パイ・トレイナー
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | |
| 生年月日 | 1899年11月11日 |
| 没年月日 | 1972年3月16日(満72歳没) |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 三塁手 |
| 初出場 | 1920年9月15日 |
| 最終出場 | 1937年8月14日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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| 選出年 | 1948年 |
| 得票率 | 76.86% |
| 選出方法 | 全米野球担当記者協会選出 |
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この表について
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パイ・トレイナー(Harold Joseph "Pie" Traynor, 1899年11月11日 - 1972年3月16日)は、1920年代 - 1930年代のアメリカ・メジャーリーグで活躍した選手。主なポジションは三塁手。マサチューセッツ州生まれ。右投げ右打ち。お菓子などの「パイ」に目がなかったことから、それがそのままニックネームになった。
目次 |
[編集] 略歴
1920年にパイレーツでデビュー。1923年には安打数208、打率.338、打点101の活躍を見せる。またリーグ最多となる三塁打19本を放った。1925年にパイレーツはナショナルリーグで優勝、ワールドシリーズでトレイナーは26打数9安打 (.346)、2本の三塁打と4打点を挙げチームのシリーズ制覇にも貢献した。2年後の1927年はポール・ウェイナー、ロイド・ウェイナーらとともに2度目のリーグ制覇を果たす。この年及び翌1928年は犠打数がリーグ最多で、自身100打点以上挙げながら繋ぎ役もこなしていた。
現役選手としての実働は1920年から1934年までで、その間に打率3割を10度、100打点を7度記録している。また非常に三振の少ない打者で、現役中1試合3三振を喫したことが一度もない。通算でも7500打数以上で、三振はわずか278である。
1948年にアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。三塁手の記者投票選出は彼が初めてだった。その後はパイレーツのフロントに入り、同チームのスカウトとして活動した。1972年にピッツバーグで死去。同年、生前のトレイナーの功績を称え、彼の背番号『20』は、パイレーツの永久欠番に指定された。
[編集] 所属球団
- ピッツバーグ・パイレーツ (1920年 - 1937年) ※1934年 - 1937年は監督兼任
[編集] 通算成績
[編集] 打撃成績
| 試 合 |
打 数 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
得 点 |
打 点 |
盗 塁 |
三 振 |
四 球 |
死 球 |
打 率 |
出塁率 | 長打率 | O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1941 | 7559 | 2416 | 371 | 164 | 58 | 1183 | 1273 | 158 | 278 | 472 | 31 | .320 | .362 | .435 | .797 |
[編集] 獲得タイトル・記録
- 最高守備率:1925年 (.957)
- ワールドシリーズ出場:2回 (1925年、1927年)
- オールスターゲーム出場:2回 (1933年、1934年)
- MLBオールセンチュリー・チームにノミネート (1999年)
[編集] 監督としての戦績
- 所属:ピッツバーグ・パイレーツ (1934年 - 1939年)
- 戦績:457勝406敗、勝率.530
- リーグ最高順位:2位
[編集] エピソード
- 1934年のオールスターゲームでは、本塁盗塁を成功させた。オールスターゲームでの本塁盗塁はこのほかに例がない。
- 健康を損なうという理由から、当時普及しはじめていた自動車の運転を嫌っていたという。
[編集] 出典・外部リンク
- Baseballhalloffame.org(英語)– アメリカ野球殿堂(National Baseball Hall of Fame)による紹介
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
- 通算成績(レトロシート)
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