吉川進

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 よしかわ すすむ
吉川進
生年月日 1935年10月13日(79歳)
出生地 日本の旗日本東京都
民族 日本人
ジャンル プロデューサー
活動期間 1958年 - 1997年

吉川 進(よしかわ すすむ、1935年10月13日 - )は、東映の元プロデューサー東京都出身。

東映株式会社テレビ事業部企画営業第二部部長[1]として、80年代から90年代前半まで東映特撮路線の作品を総合的にプロデュースした。スーパー戦隊シリーズの立ち上げ、長期シリーズ化、海外進出に寄与。またメタルヒーローシリーズの生みの親である。

女優吉川理恵子フルート奏者吉川久子は実娘にあたる。

経歴[編集]

現在では時折、自身のプロデュース作品のDVDインタビューや特撮関係のムック本などで、インタビューに答えるなどしている。

エピソード[編集]

  • プロデューサーという職務上とはいえ、曽田博久杉村升宮下隼一の特撮作品への脚本家としての登用、新堀和男の「レッド役」のスーツアクターへの復帰、円谷作品主体だった東條昭平監督の東映作品への招聘、澤井信一郎監督の特撮作品招聘などスタッフ編成における采配の功績は多大なものがある。自身が現役で仕事をしていた当時は特撮番組の東映社内における地位は低く、スタジオが空いていても使用許可をもらえないなど苦労も多かったという。こうした傾向に変化が生じたのは『パワーレンジャー』ヒットの影響があったと回想している[3]。『スパイダーマン』において数々の劇場映画でも知られる降旗康男監督に「監督をやってみないか?」と無理を承知で声をかけたところ、終盤近くの時期になって「いつになったら俺に監督をさせてくれるんだ」と意外な返事が戻ってきたこともあった[4]
  • 『スパイダーマン』について渡辺宙明の証言によると、『誰が為に鐘は鳴る』をヒントにエンディングを八手三郎名義で作詞していた。
  • 山川啓介を数々の作品で作詞に起用したのも吉川の指名があったからだった。山川のインタビューによると「これらの作品ではいい仕事をしていた監督や脚本家が起用されていて、プロフェッショナルが集まって本気でいいものを作ろうとしていました。吉川さんの熱の入れようはというと打ち合わせでコロムビアのロビーに来て『今度のヒーローの決め技はですね』って自分でやって見せるんですよ。蒸着! とか言って(笑)。こっちもそれに応えなきゃというので、普段書くよりは言葉をキメてそれこそ決め技をやるような気持ちで書いていましたね。このシリーズはほぼ10年やらせていただきました」とのことである。しかしマンネリを感じはじめたため、山川は吉川に降板を申し出たという。
  • 『バトルフィーバーJ』に東千代之介を出演させる事ができたのは吉川が「東京放映」社長・香山新二郎と懇意で「東京放映」所属の東千代之介とも交流があったため声をかけやすかったからだという[5]。またミミズが大嫌いで『バトルフィーバーJ』の話題でミミズの怪人に触れ、「こいつだけは愛せない」とコメントしていた。
  • 俳優の杉義一と知り合いだったのが縁で、彼の息子である杉欣也を『太陽戦隊サンバルカン』のバルシャ―ク/鮫島欣也役に起用した[6]
  • 宇宙刑事ギャバン』で主役に大葉健二を起用しようとした際、東映社内で反対の声が多数を占めたという。「僕の周りで大葉君に賛成する人は少なかった」そうで、そういう時には当事者に「あんたが大葉がイヤだというならわかった。それなら代わりにだれか連れてきてよ」と言って反対の声を捻じ伏せたうえで強引に大葉をキャスティングしたという。このことについて後にインタビューで「大葉君はアクションはできるし、愛嬌はあるし、勉強熱心だし……十分じゃないですか。そりゃ新企画の立ち上げだから反対の声もあったけど、僕はガンとして大葉君を推しました。ギャバンの大葉君の魅力は皆さんのほうがよくお分かりなんじゃないですか」と語っている。
  • 仕事を多く共にした監督の田中秀夫は吉川について「尻を叩くのがうまい人だったね」と評していた。『宇宙刑事』で小林義明が撮った作品について「あの部分がよかった」「ああいう風に撮ってほしいなぁ」と感想を述べて常にプレッシャーをかけ続けられたという。
  • 鎌倉市在住で、同市には水木一郎も在住している。昭和61年に吉川宅で新年会が催されたが、そこに参加した水木に吉川直々に『時空戦士スピルバン』の主題歌を依頼したという。
  • 杉村升が昔ワープロで入力したシナリオを吉川に提出したら「心がこもっていない!」と激怒されたと述懐している。ただし東映退職後はインターネットに夢中になってしまったという[7]
  • 扇澤延男が近年インタビューで語ったところによると、とにかく最初は吉川にしごかれたという。扇澤はテレビ朝日の小関明プロデューサーの紹介で超人機メタルダーに参加する事になったのだが、「たぶん(吉川は)それが気に入らなかったのでしょうね。吉川さんの考えでは脚本家というのは制作サイドが見つけてくるのが基本で、局のプロデューサーの紹介の横滑りの人材なんて認めたくないんでしょう。とにかく最初はしごかれた」と語っており、プロットをどれだけ提出しても吉川がボツにして『メタルダー』で最初に採用されたシナリオも吉川に言われ、第6稿まで書き直したとのこと。ただし翌年の『世界忍者戦ジライヤ』では吉川も認めるようになったのか特に何も言わなかったという。
  • 『秘密戦隊ゴレンジャー』でアクションを務めていた大野剣友会が、色々な特撮作品に関わり疲れていると見えたためJACに交代させたところ、剣友会のメンバーが怒り「吉川を殴ってやる」と険悪な空気になった。それを知ったJACの金田治は「吉川さんは僕らが身体を張って守ります」と言ったという。その後、剣友会とはちゃんと和解したとのことである[8]
  • 小学館の仮面ライダー大百科のコメントで『仮面ノリダー』に対しては露骨に不快感を示し批判していた。『RX』を持って第3期ライダーシリーズが終了したのも「とんねるずがくだらないパロディばかり作るので真面目に作るのが馬鹿馬鹿しくなった」とのことである。
  • 東映ビデオの加藤和夫プロデューサーは『超力戦隊オーレンジャー オーレVSカクレンジャー』の制作打ち合わせの席で初めて吉川と対面したが、そのときの印象は「とにかく怖そうで厳しそうな人」というものだったという。
  • プロデュース最終作品の『超光戦士シャンゼリオン』ではサブプロデューサーの白倉伸一郎に作品の実質的な采配を任せていたが、白倉によると第5話のあたりで吉川とかなり激しい衝突をしたという。その後吉川と白倉は一切口を利かなくなったそうだが原因についてはいまだオフィシャルに理由は明かされていない[9]。ただ白倉によると、2014年3月に18年ぶりに吉川と言葉を交わしたという。
  • ヒーローが悪役を倒した後に、悪役の倒れた姿は決して画面には出さないように徹底していたという。児童層への暴力描写を抑えると同時に「悪は死んでいない」という正邪相克の永続性を意識した上での配慮であるという[3]
  • 仕事を共に多くした小林義明が作品中に人間の遺体を出そうとしたが「それだけは絶対にやってはいけない」と吉川から厳しく言われたという。

仮面ライダーBLACK[編集]

以下は『仮面ライダーBLACK』絡みのエピソードである。

  • 当時プロデューサー補を務めた高寺重徳によると、ほとんどのサブタイトルを吉川が考案した[10]
  • 原作者の石ノ森章太郎に「新しい仮面ライダーを作るから、今までのライダースタッフは一切入れない」と宣言している[8]
  • 戦闘員との立ち回りが廃されたのは、「従来のライダーバトルとは大きく変えたい」という吉川の意向と言われている。
  • 撮影監督の松村文雄によると、当初吉川から依頼を受けた際、松村は『あぶない刑事』を担当しており、またそちらの現場が思いのほか楽しかったため断りを入れたが、「お前がやらないなら一体誰がやるんだ!」と何故か怒鳴られたという。結果的にライダーシリーズに関わったことのない小林義明がパイロット監督を務めるなどの魅力にも惹かれるなどし、松村は『あぶない刑事』を途中降板して、チーフ撮影監督に就任している[11]
  • 当時まだ新人脚本家だった荒川稔久が提出するプロットが上原正三のものに似たものばかりだった事から、吉川は「上原正三は2人もいらないんだよ」と一喝した。結局この後は独自の作風に意識的になったそうで、後年に上原との対談でこのエピソードに触れたり[12]、エッセイでこの件について記す[13]など、荒川にとってはエポックメイキングな出来事になったようである。
  • 長坂秀佳が脚本に参加しようと旧知の東映・齋藤頼照プロデューサーを通して吉川にアプローチしたところ、「ギャラが高すぎるから無理」という理由で断っている。
  • パイロットグループの監督の小林義明辻理が時間をかけて撮影したため、スケジュールがキツくなったときに参加した小笠原猛にはいきなり「8日間で2本撮れ」と要求した。小笠原が「それなりの作品しかできませんけど、よろしいですか」と答えたところ、吉川もそれを了承したという。小笠原の作品はそういった状況で作られた点を考慮して、いつも吉川は評価をしてくれたという(近年の雑誌インタビューにて小笠原本人がコメント)。

主な作品[編集]

テレビ[編集]

映画[編集]

上記作品の映画版は除く

Vシネマ[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 『テレビマガジン特別編集 ビジュアル全集 人造人間キカイダー』p125(1987年 講談社)
  2. ^ 『東映ヒーローMAX』Vol.26でのインタビュー(p74)より。
  3. ^ a b 『日本経済新聞』2010年8月25日
  4. ^ DVD-BOX『スパイダーマン』付録冊子 「スパイダーマン大検証」
  5. ^ DVD『バトルフィーバーJ』Vol.2
  6. ^ 2004年に開かれたトークショーでの杉の発言による。
  7. ^ 『宇宙船』Vol.98(2001年、朝日ソノラマ)
  8. ^ a b 『特撮ニュータイプ』2011年1月号(角川書店)
  9. ^ 『超光戦士シャンゼリオンバイブル』(2002年、朝日ソノラマ)
  10. ^ 『宇宙船』2011年1月号(ホビージャパン)
  11. ^ 『東映ヒーローMAX SPECIAL さらば仮面ライダー電王』(2008年、辰巳出版)
  12. ^ 『宇宙船』Vol.103 2002年11月号(朝日ソノラマ)
  13. ^ 『ドラマ』号数不明(映人社)