1月15日に放送された。3月4日には「シャイン」がUKチャート1位を記録し、テイク・ザット10度目のナンバー1シングルとなった。これはアバスパイス・ガールズの記録、9曲を抜いたことになる。マークのメインボーカルで歌われる「シャイン」の歌詞はロビーに対するものではないかと噂されているが定かではない。

2月14日にはイギリスのアールズ・コートで開催されたブリット・アワードで「ペイシェンス」をパフォーマンスし、同曲は見事UKベスト・シングル賞を受賞した。

「シャイン」につづく3rdシングルとして「アイド・ウェイト・フォー・ライフ」がUKで6月18日にリリースされたが、この曲はUKチャート上位には入らなかった。一方「ペイシェンス」と「シャイン」はUKチャートに長期間ランクインし続けた。

8月にマシュー・ヴォーン監督作映画スターダストのメインテーマとして、ゲイリーがメイン・ヴォーカルを努める新曲「ルール・ザ・ワールド」をレコーディング。ITV2ではプロモーションビデオが公開された。同曲は2008年度のアカデミー賞(歌曲賞部門)にノミネートされると期待されていたが、結局ノミネートされなかった。シングルとしては2007年10月22日にイギリスでリリースされた。

2007年秋からはヨーロッパを回るツアー『ビューティフル・ワールド・ツアー』を開始。テイク・ザットとして最も売れたツアーであり、イギリス音楽史上最大のツアーの一つとなった。ウィーンでの公演中ハワードが右肺を潰してしまい、7公演を3人だけで回るアクシデントがあった。すぐに手術が行われ無事成功し、ドクター・ストップがかかっている最中は観客としてツアーを観察しメンバーにフィードバックする立場となった。オーバーハウゼンでの公演で復帰、最後まで無事にツアーを終えた。最終日は12月31日であり、O2アリーナでカウントダウンライブという形式になった。

2008年[編集]

2007年の成功により、2008年のブリット・アワードにベスト・グループ、ベスト・シングル(シャイン)、ベスト・アルバム(ビューティフル・ワールド)、ベスト・ライブ・アクト部門の計4部門にノミネートされた。このうちベスト・シングルとライブ・アクト部門の2部門を受賞した。

アルティメット・ツアーとビューティフル・ワールド・ツアーの2つの大規模なツアーを成功させた彼らは、当初2008年8月まで休暇を取り秋から新たなアルバム制作に取り組む予定だったが前倒ししている。初夏にはレコーディングスタジオにいるところを目撃されている。9月には曲作りの仕上げとしてロサンゼルスでレコーディングを行った。

10月からは新曲「グレイテスト・デイ」のプロモーション活動に入った。10月13日にイギリスの地方ラジオ局で「グレイテスト・デイ」が初めて流された。この際、電話出演をしたゲイリーがニューアルバム名は『ザ・サーカス』であることを公表した。イギリスでは11月24日にシングルが発売、UKチャートで1位を記録した。『ザ・サーカス』は12月1日に発売。

2009年[編集]

2009年のブリット・アワードではベストグループ部門にノミネート。また「グレイテスト・デイ」をパフォーマンスした。

3月2日には「アップ・オール・ナイト」がシングルとしてイギリスで発売された(UKチャートでは14位)。ドイツとイタリアでは同曲の代わりに3月20日に「ザ・ガーデン」がシングルとしてリリースされた。6月15日には「セッド・イット・オール」がシングルとしてイギリスで発売される。

6月5日より『ザ・サーカス・ライヴ』を開始。このツアーのチケットの売り上げの速さはマイケル・ジャクソンの"Bad Tour"を抜き約5時間で全公演が完売し、イギリスで最も早くチケットを売り上げたツアーとなった。7月5日にロンドンのウェンブリー・スタジアムで終えた1か月に渡るツアーは、合計65万人もの観客を動員した。また、このツアーのDVD・ブルーレイは発売当日で8万枚以上を売り上げる最速記録を達成した。

11月には『ザ・サーカス・ライヴ』のライヴアルバム『ザ・グレイテスト・デイ』をリリース。またゲイリーは、テイク・ザットは現在アメリカでロビー・ウィリアムズと共に2010年に向けたニューアルバムを制作中であることを発表した。幾つかの曲でロビーがリードボーカルを務めていることも発表。長い間噂されていた5人での再結成が実現することとなった。

ジョナサン・ロスのインタビューで、ロビーは現在テイク・ザットの一人として楽曲を制作中であり、右手首にテイク・ザットのシンボルである"TT"のタトゥーをいれたと発言。2009年のBBCチャリティイベントではテイク・ザットの曲を歌うことはなく、彼自身の新曲"You Know Me"をパフォーマンスしたが、その後参加者全員でパフォーマンスしたビートルズの「ヘイ・ジュード」ではゲイリーと肩を並べて同じステージで歌った。

2010年[編集]

2010年7月15日にロビー・ウィリアムズが正式に復帰。5人でのニューアルバム『プログレス』が11月15日に発売されUKアルバムチャート1位を記録。発売一週間で52万枚を売り上げ、イギリス音楽史上初週で最も売れたアルバムとなった。またアマゾンで今までで最も売れたアルバムとなった。『プログレス』は6週間連続でアルバムチャート1位を保ち、年末に発売したにも関わらず2010年で最も売れたアルバムになった。

11月7日に発売された『プログレス』からの1stシングル「ザ・フラッド」はUKシングルチャート2位を記録。イギリス国内のみで5万枚を売り上げ、ヨーロッパ内の9ヶ国のチャートでもトップ10入りを果たした。

11月13日、ITVで『プログレス』の製作過程と、ロビーが復帰に至るまでの過程を描いた白黒ドキュメンタリー映画『Look Back, Don't Stare』を放送。2005年の再結成時にITVで放送されたものとは違い、解散前のスキャンダルの暴露よりも再結成後のバンドとロビーのすれ違い、及びそれに対するロビー本人の葛藤がメインに置かれている。映画の中では、2009年11月には「ザ・フラッド」が既にレコーディング済みであったこと、2009年のBBCチャリティイベントの後に復帰を発表しようとしていたがロビーの気持ちがテイク・ザットから離れてしまい復帰が遅れたこと、『プログレス』がエレクトロ色が強く4人の頃とは音楽性が明らかに違うアルバムになったのはメンバー全員で議論を重ねた上の結果であることが明かされた。

また解散前までは自分たちがまるで製品のようで、同じ10代後半の少年たちがするように学校に行ったり職探しをすることもなく、常にファンの歓声に囲まれる生活を送っていたことが恥ずかしく苦痛であり、現在は自分たちの作りたい曲を、歌詞を、アルバムを、ツアーをすることができるバンドになれたことが本当に嬉しい、と5人が口々に溢す映像も映されている。この映画では他にもロビーの薬物依存症やマークのアルコール依存症とそのリハビリ後の姿、解散後最大の問題であったゲイリーとロビーの長期に渡る争いと、その解決のために歩み寄ろうとする2人の姿が過去の映像と共に紹介された。12月6日にはDVD、ブルーレイで発売。

2011年[編集]

2011年2月20日、『プログレス』より2枚目のシングル「キッズ」が発売。UKシングルチャート28位を記録する。2011年のブリット・アワードではオープニングアクトとして機動隊に扮したダンサーを従え同曲をパフォーマンス[3]し、批評家から絶賛された。またベスト・グループ賞とベスト・アルバム賞を受賞。

3月18日には3枚目のシングル「ハッピー・ナウ」を発売。

4月29日に『X-MEN: ファースト・ジェネレーション』の公式楽曲を手掛けていることが発表され、5月11日よりイギリス国内でデジタルダウンロード版のシングル「ラヴ・ラヴ」が発売される。

5月27日より「プログレス・ライヴ」を開始、7月29日までヨーロッパ内を36公演した。チケットの発売日にはイギリスの主要なオンラインチケット販売サイトが次々にクラッシュし、国内の電話回線がパンクする事態になった。結果一日で110万枚のチケットを売り上げ、『ザ・サーカス・ライブ』で自身が打ち立てた最速販売記録などを全て塗り替えた。

6月10日、『プログレス』に「ラヴ・ラヴ」と他5曲を含めた二枚組EPとして『プログレスド』が発売され、UKアルバムチャート1位を記録。

7月7日、『プログレスド』からのセカンドシングルが「ウェン・ウィー・ワー・ヤング」であることと、この曲が『三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船』に提供されることを発表。「ウェン・ウィー・ワー・ヤング」は8月22日に発売された。

7月16日、コペンハーゲンで予定されていた「プログレス・ライヴ」がロビーの食中毒によるドクターストップで当日中止となったことがFacebook上の公式ページで発表された[4]。これはテイク・ザットにとって初めてのライブ中止となる。

2012年[編集]

5月、アイヴァー・ノヴェロ賞のOutstanding Contribution to British Musicを受賞したため、久し振りにゲイリー、マーク、ハワードがテイク・ザットとして授賞式に登場[5]

6月、ロンドンオリンピック閉会式で5人揃ってパフォーマンスを行うことを発表したが、後にロビーが妻の出産を控えているため出演をキャンセル。[6]4人で「ルール・ザ・ワールド」を歌った。また7枚目のアルバムを製作中であることも明かされ、順調であれば2013年末にリリース予定であるとされていたが、実際のリリースは2014年となった。

2014年[編集]

2013年5月に、オーエンがレコーディングの予定について明かし、ドナルドとバーロウはスタジオ作業を開始した。この時点では、ウィリアムズが参加するかどうかは未確定であったが、2014年4月28日に、ウィリアムズが2人目の子供を迎えるための準備を行うため、今回のアルバム及びツアーには参加しない旨が明かされた。ただし、今回の決定は友好的なものであり、いつでもグループに戻ってくることを歓迎する、とバーロウは語った。

同年9月24日に、オレンジが脱退することが明かされた。12月1日リリース予定の7枚目のスタジオ・アルバム「III」は、初の3人編成での作品となり、アルバムに先駆けて公開された曲「These Days」のPVも、メンバーはバーロウ、ドナルド、オーエンの3人のみである。

ロビー・ウィリアムズの復帰について[編集]

2007年4月、ロビー・ウィリアムズの母が「彼(ロビー)自身テイク・ザットの最近の功績やまたメンバーの一員になることに興味がある」と大衆紙に発表。ロビー自身も「テイク・ザットに近い将来戻ることは必然的なことである」とコメントした。2007年7月1日にイギリスで放送される故ダイアナ妃の追悼コンサートであるコンサート・フォー・ダイアナでロビーが合流するのでは、と噂されたが実現しなかった。

2007年夏にも再結成したメンバーがロサンゼルスで再度ロビーのメンバー入りを口説くが失敗に終わる。最終的にはしびれを切らしたかのごとく、インタビューでゲイリーらは「彼の居場所はもう無い」と語った。

2009年3月、ロビーはある雑誌のインタビューで、もしゲイリーがまた(ロビーを)呼んでくれれば2009年あるいは2010年にメンバーの一員に戻ることを示唆した。

2009年4月にゲイリーが「現在のテイク・ザットはハッピーなバンド。だからロビーは復帰しないだろう」とインタビューで答えていたにも関わらず、2009年11月のチャリティライブではロビーとテイク・ザットが既に和解したかのごとく舞台上で抱き合った。ロビーは自身のソロ活動が落ち着いた頃に、テイク・ザットとのツアー無しの再結成とアルバム制作を望んでいたことを明らかにする。


彼らがお互いどう折り合いをつけるかに注目が集まる中、2010年7月15日にロビーが正式にテイク・ザットに戻ることがテイク・ザットのマネージメント会社を通じて発表された。11月に5人でのニューアルバム『プログレス』をリリース。2011年には5人でツアーを行った。

2014年に、子供の出産準備のため、同年リリースのアルバム及びツアーには参加しないことが明かされた。

ゲイリーとロビーの関係[編集]

1996年のテイク・ザット解散後、ゲイリーとロビーはソロ活動を始めた。メディアはそろってどちらが成功をおさめるかを報道し、まず最初に成功を収めたのがゲイリーであった。ロビーも"Freedom"、"South of The Border"、"Lazy Days"といったシングルをリリースするが、どの曲もゲイリーを上回ることができなかった。また、酒と薬の乱用から嫌われ者になりつつあった。そんな中でリリースした"Angel"が世界各国のチャートで1位を記録する大ヒットを収め、またゲイリーのセカンドアルバムがUKチャート20位以内にランクインできなかったこともあり、音楽・メディア業界でロビーの人気は爆発的なものとなる。そしてゲイリーを人間、そしてミュージシャンとして貶すようになる。この言動はゲイリーがレコード会社と1999年に解約し、そして8年もの間メディアから消えるほどのものであった。その後もロビーは成功を収め、メディアが騒がなくなった頃にゲイリーは結婚し、家庭をもった。

2005年のドキュメンタリー、"Take That - For The Record"ではゲイリーとロビーの両者がそのときの心境を語り、インタビュー内でロビーはゲイリーに行ったことを謝罪。また、ゲイリーのことを「見事な作詞家であり、見事な歌手」と証した。またゲイリーは当時の様子を「みんなが見たがる昔かたぎのバトルで、最後に勝者は一人しかいない。」と表し、それでもロビーのようなキャリアを積みたかったと語っている。そのドキュメンタリーでは最後にロビーが「彼の幸せな家庭と僕の経歴を交換したい」と告白して終わる。実際、元マネージャーのマーティン・スミスも「どちらが本当に幸せなのか、(ファンには)よく考えてほしい。」と発言している。

2007年に1996年以来初めて両者は再会し、関係を修復しはじめた。

2008年11月8日、バーロウと息子2人、そしてロビーはエミレーツ・スタジアムマンチェスター・ユナイテッドアーセナル戦を一緒に観戦し、Sky Sportsのインタビューでも「まだ一言も話していない」「(この再開は)もっと関係を悪化させるかも」などジョークを言いあうほどであった。また、試合中に笑いながら観戦する様子も放送された。

2010年10月8日に発売されたロビーのベストアルバム『In and Out of Consciousness: Greatest Hits 1990–2010』に新たに収録された二人名義の楽曲「シェイム」を発表する。歌詞は過去に仲違いをしてしまった旧友同士が関係を修復しようとするという内容で、更にPVは『ブロークバック・マウンテン』のパロディであり、ロビーとバーロウの仲に対する噂を皮肉っている。またPVではテイク・ザットを一人離れて爆発的なヒットを飛ばす傍ら、他の4人だけでグループが再結成されたことに対するロビーの寂しさにも焦点が当てられている。

2012年10月29日にリリースしたロビーのシングル「Candy」はゲイリーとの共作である。

ディスコグラフィ[編集]

オリジナルアルバム[編集]

シングル[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ Take That - Chart history”. ビルボード. 2014年11月9日閲覧。
  2. ^ UKチャート、Official Charts Company
  3. ^ 本来は2010年12月にオーディション番組Xファクターでパフォーマンスする予定だったが、当時イギリス国内では暴動が激化していたため機動隊に扮したダンサーを放送することが影響を与え兼ねないと考えられたため差し替えられた。その差し替えられたパフォーマンスをここで披露している。
  4. ^ Statement From Take That Regarding Copenhagen Cancellation
  5. ^ Take That Official Ivor Novello Outstanding Contribution Award
  6. ^ http://www.digitalspy.co.uk/showbiz/news/a386293/take-that-george-michael-to-feature-in-london-2012-closing-ceremony.html Take That, George Michael to feature in London 2012 closing ceremony, Published Saturday, Jun 9 2012, 19:32 BST | By Paul Martinovic

外部リンク[編集]