久米是志

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久米 是志(くめ ただし、1932年1月2日 - )は、兵庫県出身の自動車エンジニア実業家。1983年から1990年まで本田技研工業代表取締役社長を務めた。

人物[編集]

静岡大学工学部機械工学科卒業後、本田技研工業に入社。専門はエンジンの設計で、マン島TTレースの競技車両用エンジンや、ホンダF1初の空冷エンジンカー、RA302のエンジン開発に携わる。若手の頃は、空冷エンジン採用を主張する本田宗一郎に対して、水冷エンジン採用を主張して譲らず、ホンダ1300やRA302の開発時には辞表を出して数度にわたり出社を拒否したという逸話を持つ(詳しくはホンダ・RA302の記事を参照)。

その後、社運を賭けて取り組んだ初代シビックの開発責任者として、クルマのコンセプトづくりに参画。1973年に自身が開発責任者として指揮して生まれたCVCCエンジンは、当時、世界で最も厳しいと言われたアメリカ合衆国排出ガス規制法であるマスキー法を初めてクリアしたことで知られる。

1983年河島喜好の後を受けて、第3代の本田技研工業代表取締役社長に就任。第2期ホンダF1活動を支える。ASIMOにつながる二足歩行ロボットの開発、HondaJetにつながるビジネスジェット事業は、久米が社長を務めた時期に開始が指示されたものである。1990年に社長を川本信彦に譲り、取締役相談役に退いた。

略歴[編集]

  • 1932年(昭和7年)1月2日 - 兵庫県に生まれる
  • 1954年(昭和29年)3月 - 静岡大学工学部機械工学科卒業
  • 1954年(昭和29年)4月 - 本田技研工業入社
  • 1969年(昭和44年)4月 - 本田技術研究所取締役
  • 1971年(昭和46年)4月 - 本田技術研究所常務取締役
  • 1974年(昭和49年)4月 - 本田技術研究所専務取締役
  • 1977年(昭和52年)3月 - 本田技術研究所社長
  • 1979年(昭和54年)5月 - 本田技研工業専務取締役兼本田技術研究所社長
  • 1983年(昭和58年)10月 - 本田技研工業代表取締役社長
  • 1990年(平成2年)6月 - 本田技研工業取締役相談役
  • 1998年(平成10年)6月 - 本田技研工業常任相談役
  • 2002年(平成14年)1月 - 常任相談役を退任
  • 2009年(平成21年)4月 - 旭日重光章受章