インフレーション

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年あたりのインフレ率地図
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CIA調べ、調査年度は国ごとに異なる

インフレーション(inflation)とは、経済学においてモノやサービスの全体の価格レベル、すなわち物価が、ある期間において持続的に上昇する経済現象である。日本語の略称はインフレ。日本語では「通貨膨張」とも訳す[1]、俗称は「右肩上がり」。反対に物価の持続的な下落をデフレーションという。

目次

概説[編集]

消費者物価指数 (CPI:consumer price index) など各種物価指数の上昇率がインフレーションの指標となる。典型的なインフレーションは、好況で経済やサービスに対する需要が増加し、経済全体で見た需要と供給のバランス(均衡)が崩れ、総需要が総供給を上回った場合に、物価の上昇によって需給が調整されることで発生する。物価の上昇は貨幣価値の低下を同時に意味する。つまり同じ貨幣で買える物が少なくなる。好況下での発生が多いが、不況下にも関わらず物価が上昇を続けることがあり、こちらは区別しスタグフレーション (stagflation) と呼ばれる。

主にマクロ経済学で研究される現象である。

語源[編集]

本来はインフレーションは、マネーサプライの上昇、これはいわば市中に出回っている通貨の量が増加(膨張)していくことを意味し、monetary inflationとも呼ばれ、物価レベルの上昇(price inflation)とは厳密には区別される。後者については略語でインフレとも呼ばれ、インフレと言えばこのprice inflationのことを指す場合が多い。

物価[編集]

物価の安定は、経済が安定的かつ持続的成長を遂げていく上で不可欠な基盤であり、中央銀行はこれを通じて「国民経済の健全な発展」に資するという役割を担う。日本銀行の金融政策の最も重要な目的は、「物価の安定」を図ることにあるとする[2]資産価格の金融政策運営上の位置付けを考えた場合、資産価格の安定そのものは金融政策の最終目標とはなり得ないというのが、各国当局、学界のほぼ一致した見方である[3]。一般物価の安定と資産価格の安定という二つの目標を金融政策という一つの政策手段で達成することは出来ず、一般物価の安定が重点的に割り当てられる金融政策では、資産価格安定の任を成し得ない(→ティンバーゲンの定理[4]

インフレーションの要因別分類[編集]

大きく分けると、実物的な要因と貨幣的な要因に分けられる。前者はさらに国内要因と貿易要因、需要要因と供給要因に分けられる。

実物的要因によるインフレーション[編集]

戦争や産業構造破壊により、供給が需要を大幅に下回ることによって発生するインフレ。第二次大戦終戦直後の日本(1946年)では300%強のインフレ率を記録している。また、ジンバブエでは、政策により白人農家が国外に追い出され農業構造が破壊されたところに旱魃が追い討ちをかけたことにより極度の物不足が発生、最終的に2億3000万%という超ハイパーインフレーションとなった[5]

需要インフレーション[編集]

需要側に原因があるインフレーションで、ディマンドプル・インフレーション(デマンドプルインフレーション/demand-pull inflation)とも呼ばれる。需要の増大(需要曲線の上方シフト)により 、物価が上昇する。この場合、供給曲線が垂直(生産力が上昇しない)場合を除いて景気はよくなる。

1973年から1975年にかけての日本のインフレーションの原因は、オイルショックに注目が集まるが、変動相場制移行直前の短資流入による過剰流動性、「列島改造ブーム」による過剰な建設需要も大きな要因である。

供給インフレーション[編集]

供給曲線の上方シフトに原因があるインフレーションで、コストプッシュ・インフレーション(cost-push inflation)とも呼ばれる。多くの場合、景気が悪化しスタグフレーションか、それに近い状態になる。

コストインフレーション
賃金・材料等の高騰によって発生する。原油価格の高騰によるインフレーションや消費増税によるスタグフレーションが典型的な例である。
構造インフレーション
産業によって成長に格差がある場合、生産性の低い産業の物価が高くなり発生する。例えば効率の良い製造業で生産性が上がり賃金が上昇したとする。これに影響を受けてサービス業で生産性向上以上に賃金が上昇するとサービス料を上げざるを得なくなるため、インフレーションを招く。
輸出インフレーション
輸出の増大により発生する。企業が製品を輸出に振り向けたことにより、国内市場向けの供給量が結果的に減って発生する。幕末期に生糸などの輸出が急増し、インフレーションが発生している。このパターンは乗数効果で総需要が増大しているため、需要インフレの側面もある。
輸入インフレーション
他国の輸入を通じて国外のインフレーションが国内に影響し発生する。例えば穀物を輸入していた国が、輸出元の国の内需が増加したり輸出元が他の需要国へ輸出を振り分けた場合などに穀物の輸入が減少し、穀物価格が上昇するといった具合である。実際に中国が穀物純輸入国に転じた際、トウモロコシ市場で価格急騰が起きたことがある。
キャッチアップインフレーション
賃金や物価統制を行っている体制が、市場経済に移行する際に発生することが多い。米国および日本で1970年代にかけて発生した。欧州では冷戦の終結および欧州中央銀行 (ECB) 拡大による東欧諸国の自由主義諸国への経済統合により、低賃金諸国での賃金・サービス価格の上昇によるキャッチアップインフレが発生している[6]

貨幣的要因によるインフレーション[編集]

貨幣の供給量が増えることによって発生する。貨幣の供給増加は、他のあらゆる財・サービスに対する貨幣の相対価値を低下させるが、これはインフレーションそのものである。さらに、貨幣の供給増加は貨幣に対する債券の相対価値を高めることになり名目金利を低下させる。このため通常は投資が増大し、需要増大をもたらす。そのプロセスが最終的に、需要インフレに帰結することでもインフレーションに結びつく。公開市場操作などの中央銀行による通常の貨幣供給調節以外に、貨幣の供給が増える特段の理由がある場合には、「財政インフレ」「信用インフレ」「為替インフレ」などと呼んで区分けることもある。

財政インフレーション
政府の発行した公債中央銀行が引き受けること(財政ファイナンス、マネタイゼーション)により、貨幣の供給が増加して発生するインフレーション[7]。金融緩和を経由した効果に加えて、財政支出による有効需要創出効果によって需要インフレも発生する。ハイパーインフレは財政ファイナンスを原因とすることが多い。
信用インフレーション
市中銀行が貸付や信用保証を増加させることによって信用貨幣の供給量が増大することから発生するインフレーション。
為替インフレーション
外国為替市場を経由して通貨が大量に供給されることで発生するインフレーション。戦前の金解禁における「為替インフレーション論争」を特に指す場合もある[8][9][10]。なお、当時は固定相場制であり、現在の変動相場制とは、外国為替市場の動きが貨幣供給量に与える影響が異なることに留意が必要である。

インフレーションの速度別分類[編集]

クリーピングインフレーション
ゆるやかに進むインフレーション。インフレ率は年数%で、好況期に見られる。経済が健全に成長していると見なされ、望ましい状態と言われることが多い。「マイルド・インフレ」とも呼ばれる。
ギャロッピングインフレーション
早足に進むインフレーション。馬の早足を表す「ギャロップ」から。インフレ率は年率10%超-数十%程度を指すことが多い。スタグフレーションに伴って生じることがある。
ハイパーインフレーション
国際会計基準の定義では3年間で累積100%(年率約26%)の物価上昇をハイパーインフレーションと呼ぶ[11]。但し具体的なインフレ率の値によるのではなく、単に「猛烈な勢いで進行するインフレーション」の意で用いられるのが一般的である。ケーガンによる定義では月率50%[12](年率13000%[12][13])を超える物価上昇をハイパーインフレーションと呼んでいる[14]
ハイパーインフレの発生は通貨を媒介とした交換経済を麻痺させることや、不確実性の高まりによって、生産活動や投資への意欲を喪失させることで国民経済に重大な影響をもたらす。
ハイパーインフレは主に、経済の提供可能な水準を超えて政府がシニョリッジの獲得を図る時に発生する。この時、貨幣供給量中央銀行にとって外生的に決まってしまい、もはや中央銀行物価を抑えこむことが出来なくなる。シニョリッジ獲得のために貨幣を刷って名目貨幣残高を増やした場合、インフレを伴うのでシニョリッジは実質で見ると目減りすることになる。貨幣を刷るほどに、インフレによるこの目減りが加速度的に増加するため、政府が獲得可能な実質のシニョリッジには上限が存在する。この上限に達した状況から、政府がさらなるシニョリッジを求めて貨幣を刷った場合、インフレが一層昂進して政府は目的としたシニョリッジを確保することができない。それでますます貨幣を刷ってシニョリッジを獲得しようとすると、その結果インフレがさらに昂進して…、という悪循環に陥ることになる。これがハイパーインフレである。この種類のハイパーインフレは政府の政策が変更されるという予測が人々に形成されるまで継続する可能性がある[15]
実際にハイパーインフレが起こるのは敗戦や革命といった時期であることが多く、フランス革命のときに起こったインフレを歴史上最初のハイパーインフレとする説もある[16]。金塊や銀塊などに通貨価値を固定する本位制では基本的にハイパーインフレは発生しないのであるが、開戦などにより本位制は停止されることが多く、このさい管理通貨制度に移行し戦時財政が野放図になってしまったり、敗戦により多額の賠償が発生する(惧れがある)場合、通貨信用は喪失され急激で一時的なハイパーインフレが発生する。
敗戦や革命以外においても、ある国の経済市場が信認を失うことでハイパーインフレが発生することがある。これは中南米などラテン諸国やロシア東欧諸国で発生した性質のもので、領域経済の成長を期待した域外諸国市場による投資が長年にわたり行われたものの、その成果が十分でなく投資に対する不信感・不安感が醸成された結果として当該国通貨が暴落し購買力を急速に失うという現象である。この場合の通貨暴落は市場による均衡過程であり、比較的短期間による急激な調整ののちインフレ率は安定する傾向にある。しかし19世紀から20世紀初頭の欧州ラテン諸国では国民の大量の移民や離散をまねき、長期的な経済の低迷やインフレの継続を招いた。

経済への影響[編集]

期待インフレ率が高まり実質金利が低下した場合には、消費と投資が増大する。ただし、インフレ率が過度に高まった場合には将来の予測が困難になり、不確実性を高めることから消費や投資は停滞する。

物価上昇率が預金金利を上回ると預貯金の価値を実質的に引き下げる。物価上昇率が貸出金利を上回った場合、インフレにより実質的な負債の価値が下がり、その結果実質的な返済負担が減る(住宅ローンなど)。

賃金も物価の上昇に伴って上昇するが、物価に比べると調整に遅れをとるため、実質賃金が下がり、雇用を増やしやすくするので失業率は下がる(フィリップス曲線[17][18]

経済学者若田部昌澄は「ハイパーインフレの例を俟つまでもなく、インフレ率が2ケタ以上に高くなるのは経済に悪影響を及ぼす。おそらく5%を超えると望ましくないだろう」と指摘している[19]

経済学者のジョセフ・E・スティグリッツは「インフレに過大な関心を注ぐあまり、一部の国の中央銀行は、金融市場で起きている状況に無頓着になってしまった。資産バブルが無制約にふくらんでいくのを中央銀行が放置することにより経済が負担するコストに比べれば、緩やかなインフレによるコストなど微々たるものにすぎない」と述べている[20]

対策[編集]

インフレーション対策の例[編集]

  • 中央銀行の政策金利公定歩合の引き上げ
    • 金利の引き上げによる通貨高[21]
  • 中央銀行の資産売却オペレーション
  • 中央銀行の預金準備率引き上げ操作
  • 中央銀行の新通貨発行と預金封鎖にともなう新通貨への切り替え
  • 政府が財政支出を削減
  • 政府が増税をして消費を抑える
  • インフレターゲット

など

インフレーションの例[編集]

世界最古のインフレーション[編集]

記録に残る世界最古のインフレーションはマケドニア王国アレクサンダー大王の時代の事であると言われている。このインフレーションは、大王がアケメネス朝ペルシアなどの国々を征服して、征服先の国家の財宝などを接収して兵士達への恩賞に充て、その結果としてギリシア世界に大量の金銀が持ち込まれたため発生した。

価格革命のインフレーション[編集]

ピサロによるインカ帝国征服後、ポトシ銀山などから大量の金銀がスペインに運ばれた。1521年から1660年までの間にスペインに運ばれた金銀の量は金200トン、銀1.8万トンと言われる。これらの金銀は主に貨幣となったため、欧州全域で貨幣価値が3分の1になった。つまり物価が3倍になるインフレーションが起こったわけで、これを「価格革命」と言った。貨幣供給により商工業の発展が起こり、地代の減少のために封建領主層が没落するなどの社会的変化をもたらした。

局地的インフレーション[編集]

国単位でのインフレーションの他に、地域単位、都市単位でインフレ現象が起きることがある。現代的に問題になっているのは、国際連合平和維持活動 (Peace-Keeping Operations : PKO) に伴うインフレーションである[要出典]。紛争地域の停戦後、平和維持のために派遣される各国の部隊は、経済が疲弊している所に急に現れる富裕層と同じである。そのため、駐屯地の周辺では、部隊が調達する生活物資・食料品を中心に価格上昇が起きてインフレーションとなり、紛争で困窮した周辺住民の生活を圧迫する。対策として部隊員の駐屯地外での購買活動抑制が行われており、PKO部隊は Price Keeping Operation も同時に行っていることになる。

日本では、明治以降の資本主義経済化の下で局地的なインフレーションが見られた。農業地域や未開拓地域(北海道)に工業鉱業・巨大物流施設(港湾)が出来ると、急激な資本投下と人口の急増(都市化)とが発生し、生活物資の必要から局地的なインフレーションが起きた。そのため、物価安定を目的に日本銀行の支店や出張所が置かれた。日銀の支店・出張所の開設場所や開設時期は、その地域での経済活動に伴う局地的インフレ懸念と密接に関係している[要出典]

ハイパーインフレーションの例[編集]

第一次世界大戦後にハンガリー(1922-1924年)、オーストリア(1922-1923年)、ポーランド(1921-1924年)、ドイツ(1922-1923年)で生じたハイパー・インフレーションは「4大ハイパー・インフレーション」とされている[22][15]。このハイパーインフレが生じた共通の原因は、戦争後の賠償金支払いなどに伴う財政赤字の急膨張であり、不換紙幣である政府紙幣の発行による、財政赤字のファイナンスであった[22]。これらのハイパーインフレは最終的には、独立した中央銀行の創設、均衡政府予算に向けての一連の措置、金本位制の復帰を通じて終息した[22]。中央銀行が財政赤字をファイナンスすることを拒否し、政府が財政赤字を民間への国債の売却或いは外国からの借入れでファイナンスすることを決めた直後に終息した[23][15]

ほかに歴史的に有名なハイパーインフレの例としてアルゼンチン、ジンバブエなどがある[15]

ポーランド[編集]

ドイツ[編集]

1924年に発行された100兆パピエルマルク紙幣。前年末に行われた1:1兆のデノミネーションにより、100レンテンマルクの緊急紙幣として使用された。

第一次世界大戦後のドイツでは、連合国側に対して1320億金マルク賠償金支払いが課された。しかし、これはドイツの支払い能力を大きく上回っており、賠償金の支払いは滞った。これを理由に1923年イギリスの反対を押し切ってフランスベルギーがドイツ屈指の工業地帯であり地下資源が豊富なルール地方を、現物による賠償金支払いを求めて軍事占領した。占領に対し、ドイツ政府は受動的な抵抗運動を呼びかけ、ストライキに参加した労働者の賃金は政府が保証した。既に第一次世界大戦中よりドイツではインフレーションが進行していたが、抵抗運動に伴う財政破綻によって致命的な状況へと導かれ、空前のハイパーインフレが発生した。この結果、1年間で対ドルレートで7ケタ以上も下落するインフレーションとなり、パン1個が1兆マルクとなるほどの状況下で、100兆マルク紙幣も発行されるほどであった。

この破滅的な状況下で、ドイツの人々はヴェルサイユ体制への不満を募らせた。幸い、シュトレーゼマン首相のレンテンマルク発行(11月15日)による1:1兆のデノミネーションにより奇跡的にインフレーションが収拾されたこともあり、この段階では議会制民主主義が揺らぐことはなかった。アドルフ・ヒトラーミュンヘン一揆を起こしたのもこのインフレーション期であるが、一揆は失敗に終わった。

しかし、1929年世界恐慌でドイツ経済が再び崩壊すると、議会制民主主義への信頼は失われ、ヴェルサイユ体制打破を掲げる反動的なナチスへの支持が急増し、ファシズム政権の成立へと至った。

オーストリア[編集]

第一次世界大戦の敗戦国であるオーストリアは、その戦後賠償金をファイナンスするために政府・中央銀行が貨幣を発行し、シニョリッジを利用した事が、ハイパーインフレの引き金を引いた[24]。これによって、オーストリアは月率50%、年率1000%をはるかに上回った[25]

ハイパー・インフレは1922年8月に停止した[23]

ハンガリー[編集]

ハンガリーでは第二次世界大戦後に激しいハイパーインフレが発生した。このときのインフレーションでは16年間で貨幣価値が13000分の1になったが、20桁以上のインフレーションは1946年前半の半年間に起きたものである。大戦後、1945年末まではインフレ率がほぼ一定であり、対ドルレートは指数関数的増大にとどまっていたが、1946年初頭からはインフレ率そのものが指数関数的に増大した。別の表現でいえば、物価が2倍になるのにかかる時間が、1か月、1週間、3日とだんだんと短くなっていったということである。当時を知るハンガリー人によると、一日で物価が2倍になる状況でも市場では紙幣が流通しており、現金を入手したものは皆、すぐに使ったという[26]

1946年に印刷された10垓ペンゲー紙幣(紙幣には10億兆と書かれている)が歴史上の最高額面紙幣であり(ただし、発行はされていない)、最悪のインフレーションとしてギネスブックに記録されている。

なお、実際に発行された最高額面紙幣は1垓ペンゲー紙幣(紙幣には1億兆と書かれている)である。

※1京は1兆の1万倍(10の16乗)、1垓は1京の1万倍(10の20乗)。

ハイパー・インフレは1924年3月に停止した[23]

日本[編集]

アルゼンチン[編集]

1988年、経済成長の後退からハイパーインフレが発生。1989年には対前年比50倍の物価上昇が見られ、1992年ドルペッグ制アルゼンチン・ペソを導入するまで、経済が大混乱となった。庶民のタンス預金は紙屑同然となった。

ブラジル[編集]

1986年から1994年までの8年間に、2.75兆分の1のハイパーインフレーションが生じた。

メキシコ[編集]

ロシア[編集]

ユーゴスラビア[編集]

コンゴ[編集]

トルコ[編集]

ジンバブエ[編集]

ジンバブエでは独立後から旧支配層に対して弾圧的な政策を実施。治安の悪化も重なり、富裕層が海外へ流出する結果となった。こうした傾向はインフレーションに拍車をかけ、2000年代に入ると経済が機能不全に陥る猛烈なインフレーションに直面することとなった。ジンバブエ準備銀行は2008年7月時点で年率2億3100万%に達したと発表、同8月に通貨を10桁切り下げるデノミネーションを行った。その後のインフレーションの影響で9月30日に2万ジンバブエ・ドルの発行など、デノミネーション後に20種類の紙幣を発行し、同12月19日に100億ジンバブエ・ドル紙幣を発行した。現在この8年間で23桁以上のインフレーションとなっていて、うち2008年だけで約14桁、9月から3か月で約10桁のインフレーションとなった。さらに2009年2月2日、1ジンバブエドルを1ジンバブエドルに、桁数にして12桁を切り下げる措置を講じた。結局、同年2月にジンバブエは公務員給与を米ドルで支払うと発表し、ジンバブエ・ドルが公式には流通しなくなり、4月12日にはジンバブエドルの流通停止と、アメリカ・ドルおよび南アフリカランドなど外国通貨による国内決済への移行を発表することを余儀なくされた。その後、外貨の使用に伴ってインフレは沈静化した。

ジンバブエのインフレーションの特徴としては、ネット社会によって世界中の人々が素早く物価上昇に関する情報が入手できた点が挙げられる。

イラン[編集]

ハイパーインフレ懸念について[編集]

経済学者の飯田泰之は「ハイパーインフレが起きる国は二通りだけである。通貨発行主体の継続性が疑われた場合、例えば外国に占領されるんじゃないかという場合と、すでに占領されてしまった場合。つまり、国が崩壊する、革命、戦争という状況下に起こりえるものである」と指摘している[27]

ブレークイーブン・インフレ率[編集]

ブレークイーブン・インフレ率(break-even inflation rate)とは、物価が今後どの程度上昇すると一般的に予想されているかを表すインフレ期待(inflationary expectations)を測る代表的な指標である[28]。国債とインフレ連動債との利回りの差を数値化したものである(国債の利回り-インフレ連動国債の利回り)。市場が推測する期待インフレ率を表す。この値がプラスならインフレ、マイナスならデフレを市場が期待していることになる[29][30]

経済学者の岩田規久男は「期待インフレーション率は、インフレ連動債と普通の国債との利回り差でだいたいわかる」と指摘している[31]

インフレ連動債のような特別に設計された金融資産が存在しない場合には、予想インフレ率を直接的に観測できない[32]

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ inflationの意味 - 英和辞典 Weblio辞書”. 2012年4月26日閲覧。
  2. ^ 「教えて!にちぎん」[1]
  3. ^ 「資産価格と金融政策運営」植村・鈴木・近田(日本銀行ワーキングペーパー1997-7)[2]
  4. ^ 日本経済復活 一番かんたんな方法、飯田泰之他著、光文社
  5. ^ 三橋貴『高校生でもわかる日本経済のすごさ!』彩図社
  6. ^ [3][4]
  7. ^ 「財政赤字の問題点について」[5]PDF-P.2、「デフレ、不良債権問題と金融政策」深尾光洋(財務省財務総合政策研究所2002.8)[6]P.40
  8. ^ Cinii文献情報[7]
  9. ^ 「為替相場の「名目的」変動の購買力平価説:「外国為替相場変動の二重性」再論」吉田賢一(北海道大学 経済学研究1996.06)[8]「金解禁(昭和5〜6年)の歴史的意義:井上準之助の緊縮財政政策」吉田賢一(北海道大学 経済学研究1988.12)[9]
  10. ^ 「インフレーションのマネタリイファクター」藤沢正也(小樽商科大商学討究1960)[10]
  11. ^ 高橋洋一 『この経済政策が日本を殺す』 扶桑社〈扶桑社新書〉、2011年、69頁。
  12. ^ a b 高橋洋一 『この経済政策が日本を殺す』 扶桑社〈扶桑社新書〉、2011年、68頁。
  13. ^ 研究 「震災復興本」を読む:原発問題と復興資金の財源問題を中心にChuo Online YOMIURU ONLINE(読売新聞)2011年9月8日
  14. ^ Phillip D. Cagan, The Monetary Dynamics of Hyperinflation, in Milton Friedman (Editor), Studies in the Quantity Theory of Money, Chicago: University of Chicago Press (1956).
  15. ^ a b c d 矢野浩一ハイパーインフレとデフレ 〜合理的期待と政策レジーム」講義資料
  16. ^ 浜田宏一若田部昌澄勝間和代『伝説の教授に学べ』
  17. ^ 浜田宏一・内閣官房参与 核心インタビュー 「アベノミクスがもたらす金融政策の大転換 インフレ目標と日銀法改正で日本経済を取り戻す」ダイヤモンド・オンライン 2013年1月20日
  18. ^ 「白川総裁は誠実だったが、国民を苦しめた」 浜田宏一 イェール大学名誉教授独占インタビュー東洋経済オンライン 2013年2月8日
  19. ^ 日銀新総裁はゼロ金利に復帰をPHPビジネスオンライン 衆知 2008年5月8日
  20. ^ ジョセフ・スティグリッツ教授 特別寄稿 「もう同じ過ちは繰り返すな! 2009年に得た厳しい教訓」ダイヤモンド・オンライン 2010年1月5日
  21. ^ 円高なくして成長なしPHPビジネスオンライン 衆知 2008年9月16日
  22. ^ a b c 岩田規久男編 『昭和恐慌の研究』 東洋経済新報社、 2004年、31頁。
  23. ^ a b c 岩田規久男編 『昭和恐慌の研究』 東洋経済新報社、 2004年、171頁。
  24. ^ 田中秀臣 『経済論戦の読み方』 講談社〈講談社現代新書〉、2004年、189頁。
  25. ^ 田中秀臣 『経済論戦の読み方』 講談社〈講談社現代新書〉、2004年、178頁。
  26. ^ 高安秀樹ら(2002)
  27. ^ 「○○だからデフレ」論を喝破する【三橋貴明×飯田泰之】Vol.2日刊SPA! 2012年9月14日
  28. ^ 【WSJで学ぶ経済英語】第76回 ブレークイーブン・インフレ率WSJ.com 2013年4月1日
  29. ^ みずほ投信投資顧問 ブレーク・イーブン・インフレ率
  30. ^ 日本相互証券 BEIの推移
  31. ^ 『世界同時不況』を書いた岩田規久男氏に聞く東洋経済オンライン 2009年4月28日
  32. ^ 岩田規久男編 『昭和恐慌の研究』 東洋経済新報社、 2004年、195頁。

関連項目[編集]