孫正義
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| 孫 正義 | |
|---|---|
| 生誕 | 1957年8月11日(52歳) |
| 職業 | 実業家 |
| 純資産 | 約6,800億円(2007年度時点) |
孫 正義(そん まさよし、1957年8月11日 - )は、日本の実業家。
ソフトバンクグループの創業者として知られ、ソフトバンク株式会社代表取締役社長、ソフトバンクテレコム株式会社代表取締役社長、ソフトバンクモバイル株式会社代表執行役社長兼CEO、福岡ソフトバンクホークスのオーナーなどを務める。アジアングルーヴ株式会社代表取締役社長の孫泰蔵は実弟。
創業したソフトバンク株式会社の株式31.5%を保有する筆頭株主(2007年(平成19年)現在)で、日本有数の資産家。フォーブスの調査による世界長者番付の2006年度版で日本人8位、2007年(総946人)には58億ドル(約6,800億円)で日本人では1位(世界では129位)、2008年度版で日本人4位となる。
目次 |
[編集] 略歴
- 1957年(昭和32年) - 8月11日在日韓国人実業家、孫(安本)三憲の二男として佐賀県鳥栖市に生れる。母は李氏。男ばかりの4人兄弟であった。
- 緑ヶ丘・第二幼稚園を卒園。
- 北九州市立引野小学校を卒業。
- 北九州市立引野中学校を途中で転校。
- 福岡市立城南中学校に入学。
- 久留米大学附設中学校に入学。
- 1973年(昭和48年) - 久留米大学附設高等学校に入学。
- 1973年(昭和48年) - 司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読み、脱藩に憧れて渡米決意。
- 1974年(昭和49年) - 久留米大学附設高等学校を中退し、米国セラモンテ高等学校(サンフランシスコ)に編入。
- 1975年(昭和50年) - 米国ホーリーネームズ大学に入学。
- 1977年(昭和52年) - カリフォルニア大学バークレー校経済学部に編入。
- 1979年(昭和54年) - 自動翻訳機の売込みで得た資金を元手に、米国でソフトウェア開発会社の「Unison World」を設立。
- 1980年(昭和55年) - カリフォルニア大学バークレー校を卒業。学位は、経済学士(カリフォルニア大学)。日本へ帰国後、福岡市にコンピュータ卸売事業の「ユニソン・ワールド」を設立。
- 1981年(昭和56年) - 福岡県大野城市に「日本ソフトバンク」を設立。
- 1983年(昭和58年) - 慢性肝炎で入院。社長職を退き会長となる。
- 1986年(昭和61年) - 社長職に復帰。
- 1991年(平成3年) - 日本国籍を取得。
- 1994年(平成6年) - ソフトバンク株式会社の株式を店頭公開。
- 1996年(平成8年) - 米ヤフーとソフトバンクの合弁でヤフー株式会社を設立。
- 1996年(平成8年) - オーストラリアのメディア王ルパート・マードックのニューズ・コーポレーションと折半出資の合弁会社を設立し、テレビ朝日の株式の21%を取得。後に朝日新聞の反発に遭って撤退。
- 2001年(平成13年) - ヤフー株式会社と共同でADSL接続サービスのYahoo! BBの提供を開始。以降、それまでのPCソフト卸、PC出版から通信に本業の軸足を移す。
- 2004年(平成16年) - 日本テレコム株式会社(現ソフトバンクテレコム株式会社)を買収し、同社代表取締役会長に就任(2006年(平成年)10月に同社代表取締役社長に就任。)。
- 2006年(平成18年) - ボーダフォン株式会社(現ソフトバンクモバイル株式会社)を買収し、同社代表執行役社長兼CEOに就任。
[編集] ソフトバンクの創業
自分で考案した「音声機能付き他言語翻訳機」[要出典]を当時シャープ専務の佐々木正に約1億円で売り込み、その資金を元に米国で事業を起こし、1981年(昭和56年)には「日本ソフトバンク」を設立。
電話の際に自動的に安い回線を選ぶ「NCC BOX」(いわゆるLCR)をフォーバルの大久保秀夫とともに開発した(その関係で、日本におけるLCRの基本特許は孫が保有している)[1]。大久保秀夫との交流は以後も続き、BBフォン、おとくラインの販売など、ソフトバンクグループの法人向けの営業では常にフォーバルと協力体制を取ってきた。
1994年(平成6年)7月にソフトバンク株式会社の株式を店頭公開した。
「日本ソフトバンク」名義の会社を設立したのは1981年(昭和56年)であるが、孫自身は事あるごとに「私は、福岡の
[編集] エピソード
- 小学生時代
- 父三憲は小学生の正義に対し「今度お父さんが出す新製品に、何か言いたい事はあるかな」と聞き、子ども扱いせずに関係者の一人として意見を聞いていた。こうした体験が後に経営者としての手腕に繋がって行った。また「お前は在日韓国人だから、普通の日本人より頑張らないと出世出来ないぞ」と語っていた。
- 理想の企業家像
- 「最も好きな企業家」は本田宗一郎である[3]という。
- 藤田田を訪問
- 高校生時代、藤田田に会うために藤田の会社に行く。最初は門前払いを受けるが、何度も訪れて根負けした藤田についに社長室に通されたという。そこで「今度渡米するのだが、アメリカで何をすべきか」と尋ね、コンピューター関連を学ぶように助言された。その後成功した孫は藤田を食事に招待し、藤田はあの時尋ねてきた高校生が孫正義だったかと驚き、非常に感激し、孫の会社に自社パソコン300台を発注したという。(「リスクをとる経営」産経新聞社刊 より )
- 人生の目標
- 19歳の時に、「20代で名乗りを上げ、30代で軍資金を最低で1,000億円貯め、40代でひと勝負し、50代で事業を完成させ、60代で事業を後継者に引き継ぐ。」という人生50年計画を立て、今もその計画の実現に向けて走り続けているという。
- 大学の検定
- カリフォルニア州での大学の検定試験の際に、「この問題は日本語ならば必ず解ける。」と言い、辞書の貸し出しと時間延長を試験官に申し出た。試験官は、自分の上司にあたる人間に相談。さらにその上司は、自分の上司に相談。そうこうしているうちに、最後は州知事にまで孫は電話で交渉して、「辞書の貸出し」と「時間延長の要求」をのませたという逸話が残っている。さらに、州知事とは「厳密な終了時間」を決めず、「辞書を引くのに適当な時間だけ延長する」という結論であったとして、無期限の時間延長と孫は解釈して、テストを受けて合格したという。
- インベーダーゲーム
- 日本で、流行していた「スペースインベーダー」を、ブームが沈静化した後に大量に安価で買い取り、アメリカで売り出して大もうけした。
- 勝負するなら相手が大きい方がいい
- 孫がヤフーBBのブロードバンドビジネスを始めるにあたり、取り巻きの太鼓持ちの人が驚いて「孫社長、本気であのNTTと戦おうというおつもりですか? こっちはどう見ても竹槍程度の兵力です。竹槍部隊であの強大なNTTという軍艦に立ち向っていくようなものですよ、それでも本気であなたは戦うおつもりですか?」と聞いたところ、孫はしたり顔で「男が勝負するんならNTTぐらいの大きさがちょうど良いんだよ、それ以下だったら弱いものイジメだよ」と答えて太鼓持ちを驚かせたという。
- 将来
- 孫は2005年に雑誌の取材で「近い将来アメリカのヤフー本社も買収して子会社化しようと思う」と話している。
- 噂にはコメントしない
- ソフトバンクの新機種発表会で、「iPhone 3Gの発売はソフトバンクからか」と質問された時の発言。「iPhone3G S」の発売前にも、同じコメントを残している。
[編集] 脚注・出典
- ^ http://www.ipdl.inpit.go.jp/homepg.ipdl 特許電子図書館(IPDL) - 「特許・実用新案検索」の「公報テキスト検索」にて「特許公報 (公告、特許)」の「発明者」として「孫 正義」を AND検索
- ^ 『孫正義起業の若き獅子』大下英治著 、講談社、1999年(平成11年)、ISBN 4062087189
- ^ 『志高く 孫正義正伝』井上篤夫著、実業之日本社。
[編集] 関連項目
- ソフトバンク
- ソフトバンクモバイル(旧・ボーダフォン株式会社)
- ソフトバンクテレコム(旧・日本テレコム株式会社)
- 福岡ソフトバンクホークス
- 予想GUY
- 韓国の華人