フアン・マヌエル・デ・ロサス

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フアン・マヌエル・デ・ロサス
フアン・マヌエル・デ・ロサス

フアン・マヌエル・デ・ロサス (Juan Manuel de Rosas,1793年3月30日 - 1877年3月14日)は、アルゼンチンの政治家、軍人、カウディーリョ。同国史上、フアン・ペロンと並び評価の分かれる指導者である。

ブエノスアイレス出身。牧場や肉の塩漬け処理場を持つかなりの財産家で、カリスマ性があったため底辺の人々からも尊敬されていた。連邦派(ブエノスアイレスの利権を取り上げようとする中央集権主義者に抵抗する保守派)の統領となり、1829年からブエノスアイレス州知事となる。統一派の中央集権同盟を打倒し、アルゼンチン連邦を成立させた。1832年に任期切れで退陣すると、「荒野の征服作戦」と呼ばれる軍事行動でインディヘナをブエノスアイレス州の領域からほぼ追い出した。1835年に州知事に返り咲き、12年間独裁政治を行い反対派を弾圧した。1852年に、腹心だったフスト・ホセ・デ・ウルキーサにカセーロスの戦いで敗れ、追放される。イギリス船に乗り込み、娘と共に亡命しサウサンプトンで困窮の内に死去した。

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