葬式仏教

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葬式仏教(そうしき ぶっきょう)とは、本来の仏教の在り方から大きく隔たった、葬式の際にしか必要とされない現在の日本の形骸化した仏教の姿を揶揄して表現したものである。

概要[編集]

本来の仏教は、葬送儀礼を重視する宗教ではなかった。

アーナンダよ。お前たちは修行完成者の遺骨の供養にかかずらうな。どうか、お前たちは、正しい目的のために努力せよ。正しい目的を実行せよ。正しい目的に向かって怠らず、勤め、専念しておれ。」[1]

大般涅槃経

釈迦弟子に死後の遺骸の処置を問われた際に、僧侶は遺骸の供養等考えず真理の追求に専念すべきだ、供養は在家の信者がしてくれる、と答えたとされる。現在も僧侶が、遺体遺骨墓石等にタッチしないのは此の為で、戦後しばらくまでは、隠亡と呼ばれる人達がこうした雑務を行っていた。現在では三十五日四十九日等の納骨が行われる時には、石材職人葬祭業者の職員が寺迄出向いて、墓石の開閉や、遺族が遺骨を納める時の介助等をしてくれる事が多い。

しかし、インドから中国へと伝播し民衆へと教化が行われるうちに、漢民族道教儒教に由来する先祖供養民間信仰習合し、仏教は葬送儀礼も司る様になった。例えば位牌は、儒教の葬礼に用いられる神主(しんしゅ)が変化されたものだと考えられている。

仏教が日本に伝来したのは6世紀半ばの飛鳥時代の事である。仏教は豪族など上層階級の心を捉え、篤く信仰される様になった。 平安時代貴族の葬儀は、仏教寺院で行い僧侶が念仏し墓に卒塔婆を立てる等、大きく仏教的な影響を受けたものになっていた。 鎌倉時代には庶民層にも仏教が広まり、庶民の間にも仏式の葬儀が行われる例が見られる様になる。

日本仏教が葬式仏教へと向かう大きな転機は、江戸幕府が定めた檀家制度である。 檀家制度は、民衆は何れかの寺院を菩提寺としてその檀家となる事を義務付けるものであり、 キリスト教不受不施派を禁制として、信徒に対し改宗を強制した。それに抗して一部の者は「隠れ」となる事を強いられる。 其れ迄の民衆の葬式は一般に村社会が執り行うものであったが、檀家制度以降、僧侶による葬式が一般化した。 また、檀家制度は、寺院に一定の信徒と収入を保証する一方で、他宗派の信徒への布教や新しい寺院の建立を禁止した。 此の事に依り、各寺院は布教の必要を無くし、自らの檀家の葬儀や法事を営み定期的に収入を得るばかりの、 変化のない生活に安住する様になっていった。

また、明治維新時、政府の国家神道政策による廃仏毀釈の推進と「肉食妻帯勝手たるべし」という布告により、それ迄も浄土真宗以外の宗派では、現実的に破戒が常態であったのが、公然と妻帯が行われる様になっていった。このため戒律を順守する僧侶(比丘)ではなく、妻帯して僧職で生計を立てる(実質的に)者の子女が寺を継ぐという、世襲制度が他宗派でも一般化している。この事も葬式仏教化へと拍車をかけている一因と云える。

近年、この様な葬儀や法事に依存した日本仏教の状況を批判する意味で、葬式仏教という言葉が使われる様になった。 仏教界内部からもこの状況を反省し改めるべきだとする活動が様々に行われている。伝統的な宗派に属する寺院でも、不登校の問題や自殺防止などに取り組んだり、宗教家の立場で人々の相談にのったりする寺院等、人々の心の問題に取り組もうとする動きが伝統的な仏教界にもみられている。また、葬式仏教的な現状に飽き足らない人々の中には、既成の宗派の枠やしきたりを超えた活動や、アジア諸国など海外の仏教に目を向ける人々もいる。

また、近年では、過疎化等の進展で地域だけで葬儀が遂行できない事、逆に都市化やライフスタイルの変化、葬儀の在り方の多様化等により、「葬式仏教すら成り立たない」寺院も存在する。

脚注[編集]

  1. ^ 中村元 『ブッダ最後の旅 : 大パリニッバーナ経』 岩波書店〈岩波文庫〉、2001年ISBN 4000071947 

参考文献[編集]

  • 鈴木隆泰『葬式仏教正当論』2013

関連項目[編集]