ホンダ・ジュノオ

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ジュノオM85(前)とジュノオK型(後)

ホンダ・ジュノオ(JUNO)はかつて本田技研工業が発売していたスクータータイプのオートバイである。

初代(K型、KA型、KB型)[編集]

ジュノオK型

富士重工業ラビットスクーター三菱・シルバーピジョンなど1950年代に起こったスクーターブームに乗るかたちでホンダもスクーターに参入、1954年に最初のモデルである「K型」ジュノオを発売した。

「K型」は189ccの強制空冷4サイクルOHV単気筒エンジンを搭載した。ボディデザインには当時特撮映画の美術を手がけていた小松崎茂も関わっていたという。最大の特徴はアクリル樹脂製の大型ウインドシールド上部に収納された雨よけ用のルーフで、「全天候型スクーター」を目指した野心作であった(ルーフはオプション設定)。また軽量化を図ってボディはFRP製、さらに当時としては珍しい存在であったセルモーターを搭載するなど独創的アイデアが盛り込まれた。

ウインドシールドの搭載もあって乾燥車重が170kgとライバル車種よりも重く、189ccで最大出力7.5馬力のエンジンでは非力とあって販売面で苦戦し、後に220cc9.0馬力の新エンジンの「KA型」、同エンジンで装備を簡略させた「KB型」を投入するも好転せず、結局翌1955年に販売終了となった。しかしFRPによるボディ製作のノウハウは1958年に発売される初代スーパーカブ(C100)に、「全天候型スクーター」というコンセプトは1990年代に登場するジャイロ・キャノピーキャビーナに受け継がれることになる。総販売台数は5,856台。

2代目 (M80型、M85型)[編集]

ジュノオM85

1961年11月、ホンダは6年ぶりにスクーターの販売に再参入し、モデル名も以前と同じ「ジュノオ」を与えた。「M80型」と呼ばれるモデルはエンジンに静粛性と高性能を両立させた124ccの空冷4サイクルOHV2気筒水平対向エンジンを採用、これを前輪直後に縦置きしトレーンレイアウトとした。 シリンダーヘッドにはタペットクリアランスを油圧で自動調整する「ハイドロリック・ギャップアジャスター」装置を装備、OHVエンジンに発生しがちなタペットノイズを抑えエンジンの静粛性をアップさせている。

変速機には「HRDミッション」と呼ばれる、バダリーニ式の油圧式無段変速機を採用した。これは乗り手が手動で無段階に変速を調整でき、滑らかで駆動ロスの少ない画期的な変速機であった。

1962年1月「M80型」のエンジンを169ccに拡大して搭載した「M85型」が登場、12馬力/7,600rpm、1.34kgm/5,700rpm[1]にて最高速度100km/h。 初期のスクーターブームが終焉する1968年まで販売された。なお2代目ジュノオの総販売台数は5,880台。

M80/M85は12V電装、電磁ポンプによる燃料供給、スイングアームを兼ねたオイルバス式チェーンケース、ハンドルロック付イグニッションスイッチ等、現代のモーターサイクルに通ずる機構を数々装備していた。

その後[編集]

ジュノオは数々の新技術を投入しながら売上面で芳しくなかったことから、当時まだ創生期のホンダにとって経営的な苦境に立たされる原因を作ったモデルとされており、ホンダがこの後スクーターに再々参入するのは1980年タクトを販売するまで待たされることになる。

しかし油圧式無段変速機「HRD」の技術は、その後2008年に発売されたDN-01の油圧式無段変速機「HFT」へと発展することになった。

車名の由来[編集]

外部リンク[編集]

参考文献[編集]

  • 『オートバイ』2007年5月号別冊付録『日本二輪車大辞典1947-2007』

脚注[編集]

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  1. ^ 『日本二輪車大辞典1947-2007』P81。