トンキン湾事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
トンキン湾事件
Tonkingunboats.jpg
マドックスから撮影した3隻のP-4魚雷艇
1964年8月2日、4日
場所 トンキン湾
結果 アメリカ合衆国のベトナム介入拡大
衝突した勢力
アメリカ合衆国の旗 アメリカ 北ベトナムの旗 北ベトナム
指揮官
US Naval Jack.svg ジョージ・スティーヴン・モリソン レ・ドゥイ・コア[1]
戦力
海上
航空母艦1隻,
駆逐艦1隻
航空機
F-8戦闘機4機[2]
魚雷艇3隻
被害者数
駆逐艦1隻小破,
航空機1機小破[3]
魚雷艇1隻大破,
魚雷艇2隻中破,
4名死亡,
6名負傷[4]
ベトナム戦争


事件経過を示す図

トンキン湾事件(とんきんわんじけん、: Gulf of Tonkin Incident, Sự kiện Vịnh Bắc Bộ事件灣北部)は、1964年8月北ベトナムトンキン湾北ベトナム軍哨戒艇アメリカ海軍駆逐艦に2発の魚雷を発射したとされる事件。これをきっかけにアメリカは本格的ベトナム戦争に介入、北爆を開始した。アメリカ議会は上院で88対2、下院で416対0で大統領支持を決議をした。しかし、1971年6月ニューヨーク・タイムズのニール・シーハン記者が、報告書『ベトナムにおける政策決定の歴史、1945年-1968年』こと“ペンタゴン・ペーパーズ”を入手、トンキン湾事件はアメリカが仕組んだものだったことを暴露した。

目次

事件の公式経緯 [編集]

1964年7月31日より、アメリカ海軍のアレン・M・サムナー級駆逐艦マドックス (USS Maddox, DD-731) は、トンキン湾で哨戒行動を開始した。任務の公式目的は、北ベトナムの沿岸防衛能力に関する情報を得ることにあった。他にも同様の任務に当たっているアメリカ艦があり、同時期に行われていた南ベトナム・コマンド部隊による北ベトナム沿岸への襲撃を支援していた。

8月2日に、3隻の北ベトナム魚雷艇が、南ベトナム艦艇と間違え、マドックスに対し、魚雷と機関銃による攻撃を行った。その攻撃に対してマドックスは直ちに反撃を行い、近くにいた空母タイコンデロガ (USS Ticonderoga, CV-14) の艦載機の支援も受け、魚雷艇のうち1隻を撃破、他の2隻にも損害を与えた。マドックスは、機関銃弾丸により軽微な損傷を受けただけであったが、駆逐艦ターナー・ジョイ (USS Turner Joy, DD-951) と合流し、南ベトナム海域へと撤退した。

8月4日より、マドックスとターナー・ジョイによる北ベトナム沿岸への、哨戒行動があらためて開始された。4日夜間にターナー・ジョイは、望遠鏡により北ベトナム軍が攻撃してくることを確認した。その後、約2時間、マドックスとターナー・ジョイは、北ベトナム軍艦艇と思われるレーダー目標に対して発砲した。

なお、捏造とされているのは、8月4日の事件であり、北ベトナムは8月2日の事件は認めていたが、8月4日の事件については当初から否定している。また、ジョンソン大統領は8月4日の時点で既に、2日の事件に対する報復として、北ベトナムの魚雷艇基地と燃料貯蔵所に対する爆撃を命じていた。

備考 [編集]

参照項目 [編集]

  • 偽旗作戦 - 敵に擬して行動を行うこと。
  • 柳条湖事件開戦ないし敵地占領の口実を得る目的で行われたでっち上げ事件である、という点において共通している。)

参照 [編集]

  1. ^ Moïse 1996, p. 78.
  2. ^ Moïse 1996, p. 82.
  3. ^ Moïse 1996, pp. 82, 83.
  4. ^ Moïse 1996, p. 92.

外部リンク [編集]