ポトシ

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ポトシPotosí, "シ"にアクセント)は、ボリビアの南部にある県。また、その中心都市の名前。

ポトシ
座標 : 19°33′0″S, 65°44′0″W
行政
ボリビア
 県 ポトシ
 郡 トマス・フリアス
ポトシ
市長 レネ・ホアキノ (René Joaquino)
その他
等時帯 ボリビア標準時 (UTC-4

目次

[編集] ポトシ市

ポトシ市は、ボリビアの首都ラパスから南東に約 440 km に位置する。標高 4,000 m にある。人が住む都市としては、世界最高地点である。

スペイン統治時代にを多く産出する鉱山が開発され、莫大な量の金銀を輸出したが[1]、19世紀にはすっかり枯渇してしまった。その後、19世紀末からは錫(すず)が大量に採掘されるようになり鉱山の活気も復活したが[2]、現在では錫もほぼ枯渇している。しかし、現在も主に手掘りで作業を続けている坑夫がいる。

市内観光の目玉は、この鉱山の中に入るツアー。市内のホテルなどでツアーを申し込むと、スペイン語または英語のガイドが実際の坑道内を案内してくれる。 鉱山に行く途中の雑貨屋で売っているダイナマイトを買って、発破の様子を見せてくれることもある。

旧貨幣製造所 (Casa de la Moneda) は、博物館となっている。銀貨などをどのように作っていたか、スペインの統治はどのようなものであったかなどが解説されている。

インディオの特徴を強く持つ人が多く、チョリータが多い。ケチュア語を話す人が多いが、スペイン語を全く解さない人は近年だいぶ少なくなってきた。

logo

ポトシ市街
ボリビア

ポトシ市とセロ・リコ
ポトシ市とセロ・リコ
(英名) City of Potosí
(仏名) Ville de Potosí
面積 130 ha
登録区分 文化遺産
登録基準 文化遺産(2), (4), (6)
登録年 1987年
拡張年  
備考  
公式サイト ユネスコ本部(英語)
世界遺産テンプレートを使用しています
  

[編集] セロ・リコ銀山

1545年、スペイン人により発見された銀山。セロ・リコ (Cerro Rico) とはスペイン語で豊かな丘という意味である。以後、スペイン統治下で中南米三大銀山に数えられるまでになる。しかし銀の掘削は、生き残った場合は高額の賃金が支払われるものの、強制的に集められたインディオ奴隷により行われた。一説には、800万人が犠牲になったといわれ、人を食う山として恐れられた。

1987年、セロ・リコ銀山を含め、他の構造物とともに世界遺産に登録される。奴隷制度の象徴として、負の世界遺産にも数えられている。

[編集] 世界遺産登録基準

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。

  • (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
  • (6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と、直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。

[編集] ティオ

ティオ

スペイン語で「ティオ (tio)」とは「伯父(叔父)」を指す一般的な単語であるが、ポトシの鉱山でティオというと坑内の安全を守る神様のことを指す。

ポトシの鉱山では、坑内の休息所にはたいてい等身大に近い男性の胸像または立像が飾られている。やせ形で赤ら顔でひげを生やしており、しばしば角が生えている。これは、スペイン人をに見立てて作られたものだという説がある。 このティオにたばこをくわえさせを捧げることによりご機嫌を取り、坑内の安全を祈願するのである。鉱夫たちは朝、採掘場所に行く途中でティオに挨拶をし、夕方ティオにお礼を言って帰る。彼らはこの間、昼食もとらずにコカの葉を口いっぱいに入れて疲労と空腹を押さえながら作業を続ける。

ポトシ県
Potosí
(旗) (紋章)
面積 118,218km2
人口 738,771
16

[編集] ノルテ・ポトシ

ノルテ・ポトシ (Norte Potosí) とは、ポトシ県の北部のこと。先住民はケチュア系が占める。この地方は、土地がやせていて、さらに水も少ないため、ボリビア国内でも最も貧しい地域のひとつとされている。事実、この地域から、ラ・パスなど都会への人々の移動については、社会的な問題ともなっている。かつては、鉱山で栄えたが、現在では閉鎖されるか規模が縮小されるところが多く、地場産業の発達も衰退している。しかし、同時に新しい鉱脈も見つかったという情報もある。

この地方にはスペイン侵略以前からの伝統的な習俗が多く残っている。先コロンブス期における、先住民の伝統的な地縁・血縁組織であるアイリュも、この地域ではある程度機能しており、組織名も、 "Comunidad" ではなく、 "Ayllu" を用いる。

また、この地のフォルクローレは、ボリビア国内でも特徴的なものである。小型の弦楽器チャランゴは、この地に起源があるのではないかと推測されている。 女性が甲高い声で歌うプトゥクン (Putukun) などは他の地方ではほとんど見られない。 また、ティンク (Tink'u) という歌と踊りもノルテ・ポトシを特徴づける習俗である。伝統的なティンクとしては、 Macha で5月3日の聖十字祭 (Fiesta de Cruz) に行われるものが有名である。

[編集] ウユニ塩湖

ポトシ県南西部にある巨大な塩の湖。詳しくはウユニを参照。

[編集] 関連項目

[編集]

  1. ^ 産出された希少鉱物はヨーロッパに運ばれていった。
  2. ^ その當は支配者層に独占され、一般国民の生活水準を底上げするような配分はなされなかった。