阪九フェリー

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阪九フェリー株式会社
Hankyu ferry Co., Ltd.
Funnel mark of Hankyu Ferry.jpg
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
800-0113
福岡県北九州市門司区新門司北1-1
設立 1966年4月28日
業種 海運業
代表者 米田 真一郎
資本金 1,200百万円(2007年3月現在)
売上高 11,492百万円(2007年3月期)
従業員数 253人(2007年3月現在)
決算期 3月決算
主要株主 関光汽船31.5%
新日本海フェリー12.2%
東燃ゼネラル石油10%
日本郵船10%
外部リンク http://www.han9f.co.jp/
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「フェリーせっつ」 - 新門司港沖
新門司ターミナル
新門司ターミナルの待合室
神戸ターミナル
神戸ターミナルの待合室
泉大津ターミナル

阪九フェリー株式会社(はんきゅうフェリー、Hankyu ferry Co., Ltd.)は、福岡県北九州市門司区新門司北に本社を置く海運会社(SHKライングループ)。阪神地区と北九州を結ぶフェリー航路を運航している。日本初の長距離カーフェリー事業者である。みどり会の会員企業。

沿革[編集]

関光海運(現在の関光汽船)の社長入谷豊州が掲げた「海のバイパス」構想により、同社に「長距離フェリー研究部」が設置された。当時は長距離を運航するフェリー航路の前例がなく、周囲から不安視されていたが、国道2号(神戸市須磨と下関市)で実地調査を行い、採算がとれるか需要予測を立てたという。名神高速道路1963年(昭和38年)7月に部分開通)など、モータリゼーションを見越した構想でもあったが、当時は未整備の道路が多く、渋滞も激しい国道2号の代替ルートとして考えていたといわれる[1][誰?]。また、トラック輸送を狙ったものの当初は乗用車の利用のほうが多かったが、次第にトラックの利用も増加し、入谷が掲げた「海のバイパス」構想は成功を収めた。

1973年(昭和48年)にほぼ並行する航路を開設した名門大洋フェリー(名門カーフェリーと大洋フェリーが1984年(昭和59年)に合併)と激しい競争を続けている。

年表[編集]

  • 1965年(昭和40年)9月 - 設立発起人会を開催する。
  • 1966年(昭和41年)4月 - 関光汽船が阪九フェリー株式会社を設立。
  • 1967年(昭和42年)4月 - 神戸 - 小倉間の一般旅客定期航路の事業免許を取得する。
  • 1968年(昭和43年)8月 - 日本初の長距離カーフェリー航路として、神戸(魚崎) - 小倉航路を開設。第1船「フェリー阪九」が就航。
  • 1968年(昭和43年)11月 - 神戸 - 小倉航路に第2船「第六阪九」が就航。2隻での毎日運航を開始。
  • 1969年(昭和44年)6月 - 関光汽船が、新日本海フェリー関釜フェリーを相次いで設立。現在の「SHKライン」(Shin-nihonkai・Hankyu・Kanpu)の原型ができあがる。
  • 1970年(昭和45年)9月 - 神戸 - 小倉航路に第3船「フェリーせと」が就航。
  • 1970年(昭和45年)11月 - 神戸 - 小倉航路に第4船「フェリーはりま」が就航。1日2便の運航となる。
  • 1972年(昭和47年)9月 - 神戸 - 小倉航路に第5船「フェリーながと」が就航。
  • 1972年(昭和47年)11月 - 神戸 - 小倉航路に第6船「フェリーあかし」が就航。1日3便の運航となる。
  • 1973年(昭和48年)4月 - 山下新日本汽船(現・商船三井)系列の西日本フェリーが神戸(深江) - 苅田航路を開設。第1船「つくし」が就航する。
  • 1973年(昭和48年)12月 - 西日本フェリー神戸 - 苅田航路に第2船「はかた」が就航。同社も毎日運航を開始。
  • 1975年(昭和50年)3月 - 西日本フェリー、阪九フェリーに神戸 - 苅田航路を営業譲渡し会社解散となる。
元・西日本フェリー所有船の「つくし」は「第十六阪九」に、「はかた」は「第十七阪九」にそれぞれ改名。
  • 1976年(昭和51年)1月 - 神戸 - 小倉航路に「第二十四阪九1976年]](昭和51年)3月 - 「第六阪九」が退役し売却。「フェリー阪九」は予備船となる。
  • 1976年(昭和51年)4月 - 神戸 - 小倉航路に「第三十二阪九」が就航。
  • 1978年(昭和53年)1月 - 泉大津 - 小倉航路を開設し、「第二十四阪九」「第三十二阪九」が就航。
当時は泉大津市内にはまだ高速道路はなく、大阪市内からも遠く離れているため需要を不安視する向きもあった。
  • 1979年(昭和54年)2月 - 神戸 - 苅田航路を休止(1980年(昭和55年)2月廃止)。「第十六阪九」が退役(1983年(昭和58年)3月に日本国外へ売却)。
  • 1983年(昭和58年)3月 - 中国自動車道が全線開通し、大阪と北九州が高速道路で直結される。
フェリーから陸路への移行が進んだため、フェリーの利用率は前年比7%の減少となった。
  • 1983年(昭和58年)11月 - 泉大津 - 小倉航路に「ニューやまと」が就航。「第三十二阪九」を神戸 - 小倉航路に転配。
  • 1984年(昭和59年)1月 - 泉大津 - 小倉航路に「ニューみやこ」が就航。「第二十四阪九」を神戸 - 小倉航路に転配。
  • 1984年(昭和59年)8月 - 神戸 - 苅田航路に就航していた「第十七阪九」が退役し売却。
  • 1988年(昭和63年)3月 - 神戸 - 小倉航路に「ニューはりま」が就航。「フェリーはりま」を係船。六甲アイランドに新ターミナル(六甲アイランドフェリーターミナル)が完成し魚崎より移転。
  • 1988年(昭和63年)6月 - 神戸 - 小倉航路に「ニューせと」が就航。「フェリーせと」を係船。本社所在地を下関市より神戸市に移転し、北九州営業所を北九州支社に改称する。
本社があった名残で、所属船の船籍港は現在も神戸となっている。
  • 1989年(平成元年)3月 - 神戸の六甲アイランドにフェリーターミナル設立。
  • 1991年(平成3年)1月 - 神戸 - 小倉航路の北九州側の発着地を小倉より新門司に変更。新門司にフェリーターミナル設立。神戸 - 新門司航路に「ニューながと」が就航。「フェリーながと」を係船。
  • 1991年(平成3年)2月 - 本社機能を新門司に移転。北九州支社を九州本部に、神戸本社を神戸支店に改称する。
  • 1991年(平成3年)3月 - 神戸 - 新門司航路に「ニューあかし」が就航。「フェリーあかし」を係船。
  • 1991年(平成3年)10月 - 神戸 - 新門司航路、泉大津 - 新門司航路を、それぞれ1日2便ずつ計4便の運航に改める。
  • 1995年(平成7年)1月 - 阪神・淡路大震災により神戸港六甲アイランド埠頭が倒壊し使用不能になる。このため神戸航路の2便を泉大津発着に変更し、泉大津 - 新門司航路が1日4便の運航となる。
  • 1995年(平成7年)8月 - 六甲アイランド埠頭が仮復旧したため、泉大津 - 新門司航路の1便を神戸 - 新門司航路に復帰。泉大津 - 新門司航路が1日3便の運航となる。
  • 1995年(平成7年)12月 - 神戸 - 新門司航路に「フェリーせっつ」が就航。「第二十四阪九」を日本国外へ売却。
  • 1996年(平成8年)2月 - 泉大津 - 新門司航路を1日3便から2便の運航に変更。
  • 1996年(平成8年)3月 - 神戸 - 新門司航路に「フェリーすおう」が就航。
  • 1996年(平成8年)11月 - 神戸 - 新門司航路を1日2便、泉大津 - 新門司航路を1日1便の運航に変更。
  • 1997年(平成9年)10月 - 神戸 - 新門司航路を1日1便、泉大津 - 新門司航路を1日2便の運航に変更。
  • 2001年(平成13年)12月 - 泉大津港が新ターミナルに移転する。
  • 2003年(平成15年)3月 - 泉大津 - 新門司航路に「やまと」が就航。
  • 2003年(平成15年)6月 - 泉大津 - 新門司航路に「つくし」が就航(旧・西日本フェリー時代の船名が復活)。
  • 2005年(平成17年)10月 - 燃料油価格変動調整金を設定。
  • 2007年(平成19年)4月 - シーズン別運賃を設定し、通常期運賃と繁忙期運賃の2本立てとなる。
  • 2007年(平成19年)11月 - 神戸 - 新門司航路および、泉大津発新門司行きの所要時間変更(所要時間を10分増加)をするダイヤ改定を実施。
  • 2008年(平成20年)6月 - 運航ダイヤ改正及び配船変更。
  • 2009年(平成21年)10月1日 - 泉大津 - 新門司航路を1日2便から1便の運航に変更。
  • 2014年(平成26年)8月-新造船一隻の名称が「いずみ」に決定。
  • 2015年(平成27年)1月・4月 - 新造船2隻が就航予定。

航路[編集]

詳細は公式サイトなどを参照。

便数 発港 着港 距離 使用船舶
神戸下り1便 神戸港六甲アイランドFT 新門司港 454km 「フェリーせっつ」「フェリーすおう」
神戸上り1便 新門司港 神戸港(六甲アイランドFT)
便数 発港 着港 距離 使用船舶
泉大津下り1便 泉大津港 新門司港 458km 「やまと」「つくし」
泉大津上り1便 新門司港 泉大津港

※凡例:FT - フェリーターミナル。

船舶[編集]

便による船舶の割り当ては次の通りである(ドック期間中は例外がある)。

  • 泉大津発着便 - 「やまと」「つくし」
  • 神戸発着便 - 「フェリーせっつ」「フェリーすおう」
「フェリーすおう」 - 泉大津港
「フェリーせっつ」
- 六甲アイランドフェリーターミナル
「やまと」
- 六甲アイランドフェリーターミナル

運航中の船舶[編集]

  • フェリーすおう
1995年(平成7年)7月竣工、同年12月21日就航。15,188総トン、全長189.0m、幅27.0m、出力32,400馬力、航海速力23.0ノット(最大26.0ノット)。
旅客定員810名。車両積載数:トラック219台・乗用車77台。神田造船所(川尻)建造。
船体には就航当初『We Love KOBE』の文字が黒で描かれていたが、2008年(平成20年)6月より泉大津便に配船変更となったことから他船と同じ『Hankyu Ferry』の文字に変更されている。
  • フェリーせっつ
1995年(平成7年)4月竣工、1996年(平成8年)3月15日就航。15,188総トン、全長189.0m、幅27.0m、出力32,400馬力、航海速力23.0ノット(最大26.0ノット)。
旅客定員810名。車両積載数:トラック219台・乗用車77台。神田造船所(川尻)建造。
船体には就航当初『We Love KOBE』の文字が黒で描かれていたが、2008年(平成20年)6月より泉大津便に配船変更となったことから他船と同じ『Hankyu Ferry』の文字に変更されている。
  • やまと
2002年(平成14年)4月竣工、2003年(平成15年)3月27日就航。13,353総トン、全長195.0m、幅26.4m、出力27,400馬力、航海速力23.5ノット(最大25.8ノット)。
旅客定員667名。車両積載数:トラック229台・乗用車138台。三菱重工業下関造船所建造。
船体には『Hankyu Ferry』の文字が青色で描かれている。
  • つくし
2002年(平成14年)7月竣工、2003年(平成15年)6月12日就航。13,353総トン、全長195.0m、幅26.4m、出力27,400馬力、航海速力23.5ノット(最大25.8ノット)。
旅客定員667名。車両積載数:トラック229台・乗用車138台。三菱重工業下関造船所建造。
船体には『Hankyu Ferry』の文字が青色で描かれている。

過去に就航していた船舶[編集]

  • フェリー阪九
5,201.8総トン、全長127.7m、航海速力16.8ノット。
旅客定員1,195名。車両積載数:トラック80台・乗用車60台。
1968年(昭和43年)8月10日、小倉-神戸航路に就航。1976年(昭和51年)1月24日をもって退役し予備船に。1986年(昭和61年)、ギリシャへ売却され、「SUN BOAT」→「ARIANE I」→「IERAPETRA」→「RAFFAELLO」→「BRINDISI」→「ATHINA I」と船名や所有者が変わりながら地中海で就航。2007年5月8日、インドで解体[要出典]
  • 第六阪九
5,011.1総トン、全長127.3m、航海速力16.8ノット。
旅客定員1,195名。車両積載数:トラック80台・乗用車60台。
1968年(昭和43年)11月2日、小倉-神戸航路に就航。1976年(昭和51年)5月16日をもって退役後、関釜フェリーに売却し「フェリー関釜」(2代目)に改名のうえ就航。1984年(昭和59年)8月、阪九フェリーが買い戻して予備船とし「希望丸」に改名。1986年(昭和61年)、ギリシャに売却され解体[2]
  • フェリーせと
6,523.2総トン、全長149.1m、航海速力20.0ノット。
旅客定員1,193名。車両積載数:トラック92台・乗用車120台。
1970年(昭和45年)9月1日、小倉-神戸航路に就航。1988年(昭和63年)6月26日をもって退役後フィリピンへ売却され、Sulpicio Linesの「NASIPIT PRINCESS」として就航[要出典]
  • フェリーはりま
6,521.1総トン、全長149.1m、航海速力20.0ノット。
旅客定員1,193名。車両積載数:トラック92台・乗用車120台。
1970年(昭和45年)11月19日、小倉-神戸航路に就航。1988年(昭和63年)3月18日をもって退役後フィリピンへ売却され、Sulpicio Linesの「COTABATO PRINCESS」として就航していたが、2009年(平成21年)に退役し解体[要出典]
  • フェリーながと
7,009.2総トン、全長150.1m、航海速力20.5ノット。
旅客定員1,185名。車両積載数:トラック94台・乗用車120台。
1972年(昭和47年)9月3日、小倉-神戸航路に就航。1991年(平成3年)1月22日をもって退役後ギリシャへ売却され、「GRACE M」→「FELICIA」と船名や所有者が変わりながら地中海で就航。2003年1月23日、トルコで解体[要出典]
  • フェリーあかし
6,987.0総トン、全長150.1m、航海速力20.5ノット。
旅客定員1,185名。車両積載数:トラック94台・乗用車120台。
1972年(昭和47年)11月20日、小倉-神戸就航に就航。1991年(平成3年)3月19日をもって退役後ギリシャへ売却され、船名を「DAME M」→「SALAMIS STAR」に変更した。のち、モロッコのフェリー会社Comanavの「MARRAKECH EXPRESS」として就航[要出典]
  • 第十六阪九
5,687.0総トン、全長135.5m、航海速力20.25ノット。
旅客定員770名。車両積載数:トラック84台・乗用車109台。
元・西日本フェリー「つくし」。1975年(昭和50年)4月28日、小倉-神戸航路に就航。1983年(昭和58年)10月16日をもって退役後、大韓民国(韓国)の釜関フェリーに売却し「フェリー釜関」(初代)に改名。1998年11月にギリシャへ売却[3]され、Hellas Ferriesの「STARTRAILER」として就航したのち、Saos Ferriesの「PANAGIA KRIMNIOTISSA」として就航[要出典]
  • 第十七阪九[4]
5,748.3総トン、全長135.5m、航海速力20.25ノット。
旅客定員770名。車両積載数:トラック84台・乗用車109台。
元・西日本フェリー「はかた」。1973年(昭和48年)12月に竣工し同月8日、神戸 - 苅田航路に就航。1975年(昭和50年)3月、阪九フェリーが購入し「第十七阪九」に改名。1984年(昭和59年)8月、関釜フェリーに売却され「フェリー関釜」(3代目)に改名。1998年(平成10年)8月に退役後の1999年2月、釜関フェリーが購入し「フェリー釜関」(2代目)に改名され同月5日就航。2005年5月、「ソンヒ」就航に伴い退役後、同年10月「ウンハ」に改名。2004年7月に運休後の2005年、「ウン」に改名。2006年、ギリシャに売却され、Saos Ferries「PANAGIA AGIASOU」として就航[要出典]
  • 第二十四阪九
6,936.2総トン、全長151.5m、航海速力21.7ノット。
旅客定員:950名。車両積載数:トラック114台・乗用車38台。
1976年(昭和51年)1月24日、新門司-泉大津航路に就航。1995年(平成7年)12月に退役後フィリピンへ売却され、Negros Navigationの「St. Joseph the Worker」として就航[要出典]
  • 第三十二阪九
6,950.9総トン、全長151.5m、航海速力21.7ノット。
旅客定員:950名。車両積載数:トラック114台・乗用車38台。
1976年(昭和51年)5月16日、新門司-泉大津航路に就航。1996年(平成8年)2月21日をもって退役後、同年3月にフィリピンへ売却され、Negros Navigationの「St. Peter the Apostle」として就航[要出典]
  • ニューやまと
11,919.0総トン、全長173.0m、航海速力22.5ノット。
旅客定員:760名。車両積載数:トラック166台・乗用車75台。
1983年(昭和58年)10月16日、新門司-泉大津航路に就航。1996年(平成8年)2月21日をもって退役後、同年3月にフィリピンへ売却され、Sulpicio Linesの「PRINCESS OF THE UNIVERSE」として就航[要出典]
  • ニューみやこ
11,914.0総トン、全長173.0m、航海速力22.5ノット。
旅客定員:760名。車両積載数:トラック166台・乗用車75台。
1984年(昭和59年)1月29日、新門司-泉大津航路に就航。1996年(平成8年)3月15日をもって退役後フィリピンへ売却され、SuperFerryの「SUPERFERRY 12」として就航[要出典]
  • ニューはりま
12,589.0総トン、全長174.5m、航海速力22.6ノット。
旅客定員:921名。車両積載数:トラック166台・乗用車75台。
1984年(昭和59年)3月18日就航。2003年(平成15年)3月27日をもって退役後フィリピンへ売却され、SuperFerryの「SUPERFERRY 17」として就航。2007年5月、中国と韓国の合弁会社であるHuadong Ferryに売却され「Huadong Pearl III」して黄海航路に就航。2008年5月、スペインに売却ののち、Iscomar「ISABEL DEL MAR」として就航[要出典]
  • ニューせと
12,589.0総トン、全長174.5m、航海速力22.6ノット。
旅客定員:921名。車両積載数:トラック166台・乗用車75台。
1988年(昭和63年)6月26日就航。2003年(平成15年)6月19日の退役後フィリピンへ売却され、SuperFerryの「SUPERFERRY 18」として就航していた。同社から退役後の消息は不明[要出典]
  • ニューあかし
1990年(平成2年)7月竣工、1991年(平成3年)3月19日就航。14,988総トン、全長185.5m、幅26.8m、出力32,400馬力(16,200馬力×2基)、航海速力22.9ノット(最大25.4ノット)。
旅客定員895名。車両積載数:トラック180台・乗用車110台。神田造船所(川尻)建造。
船体には『Hankyu Ferry』の文字が青色で描かれている。
  • ニューながと
1990年(平成2年)4月竣工、1991年(平成3年)1月22日就航。14,988総トン、全長185.5m、幅26.8m、出力32,400馬力、航海速力22.9ノット(最大25.4ノット)。
旅客定員895名。車両積載数:トラック180台・乗用車110台。神田造船所(川尻)建造。
船体には『Hankyu Ferry』の文字が青色で描かれていた。
1991年(平成3年)1月22日就航。2010年9月30日の退役後韓国へ売却され、SEAWORLD EXPRESS FERRY「STAR Cruise」として木浦 - 済州島航路に就航[要出典]

船内設備[編集]

船室[編集]

「つくし」(エントランス)
「つくし」船室(2等指定A)
  • 2等自由席
  • 2等指定B - 「やまと」「つくし」は部屋あたり定員1人の部屋と定員4人の部屋がある。「フェリーせっつ」「フェリーすおう」は全室部屋あたり定員8人。いずれも浴衣・スリッパが備え付けられている。「やまと」「つくし」の4人部屋にはテレビもある。
  • 2等指定A - 部屋あたり定員1人。テレビ・浴衣・スリッパが備え付けられているほか、「やまと」「つくし」には洗面台が設置されている。
  • 1等和室 - 部屋あたり定員3人。テレビ・洗面台・茶器セット・浴衣・フェイスタオル・石鹸・歯ブラシ・スリッパが備え付けられている。
  • 1等洋室 - 「やまと」「つくし」は部屋あたり定員2人、「フェリーせっつ」「フェリーすおう」は部屋あたり定員2人の部屋と定員4人の部屋がある。いずれもテレビ・洗面台・茶器セット・浴衣・フェイスタオル・石鹸・歯ブラシ・スリッパが備え付けられている。
  • 特等(洋室) - 部屋あたり2名。テレビ・風呂・トイレ・洗面台・冷蔵庫・茶器セット・ドライヤー・浴衣・バスタオル・フェイスタオル・リンスインシャンプー・ボディソープ・石鹸・歯ブラシ・スリッパが備え付けられている。

その他の設備など[編集]

  • 展望浴室(無料の小型ロッカー、ドライヤー有。夜間閉鎖)
  • シャワールーム(個室。夜間も開放) ※「フェリーせっつ」「フェリーすおう」には設置されていない。
  • 給湯冷水器
  • ペットルーム
  • 売店(土産などの販売有)
  • ゲームコーナー(夜間も開放)
  • マッサージチェア(5分100円)
  • キッズルーム ※「やまと」「つくし」のみ設置。
  • カラオケルーム(使用料3,000円、保証料3,000円)
  • コインロッカー(有料)
  • 囲碁、将棋の貸出(使用料無料、保証料3,000円)

※凡例:(T) - 「つくし」

のりばまでの交通[編集]

待機中の送迎バス - 新門司港
泉大津港(泉大津港フェリーターミナル)
南海泉大津駅西口より岸和田観光バスが無料送迎バスを運行している。
なんば・OCATより岸和田観光バスの路線バスがある(大人400円・子供200円)。
神戸港(六甲アイランドフェリーターミナル)
阪神御影駅JR住吉駅神戸新交通六甲アイランド線(ポートライナー)アイランド北口駅より神戸フェリーバスの路線バスが運行されている(アイランド北口駅からの場合は無料、それ以外は大人220円・小児110円)
新門司港
JR小倉駅北口およびJR門司駅南口より西鉄バス北九州が無料送迎バスを運行している。

その他[編集]

参考文献[編集]

  • 日本船舶明細書I 2008年版 - 社団法人 日本海運集会所(2007年12月30日発行)
  • 日本のカーフェリー -その揺籃から今日まで-(世界の艦船 別冊) - 海人社(2009年3月発行) ISBN 4910056040393

脚注[編集]

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  1. ^ 当時中国自動車道はようやく吹田IC宝塚IC間の建設が始まったばかりで、山陽自動車道にいたってはまだまだ計画段階であった。
  2. ^ 日本のカーフェリー P.128
  3. ^ 日本のカーフェリー P.54,67,135
  4. ^ 日本のカーフェリー P.62,67,137,138
  5. ^ 広報かんだ (No.1175) - 苅田町(2007年7月25日発行)
  6. ^ あしたをつかめ - 学校放送(NO.52 航海士) - 日本放送協会

関連項目[編集]

外部リンク[編集]