古沢勝之

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古沢 勝之

古沢 勝之(古澤 勝之、ふるさわ かつゆき、1894年明治27年)1月24日[1][2] - 1943年昭和18年)7月2日[3])は、大正から昭和時代前期の台湾総督府官僚。台中市尹台南市尹。

経歴・人物[編集]

富山県富山市古手伝町生まれ[4]。台湾総督府文官普通試験に合格し、1912年(大正元年)総督府に出仕[1]。官房秘書課勤務となる[1]1923年(大正12年)弁護士試験に合格し、1927年(昭和2年)7月には台湾総督府地方理事官となり、台中市助役に就任する[1][2]

1929年(昭和4年)5月、台中州彰化郡守を経て、1932年(昭和7年)4月に台中市尹に就任[1][2]。翌年の1933年(昭和8年)10月2日付けで台南市尹に転じた[1][2]。のち民間に転じ、1939年(昭和14年)12月、福大公司取締役となった[2]1943年(昭和18年)7月2日、殉職、1944年(昭和19年)7月7日に社葬が行われる[3]

栄典[編集]

位階
勲章等

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k 帝国自治協会 1938, 79頁.
  2. ^ a b c d e 帝国秘密探偵社 1943, 台湾60頁.
  3. ^ a b 「(死亡広告)古沢勝之」『朝日新聞』、1944年7月2日、3面。
  4. ^ 原 1931, 551頁.

参考文献[編集]