スクーター

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スクーター(PCX 2011年

スクーターScooter。正式には「MOTOR SCOOTER」)はオートバイの一種であり、原動機を座席の下に設置し、前方にステップ(足踏台)のある形態のものを指す。1919年にイギリスで「SKOOTAMOTA」が発売されるが[1]、語源については諸説あり定かではない。

目次

概要 [編集]

ビッグスクーターによるツーリング(旅行

現在のスクーター構造の基本は、エンジンや駆動装置がカバードされ、乗降時に足を高く上げる必要がなく乗り降りが簡便なレイアウト、レッグシールドを備えて、シートは跨ぐのではなく座る形状である。メットインなど荷物の収納スペースが設けられており、また変速操作も操作ベルト式無段変速機によるオートマチックトランスミッションを採用しクラッチも自動である車種が多い。

排気量が少ない車種も多い事もあり、広い層に支持される近距離の交通手段、また排気量の大きい車種は、二人乗りや高速道路の走行を含む旅行の用途としても使用されている。

歴史 [編集]

スクーターの起源 [編集]

1910年代にアメリカAutoped Companyキックスクーターの前輪にエンジンを一体化させた立ち乗りスクーターとしてAutopedを発売した。4ストローク125cc単気筒エンジンに前後10インチホイールを備え25km/hでの走行が可能であった。

1919年にイギリスABC社が発売したSkootamotaにはサドルが設けられ、座位で運転できるものであった。また、特許出願に際して「モータースクーター」(Motor-Scooter)と呼称していた[2]。Skootamotaはアンダーボーンフレームの完全なステップスルーで、4ストローク125cc単気筒エンジンを搭載して40km/hを出せたと言われる。エンジンはサドルの下に搭載されているが、これを覆うカバーの類は設けられていない。1920年代前半にはSkootamotaに似たコンセプトのオートバイが各国の複数のメーカーから発売されている。

1920年にイギリスGloucestershire Aircraft社が発売したUNIBUSには外装パネルが全体に装備され、機械構造部分はほぼカバーされていた。1930年代には、アメリカのCushmanPowellSalsbury他、数社が外装で覆われた小排気量エンジンと小径ホイールを備えた、スクーターとしてほぼ完成されたスタイルを持つオートバイを販売している。

現在のスクーターのスタイルを決定づけた機種は、1946年に製造が開始されたイタリアピアッジオ社製のベスパ98であると考えられがちだが、前述の基本的なスタイル要素はベスパ登場以前にすでに完成されていた。


日本のスクーター史 [編集]

黎明期 [編集]

最初に普及した「ラビット

太平洋戦争後の占領下にあった日本では、スクーターの位置付けが連合国アメリカイギリスなど)とは異なっていた。敗戦後間もない日本でのスクーターの役割は荷物輸送手段や人の移動手段であったが、当時のアメリカやイギリスでのスクーターの位置付けはツーリングに出かけたり、ティーンエイジャーの遊びなどに使う娯楽の道具であった。そのため、GHQからスクーターは贅沢品と見なされ、スクーターの生産を中止する指令が出された。GHQの欧米人たちは日本人がスクーターを実用目的の交通手段として使うとは思ってもみなかったのだ。GHQの指令を受けて、スクーターメーカーと自動車工業会通産省がGHQに日本のスクーター事情を説明した結果、実用品として生産が認められた[3]

日本で本格的に普及した最初のスクーターは、1947年に富士産業(現:富士重工業)が製造を開始したラビットである。翌1948年には中日本重工業(現:三菱重工業)がシルバーピジョンの販売を開始した。当初は5インチ程度の小径タイヤに2馬力の非力なエンジンで、サスペンションもごく単純なものしか備えられていなかったが、国内の道路状況の改善と共に急速に進化し、国民の足として活躍するようになった。当時はオートバイよりも積載性と乗り心地に優れ、自動車よりは安価な実用交通手段として普及した。

1950年代には三光工業ジェット平野製作所ヒラノ東昌自動車工業パンドラ宮田製作所ミヤペットなど大小各社が参入したが、メグロキャブトンといった戦前からのオートバイメーカーは参入せず、スクーター市場はラビットとシルバーピジョンの2社がリードしていた。

現在もオートバイの製造を行っているメーカーとしてはホンダとがヤマハがそれぞれ、ジュノオSC-1を発売した。1954年から発売されたジュノオはFRPで覆われた全天候型ボディと片持ち式足回り(KB型)、バダリーニ型無段階変速機(M85型)などを装備した。1960年発売のSC-1は当時のライバル、ラビット・スーパーフロー型を上回る動力特性(2ストローク、10.3馬力)と流体式トルクコンバータを備え、ジュノオ同様に片持ち式サスペンションを採用した。だが実用車のシェアは1958年に発売されたスーパーカブのようなビジネスバイクに移りつつあったため、両社ともこれらに続く製品をスクーター市場に投入することはなかった。

1960年代に入ると四輪自動車が普及するようになり、実用的な二輪車はスーパーカブをはじめとする、さらに安価で積載量の大きいビジネスバイクが台頭するようになった。スクーターの市場は減少し、シルバーピジョンが1964年に、ラビットが1968年に生産を終了すると、日本国内にはスクーターを製造販売するメーカーが存在しない時期が訪れた。

ソフトバイクブーム [編集]

1976年にホンダはモペッドのようにシンプルな構造のロードパル(通称「ラッタッタ」)を発売し、簡単操作、軽量、低価格を売りにして主婦層への浸透を図った。これに対抗してヤマハ1977年パッソルを発売した。1950年代に普及したスクーターよりも小型・軽量で、外装パネルで覆われていない外観的特徴などから、当時はソフトバイクと呼ばれて区別された。カブなどの実用車とは一線を画すおしゃれなアンダーボーンの車体に、自動クラッチ、自動変速を備えており、始動方式はキック式が採用されていた。またブレーキ系統も実用車や従来のオートバイと異なり、左レバーで後輪ブレーキを操作する自転車式であった。出力はロードパルが2.2馬力、パッソルが2.3馬力と極めておとなしいものであったが、自転車感覚で乗れることが大いに受けてブームを巻き起こした。中でもパッソルはステップスルーを採用して女性がスカートをはいたまま足をそろえて乗れることをアピールし、これがスクーターブームの先駆けとなった。

1980年ホンダ・タクトが発売された後は各社から様々なスクーターが発売されスクーターのラインナップが充実してきた。1983年にはビートが発売された。最高出力は自主規制値の7.2psであり、50ccクラススクーターの中では、国内最高出力・世界初水冷2サイクルエンジン・2灯ハロゲンヘッドライト・メンテナンスフリーバッテリー・透過光式4連メーターなど特別な車種であったが、車両価格が高い事もあり販売台数は少なかった。

ラビット時代のスクーターは排気量が大きく、この当時の運転免許制度では自動二輪免許が必要な排気量のものが主であったのに対し、原付免許で乗れる50cc以下の車種がほとんどとなった。当時はヘルメットの着用義務がなかったことや、エンジンの性能が向上して50ccでも十分な動力性能が得られるようになったことが理由ともなっている。同時に50ccクラスの国内市場は、実用車の他はほとんどスクーターに占められるようになった。


ビッグスクーターブーム [編集]

ホンダ・スペイシー250フリーウェイは250ccのエンジンを採用し、さらにホンダ・フリーウェイでヘルメットを2個収納可能なメットインタイプとなった。また、1986年発売のホンダ・フュージョンはロングホイールベースを初めて採用したが、当時はそれほど注目されなかった。これらのクラスはホンダの独壇場であったが、1995年にヤマハがマジェスティを発売し、そのデザインと共に利便性・快適性を求めたコンセプトがヒットしシェアは8.6%[4]となった。ホンダ・フォーサイトの発売と大ヒットによりシェアも13.1パーセント[4]となって、その後ビッグスクーターのラインナップは拡大し、国内4メーカーのうち、カワサキ[5]を除く3社が幅広い商品ラインを展開している。これらブームも続き、ピークとなる2005年にはシェアはほぼ半分[4]、6月にはオートマチック限定免許も新設された。

原動機付自転車と違い、二段階右折・30km/hの法定速度など制限を受けず、快適性が高く、また通常のオートバイよりも二人乗りが快適など利便性と簡便性に優れていることがブームとなった理由と見られている[4]

日本で「ビッグ・スクーター(Big Scooter)」と呼ぶスクーターは、ヨーロッパで「マキシ・スクーター(maxi scooter)」と呼ぶ。

近年の傾向 [編集]

ホンダ・PCX(124cc、2010年~)

50cc未満の原付一種は2007年施行の排ガス規制強化の影響を受けその対策によって車体価格が大幅に値上がりし、2007年以降販売台数が大きく減少している。また軽二輪自動二輪の販売台数も、同様の理由で減少傾向の一途をたどっている。原付二種も同様の理由で減少はしているものの、減少度合いが比較的小さく、むしろ2008年から2010年にかけては回復基調にある[6]

そのような状況の中、ビッグスクーターより車両価格が安い、51-150ccの排気量を持つ第二種原動機付自転車や普通二輪クラスの小型スクーターの人気が高くなっている。デザインや装備がビッグスクーターに近いホンダ・PCXや自動車専用道路を走行可能なPCX150も販売予定台数を大幅に超える販売数となっている[7]

近年ではキムコSYMなど、日本のオートバイメーカーから技術供与を受けて成長した台湾メーカーによる50-125ccクラスの製品が日本市場に進出してきている。

種別 [編集]

小型スクーター [編集]

ホンダ・リード 110ccのスクーター

ステップスルーを可能にする車体形状では、ダイヤモンド型やクレードル型といった剛性の高いフレーム形状を採用出来ない。 エンジンやトランスミッションは、スイングアームに一体化した「ユニットスイング」と呼ばれる機構を採用している。そのため重心が後よりになり後輪のバネ下荷重が大きく、多気筒のエンジンを搭載することはスペースの制限により難しい。ひざの間にタンクがないためニーグリップと呼ばれる乗車姿勢をとることができず、ひざを使った車体のコントロールや乗車姿勢の安定化が難しい。

小径タイヤを採用している車種が多く、それらは路面の凹凸の影響が大きく直進性が劣る場合がある。一方、アジア諸国では道路の整備状況が悪い、またヨーロッパでは石畳の道路が多く存在するといった理由から、大径のタイヤが採用されている場合が多い。

外観意匠を優先するため、あるいは車体内に収納スペースを設けるために、車体は外装パネルで覆われている車種が多い。カウルを持たないオートバイに比べると整備性が悪いが、収納スペースの利便性を重視している点もスクーターの大きな特徴で、ヘルメットを雨や盗難などから守ることができるメットインスペースは近代のスクーターを象徴する機能の一つである。これに先鞭をつけたのが1985年昭和60年)のヤマハ・ボクスン (2ストローク単気筒、49cc、5.2馬力)であり、この流れは1987年(昭和62年)のホンダ・タクト(「メットイン・タクト」2ストローク単気筒、49cc、5.8馬力)に引き継がれ、現在販売されているスクーターでは一般的となった。このほか、グローブや雨具を収納するボックスや、買い物袋を下げるためのフックが用意されている場合もある。

ビッグスクーター [編集]

排気量が250ccもしくはそれを超えるスクーターはビッグスクーターとも呼ばれる。リアシートが大型化して全長が長く、車重も重くなる車種が多い。これらは二名乗車における快適性や高速道路走行を視野においた走行安定性を重視しているため、小型のスクーターとは異なる設計となる。

走行安定性を確保するために、大径のホイールを採用したり扁平タイヤやラジアルタイヤを使用するものが見られ、車種によっては座席前方中央部に乗車姿勢を安定させる突起を設けたものもある。収納スペース容積は、機種によって異なるものの大容量化しており、ヘルメットが2つ収納できる車種が多い。強力な制動力を持つブレーキやABS、明るいヘッドライトなどが採用される場合が多い。それらを長いホイールベースで、高出力の重いエンジンを搭載した上に、二人乗りでも安定した乗り味を求められることから、高剛性を確保しやすいフレーム形状が採用され、ステップスルーが不可能となっている車種が多い。

特に高速走行を想定した大排気量スクーターは[8]、サスペンションの性能を追求するためにエンジンを車体フレームに固定してユニットスイングを用いない車種もある[9]

参考文献 [編集]

脚注 [編集]

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  1. ^ Honda Fact Book: SCOOTER 1981.7.7
  2. ^ Patent USD55148 - DESIGN FOR A MOTOR-SCOOTER - Google Patents
  3. ^ 小関2007
  4. ^ a b c d JAMAGAZINE 2007年7月号 福原広昌 二輪車新聞社
  5. ^ かつてはカワサキもスズキからのOEM製品を発売していた。
  6. ^ (社)日本自動車工業会の統計より(ただしスクーターのみを抽出した統計ではない)
  7. ^ ホンダ2011annual report
  8. ^ 近年ではスズキ・スカイウェイブ650ヤマハ・TMAXといった2気筒エンジンを採用した車種が増え、世界最大のものではピアッジオ社製ジレラ・GP800がV型2気筒の839ccである。
  9. ^ 日本自動車工業会 JAMAGAZINE 2001年6月号

関連項目 [編集]

外部リンク [編集]