私掠船

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

私掠船(しりゃくせん、英語:privateer プライヴァティーア、プライヴァティア、プライバティア)とは、戦争状態にある一国の政府からその敵国の船を攻撃しその船や積み荷を奪う許可、私掠免許を得た個人の船をいう。

目次

[編集] 私掠船の歴史

この慣習は16世紀英国にはじまり、18世紀英仏戦争中には非常に多数の私掠船が活動した。私掠船を運用するメリットは、海軍の常備兵力を削れることにあり、そもそも海外進出でスペインポルトガルに後れをとった英国の苦肉の策でもあった。そのような意味で同時代の傭兵に類似する。反面、統制がきかず、同盟国や母国籍の船まで襲う者もあった。

ナポレオン戦争ではフランス側の私掠船が活躍し、交戦国・中立国に対し略奪し、大陸封鎖令を側面から支援した。 アメリカ南北戦争において南部連合政府は私掠船免状を発行したが、それにより活動した少数の私掠船はたちまち圧倒的に優勢な北部海軍により鎮圧された。

1856年のパリ宣言でヨーロッパ列強は私掠船の利用を放棄した。さらに1907年のハーグ平和会議で武装した商船[1]軍艦として登録されるべきことが国際法として規定され、アメリカ合衆国を含む諸国もそれに従い、私掠船の慣習は消滅した。

[編集] 私掠船の収益

私掠船の航海で得られた利益は、国庫・出資者・船長以下乗組員に所定の比率で分配された。国家や出資者にとっては私掠船はおおむね儲かる事業だった。エリザベス1世フランシス・ドレーク私掠免許を与え投資した際の利益率は6000%にのぼったという説もある。

[編集] 著名な私掠船船長

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

  1. ^ 自衛のための小火器の搭載は認められている。