ホバークラフト

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三井造船製MV-PP10
大分ホーバーフェリー所属
大分空港沖で2004年7月撮影

ホバークラフト(Hovercraft)は平坦な面であれば地上・水上・雪上を区別無く進むことの出来る乗り物である。本来は商標で、一般名称としてはair-cushion vehicle(ACV=エアクッション艇)。工学上は航空機に分類されるが、日本の法律では主に水上走行することから船舶に分類されている。

hoverは日本では従来「ホーバー」と呼ばれることが多かったが、原語の発音では「ホヴァ[ˈhɒvər]」または「ハヴァ[ˈhʌvər]」の方が近い。

目次

[編集] 仕組み

ホバークラフトは上から吸い込んだ大量の空気を艇体の下に吹き込み続けることで浮力を得ている。艇体下部はスカートと呼ばれる合成ゴム製のエアクッション用側壁が四方に垂れ下げられており、吹き込まれた空気を十分な高さで保持している。この側壁下部と水面または地面との隙間から常に空気が漏れ出ることで完全に艇体の全てが空中に浮かぶため、平坦な面上では接触抵抗が全く発生しない。この隙間より大きな凹凸でもスカート部によって作られたエアクッションの高さまでは、金属製の艇体に接触することが避けられる。

スカート部への空気の圧縮を止めれば、エアクッションが失われて艇体の底部がそのまま水面または地面と接触する。水上でそのような事態が起きても水中へ沈まないように、艇体は船と同様の水密構造を備えている。

ほぼ全ての機種では飛行機のように空気を押すことで推進力を得るためのプロペラを備えるが、例外的に水中にスクリュー・プロペラをもつ機種もある。浮上しているため水面や地面の抵抗を受けずに高速に航行できる。平坦な場所であれば陸上でも使用できるが沼地以外では凹凸が障害となるために、実際には水上で利用されることが多く、ほとんどは船舶としての扱いを受けている。ゼロ速度飛行機の一種である。

[編集] 長所と短所

[編集] 長所

  • 水陸両用で、特に他の乗り物では航行や走行が困難な浅瀬湿地でも、エアスカートの高さ程度までの凹凸なら速度を落とさずに移動できる
  • 通常の船舶よりはるかに高速である
  • 水中や地表の環境に与える影響が少ない

[編集] 短所

  • 浮上と推進に大量の空気を圧縮・加速し続けるために、多くのエネルギーを消費して燃費が悪く騒音と振動も大きい
  • エアクッションによって船体を支えるため、2乗3乗の法則による制約を受けて大型化が難しい
  • 波浪や強風など悪天候に弱く英仏海峡では大きな事故を経験している
  • スカートの破損によってエアクッションが失われると、浮揚に障害を生じる
  • 半消耗品であるスカートの維持交換コスト(寿命はおよそ1週間)[要出典]も運用費を押し上げる
  • 操縦に特殊な技能が要求される
  • わずかな斜面でも直進性が失われるため、陸上での運用には制約が大きい
  • 保守を行なう港湾には専用斜面が求められる

[編集] 商標

「Hovercraft」は、イギリスのブリティッシュ・ホバークラフト社(British Hovercraft Corporation)の商標であるが、同社が一般名称としての使用を認めているため、正式名称である「Air-Cushion Vehicle」(ACV=エアクッション艇)よりも「Hovercraft」や「ホバークラフト」と呼ばれる方が普通になっている。

[編集] 各国での使用状況

[編集] 民間旅客用

発祥の地イギリスでは、イギリス・フランス間の海上高速輸送のため、両国の国鉄が共同でドーバー・カレー間にホバークラフトを就航させ、「シースピード」の愛称で親しまれていた。使用艇は自動車の積載も可能な大型のものであり、、ブリティッシュ・ホバークラフト社建造のSRN4型がメインで、一時期はセダム社建造によるフランス製の艇も併用された。民営化に伴い、ホバースピード社が運航を引き継ぎ、ユーロトンネル開通後も活躍してきたが、2000年に船体老朽化とシーキャット型高速船への置き換えに伴い役目を終えた。 イギリス国内では、ワイト島への連絡用にホバートラベル社が運航する便が現在も存在する。

冬場に海面凍結がある北欧では、ホバークラフトが利用されていた。デンマークのコペンハーゲン空港と海を隔てて対岸のスウェーデンのマルメの間は連絡橋が開通する以前に、SASスカンジナビア航空のホバークラフトが運航されていた。

中国では、黄河の観光遊覧用に一時期用いられていたが、到着時には、船体が泥で真っ黄色になり、毎便の運航前に洗い流し作業が必要だったという。

日本では、下記のとおり宇高連絡船を始めいくつか採用例があったが、他のタイプの高速船への置き換えが進んだり、架橋や不採算によって航路自体が廃止になり、現在では大分空港別府湾をはさんだ大分市との間を結ぶ大分ホーバーフェリーが唯一の存在となっている。これは、海上から陸上へとそのまま乗り入れることで空港ターミナルに直接横付け出来る利便性が代替しにくい事による。

[編集] 軍事用

ベトナム戦争中に米海軍が水陸両用の新兵器として、一種の哨戒艇として数隻が実戦に試験投入された。大騒音によって敵に事前に察知されやすいこと、ゴム部分に被弾するとすぐに行動不能になるなど艇体が脆弱であることがデメリットとされた。さらには陸上運用も可能であることが米陸軍との確執を生んで評価は芳しくなく(陸軍も試験運用していた)、結局、本格的に運用される事は無かった。しかし、中国人民解放軍海軍もこの発想に近いと思われる小型のホバークラフト(戦車揚陸艦に搭載可能)を運用している。

21世紀現在は、軍事用では揚陸時の輸送任務に当たる事が大半であり、米海軍や海上自衛隊では、輸送艦や強襲揚陸艦に搭載し、上陸用舟艇として利用している。軍事用ホバークラフトでは代表的なLCAC-1級エア・クッション型揚陸艇の場合、50トンを超える主力戦車を1両運搬するだけの能力を持つ。

ロシア海軍は独自の戦略に基づき、輸送用大型ホバークラフトをカスピ海等で運用している。これらは米製のLCACとは異なり、輸送艦等に搭載されることなく独立して陸上同士を結ぶ揚陸輸送を行なうものであり、波浪が限られ距離も短い内海では既存の揚陸艦と組み合わせて運用するよりも、単独で用いる方が合理的との判断である。一部はギリシャにも輸出されている。ロシアの「ホバークラフト」はロシア語の「Экраноплан」に基づき「エクラノプラン」と表記されることが多い。

この他に、イギリス製のホバークラフトが革命前のイランに輸出され、イラン海軍に配備された。革命後は支援途絶により非稼動とも考えられていたが、一部はイラン・イラク戦争当時から現在に至るまで、ペルシャ湾沿岸における同軍の哨戒・兵員輸送に活用されているという。

カナダでは砕氷船に使われる。特別の砕氷設備は必要なく、氷上を走行するだけで重みでが割れる。

[編集] 歴史

1877年にイギリスの技術者ジョン・ソーニクロフトJohn Isaac Thornycroft)が地面効果で水の抵抗を軽減させることを考案し、模型での実験に成功した。

最初の完全に動作した硬質な船底を持つホバークラフトは、オーストリアダゴベルト・フォン・トーマミュール Dagobert Müller von Thomamühl[1]が設計し、オーストリア=ハンガリー帝国海軍(KaiserlicheでありKönigliche Kriegsmarineでもある)によって建造された"Seearsenal" である。1915年に完成した。全長13m、全幅4m、5人乗りで32ノットだった。初期のホバークラフトの研究、開発はオーストリア=ハンガリー帝国で進められたが、財政難で中止された。

コンスタンチン・ツィオルコフスキー(Konstantin Tsiolkovsky)による論文 "Air Resistance and the Express Train".[1][2](1927年)では、初めて科学的見地から地面効果と空気浮上の計算について執筆されていて、 それをもとにソ連の技術者であるウラジミール・レフコフ(Vladimir Levkov)は空気浮上艇の開発を始め、1930年代半ばには約20隻の空気浮上による実験的な攻撃・魚雷艇を建造した。最初の試作機であるL-1はとても単純、双胴型で3機のエンジンを搭載していた。2基の空冷式M-11航空機エンジンは水平に内蔵され、3基目は推進に用いられた。実験では130km/hを記録した。当時の水上を航行する船舶では最も速い部類に入る。

21世紀現在、主流となっている軟質のエアスカートが付いている形式のホバークラフトを発明したのは、イギリスのクリストファー・コッカレルである。コッカレルは1952年ワイト島で1号艇を作り、1955年の試作品を民間の航空機メーカーや造船会社に持ち込んだが採用されなかった。そこでイギリス軍の支援の下で秘密裏に開発したが、1959年にプロトタイプを公開しドーバー海峡を横断するデモンストレーションに成功した。その後、高い波や障害物を越えられるよう、ゴム製のエアスカートを発明した。

[編集] 日本における歴史

荒天に弱いという性質から、外洋に囲まれた日本では活躍の場が限られていたが、日本での定期航路は1967年、熊本県の天草航路(島原⇔熊本・百貫港⇔本渡)が初めてで、三菱重工が英国の技術導入で製作した艇を使用した。 このころ(昭和40年代)わが国では海上輸送の高速化に注目が集まっており、三井造船も強力なガスタービンエンジンを搭載したホーバークラフトを開発。瀬戸内、伊勢湾、佐渡、鹿児島湾、沖縄海洋博会場などを約90km/hで駆けめぐった。

そのうち、MV-PP5型やMV-PP15型のエンジンには、ヘリコプター用を改良した石川島播磨重工業製の軽量、高出力のガスタービンエンジンが使用されていたが、現在のMV-PP10型では経済性に優れるディーゼルエンジンが搭載されるようになった。

[編集] MV-PP5

三井造船製MV-PP5mk2
大分ホーバーフェリー所属
大分空港航走路で2002年6月撮影
国鉄 宇高連絡船 とびうお
1986年頃撮影

1970年代から図鑑や科学雑誌によく掲載され、トミカやプラモデルとしても発売されていたため、日本でホバークラフトと言えばこの形を想像する人が多い。建造元の資料によると、PP5型は計19艇作られた。一部は海外へ輸出。三井造船千葉事業所にて建造。当初は50名程度の定員だったが、後に船体延長し70名程度の定員になった艇もある。延長型はMV-PP5mk2と呼ばれた。ガスタービンエンジン1基を用いて浮上と推進を行っていた。

  1. はくちょう(国鉄予備艇→岡山県の玉野海洋博物館で屋外展示)1988年解体
  2. はくちょう2号(名鉄海上観光船)
  3. はくちょう3号(名鉄海上観光船→大分ホーバーフェリー)途中からmk2へ改造 1995年解体
  4. ほびー1号(大分ホーバーフェリー)途中からmk2へ改造 1991年解体
  5. ほびー2号(大分ホーバーフェリー)1976年解体
  6. ほびー3号(大分ホーバーフェリー)途中からmk2へ改造 1989年解体
  7. かもめ(国鉄の初代)1991年解体
  8. 蛟龍(八重山観光フェリー→竹富島で屋外展示)
  9. エンゼル1号(空港ホーバークラフト)
  10. エンゼル2号(空港ホーバークラフト→大分ホーバーフェリー)
  11. 赤とんぼ51号→ほびー6号(日本ホーバーライン→大分ホーバーフェリー)途中からmk2へ改造 2003年解体
  12. 赤とんぼ52号→ほびー7号(日本ホーバーライン→大分ホーバーフェリー) 船籍登録した後も運航には使用せず幻のほびー7号となる(他の艇への部品取り用へ)
  13. エンゼル3号(空港ホーバークラフト)
  14. エンゼル4号(空港ホーバークラフト)
  15. エンゼル5号(空港ホーバークラフト→大分ホーバーフェリー)途中からmk2へ改造 2002年解体
  16. Hangchang No.1 輸出型30名乗り
  17. Hangchang No.2 輸出型30名乗り
  18. とびうお(国鉄の2代目=JR四国へ引継ぎ)建造時からmk2 1991年解体
  19. Hangchang No.3 輸出型30名乗り

かつては次の各地でMV-PP5による旅客輸送があった。

空港ホーバークラフト(鹿児島県)
「エンゼル3号」
1976年8月 指宿港にて
  1. 指宿から鹿児島、又は桜島を経由して錦江湾を北上、加治木へのアクセスとしていた。但し加治木から鹿児島空港へは陸上交通での移動が必要であった。ここでは運航をフライトと称していた
  2. 船体色は黄色一色であり、指宿での客の乗降は、干満に応じて桟橋に接岸したり砂浜に乗り上げたりしていた
  3. 1977年に廃止された
  • 大阪・徳島間では、日本ホーバーラインが「赤とんぼ」という名で運航していた
  • 沖縄が1972年に米国から日本へ返還された後、離島の振興開発を目指し、10年間にわたって八重山観光フェリーが「蛟龍」という名で、石垣島・小浜島・竹富島・西表島間で運航していた。現在も航路は残るが、ウォータージェット船に移行した
  • 瀬戸大橋がまだなかった時代、 国鉄JR四国が、宇野・高松間で運航していた。当時、普通の連絡船だと1時間かかったところを僅か23分で結んだ。使用艇は初代の「かもめ」と2代目の「とびうお」。特に宇野駅では当時、駅ホームの海側先端にホーバー乗り場があり、高松駅も駅舎すぐ脇の海際が乗り場だったので、列車からの乗り換えに便利であった。しかし、瀬戸大橋開通により列車で海を渡れるようになったため、1988年4月、宇高連絡船と共に廃止された

本型は日本の代表的なホバークラフトだったが、最後まで残っていた大分でも新しいPP10型に交代が進み、2003年に全艇が役目を終えた。

[編集] MV-PP15

MV-PP5の大型化を目指し、1970年代に以下の4隻が建造された。旅客定員155名で、ガスタービンエンジン2基を搭載していた。操縦席が2階にあり、客室にはトイレもあった。

  1. しぐなす
  2. しぐなす1号
  3. しぐなす2号
  4. しぐなす3号

1975年の沖縄国際海洋博覧会で期間中、会場と那覇の間の連絡船として就航し、有名になった。また、70年代の別の時期には、日本海観光フェリーにより能登半島七尾港佐渡島小木港の間で運航されていた。試験航行で東京港に来たこともあり、建造元の三井造船本社に近い竹芝桟橋のあたりを走行する雄姿を見ることができたが、1980年代に入って全艇が役目を終えて解体され、現存しない。

[編集] MV-PP10

下記の4隻が国内で現存する艇で、大分ホーバーフェリーに就航しているもので、全艇三井造船玉野事業所製である。旅客定員100〜105名。ディーゼルエンジン4基搭載。詳細は大分ホーバーフェリーを参照。

  1. ドリームアクアマリン
  2. ドリームエメラルド
  3. ドリームルビー
  4. ドリームサファイア

[編集] ソ連の「エクラノプラン」

ソ連では、カスピ海において運用する「エクラノプラン」(ロシア語でホバークラフトのこと)が、軍民合わせて多数製作された。軍用のカスピ海の怪物に代表されるように「エクラノプラン」は奇妙な形をしたものが多かったが、それらは西側のものと違い、地面の近くは上空より揚力が強く働く地面効果を利用するために航空機に近い形状をもつという共通点があった。それは、ホバークラフトというよりは「飛び上がれない飛行機」という印象を与えるものであった。

[編集] 脚注

  1. ^ Charles Coulston Gillispie, Dictionary of Scientific Biography, Published 1980 by Charles Scribner's Sons, ISBN 0684129256, p.484
  2. ^ (ロシア語) Air cushion vehicle history

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ