中島春雄

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なかじま はるお
中島 春雄
生年月日 1929年1月1日(85歳)
出生地 山形県酒田市
国籍 日本の旗 日本
職業 俳優
ジャンル 特撮
活動期間 1950年 - 1998年
主な作品
ゴジラ(1954年) 他

中島 春雄(なかじま はるお、1929年1月1日 - )は、日本の元俳優スーツアクタースタントマン。愛称は春ちゃん趣味・特技は水泳潜水スキューバ・ダイビング柔道

来歴[編集]

山形県酒田市出身。実家は肉屋で、五人兄弟の三男だった。水泳・素潜りが得意で、のちのゴジラ役では大いにこれが役立った。三男坊に家業は継げず、小学校卒業後に横須賀へ移る。

1943年(昭和18年)、14歳で横須賀の海軍航空技術廠に入営。養成員(予科錬)となり、発着機部(カタパルト担当)配属となる。円谷英二有川貞昌と同じく、飛行機乗り志望だった。

1945年(昭和20年)、16歳。敗戦となり、実家へ戻る。家業を継いだ兄がまだ復員しておらず、肉屋を1年間手伝う。

1946年(昭和21年)、17歳。兄が復員したため、予科錬の同僚の紹介で、三沢進駐軍の物資輸送トラックの運転手となる。

1947年(昭和22年)、18歳。進駐軍の仕事が横浜に移るが、トラックを速度超過運転してしまい、牢屋に留置された後、占領軍から解雇される。新聞広告を見て「映画俳優学校」という俳優養成所に応募し、東宝や新東宝などの映画撮影所に出入りするようになる。

1949年(昭和24年)、20歳。黒澤明監督作品『野良犬』で映画に初出演するが、編集で出演シーンを全てカットされてしまったため、幻のデビュー作となった。

1950年(昭和25年)、21歳。俳優学校の講師からの誘いで東宝に入社。同期生には広瀬正一丹波哲郎高倉みゆきらがいる。役のつかない、いわゆる「大部屋俳優」となる。当時の東宝は賃金不払いが常態化しており、運転手時代の貯金を切り崩しながらの不安定な立場だったという。こうした状況から、組合に加入し、映画界の労働争議にも加わっている。

1953年(昭和28年)、24歳の折に『太平洋の鷲』での攻撃機航空兵役で、日本で初めて身体に火をつけてのファイヤースタントを演じる[1]。当時、日本にはスタントマンという職業はまだなく、「吹き替え」と呼ばれていた。この時期、数々の吹き替えをこなす。

1954年(昭和29年)、25歳。日本初の特撮怪獣映画『ゴジラ』で、主役の大怪獣ゴジラの中島曰く「ぬいぐるみ役者(スーツアクター)」を務める。以後18年間にわたり、ゴジラシリーズでゴジラを演じた『ゴジラ俳優』として有名になる。また、ゴジラ以外の怪獣映画でも、主役の怪獣役を演じる。

1956年(昭和31年)、27歳。『空の大怪獣ラドン』でラドン役を演じ、日本初の本格的なワイヤーアクションを演じる[1]

1965年(昭和40年)、36歳。『三大怪獣 地球最大の決戦』公開後、松屋デパートを皮切りに、撮影用の「本物」のゴジラを着てのキャンペーン巡業が始まり、大阪や名古屋など各都市でゴジラの実演を行う。

同年、円谷英二監督から直接、「春坊、TV番組をやるからちょっと助けてくれ」と声をかけられ、円谷プロダクション初のテレビ特撮作品『ウルトラQ』で怪獣「ゴメス」役を演じる[2]。以後、『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』にも怪獣役などで出演したほか、怪獣ショーの立ち回り指導も行なっていた[2]

1971年(昭和46年)、42歳。東宝から専属契約解除を言い渡され、その後、東宝撮影所脇の東宝経営のボウリング[3][4]に勤務。

1972年(昭和47年)、43歳。特撮スタッフからたっての願いを受けて『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』でゴジラを演じる。この作品を最後に、ゴジラのぬいぐるみ役者を引退する。ボウリング場閉鎖ののちは、東宝経営の麻雀店の店長を務めた。麻雀店のほか、東宝共栄企業や東宝日曜大工センターで勤務していた時期もあった。

2011年(平成23年)、アメリカ合衆国ロサンゼルス市より市民栄誉賞を受賞する[5]

2012年(平成24年)11月、出身地である酒田市より「第1回酒田ふるさと栄誉賞」を受賞する[6]

ゴジラ俳優として[編集]

ゴジラを演じることになった経緯は、先輩俳優の手塚勝巳と共にゴジラスーツを着て歩行テストしたところ、中島が10メートル歩けたこと(手塚は3メートル程度歩いた後に国会議事堂のセットにつまずいて倒れた)であると語っている[7][8]。また、『太平洋の鷲』でのファイヤースタントを円谷英二が心に留めていたからだろうと語っている。1954年の1作目のゴジラは、最初に完成したぬいぐるみが150キロ近くもあり、一度転べば自力では立ち上がれないようなものだったが、「軍隊で鍛えられてますからね、別段どうってことは無かったですよ」とは本人の弁。

日本初の大怪獣ゴジラを演じるに当たって、どんな動きをすればリアルに見えるかと悩んだ。円谷監督からは『キング・コング』のフィルムを参考に見せられたが、まだはっきりイメージがつかめず、銭湯を経営する親戚の所に10日ほど泊まり込み、上野動物園に日参して動物の動きを研究した。「エテ公は参考にならなかったが、象や熊は非常に参考になった」そうである。中島的なゴジラの動きとは、「脇を開かず、つま先を蹴り上げて、足の裏を見せないよう歩くこと」だという。また、怪獣に入る際には、必ず頭に汗止めの豆絞りの鉢巻を巻くのが常だった。

当初は造形技師の開米栄三や、前述の手塚らとかわるがわる入ったゴジラのぬいぐるみだが、敵怪獣との格闘場面のある『ゴジラの逆襲』からは、立ち回りを考えた中島の要求によって、完全に中島の体格に合わせたオーダーメイド仕様となった。したがってゴジラを改造して『ウルトラQ』に登場したゴメスや『ウルトラマン』に登場したジラースも、中島が演じている。

怪獣を作るスタッフたちのいる特美課には始終出入りして、互いに意見を交換し合っていた。昼間の撮影が終わったあとは、残業している利光貞三や造型スタッフを労いに、よく一升瓶の馬肉3キロを買って来て焼肉をご馳走していた。彼らと酒を酌み交わすのが体調維持の秘訣だったそうである。

新しいゴジラが作られる際には、必ず中島が試着して転げ回り、脇や股の部分を破いて、そこに「マチ(継ぎ布)」を縫いこませて動きやすいようにしていた。また、かかとに木製のヒール部分を入れさせたのも中島の工夫である。このヒール部分を入れることで、トンボが切れるようになったという。腰のひねりによって、ゴジラの尻尾を動かす技も編み出し、「怪獣の尻尾を中から動かせるのは僕だけですよ」とコメントしている。ゴジラの尻尾の付け根には、頭部ギミック用の自動車用のバッテリーが内蔵されており、慣れてくると、ぬいぐるみに入ったまま、このバッテリー部分に腰掛けて、待ち時間の間に居眠りできるほどだった。

円谷監督からは「春坊」と呼ばれて[7]可愛がられた。怪獣同士の格闘は、相手役と打ち合わせ、中島が立ち回りを考えていたが、円谷は中島に全幅の信頼を置き、すべて黙って任せてくれて、まったく口出ししなかったそうである。『キングコング対ゴジラ』で、コングがゴジラを背負い投げする豪快なシーンがあるが、これもコング役の広瀬正一と打ち合わせてぶっつけ本番で行ったものである。

柔道は2段の腕前で、上背はあまりないが、逆三角形の隆々たる体格だった。当時の東宝にはトレーニングルームがあり、広瀬らとはここでバーベルなどで常に体を鍛錬し、撮影に備えていたという。ゴジラ以外で印象に残っている怪獣は、『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』のガイラだという。この怪獣では、初めて中島の顔の型が取られ、怪獣の顔面が造られている。

のちに氾濫するテレビ怪獣たちには、「動きがギャング的というか、軽すぎて、あれじゃ怪獣の動きとはいえない。単に軽いだけだ」と苦言を呈していた。怪獣の「ぬいぐるみ」は重くなければいけないものであり、重い怪獣を軽そうに演じるのが本来の怪獣演技だとの主張である。

ゴジラのぬいぐるみは、一本撮影する間に中島の激しい立ち回りでぼろぼろになり、新作ごとに作り直していた。「平成のゴジラが何度も使いまわされているのは、立ち回りが足りない証拠だ」と語っている。

50歳までゴジラを演じるつもりでいたが、円谷英二の死に「ゴジラもおしまいか」とショックを受ける[3]特撮スタッフに「春ちゃん以外にゴジラを演れる人がいないから」と説得され[要出典]、円谷の死後に製作された『ゴジラ対ヘドラ』と『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』の2作でゴジラを演じた後に、スーツアクターとしての仕事から退く。まったく怪獣役にも興味が無くなってしまい、東宝をリストラされたこともあって、もう怪獣を演じるつもりはなかったという[9][要出典]

エピソード[編集]

前述の通り、東宝では大部屋の俳優(契約の正式な呼称はB2)として仕事をこなしていたため、素顔で出演する時は「捜索隊員」や「ガラス拭き」などといった、名前のない端役が多い。

ゴジラのぬいぐるみはメカニックが仕込んである頭が一番重く、海に飛び込むシーンの撮影では、飛び込んだ後、水の中で逆立ちするような姿勢になってしまうそうで、カットの合図と同時にスタッフが救助に来るまで中島はじっと動かずにこの体勢で息を止め、助けを待っていたそうである。『キングコング対ゴジラ』のラストでコングと抱き合ったまま海に落ちるシーンでは、落下の勢いで気絶してしまい、もう少しで溺死するところだった。また『空の大怪獣ラドン』の西海橋をへし折るシーンでは、待機中にぬいぐるみの吊り下げに使う滑車が外れ、数メートル下のプールにぬいぐるみごと落下してしまったそうである(奇跡的に怪我はなかったという)。

特技の素潜りが長じ、スキューバ・ダイビングの免許を取得していた。余暇には同じく免許を持つ坂野義光監督らとともに、有川貞昌や富岡素敬ら撮影スタッフを引き入れて、スキューバを教えていた。

ゴジラ俳優としての知名度は世界的であり、海外では「ミスター・ゴジラ」との愛称で親しまれている[1]。主にアメリカのファン・イベントなどでの講演依頼は引きも切らず、近年、貯まった講演料で家を建てたそうである。

キングコングの逆襲』のあと、ハリウッドからキングコング役として、破格のギャラでオファーがあった。本場で演技が出来ると中島本人も大乗り気であったが、円谷監督に「何言ってるんだ、次回作が控えてんだぞ」と一蹴されて断念した。

出演作[編集]

映画[編集]

テレビ[編集]

DVD[編集]

中島春雄を演じた俳優[編集]

  • 毒蝮三太夫 - 「ジュニア文化シリーズ ゴジラ誕生 ~人間の記録・円谷英二~」(NHK教育、1980年)

脚注[編集]

  1. ^ a b c 今年で80歳、初代ゴジラの中島氏に独占インタビュー!日本初のワイヤーアクションを経験した生きる伝説”. シネマトゥデイ (2009年10月18日). 2014年1月21日閲覧。
  2. ^ a b c d e f ウルトラセブン研究読本 2012 pp.305 - 306 「ウルトラセブンコメント集」。
  3. ^ a b 朝日新聞 土曜版 2014年1月11日 映画の旅人 ゴジラ - 朝日新聞社
  4. ^ ゴジラやミニチュアなど造形物を作ってきた特殊美術課の建物を取り壊した跡に建てられた
  5. ^ 昭和史再訪セレクション Vol.120 ゴジラ誕生 - 朝日新聞 2011年10月29日夕刊(朝日新聞社)
  6. ^ 平成24年度の各表彰が決まりました (PDF) 酒田市広報「私の街さかた」2012年11月1日号 7頁
  7. ^ a b 日本初の特撮怪獣映画『ゴジラ』でゴジラだった俳優登場!抜擢の理由は10メートル歩けたから”. シネマトゥデイ (2009年10月13日). 2014年1月21日閲覧。
  8. ^ ただし、手塚は『キングコング対ゴジラ』ではゴジラを部分的に演じ、またその後も中島の補助役として現場に参加している
  9. ^ 俳優そのものは続けたかったそうである。
  10. ^ 『ウルトラマン大全集』(講談社1987年)中島のコメントより
  11. ^ キャラクター大全 ウルトラセブン 2012 p.67 「EPISODE - 17」。
  12. ^ ウルトラセブン研究読本 2012 pp.78 - 79 「エピソードガイド第17話」。

出典[編集]

  • 『東宝特撮映画全史』(東宝)
  • 『大ゴジラ図鑑1・2』(ホビージャパン)
  • 『怪獣人生 元祖ゴジラ俳優・中島春雄』(洋泉社、2010年)
  • 『特撮円谷組 ゴジラと、東宝特撮にかけた青春』』(洋泉社、2010年)
  • 講談社 編『キャラクター大全ウルトラセブン』講談社 2012年 ISBN 978-4-06-217833-4
  • 洋泉社MOOK『別冊映画秘宝ウルトラセブン研究読本』洋泉社 2012年 ISBN 978-4-8003-0027-0
  • DVD
    • 『三大怪獣 地球最大の決戦』特典映像「ゴジラ道」
    • 『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(中島のコメンタリー)

著書[編集]

  • 『怪獣人生 元祖ゴジラ俳優・中島春雄』(洋泉社、2010年) ISBN 9784862485892