バスケットボールチャイニーズタイペイ代表

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バスケットボールチャイニーズタイペイ代表
各種表記
繁体字 中華臺北男子籃球代表隊
簡体字 中华台北男子篮球代表队
拼音 Zhōnghuá Tāibĕi Nánzi Lánqíu Dàibiăoduì
英文 Chinese Taipei Men's National Basketball Team
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 Basketball pictogram.svgバスケットボールチャイニーズタイペイ代表
国または地域 中華民国の旗 中華民国台湾チャイニーズタイペイの旗
協会 中華民国バスケットボール協会
ヘッドコーチ 鄭光錫
FIBAランキング 25位(2006年12月23日版)
オリンピック
出場回数 3回
初出場 1956 メルボルン
最高成績 11位(1956)
ワールドカップ (男子) / 女子世界選手権
出場回数 2回
初出場 1954 世界選手権
最高成績 4位(1959)
アジア選手権
最高成績 準優勝
ユニフォーム
Kit body thinbluesides.png
ホームジャージ
チームカラー
ホーム
Kit body thinwhitesides.png
アウェイジャージ
チームカラー
アウェイ
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バスケットボール・チャイニーズタイベイ代表(-だいひょう)は、中華民国台湾)のバスケットボールナショナルチーム

歴史[編集]

元は台湾島だけでなく中国大陸本土も領土としていた中華民国(中国)男子バスケット代表チームとして発足。中華民国代表チームは1913年から1934年に行われていた極東選手権大会に参加し、1921年上海で開催かれた第5回極東選手権で優勝。1936年にはバスケットボールが正式競技に採用されたベルリンオリンピック1948年ロンドンオリンピックに出場。

国共内戦を経て1949年に中華民国政府が台湾に移った後も、そのまま引き続き中華民国(中国)の名義で活動する。この時期、国際オリンピック委員会は台湾の中華民国と、大陸本土の中華人民共和国の二つのオリンピック委員会の加盟を承認し、国際バスケットボール連盟(FIBA)もそれを倣って両方を承認していた。(その後、中華人民共和国はこれを不服として1958年にFIBAを脱退。)中華民国代表チームは1954年に世界選手権に初出場して5位となると、1956年のメルボルンオリンピックにも出場。1959年にはチリで開催された世界選手権でアルゼンチンとアラブ首長国連邦に勝利して予選リーグを突破して4位になった。その後、1970年代に国際連合が大陸本土を支配している中華人民共和国が「中国」であると決定して、中華人民共和国が国際社会に復帰すると、逆にそれまで「中国」を代表する立場であった中華民国はFIBAでの地位を失い、中国名義のままでの国際試合に参加することができなくなった。1977年、FIBA事務総長のウィリアム・ジョーンズの配慮により台湾開催の国際大会、ウィリアム・ジョーンズカップが創設された。

1981年、中華民国(台湾)の代表チームはチャイニーズタイペイ(中華台北)名義でFIBAに復帰した。これ以降のアジア選手権での最高成績は1989年大会での3位。世界選手権、オリンピックへの出場はない。

2013年のアジア選手権では、準々決勝で中国代表に96-78で大勝し、久々にベスト4入りしている。

主な国際大会成績[編集]

主な歴代代表選手[編集]

関連項目[編集]