マンサ・ムーサ

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マンサ・ムーサ
Mansa Musa
マリ帝国の王(マンサ)
Mansa Musa.jpg
砂金を手にするマンサ・ムーサ
在位 1312年 - 1337年
全名 マンサ・カンク・ムーサ
出生 不明
死去 1337年?
子女 マガン2世
王朝 ケイタ朝
父親 Faga Laye
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マンサ・ムーサمانسا موسىMansā Mūsā)は、マリ帝国の10代目の王(マンサ)。マンサ・ムサとも表記される。カンク・ムーサ(Kankou Musa)、カンゴ・ムーサ(Kango Musa)、カンカン・ムーサ一世(Kankan Musa I)とも。この王の時代からマンサ・スレイマン(Mansa Suleyman,在位:1341年 - 1360年)の時代までにマリ帝国は最盛期を誇った。現在の価値にして約4000億ドル(約35兆円)という人類史上最高の総資産を保有した[1]

メッカ巡礼[編集]

マンサ・ムーサは1324年メッカ巡礼で有名である。豪華なムーサの一行は周辺の国家にマリ帝国の富裕さを知らしめた。一行はニジェール川上流の首都ニアニからワラタ(現ウアラタモーリタニア)、タワト(現在のアルジェリアの都市)を通った。途上で訪れたカイロでは莫大な黄金をばらまいたため、金相場が暴落し10年以上の間インフレーションが続いたといわれる[1]。ムーサのメッカ巡礼後にマリを訪れたマムルーク朝の学者アル=ウマリー(en)はこの様子を次のように表している。「エジプトでの金の価格は彼ら(マンサ・ムーサ一行)が来たあの年(1324年)までは高かった。1ミスカル(mithqal、4.25グラム)の金は25ディルハム(通貨単位)を下回ることはなく、常にそれを上回っていた。しかしその時以来金の価格は下落し現在も下がり続けている。1ミスカルの金の価格は22ディルハムを下回った。そのときから約12年たった今日でもこのような状態であるのは、彼らがエジプトに持ち込み、ばら撒いていった大量の金が原因である」[2]

周辺地域の征服[編集]

マリ帝国は先代の王からの征服事業により支配地域を拡大していった。マンサ・サクラ(1285年 - 1300年)の治世でのガオ征服はその例である。ムーサ自身も西方のテクルールを征服し、東方はハウサ諸国との境界まで領土を拡大した。このような周辺地域の平定により上記の大規模なメッカ巡礼が可能になった。

建設事業[編集]

敬虔なイスラム教徒であったムーサはトンブクトゥとガオにモスクマドラサを建設するという大事業に乗り出した。

脚注[編集]

  1. ^ a b クーリエ・ジャポン,2013年3月号,P13
  2. ^ Bowman, Dorian. “Kingdom of Mali”. Boston University. 2009年9月9日閲覧。

外部リンク[編集]

先代:
アブバカリ2世
マリ帝国の王
10代目
マンサ・ムーサ
1312年 - 1337年
次代:
マガン2世