コサック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
コサック(ウクライナ語:козак[1])は、ウクライナと、南ロシアなどに生活していたコミュニティーまたは軍事的共同体の名称。
目次 |
[編集] 概要
コサックには、本来多く分けて以下の二つの異なる集団が含まれている。
両者は以下概要に示すようにその歴史・性格が大きく異なるため、「コサック」を扱う際にはそのどちらを指しているのか注意が必要である。両地域に生活していたコサックは以下のように区分できる。
- リトアニア大公国、ポーランド王国、ロシア帝国によって支配されたウクライナという地域(主として現在のウクライナの辺り)に住んでいたコサック
- ロシア帝国によって支配されたドン、クバーニ、ウラル、極東の地域(現在の南部のロシアの辺り)に生活したコサック
両者の最大の違いは前者が「貴族議会の権力の強い国家に支配を受け、その強い影響下に生活を営んでいた」こと、後者が「強力な一人物、即ち皇帝への全国家の隷属という強い中央集権体制下の帝国で編成された集団である」ということである。このことから、便宜的に「ウクライナのコサック」、「ロシアのコサック」と呼ばれるものの間には、当初は大きな違いもあったであろうことが言える。
[編集] 経緯
[編集] ウクライナ・コサック
コサックは、本来は14世紀後半から現在のウクライナに当たる地域を治めていた自治集団のことであった。ウクライナ語の発音に近い表記は「コザーク」となる。一般に、最も有力だった「ザポロージャ・コザーク」が「ドニプロ・コサック」または「ウクライナ・コサック」の一つ集団として知られている。現在のウクライナの地域にあったコサック集団はそこにあった町や村の数だけあったと言え、それらが基本的には互いに独立して西欧における小国家(ドイツ地域の王国、公国などのような)と同じような小共同体を形成していた。
ウクライナはバトゥ率いるモンゴル帝国の襲来により中央集権国家キエフ・ルーシが崩壊した後、リトアニア大公国、ポーランド王国、モスクワ大公国等様々な周辺国によって支配されてきた経緯があるため、コサックもそれら様々な勢力に属し、或は独立を求めて反旗を翻してきた。ポーランドに対し叛乱を起こしたボフダン・フメリヌィーツィクィイ、ロシアに対して叛乱を起こしたイヴァン・マゼーパは特に有名である。しかしながら、ウクライナのロシア・ツァーリ国への併合によって、ウクライナのコサックの独立は失われた。
[編集] ロシア・コサック
現在日本に「コサック」として想定されているのは帝政ロシアのコサック兵であり、ウクライナを治めていたコサックではない。これはウクライナのコサックをモデルにロシア帝国によって編成された半農武装集団(士族)であり、ウクライナの本来のコサックとはその性格、変遷ともにまったく異なる。ロシア帝国のコサック兵は、クバーニ、オリェンブールク、ドンなどの特別軍管区に生活し、平時には農耕を行い、有事には軍務を行いツァーリに忠誠を尽くすということを条件に特権的な土地使用を認められた集団のことで、独立を求めしばしばロシア帝国のツァーリに対して反乱を起こしていたウクライナのコサックと混同することは大きな間違いの元である。
なお、ロシア語では、コサックは「カザーク」と呼ばれる。ロシアのコサックは、しばしば新しい自由な土地を求めて[要出典]、或はツァーリへの忠誠心から[要出典]東方へと進出し、初めて極東地方に砦を築いたロシア人も彼らコサックであった。ロシア革命とそれに続くロシア内戦の際には、ツァーリへの忠誠を誓ったコサック兵たちは反革命側の強大な軍事勢力を形成し、各地で赤軍と大規模な戦闘を繰り広げた。クバーニなどのコサックはツァーリの処刑後独立を宣言したが、こうした「独立政権」は旧ロシア帝国領内に無数に誕生した。
[編集] コサックの滅亡
ソビエト連邦はコサックを反革命分子と見なし、スターリンも、レーニンのコサック根絶政策を忠実に継承した。それにより、440万人の70%、308万人が、戦死、処刑、流刑死で抹殺された。クバーニやドンなどの地域で弾圧とホロドモールによって徹底的に抹殺した。弾圧を逃れたコサックの多くは海外に逃れた後に、第二次世界大戦においてドイツ軍に協力した。第二次大戦が終わると一部が欧米諸国へ逃亡するものの、ソ連軍に強制連行されるなどして過酷な運命を辿った。
その一方でソ連政府は、1936年に共産党に従順なコサックを赤コサック軍を編成し始めたが、基準に合ったコサックは殆どいなかったので、内務人民委員部の仕官や赤軍の兵士、そして非コサックであった町人や農民が赤コサック軍の中心となった。結果として、クバーニやドンなどでは従来のコサックの姿は殆ど消え、赤コサック軍の軍人が住居するようになった。
[編集] 復帰の試み
1991年にソ連が崩壊し、ウクライナとロシアにおいて政治家や市民団体はコサックの復帰運動を開催した。
ロシア連邦で「ロシアの国土を広げ、それを守る愛国者」と見直しは進められ、プーチン政権におけるロシア軍の「愛国主義養成プログラム」では「コサックの歴史」の学習が軍の幹部養成学校では必須となった[2]。現在、ロシアで自ら「コサック」と名乗っている人は300万人。プーチンとロシアを熱烈に支持している。チェチェンなどの紛争にも積極的に参加している[3]。ロシア正規軍への志願とは別に義勇兵として戦地に赴くことに彼らの特徴がある。
[編集] コサックの有名人
- イヴァン・マゼーパ:ウクライナ・コサックの頭領。大北方戦争中にスウェーデンに寝返ってロシアと戦った。。ピョートル・チャイコーフスキイのオペラ「マゼッパ」(1884年)に描かれている。また、フランツ・リストも「マゼッパ」で題材にしている。
- イェルマーク・チモフェーイェヴィチ:ドン・コサックの頭領[要出典]。ロシアの富豪ストローガノフ家に雇われ、シビル・ハン国の征服者とされるが、彼自身はシビル・ハン国滅亡の前に戦死した。
- グリゴリー・セミョーノフ:ザバイカル・コサックの頭領。ロシア革命後のロシア内戦時代、反革命勢力に与して戦い、日本軍に協力した。
- スチェパン・ラージン:ドン・コサックの頭領。ラージンの乱の指導者。「スチェンカ・ラージンの歌」で知られている。
- ボフダン・フメリヌィーツィクィイ:ウクライナ・コサックの頭領、フメリヌィーツィクィイの乱の指導者。
[編集] その他
コサックに付随するものとしては、以下のようなものがある。
- コサック・ダンスは、文字通りには「コサックがする踊り」のことであるが、日本では特に「腰を低くして腕を組み、足を高く上げて踊る独特のダンス」というステレオタイプが定着している。コサックのダンスには、実際にはこの他にもいろいろなスタイルのものがある。
- コサック(Cossack)は、An-225ムリーヤに対してNATOが付けたコードネーム。
- コサックは、イギリス海軍の駆逐艦の名称。
- 「コサックス」は、ウクライナのコンピューターゲーム。フランス軍がロシア帝国に侵攻し、ロシア帝国の支配に対するウクライナの民族主義の盛り上がっていたナポレオン時代を背景に作られている。「コサックス2」も現在ウクライナ等で売り出されており、日本で2005年に行われた愛知万博のウクライナ館でも宣伝されていた。
- 『コサック』というアニメシリーズがある。
- 映画「007」シリーズで、007(ジェームズ・ボンド)の同僚006(アレック・トレヴェルヤン)はコサック出身の孤児という設定であった。多くのハリウッド映画で悪役を演じているショーン・ビーンが役を演じ、ジェームズ・ボンドを裏切って殺された。シリーズ第17作『007 ゴールデンアイ』(1995年)に登場。
- 東映制作のスーパー戦隊シリーズの第3作(現在の作品に直接繋がるシリーズとしては第1作め)・『バトルフィーバーJ』には、メンバーの一人で、南ロシア・中央アジアにゆかりがあり、コサック・ダンスを応用した技を持つバトルコサックが登場する。
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ コザーク、カザーク、コザックなどとも書かれる。(ウクライナ語: козак, 複数形はкозакиコザクィ。ロシア語:казак, 複数形はказакиカザーキ))
- ^ 「NHKスペシャル 揺れる大国 プーチンのロシア」2009年3月23日午後10時放送「プーチンの子どもたち」(日本放送協会製作)より
- ^ 「新シルクロード 激動の大地をゆく」2007年6月24日(日)午後9時 「荒野に響く声 祖国へ」 より
[編集] 外部リンク
- (ウクライナ語) 『ウクライナ史事典』/ I.ピドコーヴァ、R.シュースト編. — キエフ: ゲネザ, 1993.
- (英語) コサック・ポーランド戦争(ウクライナ百科辞典)
- (ウクライナ語)(日本語)フメリヌィーツィクィイの乱時代のの流行歌

