アルゼンチン・ペソ

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アルゼンチン・ペソ
peso argentino (スペイン語)
ISO 4217コード ARS
使用国・地域 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
インフレ率 10%(国家統計局)/ 25 - 30%(民間調査機関)
情報源 INDEC (official) Inflación verdadera (detailed estimate)
補助単位
1/100 センターボ
通貨記号 $
硬貨 5、10、25、50センターボ、1、2ペソ
紙幣 2、5、10、20、50、100ペソ
中央銀行 アルゼンチン共和国中央銀行
ウェブサイト www.bcra.gov.ar


アルゼンチン・ペソ (peso) は、アルゼンチン通貨単位。国際通貨コード (ISO 4217) はARS。補助通貨はペソの1/100のセンターボ。紙幣には2, 5, 10, 20, 50, 100 ペソがある。硬貨には5, 10, 25, 50センターボと、 1, 2ペソがある。

1992年1月のペソ導入時から2001年12月までは、インフレーションを抑制する為「1米ドル=1ペソ」のドルペッグ制を採用。自国通貨の発行量を保有外貨の範囲内に抑えながら、ハードカレンシーとの交換性を保証した結果、インフレ率は年換算で一桁まで沈静化。大規模な規制緩和と為替リスクの解消を好感した海外からの資本流入も順調に拡大した。しかし、1990年代後期に新興各国を一巡した通貨危機の影響でペッグ制からの離脱を断行した隣国ブラジルに比べ、割高となったアルゼンチン製品の輸出競争力は徐々に低下してゆく。結局、危機的な状況に陥った経済の打開にはペッグ制の解消が不可欠との判断が下され、2002年1月6日に、1ドル=1.4ペソの「公定レート」と「実勢レート」から成る「二重相場制」が暫定的に導入され、1か月後の2月11日からは変動相場制に完全移行、現在に至る。米ドルとのペッグ制解消後、正式名称もこれまでの「Peso Convertible de Curso Legal」(兌換ペソ)から「Peso」に変更され、各紙幣に記載されていた兌換性に関する文言が削除された。

対外的には大幅な切り下げに見舞われたペソであったが、国内物価の上昇は2002年の40%(年率、以下同)をピークに1年程度で沈静化した為、ペッグ制の導入以降極端に割高となっていたアルゼンチンの物価も経済の実情をほぼ反映した水準まで調整された。以後(概ね2007年まで)インフレ率は毎年10%未満の比較的緩やかなペースで推移する。

世界的にインフレ圧力が強まった2008年頃より、民間の調査機関が「Sensacion de Bolsillo」(「懐感」インフレ率)を元に割り出している指標が25 - 30%と2002年のペッグ制離脱直後の水準に迫る勢いで急加速したのに対し、国家統計局 (INDEC)側の発表では10%前後の低い値が報告され続けるなど、両者間の隔たりが目立つようになる。加えて、ここ数年は政府側の執拗な妨害行為に嫌気したいくつかの民間調査機関が自主的に解散、もしくはアルゼンチンからの撤退を余儀なくされており、実勢に基づいた信ぴょう性の高い経済指標の入手は困難を極めている。但し、公的な圧力の及ばぬ有志(物価問題に敏感な主婦層を中心に組織化が進んだ)による草の根レベルのリサーチ活動は持続している。

IMFなど国際機関もこの状況を問題視しており、物価変動にスライドする形での調整が義務付けられている公債の利回りを抑える目的で経済指標の意図的な改ざん(価格が公的に統制されている等級の低い商品を調査対象により多く含める事で、INDECはインフレ率を実際より低く算出)を行っているとされるアルゼンチン政府に対し警告を度々発動しているが、調査方法の抜本的な見直しには至っていない。

2013年2月、アルゼンチン政府は消費者物価の時限凍結(同年4月1日より60日間)を骨子とした緊急経済対策をまとめたが、現政権の有力な支持組織(労働組合)の一つである「労働総同盟」(CGT) のカロー書記長は「凍結が解除されるとその反動で物価の上昇は現在より更に激しいものとなり、1年で2倍以上になるのは必至。値上がりを想定した買い占めと売り惜しみが同時発生した場合、店の陳列棚から特定の商品が一時的に消えてしまう可能性もある」との見解を発表。通常は労使交渉でCGTと対立する間柄にある販売者団体・産業界などと共に、政府による価格統制の強化には反対の立場を採っている。

ペソ貨の購買力が著しく低下する中、アルゼンチン政府は、かねてより主に野党側から要望のあった、高額紙幣(200ペソと500ペソ)の追加発行について国会内で審議を開始する事を認めた(2013年5月)。

資本の国外流出に伴う外貨準備の逼迫を理由に、ペソからハードカレンシーへの交換を厳しく制限する管理フロート制が復活(2011年 - 2014年1月26日)したものの、ペソ貨を人為的に買い支える事で対外的な下落を表面上は抑えていたこの政策も徐々に行き詰まり、「メルカード・ネグロ」(非公式な個人間取引)では、自国通貨が公定レート(2014年1月末の時点で1米ドル=8ペソ)を遥かに下回る水準(同、1米ドル=10〜12ペソ)で自由に売買されるなど、経済の二重化が進行した。

カピタニッチ首相とキシリョフ経済相は2014年1月27日より自国民による外貨購入を部分的に認める事を発表した(同時に当時7ペソ弱であった対米ドルの公定レートを約20%切り下げ8ペソとした)。しかし、納税者としての公庫への「貢献度」に応じて銀行・私設両替所で購入可能な外貨の額が上下するという極めて特異な内容であり、同国で「ドラル・アスル(青いドル)」と通称されている非公認のレートが解消される事はなかった。

2014年7月末日、アルゼンチン経済は2002年1月以来2度目のデフォルト(債務不履行)に陥り、対外的な信用は更に傷ついた。同年8月以降、ペソの下落傾向は顕著になっており、公定レートが対同年1月末比5%安の1米ドル=8.4ペソであるのに対し、個人間の実勢に基づいた取引では1米ドル=14ペソの大台を突破している。

外貨の購入に際し、公定レートが実際に適用される事例は極めて少なく(外為業務を扱っている金融機関に申請しても通常は許可が下りない為)、国民の大半は自国通貨が公定レートの半値程度で売買されている闇市場で外貨を調達せざるを得ない状態が続いている。

現地の言葉・事情に不慣れな外国からの来訪者の場合、余ったペソ貨を出国時に米ドルなどに再交換するのは原則不可となっている事に加え、米ドルとユーロにほぼ限定はされているものの、外貨がそのまま通用或いは外貨決済のみを受け付ける施設が都市部・観光地には多い為、現地通貨への両替は必要に応じて小刻みに行った方が賢明である。

近隣諸国(主にアルゼンチンとの国境地帯)にはアルゼンチン・ペソの売買を扱っている私設両替所が存在し、そこでペソを売ってハードカレンシーや現地通貨に交換する事も一応は可能であるが、既述の「ドラル・アスル」を基準とした実勢レートが適用されている。また、米ドルやユーロなどに比べ「売り」と「買い」の差額が大きく、交換時に業者が徴収する手数料も割高となっている。

経緯[編集]

1813年に従来の「レアル・エスパニョル・コロニアル」(スペイン植民地レアル)に替わる初めての独自通貨「レアル・アルヘンティーノ」(R$A) の発行が開始されたものの、1888年11月5日の通貨改革で「ペソ・モネダ・ナショナル」(m$n) が導入されるまでアルゼンチン国内では複数の貨幣単位が併用されていた:

  • 「ペソ・フエルテ」($F):(エスクード金貨)と(レアル銀貨・ソル銀貨)に裏打ちされた本位貨幣 (1826 - 1888)。「1$F=8レアル(ソル)」及び「1エスクード=2$F=16レアル(ソル)」の比率で金と銀に交換できた。
  • 「ペソ・モネダ・コリエンテ」($m/c):「ペソ・パペル」(紙ペソ)とも呼ばれていた非本位貨幣 (1826 - 1888)。発行が開始された1826年当時は$Fと等価であったが、その後の切り下げで大幅に減価。1867年から1876年までの期間に限り「1$F=25$m/c」の比率で金への交換が認められていた。

上記2種類のペソに加え、外国通貨も自由に流通するなど、アルゼンチンの貨幣政策は混乱を極めていたが、1888年の通貨改革(m$nへの一元化及び十進法の完全採用)によってようやく平定化された。新旧両貨の交換は「1m$n(新ペソ)=1$F=25$m/c」の比率で実施。

若干の改定(金本位制からの一時的な離脱や交換比率の変更など)を繰り返しながらも、価値の安定した通貨である点には変わりがなかったm$nだったが、1929年の世界恐慌で状況が一変(この年を最後に金本位制から完全に離脱)。第二次世界大戦の勃発に伴う特需景気(食料輸出の激増)で莫大な外貨収入を得たのにも関わらず、戦後は政情不安や経済政策の失敗が相次いだため、m$nの価値は更に下落した。以後、インフレの進行による桁数の増加に対処する目的で、過去4回通貨単位の呼称が変更されている(括弧内はデノミ率及び実施直後の対U$Sレート)。

  • 1970年1月1日  「ペソ・モネダ・ナシオナル」→「ペソ・レイ ($)」(100分の1 U$S1=$3.5)
  • 1983年6月1日  「ペソ・レイ」→「ペソ・アルヘンティーノ ($a)」(10,000分の1 U$S1=$a11.5)
  • 1985年6月15日 「ペソ・アルヘンティーノ」→「アウストラル ()」(1,000分の1 U$S1=0.85)
  • 1992年1月1日  「アウストラル」→「ペソ ($)」(10,000分の1 U$Sと等価)

なお、アルゼンチン同様スペイン統治時代の名残で自国の通貨単位を「ペソ」としている国が今でも複数存在する中南米諸国や旧宗主国のスペインでは、他のペソとの混同を避ける目的で「ペソ・アルヘンティーノ」(アルゼンチン・ペソ)の呼称が常用されている(「アウストラル時代」の約5年半を除く)。

流通硬貨と紙幣[編集]

硬貨[編集]

1992年のペソ貨導入時は1・5・10・25・50各センターボの5種であったが、1994年に1ペソ硬貨が追加され計6種となる ( - 2001)。

不定期に硬貨の改鋳が繰り返された結果、額面・デザインは同一でも材質は発行年毎に異なる場合がある(5・10・25各センターボがこれに該当)。

1センターボ硬貨(1997年に改鋳)は2001年を以って廃止されている。ペッグ制導入後の物価高で5センターボ未満の所謂「端数」は四捨五入される事が珍しくなかった事に加え、首都圏に比べ総体的に物価が割高な地方都市や郡部では流通自体が皆無となっていた為、その影響はごく限られたものであった。

現在は、5・10・25・50の各センターボと1ペソ・2ペソ (2011 - ) が流通しているが、インフレの進行で購買力を失いつつあるセンターボ貨の使用頻度は少なくなりつつある。

「記念硬貨」の発行も随時行われており、卑金属材質の「Circulated Quality」(同一額面の「通常貨幣」と等価で流通)の他に、「Brillant Incirculated」と呼ばれるコレクター向けに貴金属で特別鋳造された硬貨(1993年に発行された5ペソ金貨など)も存在する。

額面(流通開始年) 表面の図柄 裏面の図柄 材質
5ctv(1992〜) 額面 五月の太陽 ジュラルミン('92 - '93及び'04 - '05)→白銅 ('93 - '95) →黄銅 ('06 - )
10ctv(1992〜) 額面 国章 ジュラルミン('92 - '94及び'04 - '06)→黄銅 ('06 - )
25ctv(1992〜) 額面 カビルド(ブエノスアイレス市議会) ジュラルミン('92 - '93及び'09 - )→白銅('93 - '94及び'96)
50ctv(1992〜) 額面 トゥクマンの館 ジュラルミン
$1(1994〜) 五月の太陽 国章 白銅(外周)・ジュラルミン(中心)
$2(2011〜) 額面 五月の太陽 白銅とアルミニウムの合金(外周)・銅とニッケルの合金(中心)

紙幣[編集]

1992年のデノミ時に1、2、5、10、20、50、100ペソが発行された(「第1シリーズ」)。サイズは旧アウストラル紙幣と同様、金種に関係なく155mm×65mmで統一。“Peso”(ペソ)の後に、米ドルとのペッグ制に裏打ちされた紙幣である事を意味する文言“Convertible de Curso Legal”が記載されていた為、「ペソ・コンベルティブレ」(兌換ペソ)と呼ばれる事もあった。

1994年に1ペソ紙幣が、2011年に2ペソ紙幣がそれぞれ硬貨に置き換えられている。

「兌換ペソ」時代の1997年から1999年にかけて、デザインの一部が手直し(肖像画の人物及び基調色は据え置き)された「第2シリーズ」の紙幣( - 現在)への切り替えが随時実施され、「第1シリーズ」の紙幣は2000年までに流通から除外・回収を終えている。

米ドルとのペッグ制解消以降(2002年1月 - )、「兌換性」に関する文言が各紙幣から削除されているが、同じ「第2シリーズ」であれば、文言が含まれている古い紙幣であっても法的にはこれまで通り使用できる事になっている。

2012年9月より肖像画の人物が刷新(フリオ・アルヘンティーノ・ロカ→エバ・ペロン)された新しい100ペソ紙幣の流通が開始された。

新100ペソ紙幣に続き、「フォークランド諸島」(アルゼンチン名「マルビナス諸島」)領有権を巡って英国(現在も同諸島を実効支配)と戦火を交えた所謂「フォークランド紛争」(1982)の勃発32周年を記念した新しい図柄の50ペソ紙幣(2014年4月 - )と、表と裏で人物の肖像画が異なる新10ペソ紙幣(2014年6月 - )がそれぞれ追加発行されているが、新50ペソ紙幣の今後の位置付けに関しては、明確な方針がまとまっていない為、発行期間が限定された記念貨幣となる可能性もある。

主要通貨との交換性が保証されていた時期に比べて、紙質と印刷技法が著しく落ちている事に加え、金種体系の見直し(低額紙幣の硬貨への置き換え及び高額紙幣の追加発行)もほとんど進んでいない為、全体的に紙幣の状態は悪く、損傷の程度によっては受け取りを拒否される場合がある。

額面 寸法 図柄(表) 図柄(裏)
$2 155 × 65 mm 空色 バルトロメ・ミトレ (1821 - 1906):ブエノス・アイレス出身の政治家・ジャーナリスト・第6代アルゼンチン大統領。 ミトレ博物館:ブエノス・アイレス
$5 ホセ・デ・サン・マルティン (1778 - 1850):「リベルタドーレス」として南米大陸(南部)を解放へと導いたコリエンテス州出身の軍人政治家。 「栄光の丘」:メンドサ州
$10(〜2014) 茶色 マヌエル・ベルグラーノ (1770 - 1820):ブエノス・アイレス出身の独立運動の指導者・弁護士・アルゼンチンの国旗制定者。 「国旗記念碑」:サンタフェ州ロサリオ市。
$10(2014〜) 茶色 マヌエル・ベルグラーノ フアナ・アズルドゥイ(ボリビア出身でアルゼンチンの独立運動にも影響を与えた女性活動家)とペドロ・リオス(独立戦争で没した少年兵)、パラナ川の岸辺でアルゼンチン国旗を初めて掲揚した兵士達。
$20 フアン・マヌエル・デ・ロサス (1793 - 1877):ブエノス・アイレス出身の「カウディーリョ」(第4代・第8代ブエノス・アイレス州知事)。 「ブエルタ・デ・オブリガドの戦い」:ブエノス・アイレス州サン・ペドロ郡。
$50 ドミンゴ・ファウスティーノ・サルミエント(1811 - 1888):サン・フアン州出身の教育者・作家(第7代アルゼンチン大統領)。 カサ・ロサダ」:アルゼンチン大統領官邸。
$50(2014〜) アルゼンチンが現在も領有を主張しているフォークランド諸島と紛争時に同国の海兵隊が約3週間占拠したサウスジョージア・サウスサンドウィッチ諸島の地図(人物画は無し) 「アントニオ・リベロ」(1833年の抗英蜂起を指揮した「ガウチョ」)と「ダーウィン墓地」(1982年に戦没したアルゼンチン兵が埋葬されている東フォークランド島の共同墓地)、「戦艦ベルグラーノ号」
$100(〜2012) フリオ・アルヘンティーノ・ロカ (1843 - 1914):トゥクマン州出身の軍人政治家(第9代・第14代アルゼンチン大統領)。 「荒野の征服」:未開の地であったパンパパタゴニア両地方への進出でアルゼンチンは国土を拡張した。
$100(2012〜) エバ・ペロン (1919 - 1952):ブエノスアイレス州出身の女優・後の故フアン・ペロン大統領(第29代・第41代)夫人。 アラ・パキス」:ローマ帝国時代に製作された「平和の祭壇」。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]