長石多可男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

長石 多可男(ながいし たかお、1945年1月7日 - )は、映画テレビドラマ作品の監督演出家広島県広島市出身。広島県立広島国泰寺高等学校卒業。血液型はA型(Rh-)[1]

目次

[編集] 来歴・人物

ピンク映画で前衛的な作品を発表していた若松孝二と知り合った事がきっかけで、映画界入りを志す。当初は若松プロダクションへの参加を考えていたが、当時の若松プロは足立正生沖島勲小水一男(=ガイラ)をはじめ多くの助監督を抱えていたため断念。独立プロでピンク映画作品の助監督となり、『特命捜査室』(1969年、東映・フジテレビ)で初のテレビドラマ助監督を務める。『ザ・カゲスター』(1976年、東映・テレビ朝日)第13話「ドクターサタンの世界征服作戦!!」でテレビドラマ初監督。映画監督デビューは『光戦隊マスクマン』(1987年、東映)。

仮面ライダー』では、石森章太郎が監督を務めた第84話「危うしライダー! イソギンジャガーの地獄罠」では事実上の共同演出を務めた。脚本を書いた話も1本(第11話「吸血怪人ゲバコンドル」)ある。石森とはその後『イナズマン』第11話「バラバンバラはイナズマンの母」でもコンビを組んでいる。

東映の社員監督ではないが、戦隊シリーズの映像面に新風を吹き込み革新させた。“長石アングル”(例えば、遠距離から場景を撮るなど)と呼ばれる印象的な画像造りには定評があり、“超映像派”の異名も持つ。

90年代に入ってからはVシネマ中心に転向、日本ビデオ映画ケイエスエスピンクパイナップルの作品でその手腕を振るった。特に「レイプマン」シリーズでは沖田浩之の新たな魅力を引き出した。

1995年に再び東映特撮に復帰、平成ライダーシリーズの中心的監督として今も尚活躍中。

スーパー戦隊シリーズの監督本数は東條昭平に次ぎシリーズ歴代2位の179本(劇場版、オリジナルビデオ含む)、仮面ライダーシリーズの監督本数も石田秀範に次ぐシリーズ歴代2位の118本(劇場版含む)と、東映を代表する両シリーズで多くの作品を世に送り続けている東映特撮演出陣の重鎮的存在といえる。

[編集] 親密なスタッフ・キャスト

  • プロデューサーでは東映・加藤貢鈴木武幸は盟友ともいうべき間柄。かつては高寺成紀と親密だった時期もある。『超光戦士シャンゼリオン』からは白倉伸一郎武部直美作品にはおおよそ全てに参加している。白倉について長石は「何十年に1人出るか出ないかの逸材」とまで言い、絶対の信頼を置いている。また白倉も長石を起用し続ける理由として「いまの『ライダー』に長石監督が欠かせないのは初代『仮面ライダー』から携わっているとか、ベテランだからという理由ではなく、長石監督が長石監督だから」と述べている。
  • 脚本家では過去は曽田博久、近年は井上敏樹小林靖子の作品を演出する機会が多い。特に井上との付き合いは長く古いが、彼が戦隊に初参加した『超新星フラッシュマン』で初めて書いた脚本をその回の担当監督だった長石は容赦なくボツにしてしまう。井上にとっては生涯初のボツであったといい相当に悔しかったとのことである。
  • 俳優では宮内洋広瀬匠小川敦史との付き合いが古く、長い。宮内は一緒に組んだ作品を助監督時代から通算しても、『仮面ライダーV3』『Gメン'75』『超力戦隊オーレンジャー』『仮面ライダー THE FIRST』と4作品。広瀬はもっと多く『超新星フラッシュマン』『超獣戦隊ライブマン』『超光戦士シャンゼリオン』『仮面ライダーアギト』『女教師・濡れたピアノの下で』や爆走トラッカーシリーズで組んでいる。爆走トラッカーシリーズでは予算の都合からか広瀬をアクション監督として起用もしていた。小川とは『シャンゼリオン』を皮切りに平成ライダーシリーズ4作品にレギュラー&ゲストで起用。ちなみに広瀬は長石について「一番お世話になった監督だが、一番演技についても要求が厳しい監督。監督の中では一番やりにくい人だった」と後に述懐している。
  • 『東映ヒーローMAX』の中田譲治インタビューによると『超新星フラッシュマン』のサー・カウラー役に中田を推薦したのは『Gメン'75』で付き合いがあった長石であったという。長石はカウラー登場編を手掛け、メイン監督を務めた『超獣戦隊ライブマン』でも中田を起用している。
  • 2008年12月に放送のTBS『元気の源泉』で萩野崇が語ったところによると、『シャンゼリオン』の頃は全く演技が出来なかったが、その6年後に『仮面ライダー龍騎』にて長石が再度萩野を呼んだという。萩野は命がけで役を演じたところ長石は大いに喜び、撮影終了後に『素晴らしい演技をありがとう。とてもうれしかったです。』という手紙と共に1995年ヴィンテージの「ドンペリ」が贈られてきたという。萩野の元気の源泉はその「ドンペリ」であるという。
  • その飄々とした人柄に多くのスタッフから信頼を得ている。視覚効果スタッフの沖満は『電撃戦隊チェンジマン』より東映作品に参加したが、その際長石より合成カットのあそこは良かった、あそこは悪いとマメに感想を貰うことにより仕事に対するモチベーションが上がったという。雑誌のインタビューでは「『チェンジマン』という作品に巡りあえて、また長石監督に出合えて本当に良かったです」とまで言っている。
  • また2008年「宇宙船」第121号のインタビューでは、『仮面ライダー剣』『仮面ライダーディケイド』でもコンビを組んでいた脚本家の會川昇が長石への敬愛の念を吐露している。長石演出の『劇場版 仮面ライダー電王 俺、誕生!』を見て衝撃を受けたといい、「自分の書いた作品はもっと面白くしなきゃいけないと、決意を新たにしました」とコメントしていた。
  • 長石の推薦や紹介で東映特撮作品に携わったスタッフも多い。『超光戦士シャンゼリオン』の音楽担当に安川午朗を推薦したり、以前付き合いのあったカメラマンの菊池亘を東映テレビプロダクションに紹介したのも長石であった。

[編集] エピソード

  • 本格的に東映特撮に参加した最初の作品は『電撃戦隊チェンジマン』だが、東映プロデューサー・鈴木武幸は『超電子バイオマン』の頃より長石にオファーを出していた。鈴木は「堀長文さんがメインなんだよ、助けてあげてよ」(堀と長石は『Gメン』シリーズで同じ演出グループにおり旧知の仲だった)と声をかけたが、その際は長石がスケジュールの都合で参加を断っている(出典:1985年の『宇宙船』長石インタビュー、2008年の『東映ヒーローMAX』堀インタビュー)。
  • 助監督として長く師事していた現監督の諸田敏は影響を受けた監督として長石と東條昭平の二人を挙げており、長石を「天才」、東條を「クレバー」と評した。諸田は長石について「飄々としてスタッフからも好かれてますけど、とても粘る人。たとえばもう夕方近くになったからといって撮影を諦めませんし、そういう意味でも大好きな人。自分というものを持っている人は本当に強いと思う」とかつて雑誌インタビューにて語っていた。また同じく助監督としてついた渡辺勝也も長石の作風の影響を受けたとインタビューで語っている。
  • 矢沢永吉の大ファンで『超獣戦隊ライブマン』『高速戦隊ターボレンジャー』『地球戦隊ファイブマン』『救急戦隊ゴーゴーファイブ』の担当回では矢沢の楽曲を使用。『ゴーゴーファイブ』第6話では、シナリオを作る段階で、主人公が歌うことだけは決まっていたが、何を歌わせるかで悩んだ際「男っぽくて時代に流されない」曲を念頭に置いて、長石自ら『夢の彼方』を選曲したという逸話が残っている。
  • 諸般の都合で『地球戦隊ファイブマン』を最後に東映を離れた後オリジナルビデオ作品を多数手掛けることになる。しかし初期の頃は予算も豊富で制作も楽だったが末期は予算が以前の半分以下となり、ビデオ業界の限界を垣間見たとコメントしている。その頃東映プロデューサー・高寺成紀より戦隊シリーズへの復帰(『超力戦隊オーレンジャー』)を打診される。長石は乗り気だったが既に決定したビデオ制作のスケジュールが覆らなかったため、当初予定した番組序盤からの参加は叶わず、第32話から半年遅れで合流した(『東映ヒーローMAX』インタビューより)。
  • 超光戦士シャンゼリオン』第1話で初登場したトンネル階段は長石が非常に多用するロケーションである(場所は東京都練馬区の東映大泉撮影所すぐ近く)。1996年以降2008年に至るまで長石作品では少なくとも必ず年1回は登場させており(2005年度は除く)、一部の特撮マニアにはロケ地スポットとして有名である。あまりにも長石がそこを重用するため遂には通称『長石階段』と呼ばれることになった。今では長石だけではなく中澤祥次郎監督など他の人物も普通にその場所を使用している。また田崎竜太監督によると他にも長石縁のロケ地として『長石トンネル』『長石洞窟』なども存在するらしい。
  • 『東映ヒーローMAX』インタビューによると、平成ライダーシリーズより一度離脱を決意していたことを告白している。『仮面ライダー剣』の最終回を撮影中、「これがテレビの仮面ライダーを演出するのは最後」と思いメガホンをとったという。『剣』は長石にとって朝日ソノラマ刊のムックにて役者陣を「下手クソ」とこき下ろしたり、「俺、自分が悲しかったもんな。『こんな連中(役者)と一緒に仕事しないといけないか』って」「今年は風景ばっかり撮ってる。どうしてかはわからない。俺がダメなのかもしれない」とやや自信喪失気味に語るなど今までのシリーズとは違う思いを抱いて仕事をしていたようである。その後翻意し『仮面ライダー THE FIRST』の演出を経て、2006年の『仮面ライダーカブト』より再びテレビシリーズに復帰した。
  • 2007年11月には鈴木美潮の主催による『長石祭』というイベントが催され、長石監督縁の役者たちが集まり想い出話を繰り広げた。その中で長石は『電王』の33・34話撮影終了後入院したことを告白、そのイベントには病院の主治医も立ち合った。
  • その『長石祭』にて『超力戦隊オーレンジャー』で当時サード助監督だった深作健太が明かしたところによると、同作品の最終回の現場で長石が急に「『オーレンジャー』の主役って誰だと思う?」と訊いてきたという。監督がサード助監督に直接話しかけることは珍しく、深作は大いに緊張したがここでは何か気の効いたコメントを返さなければと思い、「三浦参謀長でしょうか?」とコメントをした。しかし長石は首を振って、「違うな、ガンマジンだよ」と言ったという。

[編集] 主な監督作品

[編集] テレビ

◎ メイン監督 ★ シリーズ最多演出 △ 最終回担当

[編集] 映画

[編集] オリジナルビデオ

  • 令嬢流されて(1991年、日本ビデオ映画)
  • 女教師・濡れたピアノの下で(1991年、日本ビデオ映画)
  • スキャンドール(1992年、日本ビデオ映画)
  • 一発逆転!爆走トラッカー軍団 (1992年、ケイエスエス)
  • 爆走トラッカー軍団2 暴走族死闘篇 (1992年、ケイエスエス)
  • 爆走トラッカー軍団3 紅薔薇軍団参上! (1993年、ケイエスエス)
  • THE レイプマン(1993年、ピンクパイナップル)
  • 爆走トラッカー軍団4 なにわ(暴)遊侠伝 (1993年、ケイエスエス)
  • THE レイプマン2(1994年、ピンクパイナップル)
  • THE レイプマン3(1994年、ピンクパイナップル)
  • 爆走トラッカー軍団5 激闘!香港マフィアVS女トラッカー(1994年、ケイエスエス)
  • THE レイプマン4(1994年、ピンクパイナップル)
  • THE レイプマン5(1995年、ピンクパイナップル)
  • THE レイプマン6(1995年、ピンクパイナップル)
  • THE レイプマン7(1995年、ピンクパイナップル)
  • 星獣戦隊ギンガマン VS メガレンジャー(1999年、東映・東映ビデオ)
  • 救急戦隊ゴーゴーファイブ VS ギンガマン(2000年、東映・東映ビデオ)

[編集] 助監督

[編集] テレビ

[編集] 映画

  • 仮面ライダー対じごく大使(1972年、東映)
  • 仮面ライダーV3対デストロン怪人(1973年、東映)
  • フィンガー5の大冒険(1974年、東映)※監督補
  • 海燕ジョーの奇跡(1984年、三船プロダクション

[編集] 脚本

  • 仮面ライダー(1971年 - 1973年、東映・毎日放送)第11話
  • 仮面ライダーV3(1973年 - 1974年、東映・毎日放送)第49話
  • イナズマンF(1974年、東映・NETテレビ)第18話
  • 仮面ライダーアマゾン(1974年 - 1975年、東映・毎日放送)第1話〜第4話(「大門勲」名義で平山亨らと共同執筆)
  • 超新星フラッシュマン(1986年 - 1987年、東映・テレビ朝日)第40話 ※監督も担当
  • 令嬢流されて(1991年、日本ビデオ映画)※小川睦子との共同脚本

[編集] 脚注

[編集] 関連人物