若井ぼん・はやと
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若井ぼん・はやと(わかいぼん・はやと)は、昭和期に活躍した漫才コンビ(若井はんじ・けんじ門下)。元松竹芸能所属。 若手の頃、横山やすし・西川きよしのライバル的存在であった。
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[編集] 来歴
共に大阪市南区の出身で、高校の同級生だった。ぼんの実家は貧乏で子供のころから目立ちたがり屋。中学2年のときに朝日放送・中田ダイマル・ラケット司会の「お笑い街頭録音」に出演したりしていた。のちに中学の同級生とABCラジオの「漫才教室」に出演、その後も生活費のために素人参加型の演芸番組に出演[1]。はやとも実家は貧乏であった。ぼんが高校ではやとと出会い意気投合しはやとは高校2年のときに学費が払えなくなり、2人で高校中退し、漫才作家の足立克己の紹介で松竹芸能入りし1962年に若井はんじ・けんじに門下になり新世界の新花月にてデビュー。当初用意されていたコンビ名は「若井ぼーと・はやと」であったが新聞に間違えて「ぼん・はやと」と書かれてそのままコンビ名になった。「ぼんくらやからぼん」やとか「ぼんぼんやからぼんや」など後付けしていた。また「茶チル・プリン」という候補もあった。
主に角座の舞台などで活躍し、「しっつれいしました」などのギャグやぼんの出っ歯を売りにしたハーモニカの芸で、中堅漫才師としてキャリアを積んでいく。「お笑いネットワーク」などにも出演し人気を博くすも、角座閉鎖(1984年)により活躍の場が失われ、翌年1985年に解散。
[編集] メンバー
- 解散後、東京で苦労して売れたレオナルド熊に触発され石井光三オフィス所属となるも、東京でのぼんの知名度もなく仕事がない状態が続き気分転換でジャマイカに旅行。そこで何気なく河内音頭を披露したところ好評でレゲエ及びジャマイカの文化に興味を持つようになる。1989年にミュージカルタレントのみっさんを入れて「若井ぼん・みっさん」(別称「ミュージカルコンビ・ぼん&ミッサン」。この頃は客室乗務員の妻を入れて3人でダンスありの踊りありの演奏ありのライブイベントを定期的に行なっていた。なお「ミュージカルコント」とは舞台で野球拳をし負けたら最後ぼんが(必ずぼんが負けるようになっていた)女性用の下着姿になるというオチのネタをやっていた。1999年に解散しその後「若井ぼん・ねっと」として漫才を続けていたが、現在はピン芸人として活動。
- レゲエ歌手「ジェームス・ボン(James Bong)」としても活動。
- 現在特定非営利活動法人「笑集会」を主宰。アクティブシニア推進計画アドバイザリボードメンバー就任。
- 嘗ては松竹芸能所属だったが新たに決まったレギュラー番組を事務所に内緒で勝手にキャンセルした為、事務所と疎遠となる。後に契約解除される。現在は株式会社パルティール所属。
- 2009年6月15日に行なわれる関西演芸協会主催の「法善寺寄席」にいま寛大とのコンビを結成し出演した。
- 2009年12月には奈良県桜井市に地元密着演芸場「お笑い来〜夢」をオープン。
[編集] 受賞
[編集] 弟子
以下はやとの弟子
[編集] 註
- ^ 当時出演、優勝すると景品や商品、賞金が貰えた。