モーリス・ギブ

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モーリス・ギブ
Maurice Gibb
オランダのテレビ番組にて(1968年)}
オランダのテレビ番組にて(1968年)
基本情報
出生名 Maurice Ernest Gibb
出生 1949年12月22日
マン島の旗 マン島ダグラス
出身地 Rised in:
イングランドの旗 イングランドマンチェスター
Moved to:
オーストラリアの旗 オーストラリアブリスベン
死没 2003年1月12日(満53歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国フロリダ州マイアミビーチ
ジャンル ディスコポップロックソフトロック
職業 歌手音楽プロデューサーミュージシャン
担当楽器 ボーカル
ギター
ベース
ピアノ
キーボード
活動期間 1958年 - 2003年
共同作業者 ビージーズ
著名使用楽器
リッケンバッカー・4001[1]

モーリス・ギブ: Maurice Gibb1949年12月22日 - 2003年1月12日)は、マン島出身のミュージシャンシンガーソングライターである。2人の兄弟(ロビン・ギブバリー・ギブ)と結成したボーカルグループのビージーズのメンバーとして知られている。彼らはオーストラリアでデビューし、イングランドに戻ってから成功した。ビージーズは最も成功したポップグループの一つである。

生涯[編集]

モーリスはマン島で父ヒュー・ギブと母バーブラの間に生まれた。ロビン・ギブとは双子で、ロビンより35分後に生まれた。モーリスは一女四男の5人姉弟の三男にあたり、姉レズリー (1945年生)兄バリー(1946年生)ロビン(1949年生)、弟アンディ(1958年生)がいる。1950年代に彼は家族とともにイングランドマンチェスターに移り住み、1958年にはオーストラリアブリスベンに移った。

モーリスはスコットランド人のポップスターであるルルと1969年から1973年まで結婚したが、子供はいなかった。その後再婚し、妻イボンヌとの間にはアダムとサマンサの2人の子供がいる。

モーリスはペイントボールというスポーツを愛しており、ロイアル・ラット・レンジャーズというチームをもっていた。彼はあらゆる機会にこのスポーツを宣伝し、後にマイアミビーチにペイントボールの専門店を開いた。

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モーリスは2003年1月12日にマイアミビーチの病院で、腸閉塞の手術中に亡くなった。弟を失ったバリーとロビンは、しばらくビージーズとしてのグループ活動を行うことを中止した[2]。しかし、時が過ぎ、再びビージーズとして活動を行うことを決めた[3]。2人は2009年10月31日放送のBBCのテレビ番組に出演し、2009年11月17日放送のABCのテレビ番組に出演した。さらに2010年5月26日放送のアメリカン・アイドル (シーズン9)のファイナルに出演し演奏した[4]

来歴[編集]

モーリス・ギブはメロディとアレンジを担当していた。彼はハーモニーとバックボーカルを歌い、そして様々な楽器を演奏した。1965年・1966年に彼はリードギターとして演奏していたが、1966年の早い時期にはスタジオでオルガンを演奏していた。1967年から1972年までのビージーズのレコーディングでは、モーリスの演奏するピアノやベースギター、メロトロン(「Every Christian Lion Hearted Man」「Kilburn Towers」)、リズムギターが確認できる。「Words」と「Lonely Days」のピアノはモーリスの演奏である。ステージでは通常ベースを担当していたが、彼がピアノを演奏するときには別のベース演奏者を追加していた。モーリスは1975年から1979年までのビージーズのディスコ・サウンドにはあまり影響を与えておらず、その頃はベースを担当していた[5]。彼の生涯の後半の20年間では、主にオルガンを演奏していたが、時折リードギターを演奏し、2001年の「This Is Where I Came In」ではジョン・レノンから貰ったアコースティック・ギターを使用している[6]。1987年にビージーズが再結成されると、モーリスはレコーディングの技術的な部分をすべて担当し、ミュージシャンやエンジニアと調整するバンドリーダーの役割を果たした。

ソングライターとしては、主にメロディを完成させることに貢献していた。彼の楽曲に対する貢献を確認するのは難しいが、モーリスが兄弟のソロ活動でもその役割を継続していることにより、彼らが彼をいかに信頼していたかを示している。モーリスは1アルバムにだいたい1曲、メインボーカルを務めた。彼はグループの中では比較的陰に隠れた存在だったが、よくファンと話して彼らを楽しませていた。モーリスが野心的な2人の兄弟をおとなしく安定させているという評判は、彼の生涯を通して続いた[7]

ビージーズから離れた1970年、モーリスはソロアルバムを録音したがリリースされなかった。彼は同じ年、ウエストエンドミュージカル「Sing a Rude Song」のショートライヴに出演した。1972年、モーリスはジミー・スティーヴンスのアルバム『Don't Freak Me Out』のプロデュースを行った[7]

1980年代中頃のビージーズ活動休止時、モーリスはバリーとロビンと共に映画「A Breed Apart」のサウンドトラックを録音し、1986年にはスウェーデン人の歌手キャローラのアルバムをプロデュースした。これ以外に彼の名前でリリースされた作品は、2枚のシングル(1970年の「Railroad」、1984年の「Hold Her in Your Hand」)のみだった[6]

モーリスの最後の大きな仕事は、彼の娘サマンサが歌うアルバムをプロデュースだったが、2005年にようやくMEG(モーリスのイニシャル)という名前で発表された[8]

受賞[編集]

1994年にモーリス・ギブはソングライターの殿堂入りした。[9]

2002年に彼は兄弟と共に大英帝国勲章(CBE)を授けられたが、授賞式はモーリスの死後である2004年だった。彼の息子アダムは亡父の代理として、バッキンガム宮殿で開催された式典にバリーとロビンとともに出席した[10]

死後の2009年10月、モーリスはダグラスで "Freeman of the Borough" の称号[11]を得た。称号はロビンとバリーにも授けられたため、彼ら3兄弟は揃って出生の街で栄誉を認められることとなった。

ディスコグラフィー[編集]

アルバム

  • 1970年: The Loner (未リリース)
  • 1981年: Strings and Things (未リリース)
  • 1984年: A Breed Apart (未リリース).

シングル

  • 1970年: Railroad
  • 1984年: Hold Her In Your Hand
  • 2001年: The Bridge (未リリース)

映画音楽

  • 1984年: A Breed ApartHold Her In Your HandOn Time

ミュージカル

  • 1970年: Sing A Rude Song

プロデュース

  • 1970年: Tin Tin『Tin Tin』
  • 1971年: Tin Tin『Astral Taxi』
  • 1979年: Osmonds『Steppin' Out』
  • 1986年: Carola『Runaway』
  • 2005年: MEG

脚注[編集]

  1. ^ http://www.rickresource.com/rrp/mgibb.html
  2. ^ D'Angelo, Joe. “Bee Gees Name To Be Retired, Robin Gibb Says publisher=MTV. http://www.mtv.com/news/articles/1459623/20030122/bee_gees.jhtml 2009年12月10日閲覧。 
  3. ^ Michaels, Sean (2009年9月8日). “Bee Gees to re-form for live comeback”. The Guardian (London). http://www.guardian.co.uk/music/2009/sep/08/bee-gees-re-form 2010年5月12日閲覧。 
  4. ^ Aradillas, Elaine (2009年11月18日). “Tuesday’s Dancing: What You Didn’t See”. People. http://tvwatch.people.com/2009/11/18/tuesdays-dancing-what-you-didnt-see-30/ 2009年12月10日閲覧。 
  5. ^ David Leaf, "Bee Gees / The Authorized Biography", 1979.
  6. ^ a b Album credits.
  7. ^ a b Melinda Bilyeu, Hector Cook, Andrew Môn Hughes, The Bee Gees / Tales of the Brothers Gibb. London: Omnibus, 2001.
  8. ^ M. E. G.
  9. ^ Songwriters Hall of Fame website”. 2010年6月26日閲覧。
  10. ^ Barry, Robin and Maurice's son Adam received the CBE award”. 2010年7月17日閲覧。
  11. ^ その地の名誉を高めるような働きをした者に贈られる称号。

外部リンク[編集]