ABBA
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 出身地 | スウェーデン・ストックホルム |
| ジャンル | ポップス |
| 活動期間 | 1972年〜1982年 |
| レーベル | ポリドール、アトランティック、RCA、ユニバーサルミュージック、ポリグラム |
| 公式サイト | www.abbasite.com |
| メンバー | |
| フリーダ・リングスタッド アグネッタ・フォルツコグ ベニー・アンダーソン ビョルン・ウルヴァース |
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ABBA(アバ)は、世界的なヒット曲で知られるスウェーデンのミュージシャン男女4人グループである。 1970年代半ばから80年代初頭にかけて活躍し、「ポップ・ミュージックの完成者」と呼ばれる。
目次 |
[編集] メンバー
- アグネッタ・フォルツコグ(en:Agnetha Fältskog)
- ビョルン・ウルヴァース(en:Björn Ulvaeus)
- ベニー・アンダーソン(en:Benny Andersson)
- フリーダ(アンニ・フリード)・リングスタッド(en:Anni-Frid Lyngstad)
[編集] ABBAの略歴
グループ名の由来は、メンバー4人の頭文字を取ったもの。元々は、「Björn & Benny, Agnetha and Anni-Frid」という長い名前だったが、ある日マネージャーのStig Anderssonが何かの書類に彼らの名前を記入する際に適当にイニシャルを並べて「ABBA」と書いたことから、それがグループ名になった。ビョルン、ベニーが曲を作り、アグネッタ、フリーダが歌う(一部、ビョルンが歌っているものもある)。
ユーロビジョン・ソング・コンテスト1974優勝をきっかけに「恋のウォータールー」の大ヒットでヨーロッパ中で名前が売れたが、最初は「one hit wonder (一発屋)」だと思われていた。ABBAがヨーロッパでの人気を確立するのは、「SOS」がイギリスを含む全ヨーロッパで大ヒットし、一発屋の汚名を返上してからである。またオーストラリアは、早くからABBAの人気に火が付いた地域で、後述の『ダンシング・クイーン』がヒットするまで「世界で一番熱心なABBAマニアはオーストラリア」と言われていた(それ故に、映画「ABBA The Movie」の舞台はオーストラリア)。
1976年に『ダンシング・クイーン』が英米を含む全世界的にヒットし、その後「ザッツ・ミー」、「テイク・ア・チャンス・オン・ミー」「きらめきの序曲」、「チキチータ」、「ザ・ウィナー」など活動を停止するまで世界的なヒット曲を連発した。
また、「ヴーレ・ヴー」、「ギミー!ギミー!ギミー!」などのヒット曲でヨーロピアン・ディスコ・ミュージックを確立し、70年代後半のヨーロッパでは、ABBAの大成功に刺激されたニュートンファミリー、アラベスク、ジンギスカンなどヨーロピアン・ディスコのフォロワーを大勢産み出した。
グループが活躍していた当時、アグネッタとビョルン、ベニーとフリーダは夫婦で、ファミリーチームとしての親しみやすさ、安心感から「健全なアーティスト」のイメージが定着し、彼らの世界進出に一役買った。
アグネッタとビョルン、ベニーとフリーダは後に離婚(それぞれ1979年と1981年)。グループは1982年、新曲として6曲を録音。年末に「最後のTV出演」を果たす。そして1983年、計画はあったものの、活動を突然停止。事実上解散に。
1990年代に入って英国発の形でリバイバルブームが起こり(イレイジャーというグループによって1992年に発表された"アバエスク"{"ABBA-ESQUE",勿論これは"ABBA"と"ARABESQUE"との引っ掛け、合成語である}という、ABBA楽曲の全面カバー盤が嚆矢)、ベスト盤 ABBA GOLD は1992年に全英NO.1を獲得、その後も売れ続け、99年までに世界累計で2500万枚を売上げて衰えぬ人気を見せつけた。またABBAの代表曲を網羅したミュージカル『マンマ・ミーア! 』は、ロンドンでの初演以来世界各地でロングラン公演を続けており、日本では劇団四季が四季版『マンマ・ミーア!』を上演中である。
自らの曲を第三者がサンプリングに使用することを許可しない事でも有名だが、これに反して2005年にマドンナの『ハング・アップ』に対して「ギミー!ギミー!ギミー!」のサンプリング許可を例外として与えたことが話題となった。理由は「楽曲自体がすばらしかったから」。また、携帯電話の着信音(着信メロディ・着うた)への楽曲使用を禁止(日本国内に関しては2006年ごろに着うたの使用が許可された)していたり、ミュージカル「マンマ・ミーア!」の劇内使用を除いて原詞以外でのカヴァーを認めないなど、権利関係には厳しい態度で臨んでいる。例えば、ハッチポッチステーション(NHK教育テレビ)の番組内での替え歌は日本語であるという理由でCDでの発売を差し止められている。ほかにも、KLFが無許可でサンプリングしており、トラブルを起こしている(KLFを参照のこと)。一方、イングヴェイ・マルムスティーンのカヴァーした「ギミー!ギミー!ギミー!」は、サビの歌詞が原詞と一部異なるものの、「アンソロジー 1994-1999」に収録されている。 尚、現在、日本における「ABBAの第一人者」はユニバーサルミュージック、劇団四季及びスウェーデン大使館が公認しているABBAオフィシャルファンクラブの会長の竹内恒雄である。竹内は世界中のABBAの情報を日本のファンに無料で提供すると同時に、日本で起こっているABBAの情報を世界中に配信。またABBAから唯一公認されているABBAオフィシャルファンクラブ日本支部を自費で運営。その他、ABBAのCDやDVDのライナーノーツ執筆、歌詞や字幕の翻訳、日本におけるABBAイベントの全てに無報酬で関わっている。劇団四季『マンマ・ミーア!』では、日本人として初めてスタンディングオベイションした人物でもある。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] CDアルバム
- RING RING(1973年)
- WATERLOO(1974年) Billboard Pop Albums最高位145位
- ABBA(1975年) Billboard Pop Albums最高位174位
- GERATEST HITS(1975年) Billboard Pop Albums最高位48位
- ARRIVAL(1977年) オリコン最高位3位 Billboard Pop Albums最高位20位
- GREATEST HITS 24(1977年) オリコン最高位4位
- THE ALBUM(1978年) オリコン最高位9位 Billboard Pop Albums最高位14位
- VOULEZ-VOUS(1979年) オリコン最高位1位 Billboard Pop Albums最高位19位
- GREATEST HITS vol.2(1979年) オリコン最高位2位 Billboard Pop Albums最高位46位
- ABBA ORO(アナログ時代はGRACIAS POR LA MUSICAのタイトルで発売 1980年)
- SUPER TROUPER(1980年) オリコン最高位8位 Billboard Pop Albums最高位17位
- THE VISITORS(1981年) Billboard Pop Albums最高位29位
- THE SINGLES -The First Ten Years(1982年) Billboard Pop Albums最高位62位
- ABBA GOLD -Greatest Hits(1992年) Billboard Pop Albums最高位63位
- MORE ABBA GOLD -More ABBA Hits(1993年)
- S.O.S.~BEST OF ABBA(2001年) オリコン最高位3位
- ()内はオリジナルリリースされた年月
[編集] 代表曲
[編集] RING RING
- Ring Ring
- Another Town Another Train
- People Need Love
- Love Isn't Easy (But It Sure Is Hard Enough)
- He Is Your Brother
- She's My Kind Of Girl
- I Am Just A Girl
- Rock'n Roll Band
- Merry-Go-Round
- Santa Rosa
- Ring Ring <Swedish>
[編集] WATERLOO
- Waterloo
- King Kong Song
- Honey, Honey
- Watch Out
[編集] ABBA
- Mamma Mia
- SOS
- Man In The Middle
- I Do, I Do, I Do, I Do, I Do
- Rock Me
- Intermezzo No.1
- I've Been Waiting For You
- So Long
- Crazy World
[編集] ARRIVAL
- When I Kissed the Teacher
- Dancing Queen
- My Love, My Life
- Dum Dum Diddle
- Knowing Me, Knowing You
- Money, Money, Money
- That's Me
- Why Did It Have to Be Me?
- Tiger
- Arrival [Instrumental]
- Fernando
- Happy Hawaii
[編集] THE ALBUM
- Eagle
- Take A Chance On Me
- One Man, One Woman
- The Name Of The Game
- Move On
- Hole In Your Soul
- Thank You For The Music
- I Wonder (Departure)
- I'm A Marionette
- Thank You For The Music (Doris Day Version)
- Thank You For The Musicについては、オリジナルアレンジがDoris Day Versionであったものの、曲解釈の観点からお蔵入りとなり、未発表とされていた。
[編集] VOULEZ-VOUS
- As Good As New
- Voulez-Vous
- I Have a Dream
- Angeleyes
- The King Has Lost His Crown
- Does Your Mother Know
- If It Wasn't For The Nights
- Chiquitita
- Lovers (Love Little Longer)
- Kisses Of Fire
- Summer Night City
- Lovelight
- Gimme! Gimme! Gimme! (A Man After Midnight)
[編集] SUPER TROUPER
- Super Trouper
- The Winner Takes It All
- On And On And On
- Andante, Andante
- Me And I
- Happy New Year
- Our Last Summer
- The Piper
- Lay All Your Love On Me
- The Way Old Friends Do
- Elaine
[編集] THE VISITORS
- The Visitors
- Head Over Heels
- When All Is Said And Done
- Soldiers
- I Let the Music Speak
- One Of Us
- Two for the Price of One
- Slipping Through My Fingers
- Like an Angel Passing Through My Room
- Should I Laugh or Cry
- The Day Before You Came
- Cassandra
- Under Attack
- 掲載されている曲は主に英国でシングルカットされたもの。
- 斜線は再発盤発行時に追加された曲。(但しメドレー・リミックスしたものなどは除く)
[編集] 豆知識
- 2000年のシドニー・オリンピック閉幕式でオーストラリア出身の歌姫カイリー・ミノーグは自国の歌を歌うわけでもなく、また自分の持ち歌を歌うわけではなく、なんとABBAの『ダンシング・クイーン』を披露した。オーストラリア国民にいかにABBAが愛されているかが、この点によっても証明された形となった。
- 冬のソナタの韓国語版・第一話で『ダンシング・クイーン』が使用されている場面があるが、日本語版では著作権上の理由により差し替えられている。
- 1977年にスウェーデン出身の映画監督ラッセ・ハルストレムが、同年のABBAのオーストラリア公演の記録映像と絡めたセミ・ドキュメンタリー映画”アバ・ザ・ムービー”(2005年11月に日本国内でもDVDが発売された)を手がけた。これはハルストレムの出世作品となった。
- 1978年11月23日に日本のテレビ番組『ザ・ベストテン』のスポットライトのコーナーで、メンバーが『ダンシング・クイーン』を演奏したことがある。この時、実はピンク・レディーもベスト10入りを果たしたが、ロケで地方におり、ABBAとは会えなかった。以後、ABBAとピンク・レディが顔を合わせることは無かった。
- 1980年代半ばのヒット曲『ワン・ナイト・イン・バンコク』の作者は、ABBA活動停止後のビョルン&ベニーである。ちなみにこの曲は、ビョルン&ベニー作になるミュージカルCHESSの中の一曲。
- ミュージカルCHESSのデモ・レコーディングは、アグネッタとフリーダが歌って録音された(今日まで未発表)。
- 日本に於いて、彼等の曲がテレビドラマの主題歌・挿入歌として使用された例としては、2008年4月現在までのところ、2001年にTBS系列で放送された『ストロベリー・オンザ・ショートケーキ』の主題歌として使用された『チキチータ』(オープニング・テーマ)と『S.O.S』(エンディング・テーマ)、2003年にテレビ朝日系列で放送された『恋は戦い!』の主題歌として使用された『ダンシング・クイーン』、そして2007年9月22日フジテレビ系列で21時から放送された土曜プレミアム「出るトコ出ましょ!」のエンディング曲として使用された『恋のウォータールー』の例がある。2008年になってからは4月3日、フジテレビ系列で放送された「アテンションプリーズスペシャル~シドニー編~」のオープニングで『ダンシング・クイーン』が使われた(余談だが、「ストロベリー・オン・ザ・ショートケーキ」の例は、実は彼らの曲がテレビドラマに使用された世界初の例である)。
- ミュージカル「MAMMA MIA!」5周年記念として2004年に行われたロンドン公演に、アグネッタを除く3人が舞台上に登場し元気な姿を見せた。会場はミュージカル終了後の歓声よりも大きな歓声に包まれたという。
- 故郷のスウェーデンでは、ABBAの曲を90's Dance POP MusicとしてカバーしたA☆Teensというグループが1998年に結成され、デビュー曲の「Mamma Mia!」が世界中でヒットした。
- スウェーデンで開かれた「Mamma Mia!」の初日の観客の中に4人のメンバーの姿があった。余り公の場に現れないアグネッタだが、口ずさんだり手拍子をしはしゃいでいた姿がファンに確認された。
- スウェーデンには古くからAbbaという名前の魚の缶詰メーカーがあり、名前をABBAにする際にこの会社から使用許可を得ている。先方は大して気にもせずに許可を与えたと言われている。
- ロゴで反転している「B」は誰かと聞かれて、ビョルンが「たぶん僕の事じゃないかな」と答えた。理由を聞かれると近くにいたスタッフに「彼はいつも後ろ向きなのさ(He's always backwards)」と言われた。
- ピンク・レディーが一時期、アグネッタ、フリーダと全く同じデザインの衣装を着ていた事がある。ピンク・レディーは当時ABBAの衣装に強く影響を受けていたと後に語っている。
- ピンク・レディーのラスベガス公演の模様を録音したアルバム「アメリカ!アメリカ!アメリカ!」には、日本語で歌う「That's Me」が収録されている。
- 1980年代に漫才ブームを興したB&Bが着用し、彼らのトレードマークだった「BB」(アバのロゴと同じように左のBは逆向き)と書かれたロゴの入ったTシャツ・トレーナーはABBAのロゴをパクったもの(出典 『BIG tomorrow』324、2007年6月号、青春出版社、p82)。
- フリーダは、スウェーデンではなくノルウェーのナルビク生まれである。実父がナチ党員のドイツ人であり、戦後ノルウェー政府による迫害を避けるため母子でスウェーデンに移住した。
- 2008年現在、1970年代後半のABBAのライブを再現するMusic Tribute Show「ABBA GOLD」がヨーロッパを中心に全世界をツアーして大好評を博している。元メンバーや関係者が一切出演しないTribute Showが世界ツアーを敢行する事も異例なら、それがこれほどの人気を博する事も極めて異例である。2007年4月14日〜4月22日、及び翌年の2008年5月9日~5月24日には来日公演も実現した。
- 「The Visitors」は世界初のCDであった。1982年8月17日にフィリップスで製造された。
- フリーダはRuzzo Reuss(故人・享年49歳)公爵と結婚し、公爵夫人の爵位を受けた。
- 中国語(正しくは普通話)の表記では、彼等の名前は”阿巴”となる(ピンインでは”a ba”,声調はどちらの字も第一声、または”陰平”)。また、後ろに”合唱団”或いは”合唱隊”と付ける事もある模様。
[編集] 外部リンク
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