ドイモイ

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ベトナム
ベトナム社会主義共和国の国章

ベトナムの歴史


主な出来事
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東遊運動 · 日仏協約
仏印進駐 · 大東亜戦争
ベトナム八月革命
第一次インドシナ戦争
ディエンビエンフーの戦い
ジュネーヴ協定 · 南北分断
トンキン湾事件 · ベトナム戦争
パリ協定 · 西沙諸島の戦い
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グエン・タン・ズン
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言語
ベトナム語 · チュノム
クオック・グー

[編集]
ドイモイ
各種表記
クォック・グー Đổi mới
漢字・チュノム 𣌒𡤓
北部発音: ドイモイ
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ドイモイベトナム語: Đổi mới, チュノム表記:「𣌒𡤓」,「刷新」の意)は、1986年ベトナム共産党第6回党大会で提起されたスローガンであり、主に経済価格自由化国際分業産業構造生産性の向上)、社会思想面において新方向への転換を目指すものである。

概要[編集]

市場メカニズムや対外開放政策が導入され、経済面では大きな成果をあげてきた。ただし、ベトナム共産党の一党支配体制は堅持されている。

切り離せないのは、「社会主義指向型発展」の理念である。ドイモイの思想分野の一部で、民富や強国・民主・文明社会を掲げて発展するという理念。これは中華人民共和国が目指す改革開放「2050年、文明社会主義国」の系譜を辿っているという見解もある。

いずれにしても、社会主義国の官から民へ経済思考がシフトしている。

ドイモイと農業[編集]

80%が農民農村居住者である農業国であるベトナムではあるが、近代化工業化の過程においてドイモイ政策実施までは国家政策としては農業は重視されなかった。しかしながら、古田元夫によればドイモイを導いたのはベトナムの農業の現実であった。ベトナム共産党は,本格的なドイモイに踏み切った後の1988年4月、政治局第10号決議で事実上、個々の農家が農業形成の基本単位であることを認めた。この決議により、合作社が農地の大半を所有して農業経営の基本的単位となる集団農業の存在には終止符が打たれることとなった。それまでベトナムの農業を支配していた、この闇行為である「もぐり請負制」を共産党は合法的なものとして追認することでドイモイにつながっていった。この意味ではドイモイを始めたのは農民であった。ベトナム共産党はこれにより事実上共産主義からの離脱を決定したのであり、ベトナム農民はそれまでの「貧しさを分かち合う社会主義」というシステムに挑戦する行動を開始したのである。事実、ドイモイ以後農民の暮らしは変化し、全体としては1980年代よりも豊かになった[1]

長年に亘る戦争[編集]

ベトナムの近代の歴史において戦争というキーワードは外せない。第二次大戦前はフランス植民地となり、仏領インドシナつまりカンボジアラオスを合わせた地域として統治されたものの、その後大戦中には日本による進駐も一時期には経験している。その後、宗主国フランスとの独立戦争を経て、アメリカとの戦争に至る。この戦争は苛烈を極め南北ベトナムに分裂するも、その後統一することで収束している。またそれまでの同盟国であった中国との中越戦争やカンボシア(ポル・ポト派)との戦争など、ドイモイ以前はこのように約100年近くも戦争に明け暮れることになってしまっていた。どの戦争もそれなりの大義名分と、ほぼ全ての戦争に勝利したともいえる状況の中で、一向に繁栄していないベトナムの国土、むしろ荒廃しきったベトナム国土をどうすべきかというところからドイモイが提起されたのである。

脚注[編集]

  1. ^ 古田元夫『ベトナムの現在』

関連項目[編集]

外部リンク[編集]