ホンダ・ドリームCB750FOUR

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HONDA DREAM CB750FOUR

DREAM CB750FOUR(ドリーム シービーななひゃくごじゅうフォア)は、かつて本田技研工業が製造販売していたオートバイで、世界の量産車で初めて時速200キロを超えたオートバイである[1]

目次

[編集] 概要

当時のロードレース世界選手権で完全制覇を果たしたホンダは、商業面でも世界的に進出することを目指し、次々にドリームCB450などの新車を発表し輸出していったが、当初は日本国外での評判が思いのほか芳しくなかった。これはレースからの流れとしてオートバイのトップスピードを重視するあまり、小排気量で性能を出してもライダーが操れる余裕が少なかったことから、乗りやすさに欠けている面があったためである。そこで排気量の拡大により性能と余裕の両立を図った上、この頃のレース規格にも対応できる車両が構想されて製作が決定したが、当時のオートバイとしては最大級の排気量となるため、製造には当時の技術すべてを結集させることになった。こうして製造された車両が、ドリームCB750FOURである。なお車名のドリームという名称は、本田宗一郎の「夢」“dream”を車名にしたもの[2]で、ホンダが当時の高性能スポーツタイプに用いていたシリーズ商標である。

日本で生産されたCB750の多くは輸出され、1ドル360円固定相場のもと、ホンダに莫大な利益をもたらし、4輪車生産に弾みをつけた[1]。CB750はその性能だけでなく製造の精密さも評価を受け、世界各地で絶賛を受けることになり、CB750は世界の工業史にも名を刻む製品となった。この成功は、ホンダが二輪において世界的トップメーカーとしての地位を確立した。やがて日本製オートバイは英国車に代わって世界中を席巻し、国際的な販売合戦が繰り広げられていくことになった。

発売直後、日本ではCB750は当時の日本製の自動車よりも最高速度の性能が高かったこと、当時としては最大級の車体を持っていたこと、自動車の免許に自動二輪車の免許が付属していた世代は必然的に扱いが不慣れであったこと、などの理由から交通事故が目立つようになり、運輸省の行政指導によって750cc以上の排気量を持つバイクは形式認定が極めて困難となってしまった。このような大型自動二輪車に対する冷遇は、1990年代まで続くこととなる。こうした事情から、1970年代の自動二輪車に対する世間の風当たりは現在とは比較にならないほど激しく、例えば「ナナハン=暴走族」という扱いがさも当然であるかのようにまかり通っていた。さらに、頻発する交通事故に対し「度を越した性能で多くの若者の命を奪った、メーカーの社会的責任」を問う声まで上がった。しかし、これらの出来事がCB750FOURなど750ccのオートバイを「ナナハン」というひとつのカテゴリーとして、日本における二輪の最高峰へと位置付けさせた面もあった。

[編集] CB750FOURの主要装備と性能

エンジン - 4ストローク並列4気筒OHC
エンジンは見た目も考慮して二輪量産車初の並列4気筒エンジンを採用したが、アルミの部品を多く利用し、シリンダーをやや細めにしてエンジン自体の幅と重量を抑えている。動弁系は当時のレーサーに使用していたDOHCは不要と判断され、SOHCが採用された。キャブレターを全てのシリンダー4個に装備したのも二輪量産車としては初めてである。
エンジン性能 - 736cc・67馬力・公称最高速度200km/h
エンジンの排気量と馬力は、同業他車のエンジンを比較する形で決定された。このエンジンはもう少し性能を上げることも可能だったが、乗りやすさを優先したことから、当時の市販オートバイすべての最高値を上回る出力程度に抑えられていたが、それでも200km/hのスピードを出すことも可能な性能は確保されていた。しかし当時のタイヤとドライブチェーンはこの馬力に対応しきれず、開発中に破裂や断裂を繰り返したことから、共にCB専用の部品が造られることになったが、これは部品メーカーがホンダ側に対する製造物への責任を明確にするためだったとも言われている。
前輪ディスクブレーキ
当時すでに少量生産車両ではMVアグスタが前輪ディスクブレーキを使用していた。しかし二輪量産車では前例がなかったため、CBの実車が展示されるモーターショーの直前までドラムとディスクのどちらを用いるか比較討論されていたが、最終的に社長である本田宗一郎の「鶴の一声」で、ディスクブレーキを装備して展示させることが決まった。これにより二輪量産車として初めてディスクブレーキを採用することになったが、ノウハウの蓄積には苦労したと伝えられ、お世辞にもよく効くブレーキとは言えなかった。

ほかにもダブルクレードルフレームや、4本出しのエキゾーストパイプマフラーなどがホンダとして初めて装備された。1970年モデル(K1)・1972年モデル(K2)・1973年モデル(K3は日本国内販売はされず)など、最終型1978年モデルK8まで(日本仕様はK7が最終型)毎年装備やカラーなどのマイナーチェンジを行なっている。

[編集] 年表

  • 1967年 - CBの製作を決定。
  • 1968年 - 夏の頃に実車テスト開始。
  • 1968年10月 - 東京モーターショーにて実車を展示。
  • 1969年3月 - エンジンを埼玉製作所・車体を浜松製作所にて生産開始。
  • 1969年4月 - 日本国外へ輸出開始。
  • 1969年8月 - CB(K0)国内販売開始。販売価格は38万5000円。
  • 1971年10月 - 生産拠点を鈴鹿製作所に完全統合移転。
  • 1975年6月 - CB750FOUR-IIの販売開始。
  • 1977年4月 - 最後のモデルとなるCB750FOUR-K(K7)、F-II、EARAの販売開始。
  • 1978年8月 - CB750Kへのモデルチェンジを控え生産が終了される。

[編集] 派生モデル

[編集] CB750FOUR-II

CB750FOUR-II1975年6月に発売された。集合管と呼ばれる一本マフラーと後輪ディスクブレーキなど走行性能を高めたスポーツモデルである(初期タイプの機種名はF1)。ところが、静か過ぎて迫力に欠ける集合管、プレーンな外観はイマイチ評価を得るに至らず、K0以降伝統的な4本マフラーのK6も併売された。1977年には、ホイールをアルミリムとアルミプレートを組み立てたコムスタースターホイールの採用、前輪ディスクブレーキをダブルにするなどのモデルチェンジを受けたが(機種名はF2)、装備で重量が重くなってしまい、また出力も日本仕様は67ps→65psと低下したこと、さらに免許制度改正の影響を受けて人気は出ず日本での販売は終了(輸出用には1978年モデルF3がある)し、後にCB750Fへフルモデルチェンジされることになった。

[編集] CB750FOUR-K

CB750FOUR-K1977年4月に発売された。機種コードはCB750K7。17インチリアホイール、段付きシートなど外観はツアラー指向寄りに大きく変更さたれたモデル。この頃になると他車より性能に劣る面が多くなったことから、日本国内向けではこのモデルがシリーズの最終型となった。(輸出向けは1978年モデルK8まで継続生産)後継車は車名が紛らわしいが、CB750Fに先駆けて新型のDOHCエンジンを搭載したCB750Kになる(なお機種コードは1979年式から命名の法則性が現在のものへ変更されており、1979年式がCB750KZ、1980年式はCB750KA)。

[編集] EARA

EARAエアラ)も1977年4月に発売された派生車種である。正式型番はCB750A。軽自動車のN600で使われていたトルクコンバータの技術を流用し、「ホンダマチック」と名づけられた2速選択式のオートマチック車両として製造されたモデルである。しかし出力伝達の関係で馬力が落とされており、スポーツ性能に欠けるものがあると評されたことから、販売面では芳しくなかった。

[編集] CB750FOURにまつわる話

  • CB750は9年間で60万台以上が生産されたが、これは原付を除く日本国内の自動二輪車生産数としては最高の数字である。ただし台数の大半は日本国外へ輸出されている。
  • エンジンの下部にある変速機構を覆っているクランクケースは、最初のうちは少量生産に適した砂型鋳造を行っていたが、発売後に受注が殺到したことにより、大量生産を行うためダイキャスト金型の使用に切り換えた話は有名で、砂型ケースを用いている初期生産車(型番「K0」のうち7千台程度といわれる)は現在でも珍重されている。
  • 発売当時の販売価格である38万5000円は、当時の軽自動車であるN360の31万3000円より高価であったが、当時におけるCBの性能面を日本国外の他車と比較すれば100万円で販売されてもおかしくはなかった事から、38万の価格で製造のための初期投資を償却できるのか疑問視されたこともあった。
  • 本田宗一郎は開発中のCBを見て、あまりにも大きな車体や性能の高さから、当初はイメージリーダーであると考えその商品性には疑問を抱いていたと伝えられている(試作車を見るなり、「誰が乗るんだ」と言ったという)。しかし、1968年にスイスを視察した際、現地の大柄な警察官がトライアンフの650ccの白バイを軽々と扱っているのを見て大いに驚き、それまで自分が『日本の感覚でオートバイを作っていた』ことに気付き、これ以降CBの海外での商品性の高さを確信し、製作に意欲的になったという。また、後に自身も試乗して絶賛していたことや、上述の前輪ディスクブレーキ装備を自らが決断したことなどが社史に記されている。
  • 週刊少年チャンピオンに掲載されていた石井いさみの漫画、「750ライダー」の主人公、早川光の乗るバイクはCB750K2である。ワイルド7と並び、CB750の人気を小学生にまで認知させるのに貢献した作品といえる。なお、テレビ版ワイルド7は、スズキ・GT750である。

[編集] 脚注

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  1. ^ a b HONDA 50Years ホンダ50年史「時代を刻んだ名車たち」より。
  2. ^ 『百年のマン島』(p270)より。

[編集] 参考文献

  • 雑誌『別冊 MOTOR CYCLIST』2005年6月号 雑誌コード08755-6
  • 大久保力『百年のマン島 - TTレースと日本人』三栄書房、2008年、ISBN 978-4-7796-0407-2

[編集] 関連項目

  • CB750(RC42) - 1990年代のネイキッドブームから生まれた車種。1992年から2008年まで生産。
  • ホンダ・CB

[編集] 外部リンク

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