品田冬樹

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品田 冬樹しなだ ふゆき[出典 1]1959年昭和34年〉[出典 2]12月16日[出典 3] - )は、日本映画特殊技術専門の造形家。群馬県出身[出典 4][注釈 1]。有限会社ヴィ・ショップ(Vi-SHOP)代表。

来歴・人物[編集]

アマチュア時代[編集]

1979年、19歳で上京。特撮専門誌の編集助手をしながら、自宅アパートでゴジラのぬいぐるみ(モスゴジ)を製作し、東宝のキャンペーンに使用されるなど、アマチュア時代から名の知れた存在であった[7][6]

朝日ソノラマのビジュアル雑誌『宇宙船』では、創刊号(1980年)から編集スタッフとして参加[4]。創刊号での巻頭特集記事では、アマチュア時代の品田による造型作品が多数掲載されていた。

機動戦士ガンダム』ブーム時に、完成度の高いガンダムシャア専用ザク(赤ザクと呼ばれた)のイベント用ぬいぐるみを製作した。素材は紙製であり、雑誌『ファンロード』誌上において、その製作法も掲載された[要文献特定詳細情報]。雑誌『B-CLUB』27号で『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』公開時のイベントのために『SDガンダム』のνガンダムサザビーのぬいぐるみを製作したという記事中で、前述の『ファンロード』での赤ザクを製作した過去が明かされている[要文献特定詳細情報]

プロ時代[編集]

1982年、レインボー造型企画に入社。東映スーパー戦隊シリーズなどの特殊造型に関わる。1986年、レインボー造型企画を退社し、フリーランスとして活動する。

1989年、岡部淳也と共に株式会社ビルドアップを設立する[4][6]。平成ゴジラシリーズなどの造型に参加[出典 5]

1994年、ビルドアップの中心業務がCGVFXとなったため退社。有限会社Vi-SHOPを設立し代表となる[出典 6]。平成ガメラシリーズ、超星神シリーズなどの造型を手掛けた[1][10]

2009年、ビルドアップと円谷プロダクションの合併に伴い円谷プロ副社長となった岡部淳也の要請により、Vi-SHOPを休止し円谷プロダクション入社[1][9]。造形部門・LSSのチーフクリエイターを務める[11][10]

エピソード[編集]

漫画『究極超人あ〜る』の光画部の先輩の着るぬいぐるみを製作した「しなだくん」(名のみ登場)のモデルは、品田冬樹である。『ヌイグルメン!』(唐沢なをき)や『月刊comicリュウ』2011年2月号、4月号「チョロ恐」(唐沢なをき)にエピソードや体験談を提供している。

品田は近年の各界における怪獣の「ぬいぐるみ」の「着ぐるみ」呼称への言い換えについては否定的であり、若いスタッフが口にするたびに「ぬいぐるみ」と言い正していた。しかし後輩が増えて、「着ぐるみ」呼びが一般的となったため、話の腰を折るのは大人気ないと思い聞き流すようにしているが、同年代から上の世代人と話すときはもっぱら「ぬいぐるみ」で通しているとのこと[12]

レインボー造型企画に入社して最初に手掛けた怪人造形は、『宇宙刑事ギャバン』第34話のドクターダブラーであった[6]。これがレインボー造型企画代表の前澤範の目に留まり、『仮面ライダーZX』でUFOサイボーグ(トカゲロイドからタイガーロイドまで)の造形を担当することとなった[6]。ギミックにはこだわったといい、インタビューでは自由にやることを許してくれた前澤に感謝の言葉を述べている[6]

ゴジラの造型について、造型者の技術や個性が出やすいと評しており、自身が手掛けた『ゴジラvsキングギドラ』のゴジラザウルスと『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(以下『GMK』)のゴジラはあまり変わらない顔をしていると述べている[1]。『GMK』の監督である金子修介は、品田が平成ガメラシリーズで敵怪獣を造型していたことから、ゴジラをやってもらうと面白いと考えたと語っている[13]。金子は品田と共に渡米した際にゴジラへの参加をオファーしたところ、品田は帰りの飛行機の中でゴジラについて9時間喋り通しであったという[13]

主な参加作品[編集]

テレビ[編集]

映画[編集]

オリジナルビデオ[編集]

その他[編集]

主なキャラクター造型[編集]

公開年 作品名 担当したキャラクター
1982年 宇宙刑事ギャバン ドクターダブラー[6]
1983年 仮面ライダーZX UFOサイボーグ[6]
1989年 ゴジラvsビオランテ ビオランテ[出典 7]
1990年 ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説 ワダツジン(遮光器土偶型、ミラーメタル型[15][8]
1991年 ゴジラvsキングギドラ ゴジラザウルス[出典 8]
1996年 ガメラ2 レギオン襲来 レギオン[出典 9]
1998年 ウルトラマンティガ&ウルトラマンダイナ 光の星の戦士たち
  • ゲランダ[15]
  • クイーンモネラ[15]
1998年 ウルトラマンガイア
1999年 ガメラ3 邪神覚醒 イリス[4][11]
2001年 ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃
2006年 ウルトラマンメビウス

著書[編集]

  • 『クラリン』(犬丸りん共著、小学館、2001年) ISBN 4097273817
  • 『ずっと怪獣が好きだった』(岩波書店、2005年) ISBN 4000010727

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 書籍『平成ゴジラ大全』では、東京生まれと記述している[4]
  2. ^ 厳密にはアマチュア作家による自主制作作品[14]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k 平成ゴジラクロニクル 2009, pp. 238–239, 「第7章 平成ゴジラシリーズを作った男たち 品田冬樹」
  2. ^ a b c d e ゴジラ造型写真集 2017, p. 118, 「ゴジラを造った男たち 品田冬樹」
  3. ^ a b c d e VSビオランテコンプリーション 2015, pp. 54–55, 「GODZILLA VS BIOLLANTE staff Message 品田冬樹」、VSギドラコンプリーション 2020, p. 42, 「STAFF MESSAGE 品田冬樹」、超星神コンプリーション 2021, pp. 122–125, 「造形部座談会」、GMKコンプリーション 2022, pp. 34–35, 「STAFF MESSAGE 品田冬樹 山部拓也」
  4. ^ a b c d e f g h i j k l 平成ゴジラ大全 2003, pp. 113–114, 「破之壱 『ゴジラVSビオランテ』」
  5. ^ a b c ソノラマMOOK 2002, pp. 80–81, 「特殊技術・造型 品田冬樹インタビュー」
  6. ^ a b c d e f g h i j OFM仮面ライダー6 2004, p. 29, 「ライダーを創りあげた男たち 品田冬樹」
  7. ^ 平成ゴジラ大全 2003, pp. 35–37, 「序之壱 復活への長い道のり」
  8. ^ a b c VSビオランテコンプリーション 2015, pp. 54–55, 「GODZILLA VS BIOLLANTE staff Message 品田冬樹」
  9. ^ a b c d e f GMKコンプリーション 2022, pp. 34–35, 「STAFF MESSAGE 品田冬樹 山部拓也」
  10. ^ a b c d e f g h i 超星神コンプリーション 2021, pp. 122–125, 「造形部座談会」
  11. ^ a b c d VSギドラコンプリーション 2020, p. 42, 「STAFF MESSAGE 品田冬樹」
  12. ^ 品田冬樹「コラム ゴジラヌイグルミ事始め「着ぐるみ? 縫いぐるみ?」」『ずっと怪獣が好きだった』岩波書店、2005年3月16日、60頁。ISBN 4-00-001072-7 
  13. ^ a b ソノラマMOOK 2002, pp. 69–73, 「金子修介監督×大久保賢一(映画評論家)対談」
  14. ^ ゴジラの甥っ子が出るとの噂もあった!?『ゴジラvsコング』 - 杉山すぴ豊の、アメキャラ映画パラダイス”. BOOKSTAND. 博報堂 (2021年11月8日). 2021年11月12日閲覧。
  15. ^ a b c d e f g h ウルトラマンメビウス アーカイブ・ドキュメント 2007, p. 85, 「メビウス世界の匠たち CHAPTER3 造型」
  16. ^ 平成ゴジラ大全 2003, pp. 148–150, 「破之弐 『ゴジラVSキングギドラ』」

出典(リンク)[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]