海原はるか・かなた

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
海原はるか・かなた
メンバー 海原はるか
海原かなた
結成年 1970年
事務所 松竹芸能
活動時期 1970年 -
師匠 海原お浜・小浜
出身 明蝶学院
出会い 明蝶学院
現在の活動状況 テレビ・ライブなど
芸種 漫才
公式サイト 公式プロフィール
受賞歴
2000年 上方漫才大賞奨励賞
テンプレートを表示

海原はるか・かなた(うなばらはるか・かなた)は、松竹芸能所属の漫才コンビ。師匠は海原お浜・小浜

メンバー[編集]

デビュー[編集]

1968年 、共に役者志望で来阪し、喜劇俳優の曽我廼家明蝶が主催していた俳優養成所『明蝶学院』に入る。

1970年 卒業後、はるかは先輩から「まじめに漫才やっていたらいずれ芝居の仕事も来る」と言われ漫才の道に入り、海原お浜・小浜の門下となる。

かなたは芸界を離れトラックの運転手をしていたが、数ヵ月後はるかに誘われ同じく海原お浜・小浜の門下になる。

同年8月11日に大阪梅田のトップホットシアターで初舞台。

略歴と芸風[編集]

  • 若い頃(1970年代初頭)は、中田カウス・ボタンを筆頭とする『アイドル漫才師』のはしりの内の一組であり、若者の風俗とスピード感溢れるしゃべくりを駆使し、次代の上方漫才の牽引コンビと目されながら数々の賞レースでは次席という、苦渋を舐め続けてしまう。その後、芸風が壮年になるにつれ、とちりの多さ、テンポや滑舌の悪さが目立ち出し、中堅扱いのままくすぶり続けた。なお、若手時代はケーエープロダクションに所属しており、きょうだい弟子に海原千里・万里[1]がいた。のちに松竹芸能に移籍。
  • 2000年頃になってようやく、はるかのハゲ隠しの髪の毛ネタがきっかけにウケ、世間的な知名度が認知される様になった。
    はるかの1・9分けとも言える髪の毛に向かって、かなたが「フッ」と息を吹きかけると見事に地肌が顔を現し、はるかが連獅子のごとく首を振るとそれが元に戻る、という一連の流れを特徴とする。この髪の毛を飛ばす吹き方は高度な熟練技であるらしく、上手くピンポイントで吹きかけないと髪の毛が飛ばない。かなたは「初めての人がこれをやると上手くいったためしがない。でも私はこれを長年の経験からでやっている」と2009年1月1日放映の爆笑ヒットパレード2009(フジテレビ系)内で語っていた。加えて、はるかの残っている髪の毛に軽くパーマを当てるなど、細かい下準備にも抜かりがない(2013/03/07放送分・朝日放送「おはよう朝日です」 芸能リポーターの中西正男の発言より)。
  • かなたが鞭代わりのスリッパで馬役のはるかを叩きまくる競馬ネタや、はるかが自慢の喉を披露する歌謡ネタなども持ち芸。
  • よゐこヤングタウンで、有野晋哉が浪花座で見たメチャクチャおもろい芸人として紹介し、仲間内にも宣伝して回ったところ、めちゃイケ総監督の片岡飛鳥も同調し、同番組の笑わず嫌い王決定戦に起用された結果、全国区になった。よゐこのお陰で売れたことに恩義を感じ、それ以来はるかかなたの2人は、息子のような歳のよゐこの2人を師匠と呼ぶが、これはあくまでも演出上(ネタ)でのことである。
  • 両者共に元々役者志望だったため現在でも度々Vシネマや映画にも出演している。かなたは日活等の古い映画の知識が豊富。
  • 2010年10月24日 芸能生活40周年記念「海原はるか・かなたのピンポンダッシュ!」を大丸心斎橋劇場で開催した。


受賞[編集]

CM[編集]

映画[編集]

外部リンク[編集]

  1. ^ 海原はるかが入門した時、既に海原万里が内弟子として海原お浜に付いていたが、はるか・かなたのデビュー後に万里は千里(現在の上沼恵美子)とコンビを結成して正式にデビューを果たした。