霊柩車

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霊柩車(れいきゅうしゃ)は、遺体を葬祭式場から火葬場土葬の場合は墓地)の移動の際に使用される特種用途自動車

概要[編集]

霊柩車
上:棺車
下:宮型霊柩車
洋型霊柩車の例
バス型霊柩車の例

日本では、古くはを人間がかついで運んでいたが、その後大八車様のものに乗せて運ぶようになった(このようなものは「棺車」と呼ばれる)。その後、トラックの上に棺を入れる宗教的装飾を施した輿のようなものを乗せて運ぶようになり、更にそれが自動車と一体化して霊柩車となった。ボディーの色は多くが黒である。昭和初期の霊柩車は主にアメリカパッカードを改造したものが多かったという。現代(21世紀初頭)の日本で一般的な霊柩車のスタイルは、大阪にあった「駕友」という葬儀屋を経営する鈴木勇太郎によって1917年に考え出された。

形態[編集]

現在の霊柩車の様式は、おおむね宮型・洋型・バス型・バン型に分類される。

宮型霊柩車
高級乗用車キャデラックブロアム・リンカーンタウンカートヨタ・クラウン等)や小型トラックを改造して、宗教的装飾(主に、神社神輿寺院を模したもの)のある棺室を設置した霊柩車。棺室は白木のものと塗りのものとがある。また、地域的な偏りが大きく、普及しているところとほとんど存在しないところとに分かれる。現在も台数は多いが、あまりにも目立ち過ぎるため嫌う声が近年多くなり、宮型霊柩車の乗り入れを拒否する施設も増えた他、葬礼に対する考え方が変わった等により洋型車両に数を奪われつつある。
霊柩車の棺を収める部分は、壁面や天井部分に極楽浄土を描いたもの、木彫りのの花などが描かれている。
もともとのベース車が高額であること、架装に伴う補強がほぼ全て職人の手作業であることからさらに高額となり、新車を購入すると約2,000万円と言われる。
金細工や銅板細工、白木、金箔や漆塗りなど、水気に弱い素材が多く用いられることから、雨天時の葬儀は透明なビニールカバーをかけて運用される。
外国人には非常に物珍しく見え、金細工や装飾が日本らしさの象徴と映るため、中古車の購入・輸出を試みる者もいる。
ただし仮に中古車でも高額で取引されるうえ、用途が限られることから会葬事業者間で売買されることがほとんどであり、一般の市場に流通することは少ない。
洋型霊柩車
ある程度以上の大型の ステーションワゴンや高級乗用車を改造して作られる。荷台部分に取り付けられている装飾は、クラシックカーに見られる、ランドー・ジョイント(幌を開閉・固定する金具)を模している[1][2]。「リムジン型」と呼ばれることも多い。車体色は黒塗りがやはり多いが、近年はパールホワイトやシルバー等が微増傾向にある。多くは(架装時のボディパネルの繋ぎ目等を隠す為等から)レザートップである。会葬者や親族が同乗できるよう、後部座席が付けられている車、前列3人乗り(いわゆるベンコラ)仕様車もある。
特に霊柩車の架装部分は非常に重量があるため、ある程度の架装までは強度が確保できるフレーム式の車種をベースとすることが多かったが、いわゆる高級車でもモノコックボディの車が増え、宮型の架装には相応の補強が必要となり高額となった。ほぼ時を同じくして、架装の割合に容易な洋型霊柩車が増加した。
宮型霊柩車のベース車としてトヨタ・クラウンワゴンや前出のキャデラックが使われていたが、洋型霊柩車はトヨタ・クラウンエステート等の高級ワゴン車をリムジン化して使用している事が多い。
高級3ボックスセダンを改造する場合は、通常であれば後部をステーションワゴンの様な形にする。
その一方で少数ながらフォーマル性を優先して、高級セダンを3ボックスのままリムジン化し、高級リムジンの様にしか見えないタイプもある。このタイプは後部開口部を広げる為にダイハツ・アプローズシトロエン・エグザンティアと同じく一見ノッチバックの様に見えて実はハッチバックに改造されている。
もともと高荷重に耐えうる貨物車である、背の低いシングルキャブのピックアップトラック(主にトヨタ・ハイラックスダットサントラック)に、同メーカーの高級車のフロント部分を移植(顔面スワップ)し、宮型の架装を施すなどして威厳を持たせることもあった。
宮型霊柩車では主に仏教、神道式の会葬にしか用いることはないが、逆に仏教式でも洋型霊柩車は用いられる。また昭和天皇大喪の礼の際も洋型霊柩車が使用された。前出の通り宮型霊柩車は高額である、一部の火葬場から宮型が締め出された、宗教・思想の多様化によって宮型が用いられない場合などに備える為、増車や経年劣化等による車両の入れ替えの際にフレキシビリティに富んだ洋型霊柩車に鞍替え・導入する業者もある。
欧米では参列者が最後まで見送れるように、巨大なバック・サイドウィンドウを取り付けるなど棺をあえて車外から見える様にしたタイプも多い。
今までは大型高級車を使うのが普通だったが、光岡自動車から2代目(E140G型)トヨタ・カローラフィールダーをベースとしたおくりぐるま ミツオカリムジン type2-04(ニイゼロヨン)が発売されている[3]
バス型霊柩車
大型バスマイクロバスを改造して作られており、地域限定の特例として棺のほか遺族・僧侶神官牧師)・葬儀参列者などを乗せるスペースがある場合がある。地域的な差が大きい。特に、冬季の気候が厳しいことから自宅葬が少なく葬儀会場葬が多い北海道などでは主流となっている。フロントエンジンタイプのマイクロバスの後部に棺を収めるタイプが主であるが、北海道では中・大型の観光バス用車体をベースにしているものもある。この場合、棺はトランクルームに設けられた収棺スペースに収められ、その部分の座席は撤去されている。
前述の通り、霊柩車自体の価格が高額であることから、葬儀費用が霊柩車の種類で変動することも多い(バス型、洋型、宮型の順に高額である)。
バン型霊柩車
葬儀場所から火葬場や墓地まで遺体を搬送するのに使われるだけではなく、遺体を病院などから自宅、自宅から葬儀会場へ移動させる際にも用いられる。もっぱら後者の用途に使われるものについては、霊柩車とは呼ばず、「寝台車」、「搬送車」と呼ばれる。自宅から葬儀会場へ運ぶ場合は納棺を済ませている場合も多いので、棺を乗せられるようになっている。ミニバンステーションワゴンを改造して作られ、後部座席を半分ほど撤去して遺体(ストレッチャー)を乗せる台が取り付けられている。また、病院などへの乗り入れを考えて飾り付けを施さず、自家用乗用車やタクシーハイヤーとはナンバープレートと、前ドア下部の「限定」表記でしか区別が付かないものもある。首都圏では前面・後面に「白地に緑十字」の「東京寝台自動車株式会社」の寝台車が有名(ただし同社の車は健常者の輸送にも用いる)。車検証の「車体の形状」欄は霊柩車の「霊柩車」に対し、「寝台車」となっている。

これら4種とも、棺をスムーズに載せるためのレールと、棺を固定するためのストッパーが設けられている。

道路運送法では遺体は貨物に区分される。まれに葬礼車両の運転者に、旅客輸送の二種免許保有を義務づける運行業者があるが、霊柩車の運行には旅客運送の二種免許は必要とされず、国土交通大臣並びに地域運輸局長より一般貨物自動車運送事業(霊きゅう限定)としての認可を受けた事業者が選任した一種免許を所持する運転者がこの事業者の霊柩車を運転できる。二種免許を必要とするのは一般貨物自動車運送事業(霊きゅう限定)ではなく、葬祭関連事業である旅客事業(葬儀式典の火葬場への出棺に際しての遺族や参列者を運送する)を経営している事業体に限られる。日本では緑地に白字(事業用)の8ナンバーのナンバープレートが付けられている。

バス型霊柩車は、遺族を乗せて運行する形態から旅客運送となり、二種免許保有者による運行が必要である(遺体は付随する荷物扱い)。

1つの自治体(市、区、郡)に対して霊柩車の保有台数の上限があり、霊柩車を保有したい事業者の新規参入は空き枠が出ない限り難しい。軽自動車枠に収まる仕様の霊柩車もごく少数だが存在し、黒地黄色字の事業用特種用途車(8ナンバー)で登録される。

霊柩車は自家用車登録、レンタカー登録が不可能(寝台車の自家用登録・レンタカー登録は可能)である。また、霊柩車は葬祭業者や地方自治体等の限られた業種のみが事業用としてのみ登録でき、一般の個人が所有する場合は貨物車(1・4ナンバー)として登録しなければならない。

霊柩車にまつわる雑学[編集]

霊柩車は不祥のものと見なされ、霊柩車が走っているのを見た場合、親指を隠さないと親の死に目に会えない等の有名な迷信がある。
霊柩車のプラモデル・ミニカーは欧米圏で比較的数多く登場しているが、日本では車両の性質上ほとんど製品化されていない。唯一の例外として米沢玩具(現:アガツマ)のミニカー「ダイヤペット」が1980年にファンクラブ会員限定品としてリンカーン・コンチネンタルをベースとした宮型の霊柩車を限定発売している。

鉄道車両[編集]

かつて鉄道車両にも、霊柩車は存在した。

鉄道院鉄道省[編集]

英照皇太后明治天皇及び大正天皇の崩御の際に、その遺体を輸送するために霊柩車が製作された。皇族以外の者では病客車によって遺体が搬送された記録が残っている[4]

名古屋市[編集]

一般用の霊柩車としては、1915年大正4年)に名古屋市八事に市営の共同墓地と火葬場が建設されたのにともない、尾張電気軌道名古屋市電の前身の一つ)が墓地に線路を引き込み、既存の電車(9号とされるが、4号とする説もあり)を改造して霊柩電車を製作している[5]。この霊柩電車は、車体の中央部に棺を出し入れする幅1800mmの扉を設置し、会葬者とともに墓地まで運んだという。この霊柩電車は、1935年(昭和10年)頃〈1931年(昭和6年)とする説もあり〉まで使用された。

名古屋市以外の計画[編集]

大阪
大阪では1915年(大正4年)に霊柩電車構想が浮上したが[6]第一次世界大戦開戦後に経済が復調すると、大阪市の人口は150万人を超え[7]、都市化と相俟って自動車が普及し、霊柩電車構想は実現しなかった[6]
東京
東京は江戸時代以来、下町に人口が集中していたが、大正5年頃から東京への人口集中が更に進み、下町では住宅不足に陥っていた。そのため、林や芒の草原だった武蔵野や多摩で宅地開発が行われるようになり、火葬場も下町からこれらの地域に移転した。1921年(大正10年)になると、当時はまだ路面電車の京王電気軌道(現・京王電鉄)に霊柩電車を走らせる計画が浮上した。京王線沿線には多磨霊園があり、京王線から霊園まで既存の道路に軌道を敷設することを想定していたが、大阪同様に都市化の進行とともに自動車が普及し、この計画も実現されなかった[8]

主なメーカー[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ トヨタ博物館 メルセデスベンツ 500K
  2. ^ ダンディー先生のお茶飲み話 後期高齢車)
  3. ^ 2012年5月にベース車両の2代目(E140G型)カローラフィールダーの新車販売が終了したため、現在は認定中古車として販売されている。
  4. ^ 東海道本線大磯から京都まで運ばれた新島襄や、東北本線東京から盛岡に運ばれた原敬の例がある。
  5. ^ 前述の轜車をプロトタイプとし、製造されたと伝えられている。--『封印された鉄道史』(p46)
  6. ^ a b 封印された鉄道史』(p45)
  7. ^ 大阪市交通局七十五年史』(p56)
  8. ^ 封印された鉄道史』(p44, p45)

参考文献[編集]

関連項目[編集]