白倉伸一郎

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白倉 伸一郎(しらくら しんいちろう、1965年8月3日 - )は、日本のテレビドラマ映画プロデューサー東京都出身。東京大学文学部第3類(現・言語文化学科)卒。現在は東映東京撮影所所次長を務めている。

目次

[編集] プロフィール

[編集] 作風

特撮ドラマの場合、従来の特撮ヒーローが持っていた善悪二元論、勧善懲悪的な論法に対し非常に懐疑的であり、プロデュース作品には「ヒーローであっても俗物である(『超光戦士シャンゼリオン』の主人公、涼村暁など)」あるいは「そこには正義も悪もない。人間が生きている、ただそれだけのこと(『仮面ライダー555』の企画書より)」といった、ヒーロー的な「正義」の概念を否定する要素が含まれることが多い。

『仮面ライダー555』以降の作品に見られるように、「設定を固めてこじんまりと綺麗にまとめるよりも、リアルタイムのテレビ番組ならではのライブ感を重視したい」というのが持論であり、話を盛り上げるためには多少の強引なストーリー展開や、基本設定の矛盾も省みない。そのため一部の視聴者から「大風呂敷を広げた末に最後が投げっぱなし」という批判を受けることが多い。

諸般の事情によりシリーズ中盤からの参加となった『仮面ライダー響鬼』では、白倉就任直後から作風に大きな変化が起きたとしてその是非を巡り議論が発生、インターネットコミュニティ間などに大きな物議を呼んだ(詳細はプロデューサー交代騒動の項を参照)。

[編集] 人物

東映入社以前から筋金入りの「東映作品マニア」であったとインタビューにて度々語っている。「東映ヒーローネット」インタビューによると、なかでも『特捜最前線』、『スケバン刑事』シリーズ、宇宙刑事シリーズには多大な影響を受けたそうで、それら全作に携わっていた監督の田中秀夫、そして小林義明のファンでもあったという。

ファンの間でまことしやかに語られている逸話として、「入社時の面接試験で、岡田茂社長を初めとする当時の役員を前に既存の仮面ライダーシリーズを批判しつつ、熱い思いを語った」というものがあるが、白倉自身は後年これを否定し、「スポンサーを初めとする外部と制作現場の調整をするような仕事をしたい。現場を守りたい」と面接の際に語ったことが、前述の逸話として伝わったようであると述べている[1]

仮面ライダークウガ』から『仮面ライダーディケイド』までの平成仮面ライダーシリーズ作品(『仮面ライダー剣』『仮面ライダーキバ』を除く)で、プロデューサー(チーフ、サブ、P補問わず)として参加している。特にチーフプロデューサーとして参加した『仮面ライダーアギト』『仮面ライダー龍騎』『仮面ライダー555』の初期3作品はいずれも高い人気を得たが、『555』開始当初の雑誌のコメントで「1年限りだからできる激務を結果的に3年続けてしまった。このスタッフ(白倉、脚本の井上敏樹、演出の田崎竜太ら)で作るライダーはこれが最後」と発言し、その発言通り翌年からライダーのテレビシリーズ製作から一旦は離れた。とは言え、その後も前述の通り一部の作品を除いてライダー制作には参加しており、前述の井上、田崎らとも共働している。

コンピュータ関係に詳しく、1996年に東映テレビ部門のウェブサイトが開設されると初代ウェブマスターに就任。彼がプロデュースに携わっていなかった『仮面ライダー剣』の東映公式サイトも作成したようである。 一時は本業と並行して専門誌にプログラミング関係の論文を投稿していた他、「cron」のHNでMS-DOSプラットフォームフリーソフトウェアも制作しており、これらはベクターのダウンロードサイトで入手が可能である。

一度つきあったスタッフを大事にし、重用するのも特徴で、特に演出家では長石多可男、田崎竜太、石田秀範金田治、脚本家では井上敏樹、小林靖子米村正二、イラストレーター(キャラクターデザイナー)では出渕裕篠原保韮沢靖、作曲家では安川午朗佐橋俊彦蓜島邦明と非常に懇意にしている。また『シャンゼリオン』以来、特撮ドラマでは、後輩プロデューサーである武部直美と組むことが多い。

[編集] 主な作品

[編集] テレビドラマ

[編集] チーフプロデューサー作品

[編集] サブプロデューサー/プロデューサー補作品

[編集] オリジナルビデオ

[編集] 映画

[編集] 著作

  • ヒーローと正義(寺子屋新書刊、2004年)

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

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