鄭経

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鄭 経(てい けい、通用ピン音:Zhèng Jīng、ウェード式:Cheng Ching、1642年10月25日 - 1681年3月17日)は、中国代の軍人政治家。字は賢之。台湾を支配した鄭氏政権の主。

生涯[編集]

鄭成功の長男として生まれる。1661年に父成功が台湾を攻略した際には廈門の留守を預かった。

1662年に父が没した後、後継者を巡り在台湾の政権幹部らが擁立した叔父(鄭芝龍の五男)鄭襲と争ってこれを破り、鄭氏政権を継いだ。彼の政権では、陳永華の功績が大きい。

1663年には父を祀る鄭成功祖廟を現在の台南市に建立している。

1674年1676年にかけて清を揺るがした三藩の乱にあたっては呉三桂ら三藩側を支援したものの戦果なく退いている。

1681年、承天府にて死去。享年40。

彼の後は、次男の鄭 克塽が継いだが、1683年施琅率いる清軍に降伏した。

鄭氏の台湾統治は1683年まで続き合計23年間の期間に及んだことになる。

なお、父成功は、彼自身の目標である「反清復明」を果たす事無く死去し、また台湾と関連していた時期も短かったが、台湾独自の政権を打ち立てて、独立の国として、台湾開発を促進する基礎を築いたこともまた事実である為、鄭成功と父鄭芝龍日本人の母田川松、鄭成功の子 鄭経、この3代の歴史の流れを合わせた上で鄭成功という存在は、今日台湾人の精神的支柱(開発始祖あるいは「ピルグリム・ファーザーズ」)として社会的に極めて高い地位を占めている。