清水圭・和泉修

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 清水圭・和泉修
メンバー 清水圭
和泉修
結成年 1984年 
解散年 2001年 
事務所 吉本興業
活動時期 1984年6月 - 2001年9月
旧コンビ名 圭太・修吉
現在の活動状況 解散
芸種 漫才コント
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清水圭・和泉修(しみずけい・いずみしゅう)は、かつて吉本興業に所属していたお笑いコンビ

目次

[編集] メンバー

清水圭
本名:清水圭太(1961年6月24日 - )
京都府京都市出身。
和泉修
本名:釘田修吉(1962年6月14日 - )
大阪府泉南郡出身。

[編集] 略歴

1984年6月同志社大学の先輩であった清水が後輩であった和泉を誘いコンビを結成する。コンビ結成当初は大卒のお笑い芸人は珍しく、結成当時から注目を浴びる。デビュー2年目には「圭太・修吉」の名で1986年7月23日今宮戎で開催されている第7回今宮子供えびすマンザイ新人コンクールで福笑い大賞に輝き、その後コンビ名を「清水圭・和泉修」(以下、圭・修)に改名する。

1987年11月、当時心斎橋筋2丁目劇場毎日放送生放送されていた「4時ですよーだ」が大ヒット呼び出演者のダウンタウンなどが人気を呼び「2丁目ブーム」を席巻していた最中に、圭・修も開始当初は出演していた同番組を降板し在阪局でもある関西テレビで同じく夕方帯番組の「素敵!KEI-SHU5」をスタートさせ、早くも人気番組になり圭・修の知名度も上げ大人気コンビになっていった。その時期に先輩のダウンタウンよりも早く東京進出を成し遂げニッポン放送の「オールナイトニッポン」の土曜1部を担当するなど活躍の幅を広げていたが、人気を獲得出来ず一時東京から撤退し、帰阪後は関西ローカルでメインのレギュラー番組を持ち活躍した。

1993年、清水がピンとして東京進出して、コンビとしては活動休止となり自然消滅状態になってしまい、日本テレビ系列局で放送された「BREAK!」やMBSラジオの「圭修のワンダフルナイト」のレギュラー番組を最後にコンビでの活動はなくなった。2001年には和泉が「M-1グランプリ」に参戦をする為に高山トモヒロと共に「ケツカッチン」を結成し、これに伴い圭・修は正式にコンビ解散となった。

2011年現在でも個々に活動はしている。

[編集] エピソード

  • 逆にデビュー間もなく売れた彼らへの当時の吉本興業の若手芸人の嫉妬も激しかった。年齢は上だがキャリアは彼らより浅い2人が『素敵!KEI-SHU5』などの番組では彼らを仕切る立場になったため、それを快く思わなかった一部の芸人との軋轢が激しかったという。それでも和泉は徐々に馴染んでいったが清水は最後までその空気感に馴染めず、それが後述の東京進出を決意した理由の一つともいわれる。
  • 和泉は関西テレビの番組『たかじん胸いっぱい』に出演した際に、「圭ちゃんは東京でタレントをやりたがっていたが、僕は大阪で漫才をやりたい希望があり、二人の間にギャップが出来てしまった。」と話しており、これが後に解散に至った遠因とされている。
  • 共にスポーツも堪能(和泉はボクシングの元オリンピック代表候補、清水も芸能界随一のサッカーの腕前を持つ)である。

[編集] 出演

[編集] 過去に出演したテレビ/ラジオ番組/CM

[編集] イベント

[編集] CD

  • ただもんDay-Night!(1988年1月5日発売) - オリコン49位
  • カラーピープル(1988年4月21日発売) - オリコン57位
  • ブルーベリーの季節(1989年1月21日発売) - オリコン62位

[編集] 受賞歴

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